監督:リドリー・スコット、主演:ラッセル・クロウ、第73回アカデミー賞と第58回ゴールデングローブ賞を受賞した映画「グラディエイター」を今さらのように見たので感想とどの部分が史実と違うのかを解説したいと思う。
「グラディエイター」の大筋
時は2世紀後半、ローマはゲルマン人との闘いに明け暮れていた。時の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは余命いくばくもないことを悟っており、北方総司令官のマクシムスに皇帝位を譲り、元老院主導の共和政に戻すことを決めていた。
しかし息子のコンモドゥスはそれを阻止するため父アウレリウス帝を殺害、マクシムスも家族と共に暗殺する。マクシムス自体はなんとか生き延びたが、家族はすでに亡き者になり、マクシムスも捕えられ剣闘士として売られる。
「スペイン人」と綽名されるマクシムスはやがて人気の剣闘士となり、ローマのコロッセオに催される出し物に参加、そこでの活躍が皇帝になったコンモドゥスの目に留まり、そこで自分が殺したはずのマクシムスが生きて目の前に出てきたことを知る。
マクシムスの人気は絶大で、この場で処刑すれば自らの人気が無くなるのを理解していたコンモドゥスはあの手この手でマクシムスを亡き者にしようとするが失敗。
マクシムスは暴君を討ち共和政を取り戻すために外部の兵団や元老院議員と手を組もうとするも露見、その過程でコンモドゥスの姉ルッチラもマクシムスに加担していることが判明、自分が愛する父と姉からの寵愛を受けているマクシムスをこの手で始末しよと闘技場でマクシムスに対峙するコンモドゥス、当然勝てるわけもないのだが、今度は自分を守るはずの近衛兵団が自分を守らず、マクシムスの剣に敗れる。
最後は元老院議員も解放され、共和国復活への明るい日差しが差し込むのであった。
相違点①: コンモドゥスはアウレリウス帝を暗殺していないし共同統治者だった
という訳で映画と史実の違いについて述べて行こうと思う。
まず、映画だとコンモドゥスが自分を皇帝にしてくれないのでアウレリウス帝を殺害したことになっているが、そのような事実はない。
それどころかアウレリウス帝は自分が生きていた時からコンモドゥスを共同統治者として帝位に据えている。
なので帝位継承問題すらそもそも起きていない。
この部分に関しては実は当時からそういう噂が流れていたし後世の人物がそうであったらいいなぁと思っていた部分でもあって、皆名君たるアウレリウス帝があんな暴君を後継者にしたという事実を受け入れたくないがためにこのような創作になってしまった部分がある。
だが実際には、アウレリウス帝が甘やかしすぎたのでコンモドゥスはあんなになってしまったのであって、しかも史実のコンモドゥスは映画のよりも酷い。
相違点②:ルッチラが善玉みたいだが実際には権力欲で弟を暗殺しようとした
コンモドゥスはネロと共にローマの暴君として有名になってしまっているが、実際には姉であるルッチラの方が酷い。
ローマ一の悪女と言っても過言ではないレベルで、コンモドゥスがおかしくなったから暗殺したのではなくて、ルッチラがコンモドゥスを暗殺しようとしたからおかしくなったという方が正しい。
アウレリウス帝は哲学者としてはこの上なく優秀だったが、子育てという面においては失敗したというべきだろう。
映画だとルッチラが共和政を守る善玉みたいになっているが、そのような事実は1ミクロンもない。
ただ、コンモドゥスが姉を慕っていたというのは本当で、自分が信頼している人物が自分を殺そうとしているのを知って暴君かしたという説が今は強い。
もちろん元々そういう性格だったんだろうけど、信頼していた肉親が自分を殺そうとしていたらそりゃあおかしくもなるわな。
だからってやっていいことと悪いことがあるが・・・
相違点③:アウレリウス帝は共和政の復活なんか考えたこともない
現代の民主主義文化から考えると、皇帝というのは存在自体が悪である。
アウレリウス帝は確かに元老院重視の政治を行った。そのため軍人皇帝時代の皇帝達は勝手にアウレリウスという名前を自分につけた訳だが、息子であるコンモドゥスを共同皇帝に就けている時点で共和政の復活を考えていないことは分かる。
アウレリウス帝に関しては五賢帝として過大評価されている点は否めないと個人的には思う。実際には帝国内で反乱も起きているし、混迷の時代に突入さえてしまった張本人だと思っているのだが、アウレリウス帝が非常に優れた人格の持ち主であるのも疑いようがなく、「自省録」は素晴らしい書物なのだが、共和政を重んじることはあっても帝政自体否定していた訳ではない。
映画だと共和政が復活しそうな空気だけど、実際には真逆の元老院軽視の軍人皇帝時代が始まってしまうので全然めでたしめでたしじゃない。
相違点④:グラックスなんて元老院議員はいない
これは作成陣の遊びである。
スタンリーキューブリックの「スパルタカス」にもグラックスなる元老院議員がいたが、これは紀元前133年に改革を行おうとして果てたグラックス兄弟の名前をとって作られた架空の人物である。
兄弟の暗殺から内乱の1世紀は始まり、共和政は消滅に向かっているので、共和政支持者に兄弟の名前を付けるのは表現手法の1つなのである。
相違点⑤:そもそもマクシムスなんていう人物はいない
ここが一番の問題点かも知れない。
なにせ架空の人物が実在の人物を殺害してしまう訳だから。
それも史実っぽく作っちゃってるのは問題で、やはり学者から結構クレームが来たらしい。
歴史の認識って映画とか小説の影響が大きいから、史実を捻じ曲げてしまうのはさすがにやりすぎだよね(><)とは思いましたな。
グラディエイターの感想
日本の映画では表現できない巨大スペクタクルを実現した対策であるし、完全なるフィクションとしてとらえれば過去に上映された映画の中でもトップクラスに面白い。
映画というのは娯楽なんだから方の力を抜いて楽しめばいいんだよな。
なお、ローマ皇帝がコロッセウムに立つ訳なんかない!!と思われるかも知れないが、コンモドゥス帝は実際に剣闘士として活躍したという記録もある。
一番嘘っぽいところが本当なんだもんなぁ。
まさに事実は小説より奇なりですわ。