貧困問題と人種差別問題に取り組んだ第36代アメリカ大統領リンドン・ジョンソン

アメリカ歴代大統領の中にジョンソンは2人おり、2人とも大統領が暗殺されたことにより大統領に昇格している。

リンカーン暗殺後のアンドリュー・ジョンソンは反動政治を行いあらゆる面から評判がよくないが、ケネディ暗殺後のリンドン・ジョンソンは各方面から非常に高い評価を受けている。

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 大統領になるまでのリンドン・ジョンソン

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リンドン・ベイズ・ジョンソンは1908年にテキサス州で生まれた。

両親は農場を経営していたがそれほど裕福であった訳ではなく、ジョンソンはテキサスの州立大学に通っている。

日本では国公立の大学を尊ぶ風潮があるが、アメリカにおいてはアイビーリーグを始めとした私立の名門大学を尊ぶ風潮があり、富裕層はそういった名門大学に自らの子弟を通わせる風潮がある。

大学を卒業したジョンソンはテキサス州で教師となるが、辞職しテキサス州で州議会議員として活動、1935年にはテキサス州青年局長、1937年には連邦議員に当選、当時の大統領であった民主党のフランクリン・ルーズベルトと共にニューディール政策に取り組んだ。

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ジョンソンは民主党内での評判をあげ、やがては大統領候補にと考えられており、1960年の大統領選においては当初ジョンソンが民主党からの大統領候補として考えられていたが、結局大統領になったのはジョン・F・ケネディであり、ジョンソンは副大統領となる。

しかし1963年にケネディが暗殺されると繰り上がりでジョンソンは第36代アメリカ大統領となるのであった。

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第36代アメリカ大統領

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ジョンソンの政策は基本的にケネディ大統領の路線を継承したもので、「偉大な社会」を標語に黒人差別を問題とした公民権運動などを後押しし、実際に「公民権法」を成立させた。

そのような背景もあり二期目の大統領選でも当選、貧困の克服や教育問題など内政的には成果をあげたものの対外的にはヴェトナム戦争を引き起こしてしまい、戦争は次第に泥沼化、大儀を完全に見失った戦争に国民は疲弊し、ジョンソン自身は再出馬をせずに大統領としてのキャリアを終えた。

ジョンソン在職時には公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師やケネディ前大統領の弟ロバート・ケネディなどが暗殺される激しい時代であった。

大統領任期後の1973年リンドン・ジョンソンは死んだ。この年はヴェトナム戦争が終結した年であったが、ジョンソンはそれを知る前に亡くなった。実際に和平協定が結ばれたのがジョンソンの死のわずか5日後のことであった。

個人的なリンドン・ジョンソンの評価

内政面で見ればリンドン・ジョンソンは歴代大統領の中でも5本の指入ると言える。

  • 高齢者の医療費を補助するメディケア
  • 低所得者の食費を補助するフードスタンプ
  • 低所得者の幼児の就学を支援するヘッドスタート

公民権法の成立以外にも貧困層への支援を行っており、社会保障政策に特に取り組んだ大統領であった。

一方でヴェトナム戦争という終わりの見えない戦争を開始してしまった大統領でもあり、その他外交に関しては特段の功績はない。

もっとも、ヴェトナム戦争に関しては端緒はアイゼンハワーの時代に開かれ、ケネディ大統領の時にはもはや後戻りが出来ない状態になっていたため、ジョンソンだけの責任とするのはいささか公平ではないように思う。

アメリカの歴史に長い間黒い影を落とし続けてきた人種問題に一つの区切りをつけ、貧困問題を始め社会政策に取り組んだ点を鑑みれば、総合的リンドン・ジョンソンは極めて優秀なアメリカ合衆国の大統領であると判断してよいだろう。