何が君の幸せ?ユリア・アグリッピーナ(小アグリッピーナ)の生涯を通じて人の幸福について考える

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「幸せな家族はいずれも似通っているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」

この言葉は19世紀のロシアの文豪レフ・トルストイのアンナカレーニナの冒頭の文章だが、この文章を見ると俺は今回の主役アグリッピーナをまず最初に思い浮かべる。

空前の繁栄を享受することになるローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの血を引き、皇帝の妻になり、息子も皇帝になった。

ある意味では歴史上もっとも恵まれた地位にあった女性だと言えるが、同時に世界史上で最も不幸な女性の1人でもある。

今回は世界史上に悪女として名前の残るアグリッピーナについて見て行こう。

 神の子孫、英雄の娘として生まれて

冒頭でも述べた通りアグリッピーナは神君アウグストゥスの血を引く大アグリッピーナの娘であり、同時にローマの英雄ゲルマニクスの娘でもある。

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兄は3代目ローマ皇帝のカリギュラであり帝政ローマにおいて、あるいは1世紀を生きた人類にとって最も恵まれた生まれであったと言っても良い。

にも拘わらず彼女の前半生はとても幸福なものとは言い難かった。

アグリッピーナは父ゲルマニクスの赴任地現在のドイツのケルンで生まれ、その後は父に従いシリアなどに向かうも父が死んでしまうという不幸に見舞われる。

その後13歳になったアグリッピーナはティベリウスの命令でグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスというローマの有力者と結婚させられてしまう。

このドミティウスという男は歴史書にもその悪評しか残っていないような男で、子供を馬で踏みつけたとか国家の金を着服したとか自分を批判した人物を陥れて処刑したとか何一つ良い記述のない人物だった。

そんな人物でも皇帝に次ぐ地位となっていたコンスルに就任したこともあるので、この時期はすでにローマ帝国は狂っていたともいえる。

それだけでもなかなかだが、母である大アグリッピーナがティベリウスと対立し流罪になったのち死罪になってしまうという不幸にも襲われる。

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しかし紀元前37年になるとティベリウスは死に、代わりに兄のカリギュラがローマ帝国第3代皇帝になる。

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同時期にアグリッピーナは後に皇帝となるネロを産んでおり、この時期は幸福そうだがそうでもない。

理由の第一はカリギュラの治世時期に夫が死ぬのだが、その遺産を兄のカリギュラが着服してしまったこと、もう1つはカリギュラが妹たちとの近親相姦をしているという噂が立ったことである。

前者は事実で、後者には証拠がない。

ただ、当のカリギュラから自分の地位を脅かしているという理由で妹やその夫ともに島流しにあってしまっているのも確かだ。

これが事実無根であったのかは後世のアグリッピーナの行動を見ているとどうとも言えない。

皇帝の妻として

カリギュラが暗殺されるとアグリッピーナもローマにもどることができた。

この時期にはパッシエヌスというコンスル経験のある人物と結婚したが、数年後にこの人物も死んでしまい、かなりの額の遺産を相続したようである。

彼女は3度結婚しているが、3度とも夫が早死にしている。

3度目の結婚相手は第4代ローマ皇帝クラウディウスである。

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クラウディウスはゲルマニクス、つまり父の弟なので叔父となり、当初は元老院からの大反対があったのだが、2人は強引に結婚をしてしまう。

背後にはクラウディウスの秘書官であったギリシャ人のパラスという人物が暗躍していたとみられ、全てはネロを次代の皇帝にするためであったと言われている。

クラウディウスは家庭に興味のない男で、前妻メッサリーナの時代にも彼女の自由にさせていた。

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アグリッピーナにとってもクラウディウスはとことん都合の良い夫であったことだろう。

アグリッピーナはクラウディウスの権力をほしいままにし、自らにアウグスタ(皇后)の尊称を贈るようにした。

これはアウグストゥスの女性版で、通常は死後贈られる廟号なのだが、自らの生存中に自らに贈らせており、完全な暴挙と言える。

彼女は息子のネロをクラウディウスの養子にすることに成功し、着々と布石を打っていた。この辺りは権謀術数に長けたアウグストゥスの血が表れているというべきか。

彼女は息子の教育係にローマ最高の哲学者の1人であるセネカと軍事的な才のあるブルスを任命し、皇帝就任後もネロのサポート係として重宝した。

その反面クラウディウスの実子であるブリタニクスをクラウディウスから遠ざけるようなこともしている。

そんな中クラウディウスが突然死んだ。

公式にはキノコ料理の中毒症状で死んだことになっているが、アグリッピーナがクラウディウスを殺したのだと当時の人は思った。現代の人もそう思っている。ただ証拠はない。

 皇帝の母として

クラウディウス帝の死とネロの皇帝就任は全く同じ時に世に知れ渡ることになった。

人々がクラウディウス帝の死を知った時にはネロはすでに近衛兵団に囲まれていた。クラウディウス同様ネロも近衛軍団の後ろ盾を持っていたのである。当然の如くこれはアグリッピーナの手回しがあったからであろう。

アグリッピーナは女性としては珍しく回想録まで書いている女性で、かなりの教養の高さがあり、かなり政治的な手腕は優れていたというべきであろう。

ネロの治世の5年間は善政であったと言われるが、ちょうどアグリッピーナが生きていた時代と重なる。

アグリッピーナはかなり強引な手腕の持ち主かつ虚栄心の強い性格で、自分が生まれたケルンの地(当時はオッピドゥム・ウビオルムという名前だった)からコロニア・アグリッパという名前に変えている。

もっともこの名前はアグリッパというアウグストゥスの右腕の人物の名前でもあった(アグリッピーナの祖父でもある)ので、アグリッピーナ自体はかなり嫌われていたが、この名前自体はむしろ歓迎さえされたぐらいだった。

哀れなる最後

アグリッピーナは最後は最愛の息子に殺された。

女性としてここまで酷い殺され方をした人物は歴史上にも存在しないだろう。

ネロが母親を殺した理由についてはローマ史家も頭を悩ませている問題の1つである。

一番酷いのはアグリッピーナが息子に性的な虐待を加え近親相姦を迫ったからだという話だが、カリギュラとの近親相姦同様全く根拠がない。

心理学用語に「アグリッピーナ・コンプレックス」というものがあって、母が過剰な愛情を注ぎ過ぎて息子がおかしくなる現象をさしてつかわれる言葉があるが、その由来はこのアグリッピーナでありアグリッピーナとネロの関係を参考に命名されている。

ネロは当初母に遊覧旅行をプレゼントした。愛する息子の提案に彼女は喜んで船に乗ったが、船は沈没するように作られていた。アグリッピーナは泳ぎが巧かったので助かったが、ネロは確実に暗殺するために近衛兵団を向かわようとするが、近衛兵団はネロというよりもアグリッピーナに従っていた面が強く拒否されてしまう可能性が高かったため下手人を母のもとへ向かわせた。

近衛兵団がアグリッパの孫でありゲルマニクスの娘を殺害することは考えられなかったというのが理由であろう。下手人が来た瞬間にアグリッピーナは全てを悟り、自らの腹部を指しこう言った。

「ネロはここから生まれてきた。ここを刺しなさい」

かくしてアグリッピーナはめった刺しとなりその壮絶な生涯を終えることになったのだった。

最も恵まれた人物の、最も恵まれない死にざまだったと言えるだろう。