日本の世界史教科書の中で、ローマ最大の戦いともいえるファルサロスの戦いが載っているものはないが、同時にニケーア公会議について載っていない教科書もない。
日本の教科書編纂者にとって、ローマそのものの命運よりもキリスト教の教義を確認した会議の方が重要だったということであろう。
世界の支配者は現在「WASP」だと言われる。
ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの頭文字をとったものだ。
これらはイギリスやアメリカの支配者層であり、第二次大戦に敗れた日本は当然のようにその影響下にある。
「世界史」というのは、ある意味キリスト教の歴史でもある。
先進国と言われる国々の中で、キリスト教国家でない国はない。もし日本を先進国であるとするならば話は別だが、もはや滅びゆく以外にない日本を先進国とするのは無理があるであろう。
話がそれたが、現在の先進国の指導者でキリスト教の影響下にない者などいない。
そしてそのキリスト教史において、ニケーア公会議、あるいはニカイア公会議と呼ばれる紀元325年に開かれた会議ほど重要な出来事もないであろう。
今回はなぜそれほどまでにニケーア公会議が重要なのかという点についてできるだけわかりやすく解説したいと思う。
ローマ皇帝が開いた会議
ローマの歴史をキリスト教徒の視点から見れば、313年のミラノ勅令が出るまでは迫害され続けた歴史ともいえる。
キリストというのはユダヤ教における救世主を意味する言葉で、キリスト教はいわばイエスを救世主とする宗教である。
そんなイエスはローマ帝国で生まれた。
生まれに関しては現在諸説あるが、初代皇帝アウグストゥスの時代、処刑されたのは二代目皇帝ティベリウスの時代で間違いない。
ローマ帝国は基本的に信教の自由を認めていた。
なので軍人皇帝時代にいたるまでは、ネロ帝のような一部の例外はあるものの、基本的に国家による迫害はなかったのだが、民間レベルで言うとかなり迫害されていた。
それを国家レベルで大々的に迫害したのがディオクレティアヌス帝である。彼は皇帝=神として専制君主制による支配ドミナートゥスを推し進めたわけだが、唯一神YHVH以外を神と認めないキリスト教徒の存在は邪魔でしかなかったのだ。
しかしディオクレティアヌス帝が引退すると内部紛争が巻き起こり、その過程でコンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出して信教の自由を保障した。
そのころはまだ内乱の途中であったが、内乱を制圧したコンスタンティヌス帝は新都コンスタンティノープルを作り、その際ローマの神々を祀る神殿などは作らず、キリスト教徒の為の教会を多数作り出した。
キリスト教徒の喜びようたるや半端なかったであろう。なにせ最後の大迫害が303年と言われているので、そこから20年の歳月が立たずに文字通りの市民権を得ることが出来たのだから。
そしてそれだけでは終わらなかった。
コンスタンティヌス帝はなんと、自らが主体となってキリスト教の会議を開くと言ってくれたのだから!
ニケーア公会議の「公」とは皇帝が開いたおおやけの会議という意味なのである。
これは前代未聞のことであり、とんでもないことであったのだ。
なにせローマ帝国皇帝は先述した通り最高神祇官としてユピテルやマルスをはじめとしたローマの神々を祀る必要があり、その祭祀をとりしきる必要があったからだ。
新都コンスタンティノープルを建設したことも含め、コンスタンティヌス帝はローマを滅ぼし中世を作った男と言われることも多い。
彼の母親は敬虔なクリスチャンで、彼自身も死の間際に洗礼を受けている。
ニケーア公会議では何が話し合われ何が決まったのか?
ニケーア公会議における主題は「イエスキリストは神なのか人なのか?」ということである。
どう考えたって人なのだが、キリスト教徒でそう考える人間はいない。いたら異端として時代によっては火あぶりにされた。
なぜか?
ニケーア公会議でそう決まったからだ。
イエスが死んでこの時すでに300年近くが経っていた。それだけ経てば解釈も変わる。
アタナシウスというアレキサンドリアの大司教はイエスは神であり神と精霊とイエスは同一の存在であるという三位一体説(トリニティ)を主張した。
対してこちらもかつてはアレキサンドリアの司祭だったアリウスはイエスは神ではなく人間であり、預言者として神の言葉を伝えた者だと主張した。
この説はつまり、イエスの復活はなかったとする説だ。人なので復活しない。
余談だが、俺の知り合いのクリスチャンは5年間にわたり自らがクリスチャンになるかどうか苦悩していた。彼の奥さんが敬虔なクリスチャンだったからだ。その際彼は、イエスの復活は歴史的に証明された事実だと言っていた。俺には意味が分からなかった。
だがそれは俺がイエス様を受け入れていないからだという。受け入れればわかるようになると。正直俺は怖かった。何か言いようもない怖さを感じた。
歴史とは何か、事実とは何か、理性とは何か?そういったことに対して考えなければならなかった。
クリスチャンにとって神父や牧師や教皇の言葉はこれほどまでに絶対なのだ。
死人は蘇らない。悲しいが誰でも知っている事実だ。
だが、死んだ人はよみがえららなくても神なら蘇る。そのことに不思議はない。
つまりはそういうことなのだろう。それが決まったのがこのニケーア公会議だったのだ。
アタナシウス派の勝利
コンスタンティヌス帝はアタナシウスの説を採用した。
この瞬間からイエスは神になった。世界最高の権力者であるローマ皇帝がそう認めたのだ。これ以上の権威は存在しない。
異端とされたアリウス派はローマ帝国を追放となり、追放されたアリウスはゲルマン人への布教を開始し、このことが後のゲルマン人のキリスト教化につながり、現在のイギリスやドイツ、そしてアメリカの支配者層の形成に大きな影響を与えることになる。
宗教改革は後にイギリスやドイツで伝播する。これはローマ教皇を中心としたカトリック教会への対抗な訳だが、その基礎はこの辺りで既に芽生えていたというべきであろう。イギリスは国教会をつくり、ドイツではプロテスタントが発展する。そしてアメリカという国へとそれが伝わることとなったのだ。
「ローマは三度世界を支配した。一度目は軍事力、二度目は法律、三度目はキリスト教によって」
今の世界を実質的に作り上げたのはローマ帝国だと言える。
そして3度目の支配であるキリスト教による支配は、ニケーア公会議を以て始まったのだ!