ネロ帝が死に、ユリウス・クラウディウス朝と言われた政体は崩れた。
ネロの生きている間の政治的混乱も相当なものだったが、ネロが死んだ後のローマの混乱はそれをはるかに上回るものであった。
わずか1年で3人のローマ皇帝が変わるという未曽有の危機となり、ローマは再び内戦へと突入するのであった。
典型的な貴族階級
ローマには「クルスス・ホノルム」という名誉あるコースと言われる経歴が存在する。
若きころにエデェリスやクワエストルなどを経験し、プラエトルやコンスルと言った重要な役職を経験後プロプラエトルやプロコンスルとして属州の総督になる。
ガルバはまさにこのクルスス・ホノルムを体現したような人物で、ネロ帝が亡くなった際にはスペイン方面のヒスパニア総督であった。
ネロ帝がまだ生きている時、ヴィンテクスという人物がネロへの反乱の意思を示すと、皇帝に相応しいのはガルバだと宣言した。ガルバ自体にもその意思はあり、かつ元老院もそれを支持した。
ネロ帝はそれを見て自らの運命を悟り、自ら命を絶ったという。まだ31歳の時であった。
ローマ皇帝はこの時代、ローマの第一市民であるプリンケプスを名乗っていたので、元老院が認めて初めてその地位に就くことができたのである。
ガルバはこの時70歳、皇帝になるには本来年を取りすぎていた。
皇帝ガルバの無策
ガルバは沢山の皇帝の許で経験を積んできた老将であるはずだった。。
キャリアのスタート時にはティベリウス帝の時代であったし、ガルバ自体ティベリウスに見いだされた人物の1人でもあった。
ティベリウスの人事は後の歴史家でノーベル賞も受賞したテオドール・モムゼンによれば完璧で、かつ実力主義であったという。ガルバはこの時に初めてのコンスルを経験している。
ティベリウスが死んだ後のクラウディウス帝の時代にもそのまま重宝され、クラウディウスにいたっては当時の最重要地区のブリタニア制覇にも随行していたほどで、以降は有力な元老院として活動し、各地の総督も務めることになる。
この名誉あるコースの経験者に、ローマ市民も元老院も期待した。
しかしそれは期待はずれであった。
ガルバが最初に起こした失策は、皇帝就任時の一時金をローマ市民に配らなかったことである。
ローマでは皇帝が就任すると一時金をローマ市民に配る風習があった。ガルバ自身もそれを何度も見ていたはずなのに、それをしなかった理由は分からない。残念ながら単に皇帝として無能だったと言わざるを得ないだろう。
ちなみにこの一時金の額が最も多かったのがマルクス・アウレリウス帝であり、彼の評価が高かった一因であるとも言える。
また、ガルバは人事面でも失策をした。
コンスルは本来選挙でえらばれるべき人物であるのだが、この頃は皇帝が指名した人物がなるのが慣習になっており、その際有力者である各地の総督府の総督を選ばず自らの腹心であるヴィニウスという人物を据えた。
各属州にいる軍団は自らの総督こそ皇帝の右腕に相応しいと考えていたため、この人事には不満であったという。
この頃から各地の総督府の力が強くなっており、元老院よりも兵士たちの支持が皇帝の命運を握るようになってくる。
この人事は一気に元老院、将兵の支持を失ったと言われており、この時点でガルバはローマ三大勢力全ての支持を失ったと言える。
さらにガルバの運命を決定づけたのは、ネロが贈った金品の返還を要求したことであろう。ネロは暴君と言われることも多いが、所謂下層階級を支援した人物でもあり、俳優や剣闘士などに頻繁に贈り物をしていた。下層階級と言ってもローマ市民権を持っている。
もはやガルバの命運は決まった。
ローマ最強の軍団ともいえるゲルマニア総督府はガルバへの忠誠を拒否し、ゲルマニアでは反乱さえ起った。そして自分たちの総督であるヴィテリウスを皇帝として擁立してしまったのだ。
ガルバはここでさらに自体を鎮静化しようと支持率の高いピソという人物を養子にし後継者にすることを発表。
これが有力者であるオトーの反感をかう。オトーは次の皇帝は自分だと思っていたのだ。
オトーはそのままピソとガルバを殺害、自ら皇帝としての名乗りを挙げることになった。
個人的なガルバの評価
ガルバを見ていると、適正という言葉について考えさせられる。
例えば会社でも、優秀な社員が上司になった瞬間に無能クラッシャー上司になることはよくあるし、優秀な社員が社長になったら全然ダメだったということもある。
名選手必ずしも名監督ならずという言葉がある通り、人には適正がある。
ガルバは基本的には優秀な人物であったのだろう。各皇帝の許その責務を果たし、ついに皇帝にまでなった。
しかし皇帝には一ミクロンも向いていなかった。
それだけのことであろう。
歴史家のタキトゥスはガルバをしてこのように評価している。
もしガルバが皇帝にならなければ、万人はガルバが皇帝に値すると述べたであろう
これ以上ガルバという人物を表した言葉もないであろう。