2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧
中国史上の名君を五人選べと言われたら、宋の太祖こと趙匡胤は確実にその候補にあがるであろう。 今回は唐以来の統一王朝を作り上げた英雄の人生を見て行こう。
アメリカ歴代大統領の中には2人組ほど親子で大統領になったファミリーがある。1つはブッシュファミリーであり、もう一つはアダムズファミリーである。 アメリカ合衆国第6代大統領であるジョン・クインシー・アダムズは第二代ジョン・アダムズの息子である。 …
三国志最強の軍師は誰か? この問に答えるのは難しい。 光栄のゲームなどでは諸葛亮孔明だけが知力100となっているが、曹操に仕えた郭嘉もまた同等の能力を持つ軍師の1人だと言えるだろう。 郭嘉は曹操陣営には珍しく、演義でも正史でもほぼ差のない活躍をし…
「神宗」というのは中々の廟号である。 北宋の第6代目の皇帝である神宗の本名は趙頊と言い、彼の名前よりも宰相であった王安石の名前の方が有名であろう。
中国4000年の歴史の中で、最も有名な宰相は誰であろうと考えた時、世界史の教科書にも載っている王安石の名がまずは浮かぶ。 北宋は神宗の時代に活躍した宰相王安石について見てみよう。
中国の長い歴史においても最も悪名高い人物の一人が漢を滅ぼし新を建国した王莽という人物である。
煬帝は中国史上最悪の暴君であるとされている。 誰がしたのかと言えば、隋を滅ぼして新しい王朝をたてた唐の王族たちである。 じゃあ名君なのかと言えば、それは明確にNOであろう。 今回は日本が遣隋使を派遣した時の皇帝である煬帝について見て行こう。
個人的に好きではないが、それでも政治的には派手な実績があるのが第5代目のアメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローだ。
オスマントルコの歴史を語る上で外せないのが「イェニチェリ」の存在である。
実は我々日本人はアメリカの歴史に詳しくない。 戦後、アメリカの文化が流入し、今でもハリウッド映画などを通じてアメリカの文化などにはなじみが深いが、実はあまりアメリカの歴史をガッツリ学ぶという機会はあまりないと思う。 アメリカ初代大統領がジョ…
唐が滅亡すると、中国は再び戦乱の時代に突入した。 戦いは100年にも及び、その間には華北に5つ、華南に10の国が次々と興っては消え、建国しては滅亡していったため、世界史ではこの時代を「五代十国時代」と呼ぶ。 秩序は乱れ、治安を守るべき兵士たちは略…
どんなに栄えた国家でも、必ず滅びる時がやってくる。 7世紀8世紀と世界で最も栄えた国家であった唐王朝にも、滅びの時はやってきた。 唐を滅ぼした男の名をご存意であろうか? 彼の名は朱全忠。 本名を朱温と言い、朱全忠の名は「完全な忠誠」という意味を…
五胡十六国時代及び魏晋南北朝時代には名将が多い。 陳慶之、楊大眼、高長恭など非常に優れた将軍は多く、その中で最も優れた将軍を選ぶとなると非常に難しい。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com 将軍とい…
ラシュモア山記念国立公園には4人のアメリカ大統領の巨大な石像がある。 これらは歴代アメリカ大統領の中でも特に功績のある4人をモチーフにしており、左からジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカ…
室町第二代将軍、徳川第二代将軍、二代目ローマ皇帝、第二第漢帝国皇帝、明の二代目皇帝これらが即座に名前が出てくる人は少ないと思う。 これらの例にもれず、日本人でジョン・アダムズの名前がすぐに出てくる人は少ないだろうし、ジョン・アダムズが何をや…
三国志が終わり、晋の統一が崩れ、中国は五胡と呼ばれる5つの異民族と漢民族の国々が相争う五胡十六国時代へと突入した。 五胡の最初の覇者はチベット系民族である氐族であったが、その最盛期を極め、華北をほぼ統一した苻堅は東晋の首都である建康に向けて…
三国志の時代が終わり、司馬懿の孫の司馬炎が晋を作るもその勢力を維持することはかなわず、晋は西側を失い、東晋としてなんとか生き延びていた。 一時期はチベット系氐族の苻堅が強大な力を以て華北を統一、大軍をもって東晋を滅ぼしにかかったが、淝水の戦…
数多の英雄が活躍し、そして散っていった三国志の舞台は大体184年の黄巾の乱から始まり234年に諸葛亮孔明が亡くなる間の50年間の話だ。 その後の展開を知っている人は少ないと思うが、曹操が必死になって基礎を作った魏と言う国は司馬懿とその子孫によって滅…
今さらながらペルソナ5をクリアした。 2016年9月に発売されたにも関わらず2019年5月にクリアした。 俺がPS4を買ったのが2018年12月のことで、クリアするまでに大体半年ぐらいかかった。 その半年の間に「ペルソナ5 ザ・ロワイヤル」やら「ペルソナ5無…
三国志の中でも特に俺が好きなキャラクターの1人であるのが諸葛亮孔明、龐統に次ぐ劉備陣営第三の軍師である徐庶元直だ。 今回はそんな徐庶の話。
実に珍しいウイグル料理の専門店「シルークロードタリム」に行ってきた。 www.instagram.com
アメリカの初代大統領がジョージ・ワシントンであることは有名だが、ワシントンがどんな人でどんな人生を歩んできたかを知っている人は少ないのではないだろうか? 今回はアメリカ建国の父とでもいうべきジョージ・ワシントンの生涯について見て行こう。
やぁ、よく来てくれた。 まずはこの記事に来てくれたことを感謝したいと思う。 このブログが始まって約5か月、この記事で300記事目の節目を迎えることが出来たので、毎月恒例となった「ベスト100シリーズ」と一緒にやりたいなぁと思いこの記事を書いた。 過…
人材コレクターの異名をとる曹操配下の中でも、張遼や張郃と共に5将軍と言われるほどの活躍をしたのが徐晃という人物だ。
16世紀半ば、スレイマン大帝はヨーロッパ最強貴族ハプスブルク家の本拠であるウィーンを包囲したが、冬の厳しい寒さなどを理由に撤退した。 それから150年の時が過ぎ、オスマン帝国は再びウィーンを目指した。
世界史にはしばしば絶対的な権力を行使する女性が登場する。 オスマン帝国においては、17世紀前半において息子2人や孫を操り政治の実権を握ったキョセムがそれにあたるだろう。 今回は「キョセム・スルタン」と言われるほど権勢を誇った女帝キョセムについて…
オスマントルコはその建国期において大宰相の立場をチャンダルル家が占めてきた。やがて時は経ち、17世紀の後半からはこの地位にキョプリュリュ家が就き、以降世襲によってオスマン帝国の政治の実権を握っていくことになる。
「名誉革命」「アメリカ独立戦争」「フランス革命」の3つを、世界史では3大市民革命と呼ぶ。 これらが世界史に与えた影響は大きく、世界は専制的な絶対君主政治から近代的民主政治に移行していくことになる。 オスマントルコもその例外ではなく、1703年にエ…
前田又左衛門利家は、尾張の国愛知郡荒子の土豪である前田利春の四男に生まれた。 特に生まれに恵まれた訳でもなく、家督を継げる立場でもなく、特別な才能に恵まれたという訳でもない。 それでも彼、前田利家は「加賀百万石」の開祖となった。 度胸だけは誰…
歴史上の人物で、曹操ほど熱心に人材をリクルートした英傑はいないだろう。 「人財」などという言葉が日本の企業で叫ばれることがあるが、人はすなわち国家であり、国家はすなわち人である。 曹操はそれをよく知っていた。 黄巾の乱以降、必ずしも有利とは言…