決して振り返りたくない2019年をなんとか振り返る【大変暗い内容ですので閲覧にはご注意ください】

結論から言うと2019年は私の人生でもワースト3には入る年になってしまった。この記事を書いている現在、かなり精神的に参ってしまっていて、まるで食欲がなく、この3日間で良く見積もって3食ぐらいしか食べておらず、その内2回は吐き出してしまうというぐらいには弱っている。

この記事を書き始めたのは日曜の午後14時ぐらいからだが、当然のように今日は何も食べていない。そんな訳だからこの記事の内容もかなりのものになるだろうことが予想される。そもそもこれも何度目かの書き直しだったりもするし、こんなものを書くべきでもないし公開すべきでもない、そう思って書いている途中で消したりもした。

この記事は書かなくてもいいし、書かない方がいい、そんな記事になるかも知れない。

でも、この記事を書かなければこのブログは完全に死ぬだろう。

ブログを継続するのは実に難しい。このブログは去年の12月末に開設されて以来、まだ1年経っていない。そして公開された記事数を見ればわかるが、露骨に更新回数が減っている。

f:id:myworldhistoryblog:20191215141400j:plain

12月はへたすると0になる勢いだ。

下手しなくても0だろう。12月が半分終わった現在、思考は同じところをグルグル回っている。へたり込んで、一歩も前に進めない状況になっている。

でも、前に進まなくてはならない。

すぐには前に進めないけれど、でもどこかで立ち上がり、そして進まなくてはならない。

私はブログをやっているのでブロガーだ。昔読んだある記事によれば、ブロガーは全ての黒歴史を光に変えることができるのだという。

gattolibero.hatenablog.com

私も、半端な覚悟でこのブログをやっている訳ではない。己の黒歴史さえさらせないブログなら、もうそんなブログ、ないも同然だ。

 収入が1/10になる

f:id:myworldhistoryblog:20191215160555j:plain

軽いところから触れたいと思う。

のっけからヘビーだが、個人的にはこれが一番マシだ。

今私は、世界中の不幸を集めたような顔をしているだろうが、それでも2019年が始まった当初は幸福だった。今回は幸福である面には一切触れない。

収入は、去年の段階でだいぶ落ちたが、それでも2019年最初の4か月、つまり令和になる前は月平均50万円ぐらいはあったと思う。

だが令和になった頃、収入は激減した。あまり語りたくないが、今年の後半から現在までは月10万から20万ぐらいを推移している。そしてそれもなくなるかも知れない。

正直、個人では抗えない流れが来ていると思う。

いや、私は抗うことさえしなかった。今もしていない。

そんな状態でこのブログで何万文字とかいう記事を書き続けたのだから、私はやはりどこかおかしいんだろうなと自分でも思う。

別れを告げられる

よくあることだ。あまりにもよくあることだ。

この点をあまり細かく書くことはしない。自分がこんな状態なので、非常に悲しかったが、もうグゥの音も出なかった。

随分昔のことのように感じるけれど、まだ先月のことなんだな。

出版の話が来る

収入が落ちたことが問題だったのではなく、収入を上げる手段がないことが大きな問題だった。

何度経験しても慣れないが、収入は大きく上下する。統計によれば自営業の開業届けを出して5年以内に8割は廃業届を出すそうだ。公務員や会社員、特殊な専門職は国に優遇されるが自営業者は勝手に死んでくれ、国はずっとそんな態度だ。特に何もしないが儲かったら税金や社会保障料はもらっていく。なんなんだこの国はと思う。

話が逸れ過ぎたが、収入回復の目途が立たなかったので引越しをして家賃を大幅に下げることにした。最悪、コンビニとかでバイトしても生活できるぐらいまで生活コストを下げた。先月なんか食費2万円いかなかったぐらいだ。面白いもので、収入は激減したのになぜか貯金額は増えるというなぞの現象が起きている。ただ、来年また持っていかれるんだろうなぁと思うと憂鬱だ。

そんな状態で出した記事がかなりバズった。引っ越して一発目の記事とかだったと思う。

www.myworldhistoryblog.com

今思うとそんな状態で何を考えてこの記事を書いたのだとは思うが、はてぶの数は1000を超え、出版社の方の目にも留まったようである。

最初に連絡を受けた時は驚いたというよりも単純に詐欺だと思った。自費出版系の詐欺話は後を絶たない。試しに「自費出版 詐欺」で検索するとまぁ出るわ出るわ。

人は浮かれている時ほど詐欺に遭いやすい。例えば大学受験の合格発表会場近くに詐欺師がよくいるのもその典型だ。

自分の所にそのような話が来るはずがない。そう思ったのだが、いただいたメールのアドレスは大手出版社のものだったし、結論を言えばそういううさんくさい系の話ではなくガチな話だった。

その時の私の気持ちはかなり複雑だった。

まず、この手の話は流れることが非常に多い。とりあえず目立ったところに営業かけておけみたいな編集者も多く、はてなで有名なハルオサンなんかも何回も話が流れていたらしい。

locafra.com

そして、何より私は昔大いなる挫折をしている。

別記事で語ったように、私は20代前半は家庭教師をしながら小説の新人賞に応募し続けるという生活をしていた。

www.myworldhistoryblog.com

正確に言えば応募していたのは始めの1年だけだった。最初に書いた小説は横溝正史大賞という賞の1次選考に通ったのだが、最後に出したものは江戸川乱歩賞の1次審査にも通らなかったのだ。

賞としては乱歩賞の方が遥かに大きいが、1次審査突破では横溝賞の方が割合の上では難しい面がある。自分の中で傑作だと思っていたものが最初に書いたものよりも評価されない。その事実は私を苦しめた。一体何が悪いのか?私には全く分からなかった。

兎に角勉強や修行が足らない。そう思った私はとにかく読むことと書くことを重視した。お金は全くないので本は図書館から借りて、良い文章をひたすらノートに写し続けた。読んだ本は大体年間で200冊から300冊ぐらいの間だろうか。

それを何年続けたのかはわからないが、ある日心が折れた。あまりにも自分と違い過ぎる!それを実感してしまったのだ。その瞬間家で過呼吸になってしまった。決して語りたくはないが、自らこの世を去ることさえ考えた。そうしなかったのは、友人の弟がそれを実行し、それを嘆き悲しむ友人を見たからだろう。

彼は完璧な人生、あるいはそれ以上の人生を歩んでいるように思えた。だが、弟が自ら命を絶つなんて不幸、どれぐらいのショックであったことだろうか。

その後は逃げるように就職し、そしてこのブログでもちょくちょく触れたように過労で倒れた。

回想が長くなってしまったが、そんな私がまた出版に挑戦するというのは勇気がいることだった。

だがそれ以上にチャンスだった。

幼き日からの夢が叶うかも知れない。もう完全に諦めていた夢が。

それに個人的に本にしたいと思うアイディアがあったので、それを話したら企画書を書くことになった。

これは中々苦労した。なにせ人生において企画書など書いたことがない。書き方さえもわからない。なんとか書き上げた企画書は結局会議では通らなかった。

この時はなんでだ!とかも思わず、やっぱりまだ練れていないよなぁとか思った程度だった。企画とかよくわからないし。

その後は苦悩の連続だった。企画の会社をやっている友人を訪ね、企画というものとは何かというところから話を聞いた。企画書は1枚目で全てを言いつくしてなくてはならない。

それからはジャンルを問わず世の中のヒット商品を一枚の企画書にまとめるという練習をひたすら続けた。その商品の差別化ポイントは何なのか?その商品のコンセプトを1行で表すと何なのか?その商品はなぜヒットしたのか?

同時に自分の企画のブラッシュアップを行った。何をどうすればよいのか、そもそもコンセプトは何なのか?他の本と何が違うのか?一言で言えばどんな本なのか?

4か月間ほど、それに没頭した。それ以外のことは何もしなかったし、何も考えなかったと言っても良い。非常に苦しい体験だった。何も進んでいかない日々が続いた。だがある日天啓のようなひらめきが浮かび、大きく進むことがあった。そうした前進が、3度ほどあったと思う。ついに自分の納得できる企画が出来上がった。

アリストテレスは「良き一日の終わりに良き眠りが来るように、良い人生の終わりには安らかな死が訪れる」と言ったが、これでようやく安らかな死が迎えられるとさえ思った。

早速出来上がった企画を見せて、内容についてひたすら熱弁した。編集者さんは「大丈夫です、私が通します、任せてください」とおっしゃってくれた。

ハンター×ハンターのモラウという人物が発した「信じた仲間が任せろと言ったら任せるのが俺のルールだ」みたいな言葉を思い出した。

ここから先はあまり書きたくない。でも多分、書かないと私はここから前へは進めない。結論から言えばその企画は通らなかった。通らなかっただけではなく永久凍結となった。

当初、と言ってもまだ1週間経っていないぐらいだが、まるで理解も出来なければ納得も出来なかった。

 私が良いと思った企画は、会議では総スカンだった。内容が難しそうに見えるというのがほぼ一致した意見だった。

私の立てた企画というのは完全な初学者が東大入試レベルの力を身に着けることができる本という感じだった。かなり無茶目だが、そのために段階を踏んで学べるようになっていて、という感じだったのだが、本にするには内容が複雑すぎたのだ。わかりやすく東大入試なんてのを持ち出したのも良くなかったが、もっと根本的な部分が不評の原因だった。

中には前の方がよかったという意見さえあり、正直それが一番ショックだった。まるで昔新人賞に出した時みたいだと。

自分ではパワーアップしたと思っていても、ブラッシュアップしたつもりであっても、実はそうではなかったのだ。

根本的な部分を変えてもう一度練り直したらどうかという意見もあったが、それは編集者の方が即座に拒否してくれたようだ。

「この部分を変えたら〇〇さんの本じゃなくなる」

今回の記事に救いは無いが、この分は数少ない救いの部分である。そうだ、そこを変えたらもう自分の企画じゃなくなる。

「とても良い企画だと思うんです」

決して嘘は言わない、というか言えない人だと思うので、そう思ってくれたのはきっと嘘ではないと思う。 

 「でも本に向いた企画じゃなかった」

それを聞いた時には思わず反発してしまったが、今ではそれが全てだと思っている。

私の書いた内容が、仮に読んだ人に高い満足感を与える本であったとしよう。でも本を手に取る人がいなければ、それはもうビジネスとして成り立たないのだ。

当初、会議に通らなかったと聞いて、自分個人に問題があるのだと思った。自分は完全に無名な存在で、そもそも本名すらも公表していないし、このブログ自体が別に有名ブログである訳でもない。その会社で本を出しているような人たちは本当に超一流と言えるような人たちばかりだった。だからどこの馬とも知れない奴の本なんか出せない。そう言われた方が、実はずっと良かった。企画は良いけどこの人じゃねぇみたいな。

でも企画に問題があった。内容が悪いというよりも、要はこれじゃ売れないよねってことだ。

自分の中で、建てた企画を変えるという選択肢は始めからなかった。編集者の方もそれはよくわかってくれていた。だから、この企画は凍結するしかない、そういう結論になった。

その結論しかない、ということは頭では分かっているのだ。だが、心血注いだ我が子のような企画を、そう簡単に切り捨てることは非常に難しいものがある。

仮に、このブログをもっと頑張ってもっと発展させて、そうしたらまたどこかで出版の話を戴くことがあるかも知れない。でも、そうなったとしてもその時もこの企画は出せない。

それを、私は受け入れなくてはならない。

企画凍結の話を受けて、自分の中で耐えていた色々なことが雪崩のように襲い掛かってきてしまった。特に失恋の部分は遅れて一気にやってきた。相手を嫌いになって分かれるなら良いのだが、全くそのようなことはないのでとても辛い。でもどうしようもない。収入もない。収入を得る当てもない。自業自得とは言え、多くの友人も失った。

私にはもう、何もない。

「お前の人生は0だ!」仮にそう言われたとしても今私は何も言い返せないだろう。

こんな感じのセリフが村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にあった気がするが、まさにそんな感じだ。

これからの半年間ぐらい、ひたすら本を書くのに集中しようと思っていたから、何をして良いのかも未だ分かっていない。

 茫然自失というのは、まさにこのことを言うのだろう。

と、完全に終了したような空気を醸し出してしまっているが、出版の話が100%消えたという訳でもない。

「こんなことを言えた義理ではないのは重々承知しているのですが、すぐには難しいと思いますが、もし私を信頼してくださるのであれば、また企画を持ってきていただきたいと思っています」

問題は全て私にあった。完全に独りよがりになって自分の建てたものを客観的に見ることが出来なくなっていたのだ。

編集者さんは本当によくやってくれた。信頼しかしてない。

なので、その時保てる精いっぱいの虚勢をはって、必ずもっていくと約束した。

そのためには、いくつも超えて行かなければならない壁のようなものがあるのだろう。

果たしてその壁を自分を越えられるのだろうか? 再び、戦うことができるのだろうか?

私が本を出したとしたら、再び戦いだし、その壁を越えたということなので、その時は買ってくれ。

こういう時、ミスチルの「ALIVE」って心に沁みる。