最強最後の大海賊ブラックバート!バーソロミュー・ロバーツ

スペインの新大陸入植以来カリブの海賊たちはイギリス王室の後ろ盾のもとにその春を謳歌した。

あらゆる物事に始まりと終わりがあるように、そのような大海賊時代も終わりを告げる。

海賊たちが一人、また一人と消えていく中で、最後の登場した大海賊がいた。

黒き男爵と呼ばれ厳格な掟のもと無法者たちをまとめ上げたその海賊の名はバーソロミュー・ロバーツ。

歴史は彼のことを最強最後の大海賊と呼ぶ。

 最後の大海賊

バーソロミュー・ロバーツは1682年に南ウェールズで生まれたとされる。この辺りは黒髭ティーチなどと同様その前半生はよく分かっていない。

ロバーツは航海士として奴隷船プリンス号に乗船していた際、海賊ハウル・デイビスに拿捕され、そのまま海賊になった。

非人道的な奴隷船の乗組員であることに嫌気がさしたとも元々海賊に対するあこがれがあったともいわれている。

イギリスでは海賊は海の無法者であるとともにスペインやフランスを相手に戦った英雄でもあり、ドレークやモーガンなど最終的にナイトの位を授かり国の英雄になった人物たちもおり、ある種ヒーロー的な側面もあった。

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ロバーツが海賊になって6週間後、船はポルトガル領プリンシペを強襲し、そして返り討ちに遭った。その先頭で船長のハウル・デイビスは死去、次の船長を決めるべく船員達が選挙を行った結果次の船長には乗船まもないロバーツが選ばれることとなった。

伝説的な活躍

バーソロミュー・ロバーツの活躍はまるで神話世界のように伝説的である。

ある時1隻のスループ船に乗ったロバーツはフランスの船20隻以上を捕獲した、最新型の大砲を搭載したフランス軍艦16隻を4日間で捕獲した、戦闘において一切傷を負わなかった、など俄かには信じがたい活躍が遺されており、その存在は伝説に近いとさえいえる。

実際に記録に残っている例として、ポルトガル船を見つけたロバーツは船を商船に見立てて近づき、停泊していた船に近づくと船を拿捕、このポルトガル船の船長を人質に高価な積荷を奪い、さらに自分の船一斉砲撃。その際に最も高価な積荷を積んだ船にのり金銀財宝を奪って逃げたという。

ロバーツは奪った積荷を南米のギアナでさばいていたとみられ、その船は神出鬼没、ヨーロッパ各国はロバーツが次にどこに現れるのかを予測することができなかったという。

ロバーツは真紅のチョッキに半ズボン、赤い羽毛を飾った帽子をかぶり、首には金で作られたネックレスにダイヤモンドが輝き、手には剣、肩にかけられた絹のたすきには二丁の拳銃がかけられ、その豪奢さから黒い男爵を意味する「ブラックバート」という名で呼ばれた。

旗艦ロイヤルフォーチュン号を中心とした20隻からなる大海賊艦隊を率いてカリブ海に海賊王として君臨し、大西洋貿易を牛耳っていたと言われ、拿捕した船の数は400を超えるという。

厳しい規律

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ジョニー・デップ主演の「パイレーツオブカリビアン」にはバーソロミュー・ロバーツの掟なるものが出てくるが、ロバーツは無法な海賊集団をまとめるために厳しい戒律を定めたことでも有名である。

  • 乗組員全てに平等な投票権・投票発起権を与える
  • 仲間内で金品を窃盗・横領した者は孤島置き去りの刑
  • カード、サイコロを使った賭博の禁止
  • 午後8時消灯し、以降の飲酒は甲板にて月明かりのもとでのみ許可
  • ピストルやカットラスの整備の徹底
  • 女性や子どもを乱暴目的で船に乗せた者は死刑
  • 戦いの中で船を見捨て降伏した者は、死刑もしくは孤島置き去り
  • 船上での口論禁止。岸に着いた際に決闘により決着をつける
  • 収益は役割別に平等に配分。戦闘において負傷した者には手当てを別に支給
  • 安息日には音楽隊による賛美歌を奨励

ロバーツが活躍した時代は18世紀前半であり、そのころには権利の章典はあったがフランス革命もアメリカ独立戦争も起きていない。

面白いことに世界中でまだその国も実現できていなかった民主主義を採用しており、全員に平等な権利を与えていたという点は興味深い。

決まりは厳しいが、非常に民主的な掟を定めたともいえる。

バーソロミュー・ロバーツの最期

1722年、最新式大砲50門を備えたイギリスの軍艦スワロー号はギニア湾に浮かぶロイヤルフォーチュン号を発見した。

スワロー号はロバーツを挑発する目的で船にフランスの国旗を掲げるが、ロバーツはそれをイギリスの船だと気づく。

しかしスワロー号の射程は従来の軍艦よりも長く、ロイヤルフォーチュン号は既にその射程距離に入ってしまっていた。

バーソロミュー・ロバーツは大砲にあたって死亡。残りの乗組員も捕えられ、アフリカのガーナの地にあったケープ・ゴースト城で行われた裁判の結果黒人乗組員は奴隷として売られ、白人の一部はプランテーションで強勢労働、一部海賊歴の浅い者などは刑を免除、残りは死刑となった。

個人的なバーソロミュー・ロバーツの評価

カリブの海賊と呼ばれる海賊たちの多くは、イギリス王室の保護下にあった私掠船の船長であった。モーガンキャプテン・キッドなどがそれにあたる。

しかしイギリスが大西洋貿易などで覇権を握るようになると王室は海賊への支援をやめ、近代国家として歩むようになる。その過程で海賊は数を減らしていき、バーソロミュー・ロバーツを最後に名の知れた大規模な海賊は世界の歴史から姿を消すようになった。

まさに最後の大海賊と言えるだろう。