世界史上最も正当性のない処刑!王妹エリザベートの悲運な生涯と革命の失敗

「フランス革命」とは一体なにだったのだろうか?

一般的には王政が打倒され、民衆が政治を握った出来事、主権が国王から国民に移った歴史的出来事と認識される。

しかしフランス革命がそのような綺麗にまとめられるような出来事ではないのは周知の通りだ。フランス革命においては人の醜い面、狂騒、狂気、集団真理、あらゆる負の面が表に出た事件でもあった。

中でも王妹エリザベートの処刑に関しては如何にフランス革命がその意義を見失っていたかがわかる事件である。

 天上のプリンセス

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王妹エリザベートことエリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランスはルイ16世、ルイ18世、シャルル10世達の妹として生まれた。ルイ16世とは10歳ほど違い、3歳にして両親を失ってしまう。

彼女が6歳になった頃マリー・アントワネットが王宮にやってきた。エリザベートはマリー・アントワネットに非常に懐いていたと言い、食事も兄夫婦や兄一家と共にとることが多かったという。

非常に家族思いな女性で、姉クロチルドがサルデーニャ王家に嫁ぐ際には涙の流し過ぎて病気になってしまったという。その時エリザベートを慰めたのもやはり義姉であるマリー・アントワネットであったという。

やがて14になると多数の縁談が来たのだが、兄夫婦のもとを離れたくないという理由で全ての縁談を拒否し、王宮に残る決断をした。

「私はいつまでもフランス人でいたいのです。兄の玉座にとどまり続ける方が他の玉座に座ることよりも名誉なことなのです」

信心深いエリザベートは、毎日祈りを欠かさず、王族でありながら領地でとれる食べ物などを領民に分け与えていたという。

「神の恵みは小さな子供たちのものです。全員に配り終えないうちにはとても飲む気にはなれません」

彼女に対する記録には、「まるで天使のようだった」という記述がいくつも見られるという。

ある日王宮に客人が来たことがあった。その時エリザベートはマリー・アントワネットと共におり、その様子を見た客人は「王妃様が地上で最高のプリンセスであるとすれば妹君は天上のプリンセスのようですね」

フランスの歴代王女の中でも、エリザベートほど愛された人物はいなかったかも知れない。

恐怖政治の犠牲になった

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フランス革命が起こると兄であるルイ18世やシャルル10世は国外に逃亡したがエリザベートは兄のルイ16世と共にフランスに残った。彼女は兄一家を愛しており、何よりフランス国民を愛していたのだ。

しかし兄のルイ16世は暴走する革命軍によって処刑された。

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エリザベートも残された国王一家と共にタンプル塔に幽閉された。

彼女は牢獄においてマリー・アントワネットを励まし、兄の子供たちに文字の読み書きなどを教えていたという。さらには裁縫や洗濯などの家事も全てエリザベートが行っていたという。

やがて義姉であるマリー・アントワネットも処刑されてしまった。

世に言う「恐怖政治」はマリー・アントワネットの処刑から始まったとされるのが通説である。

マリー・アントワネットの罪は敵国と通じていた罪であった。実際に王妃は実家であるオーストリアにフランスの軍事機密を流していた。

半年後、エリザベートも裁判にかけられることになった。容疑は兄のシャルル10世(当時はアルトワ伯爵)と通じていたことである。

他にもでっちあげのような罪がエリザベートには押し付けられた。例えばテュイリー宮殿において怪我をした守備兵に手当をしたことが反革命の罪であるとされた。

「怪我をした人たちを手当てするのにその理由を知る必要があるのでしょうか?」

エリザベートは自らに死の危険が迫っているというのに常に毅然とした態度でいたという。

彼女は厳しい裁判の間にも決して崩れることはなかった。ルイ16世の悪行をつらつらと読み上げられた際にも「もし兄が暴君であればあなた方はその席に座ってはいませんし、私もこの場にはいなかったでしょう」と毅然としていたという。

結局彼女は死刑になった。

理由は特にない。

革命は完全に暴走し、正義を見失っていた。ロベスピエール率いるジャコバン派はもはや人の形をした悪魔だったと言えるだろう。

エリザベートは死刑判決にも眉一つ動かさなかったという。それどころか同様に死刑になった20人の者たちにこう言ったという。

「悲しむことはありません。私たちはこの穢れた世の中と別れるだけなのですから」

そしてエリザベートは中に妊娠している者がいることを知った。当時は完全に狂った制度が施行されていたが、それでも妊娠している者は死刑の執行が出産まで延期された。その人物はエリザベートに命を救われた形になる。

彼女が出産した時にはすでに恐怖政治を行ったロベスピエールを始めとしたジャコバン派の面々はこの世にはいなかった。テルミドールのクーデターが起こり、既に多くの者たちが処刑されていたのだ。ジャコバン派の面々は裁判にかけられた。そしてその証言によれば、エリザベートの死刑執行書には裁判の前から既に署名がされていたという。裁判は、最初からエリザベートを死刑にするために行われていたのだという。

正義を失った裁判所にはもはや意義はない。

正義を失ったジャコバン派が崩壊したのは歴史の必然であり、フランス革命は失敗したというべきであろう。

正義亡き政治など暴政である。

後に「大革命」と呼ばれる一連の革命は、結局ナポレオンという独裁者を生み出し王政を復古させた。

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正当性を失った革命は結局失敗に終わった。

果たしてエリザベートは処刑される必要があったのだろうか?