シェイクスピアの有名な戯曲「アンソニーとクレオパトラ」に出てくるので結構有名人なんじゃないかと思うのがローマ内乱の1世紀末期に登場したマルクス・アントニウスなんだけど、彼に関しては正直、どうしようもなさすぎて擁護もできない。
頭も身体も剣闘士並
ローマ最大の哲学者と言われるキケロはアントニウスを評してこう言った。
「頭も身体も剣闘士並」
これはある意味で褒め言葉でありある意味にではディスっている訳であるが、これほどアントニウスをよく表した言葉もないであろう。
アントニウスの祖父はコンスルなどを経験したローマの実力者であったが、ガイウス・マリウスの粛正の犠牲者となってしまった人で、父はコンスルにはなれずプラエトル(法務官)でキャリアを終えてしまった人だった。
アントニウスの母がカエサルの従妹であった縁でカエサルからの重用をうけており、ガリア遠征やファルサロスの戦いなどでも活躍したため、アントニウスは自分がカエサルの後継者だという認識を持っていたようだ。
ところがどっこい、カエサルの遺言状を開けてみたら後継者候補に自分の名前は全くなかった。
常に右腕として活躍してきた自分ではなく、そこには何の実績もない病弱で青白い顔したわずか18歳の細見の青年の名前が書いてあった。
オクタヴィアヌス?Who?
第二回三頭政治
アントニウスはカエサルの遺言状が公開された後でも自分が後継者であるという認識を変えなかった。
にも関らずアントニウスは元老院を招集するとカエサルを暗殺した者の刑事上の追及をしないことを決めてしまう。
アントニウスにとっては恩人カエサルを暗殺した人間達よりもオクタヴィアヌスの方が敵であったのだ。
事実アントニウスはカエサル暗殺犯達と手を組む姿勢さえ見せた。
アントニウスにとって計算外だったのは、オクタヴィアヌスがアントニウスとは比較にならないレベルで優秀だったことだろう。
アントニウスはオクタヴィアヌスをして「カエサルの名を継いだだけの小僧」という認識であったという。
誰よりもカエサルの身近にいながら、アントニウスはカエサルの能力や知見を信頼していなかったのかも知れない。
ある意味では敵であったキケロや小カトーの方がカエサルをよく知り、そして信頼していたとさえいえる。
アントニウスの態度には敵役であったキケロをして「何のための殺害だったのか!」と言わしめるほどであり、結局のところ一貫性がなかった。
その後オクタヴィアヌスがイタリアに上陸するとカエサルの遺臣たちは若き青年に恭順をしめした。
するとこともあろうにアントニウスはカエサルの暗殺犯達を手を組み始める。アントニウスの中にあったのは、カエサルへの尊敬や忠誠などではなく己の保身のみであったのだろう。
しかしオクタヴィアヌスがカエサル暗殺犯達に対し懸賞金をかけ、裁判なしでの死罪を決定するとアントニウスもそれに便乗、シェイクスピアの戯曲でも有名な弾劾演説を行うようになる。
オクタヴィアヌスとしてもまだまだ地盤が十分ではなかったため穏健なレピドゥスやアントニウスと組んで第二次三頭政治を行うようになり、ともにカエサル暗殺犯達との闘いに臨む。この際、オクタヴィアヌスの姉であるオクタヴィアとの間に婚姻が成立している、
アントニウスは政治家としては3流もいいところだが、武将としては一流に近く、オクタヴィアヌス側よりも戦功に優れていた。
ブルータスやカシウスなどの裏切り者たちとの闘いであるフィリッピの戦いにおいて、それぞれが連携のとれないままブルータスVSオクタヴィアヌス、カシウスVSアントニウスという形になったが、アントニウスが勝利したのに対しオクタヴィアヌスは敗北している。
それでも総合的には第二回三頭政治側の勝利となり、今度はオクタヴィアヌスとアントニウスとのカエサルの後継者争いへと発展していく。
アントニウスとクレオパトラ
アントニウスとオクタヴィアヌスの対決は避けられないものとなっていた。
カエサルの名を継ぐオクタヴィアヌスと武力を背景に持つアントニウス。
アントニウスはフィリッピの戦い以後東方で勢力の充実を図った。当時の文明レベルで言えば西方よりも東方の方がはるかに高かったのだ。
カシウスやブルータスがめちゃくちゃにした東方の秩序を回復しつつ、力を蓄えていたアントニウスの前に、エジプトの女王であるクレオパトラが現れた。
アントニウスがクレオパトラを初めて見たのはどこか、それは定かではない。アントニウスはかつてエジプトに赴任したこともあり、その時にクレオパトラに魅了されたという意見もあるし、カエサルの右腕だったのでいくらでもその姿を見る機会はあったと言えよう。
アントニウスはすでに魅了されていたのかそれともその時になって魅了されていたのか、クレオパトラとの邂逅以降の彼は完全に腑抜けになってしまった。
腑抜けなだけならいいが、完全に狂ってしまった。
アントニウスはオクタヴィアと婚姻中にも関わらずクレオパトラと結婚してしまう。
現代日本と同じように重婚はローマでも禁止である。アントニウスはあっさりとオクタヴィアを捨ててしまう。これにはオクタヴィアヌスも怒ったし、ローマ市民も怒った。
オクタヴィアという女性は理想のお嫁さんコンテンスト世界史編があったらトップクラスに位置するような女性で、良妻であり賢母のタイプであり、後にアントニウスとクレオパトラの間に生まれた子供をその手で育てているぐらいである。しかも虐待などせずにまともに。
それだけでも十分に酷いが、アントニウスはクレオパトラに当方の諸地域を領土として割譲させ、カエサルの正当な後継者はカエサリオンだと主張し始めた。
以下緑色の部分がアントニウスがクレオパトラの一族に割譲した地域である。
なおこの時期にアントニウスは大々的なパルティア遠征をおこなうがボロ負けし、なんとかアルメニア王国を領土にすることに成功。その凱旋式をローマではなくエジプトのアレキサンドロスの地で行うという暴挙にでたあげくアルメニアもクレオパトラに上げてしまう。
ローマ市民は思ったことであろう。
「ダメだコイツ、早くなんとかしないと・・・」
アクティウム海戦
日本の世界史の教科書にアクティウム海戦は必ず載っているがファルサロスの戦いが一切載っていないのは納得ができない。
アクティウム海戦は天下分け目の戦いでもなんでもなく、やる前から結果が決まっていた。
アントニウスに愛想をつかして脱走する兵士が後を絶たず、形勢不利と見るやクレオパトラは戦闘の途中にも関わらず戦場から逃げ出してしまう。それを見たアントニウスはこともあろうにそれを追いかける始末。
勝負でもなんでもなかったのだ。
アクティウム海戦にオクタヴィアヌスが勝てたのはアントニウスがダメ過ぎだからである。
アントニウスにもしスッラやマリウスのような戦闘の才能があったなら、戦闘に弱いオクタヴィアヌスはなす術もなく敗れていたことだろう。アグリッパがいるとはいえオクタヴィアヌス側の戦力はアントニウス側よりも乏しかったし、お世辞にも戦闘に強いとは言えない。
だが中国の楚漢戦争の礼を見てもわかるように、最終的には戦闘に強い奴よりも政治的に優れた人間が勝つ。日本の戦国時代を統一したのも会戦に強いとは言えなかった秀吉であるように。
エジプトに逃れたアントニウスは、クレオパトラが自殺したという誤報を真に受けて自らも命を絶ってしまった。
クレオパトラはその後勝者であるオクタヴィアヌスに迎合するも撥ねつけられ、絶望の果てに自らを毒蛇に噛ませて命を絶った。
クレオパトラはアントニウスを利用していただけなのか愛していたのか、それはもう、本人ですらもわからないのかも知れない。
女性は結局、尊敬できる男性しか愛さないからなぁ。
女性を愛した男は情けなくなり、愛した女性からは見放される。これは古今東西逃れることのできない業なのかも知れない。
個人的なアントニウスの評価
歴史上どうしようもない男ランキングがあったらアントニウスがトップであろう。
クレオパトラの色香にやられて狂ったという見方もできるが、アントニウスは元々そういう人間なのだと思う。
カエサルはそれを的確に見抜いていた。
アントニウスが本来すべきだったことは、オクタヴィアヌスを助け、内戦を終結させることだったのだ。
しかしアントニウスは逆のことをしてローマに混乱をもたした。
クレオパトラの件を抜きにしてもどうしようもない男であり、クレオパトラの件まで含めればまこと擁護のしようのない男である。
戦闘の才能だけはあったので、素直に副官としての地位を全うしていれば建国の重臣となっていたことだろう。そうなれなかったのは、カエサルが想定したよりも早く死んでしまったからだろう。
そういう意味ではカエサル暗殺の一番の被害者はこのアントニウスなのかも知れない。
なお、アントニウスとオクタヴィアの子供たちの血を引いた末裔たちは血のつながりを重視したアウグストゥスの考えにより後のローマ皇帝へと昇り詰める。
カリギュラ、クラウディウス、ネロ、これらの皇帝はいずれもアントニウスの血を引いている。
が、見事にロクな人物がいないな…