悪女?悲劇のヒロイン?革命期を生きたフランス王妃マリー・アントワネット

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」

フランス革命の登場人物の中でも圧倒的に有名なのがルイ16世の妃であるマリー・アントワネットであろう。

恐ろしいほど現実離れしており、恐ろしいほど短絡的で、フランス革命を引き起こした犯人であり、そして悲劇のヒロインでもある。

どれだけ時代が流れても、マリー・アントワネットの伝説は語り継がれることになるだろう。

超名門貴族ハプスブルク家に生まれて

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数あるヨーロッパ貴族の中で、断然ダントツの名門がハプスブルク家である。オーストリアのウィーンを本拠地にしており、神聖ローマ帝国皇帝やスペイン王室などを輩出し続け、その支配力は欧州全域にわたっており、イギリス以外の全ての王家と姻戚関係があった。

そんなハプスブルク家の最大のライバルはフランス王家であるブルボン家であったのだが、マリアテレジアによる外交革命の結果長年の宿敵であるブルボン家とハプスブルク家の同盟が結ばれ、その証としてルイ16世とマリアテレジアの娘マリー・アントワネットの結婚が決まった。

世界最大の貴族と生まれながらのフランス王の妃、まさにマリーアントワネットは誰もが夢見るプリンセスであったのだ。

革命前のマリー・アントワネット

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フランスには公式寵姫と呼ばれる独特の制度があった。政略結婚しかなかった当時のヨーロッパの王家では、男女ともに愛人を置くのが常識であった。ブルボン家の中で公式寵姫を置かなかったのはただ1人ルイ16世だけである。

マリー・アントワネットはルイ15世の公式寵姫であるデュバリー夫人と仲が悪かったという。

あまりにも対立が激しいので時の国王ルイ15世が自ら仲裁に乗り出したという話さえあった。

それ以外のルイ16世一家との仲は非常に翌、ルイ16世の妹エリザベートなどは非常にマリー・アントワネットに懐いていたという。

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ルイ14世もルイ15世もかなりの数の寵姫を抱えていたが、ルイ16世は歴代フランス国王の中でも唯一愛人をおかない国王であった。

ルイ16世が生涯で愛したのはマリー・アントワネットだけであったという。

しかしそのことが悲劇のもとにもなった。

なおマリー・アントワネットは当初ルイ16世には愛情がなかったようで、愛人であるフェルセンとの仲は公然としたものであったという。

生まれつきのプリンセスであるマリー・アントワネットはかなりの浪費家で、宝飾品や舞踏会、賭け事などで小さな国の国家予算ほどを消費していたという。

そのせいでフランスの国家財政が傾いたという意見もあるが、歳出全体で考えるとフランスという大国が傾くほどではなく、結局フランスを傾けたのはルイ14世の行った数々の出費であったと言えるだろう。マリー・アントワネットの浪費などルイ14世の浪費に比べればかわいい物であった。

とはいえフランス国民はマリー・アントワネットを全く支持しておらず、革命前から人気は低かった。

一方のルイ16世は改革派の国王として国民からの人気は非常に高かったという。

フランス革命期のマリー・アントワネット

フランス革命をここまでややこしくしたのはマリー・アントワネットだったと言ってよいだろう。

生まれつきのプリンセスであるマリー・アントワネットにとって領民は所有物であり人権などなく、自分の意に従って当然の存在であった。彼女から見れば馬車の馬も水車の車輪も人民も同じようなものであっただろう。

飢えた民衆を見て「パンがなければお菓子を食べればよいじゃない」と言った言葉は彼女を最も表したことであるが、実はマリー・アントワネットはそのようなことは言っていないらしい。

この辺りはホノリウスの「ローマ発言」同様実際に言ったかどうかは問題ではなく、そのような発言をするぐらい愚鈍であったということが重要であろう。

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フランス革命はルイ14世が開いた三部会に端を発している。

当初はイギリスの名誉革命のように血を流さず穏健に立憲君主制を目指すものであったが、ヴァスティーユ監獄の襲撃からおかしな方向に向かってしまった。

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このような事件が起こってしまったのは改革派の貴族ネッケルが財務大臣を罷免されてしまったからであるが、これは司祭階級や特権階級の声はもちろん、マリー・アントワネットの意向があったからだと言われている。彼女は特に考えもせずに気に入らない人物を遠ざける傾向にあり、ルイ16世はマリー・アントワネットの意見に従った。

暴走した群集は武装化し、国王一家はヴェルサイユ宮殿からテュイリュー宮殿に移された。

この段階もまだ議会派立憲君主制を推進する予定であり、国王を排除するような意見は少数派であり、ましてや国王を処刑しようという声はほとんどなかった。

話をややこしくしたのはまたもマリー・アントワネットであった。

最終的に国王一家が処刑されたのはフランス国民を見捨てて逃げ出そうとしたからである。

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後にヴァレンヌ逃亡事件として記録されるこの事件はマリー・アントワネットが愛人フェルセンに頼んで実行したものであった。ルイ16世自体は「国王が逃げてどうする」と弟達が国外逃亡する中フランスに残った人物であったが、どうにもルイ16世はマリー・アントワネットが関わると意志薄弱になる。

マリー・アントワネットが計画したのだから浅はかに決まっている。国王一家はヴァレンヌで捕まり、そしてパリに連れ戻され逮捕された。

マリー・アントワネット、ルイ16世を本当に愛する

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マリー・アントワネットという人物は不思議な人物である。

存在そのものを考えるに、クレオパトラや楊貴妃並みの悪女でありそうだが、歴史は彼女を悪女とは考えない。それどころか悲劇のヒロインとして扱いさえする。

それはマリー・アントワネットが死の直前になって夫への愛情に目覚めたからであろう。

一家はタンプル塔に押し込められ、そこで今迄にないほど親密な時を過ごした。

「もし彼女が自分になんらかの落ち度があったと思うようなことがあれば、私が彼女に対してなんの不満も抱いていないということを確信してもらいたい」

ルイ16世は生前に遺言書にそう記している。

ルイ16世は美男子とは言えなかったが、それでもやさしさと包容力をもった国王であり、マリー・アントワネットもそのことに気づいたようである。

ルイ16世は生まれつき何不自由なく、欲しい物は何でも手に入る生活をしていたが、愛する者からの愛だけは手に入らなかった。

しかし全てを失った時、ルイ16世は本当に欲しかったものを得た。

運命とは皮肉である。

マリー・アントワネットはルイ16世への愛を感じた時、ルイ16世の処刑が決まってしまう。

陪審員の票は1票差で決まった。その陪審員の中にはルイ16世の弟もおり、死刑賛成に投じたことが分かっている。

マリー・アントワネットの処刑

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フェルセンという男もまたマリー・アントワネットを愛していた。彼はベルギーで軍隊を組織しており、マリー・アントワネット救出計画を立てていた。しかし国民公会はこれに対し軍を動かせばマリー・アントワネットの命はないと脅しをかけていた。

マリー・アントワネットは国民公会によって取引の材料として利用されていた。彼女がいる限り実家であるハプスブルク家オーストリアは手を出せないであろうという計算があった。既にマリア・テレジアは亡くなっていたが、当時のオーストリア皇帝はマリー・アントワネットの兄であったのだ。

しかし国民公会内部で同士討ちが始まった。多数派であったジロンド派はジャコバン派に推され、次第に最過激派のロベスピエールが政権を握るようになる。

ロベスピエールは革命裁判所の支配権を確立し、自分の敵対者達を処刑し始める。敵も、次第に味方もギロチンにかける恐怖政治であったが、最初の犠牲者はマリー・アントワネットであった。

彼女は断頭台にあっても威厳を失わず、最後にこう言い残したという。

「さよなら子供たち。あなたたちのお父さんの所に行きます」

不思議なほど、嫌いになれない人物である。