特に何の活躍もしていないが3度のローマ執政官を経験したルキウス・コルネリウス・キンナについて

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あまり触れられることのない人物だが、ルキウス・コルネリウス・キンナはガイウス・マリウスの右腕であり、ジュリアス・シーザーことユリウス・カエサルの最初の妻であるコルネリアの父親でもあり、ローマ最高職のコンスルを三度にわたって経験している人物である。

 ローマを混乱に陥れた張本人

内乱の1世紀と言われる紀元前90年前後は、ローマが大変な混乱をしている時期であった。北からはゲルマン人が攻めてきて、東ではポントス王ミトリダテスが地中海の覇権を握り、南アフリカではヌミディア王ユグルタが反乱を起こす。そしてしまいにはローマの同盟市までは反乱を起こすようになり、まさに内憂外患の状態であった。

並の国家なら滅亡の危機でもあったが、この時期ローマに出てきた2人の将軍マリウスとスッラによって問題は次々と解決していった。

しかし平民派と言われる派閥を形成していたマリウスと閥族派を形成していたスッラはお互いに反目しあい、スッラがギリシャに兵を進めた隙を見計らってマリウスは閥族派の元老院議員を数名処刑してしまう。

これに怒ったスッラは率いていた軍をローマに向け、マリウスは逃亡、今度はスッラが平民派の粛正に乗り出す。

マリウスが北アフリカまで逃げたのを見届けたようにスッラはキンナにローマの守備を任せて自らはギリシャに向かうことにした。

ところが、このキンナがスッラを裏切りマリウスをローマに呼び寄せてしまう。怒りに我を忘れたマリウスは閥族派の議員を根絶やしにしただけでなく、スッラに敵対しなかったというメチャクチャな理由で味方までをも血祭りにあげるという暴挙に出る。

この際ユリウス・カエサルの伯父であるルキウス・ユリウス・カエサルもマリウスに処刑されている。

そんな状態でマリウスは7度目の執政官になる訳だが、そのまますぐに病死してしまう。

実に恐ろしきは暴走した老人である。

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マリウス亡きあとのキンナは平民派のリーダーとしてスッラが戻るまでの3年間に3回連続でローマ最高職であるコンスルに任命され、この時期に娘のコルネリアをユリウス・カエサルと結婚させている。

なおカエサルとコルネリアの間に生まれた娘ユリアは後にポンペイウスの妻となる。

スッラとの闘い

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ポントス王ミトリダテスを下し、講和を結んだスッラはローマに向けて進軍を開始した。スッラのもとにはポンペイウスやクラッススと言った後代の主役たちが続々と参戦し、迎え撃つのはキンナ率いるローマ正規軍となる訳だが、キンナはスッラが来る前にさっさと病死してしまう。

結果的にキンナは失脚したマリウスの復帰に加担し、ローマを混乱に陥れ、ローマを血で染める手伝いをしただけであった。

ただ、歴史とは面白いもので、キンナの行動が後のユリウス・カエサルを作り出したのだとすれば、キンナにも功績はあるのである。

キンナ自体は激しい性格だったという訳ではなく、その政治は穏当で、その治世ともいえる3年間で人口は大いに増えたという。彼は借金の減額を認める法を成立させ、民衆からは支持された存在であったという。