世界史上最強馬ランキングベスト100~天国のディープインパクトに捧ぐ~

2019年7月30日、ディープインパクトが亡くなった。

丁度ディープインパクトが活躍していたころ、私は大学生で中山競馬場でアルバイトをしていた。だからその期間に何度もディープインパクトをこの目で見たし、やっぱりディープインパクトの存在感は今までのどの馬とも違った。

 本当に強い馬だったし、本当にスターホースだったと思う。

この記事はディープインパクトが亡くなる前から書き始めていたので、なんというか、言いようもない何かを感じた。ちょうどこのような記事を書いている時にディープインパクトが亡くなったことには何か意味があるような、そんな気がしたのだ。

だから副題を「天国のディープインパクトに捧ぐ」とした。この記事はディープインパクトの追悼記事でもある。

ディープは自分にとって特別な1頭だったのだ。

さて、前置きが長くなったが本題に入りたいと思う。

全ての競走馬はわずか3頭の始祖から始まったというのは有名な話であるが、その中の最も古い1頭ダーレーアラビアンの誕生から現在までホースレースにはおおよそ300年ほどの歴史がある。

当初はさすがに現在のような整った制度はなく、貴族同士がその所有馬をマッチレースなどで競わせるのが主流であった。

そういった試みがどんどん拡大していき、やがてレースが出来、徐々にその制度が整ってきた。

英国で行われるエプソムダービーが始まったのが1780年。それ以来レースの数や競走馬の数は飛躍的に増え続け、その制度はイギリスだけではなくフランスやアメリカ、そしてアジアの端である日本にもたらされた。

「ダービー馬の馬主になることは一国の宰相になるよりも難しい」

これは第二次世界大戦時のイギリス首相チャーチルの言葉だが、格式高いレースを勝つことは大変な名誉とされた。

今回はそのような競走馬の歴史の中で、数え切れない競走馬の中から、ベスト100を選んでランキングにしようというかなり無茶な企画である。

実際全てを書き終えてからこの序文を書いている訳であるが、正直に言って今回のランキングほど作るのが難しいランキングはなかった。

勿論今迄のランキングだって作るのが難しかったのが、今回は別格の難しさだったのだ。

www.myworldhistoryblog.com

www.myworldhistoryblog.com

同世代の馬同士でも比べるのが難しいのにそれが異なる世代となると絶望的で、かつ芝とダートでも強さが違うだろうし、距離適性などもあるし、そういった意味でものっけからかなり悩んだ。 

 距離別ランキング、芝ダート別ランキングなどが本来妥当だったのかも知れない。やはりオールタイムベスト100なんて無茶な企画だったのだろうか。何度も挫折しそうになったし、何度も途中で投げ出そうとした。

でも、今回はあえてその無茶をやってみたかった。これは追悼であるとともに自分なりの挑戦でもあったのだ。

さて、そんな中どのようにして最強馬ランキングを作っていくかという点にはかなり悩んだ。

最初は指標を点数化する方式を考えていた。

「勝率+勝ち数+G1レースの勝利数×3」のような客観的な数値にしようと。

実際に何頭かを数値化してみたのだが、全くその馬の強さを反映していないことにすぐに気づいた。

この方式だとジェネラスやパントルセレブルなどの明らかに強い馬のスコアが低くなってしまうし、出場数の少ないファリスやラムタラなども著しく不利になる。

なので最終的には「主観」になった。

主観と言ってももちろんいくつかの基準はあり、さらに減点方式ではなく加点方式でいこうという方向にした。

具体的には以下のような基準や加点事由を設けた。

  • 特定のレースでの勝利を重視する
  • レコード記録を更新した場合は大幅に加点
  • 2位に差をつけて勝った場合も大幅に加点
  • 強敵に勝った場合も加点
  • 勝率が高い場合も加点

特定のレースは時代によっても異なるが、以下のレースが特に評価が高くなる。

  • 凱旋門賞(1949年以降)
  • パリ大賞典(1949年以前)
  • キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(1951年以降)
  • エクリプスS(1951年以前)
  • プリンスオブウェールズS(1951年以前)
  • イギリスクラシック3冠(2000ギニー、イギリスダービー、セントレジャー)
  • アメリカクラシック3冠(ケンタッキーダービー、プリークネスS、ベルモントS)
  • ブリーダースカップクラシック(1984年以降)
  • ジョッキークラブゴールドカップ(1984年以前)

これらのレースは世界各国からトップホースが集まるため、特に評価を高くした。凱旋門賞は1949年にマルセル・ブサックという人物の尽力でレベルが一気に上がったため、それ以降において最高のレースとして評価(それ以前はパリ大賞典がフランス最高のレースであった)、次にイギリスのキングジョージ(それ以前はエクリプスSやプリンスオブウェールズSなどが最高峰)、古くからあるイギリス三冠、特に英国ダービーは評価が高く、これら三つのレースを制した「欧州三冠」は最高評価になる。

アメリカにおいてはクラシック三冠の他に1984年に創設されたブリーダースカップクラシックが、それ以前は実質的なグランプリレースであったジョッキークラブゴールドカップでの価値を特に重視した。

他にもアイルランドチャンピオンシップやアイルランドダービー、クラシック以外のブリーダースカップ、ドバイワールドカップにサンクルー大賞など特定のレースは高く評価するようにしている。

逆に欧州やアメリカ合衆国以外の競争はあまり評価されないことになるし、短距離路線の評価は自然と低くなってしまうが、その辺りは本場の強さがあるし、現代でも凱旋門賞が世界最強馬決定戦になっていることからも妥当な線引きであると思っている。

なのでカマレロというデビュー以来56連勝という記録を持った勝率90%越えのプエルトリコ三冠馬はランク外になってしまったし、オーストラリアの無敗馬などは評価が低くなってしまった。

また、もしも直接対決をしたら昔の馬よりも現代の馬の方が当然のように速いので、その辺りは偏差値的な強さになることはあらかじめご了承いただきたいと思います。

さて、いつもながら長くなってしまった。

それではホースレースの歴史に名を刻む名馬中の名馬100頭の活躍をお楽しみいただければと思います。

100位:ノーザンダンサー(1961年)

f:id:myworldhistoryblog:20190807005825j:plain

父:ニーアクティック 母:ナタルマ

「ノーザンダンサーの血一滴はダイヤ1カラットよりも価値がある」「19世紀のセントサイモン、20世紀のノーザンダンサー」といった言葉が残るほど大成功した種牡馬として知られるノーザンダンサーであるが、競争時代も優秀な競走馬であった。

カナダ生まれのノーザンダンサーはデビューするや初戦を7馬身差で圧勝し、2歳のチャンピオンを決めるコロネーションフューチャリティーを6馬身差で優勝、カナダの最優秀2歳馬に選ばれた。その後はアメリカに転戦し、2歳時は最終的に9戦7勝という優秀な成績で終える。

翌3歳はアメリカで走り、初戦こそ敗れたもののフロリダダービー、ブルーグラスステークスなどを難なく勝利、クラシックレース初戦のケンタッキーダービーをレコードで制覇すると次のプリークネスSでも完勝。しかし三冠最後のレースベルモントSでは3着に終わってしまい三冠の達成は成らなかった。

その後はカナダに帰ってカナダダービーに相当するクイーンズプレートを7馬身差でぶっちぎり格の違いを見せると、故障により引退。

種牡馬としての成功はもはや言わずもがなで、大種牡馬として知られるサドラーズウェルズやヌレイエフ、ダンチヒ、ニジンスキー、リファールは全てノーザンダンサーの産駒である。

歴史を変えた馬

ノーザンダンサーを一言で表すとしたら個人的にはそのような言葉が浮かぶ。それぐらい偉大な名馬であった。

18戦14勝 勝率78% ケンタッキーダービーなどアメリカ二冠

99位:ハリケーンラン(2002年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806231642j:plain

父:モンジュー 母:ホールドオン

父モンジューと共に親子2代凱旋門賞勝利を達成したアイルランド生まれのフランス調教馬。

デビュー後に3連勝するとフランスダービー(ジャッケクルブ賞)の2着を経験、しかし次走のアイルランドダービーから凱旋門賞まで再び3連勝する。

4歳時にはキングジョージも征しており、世界の頂点に立つグランプリホースとして君臨したが、その後は成長のピークを迎えてしまったのか一度も勝てずに引退してしまった。

日本ではディープインパクトが出た際の凱旋門賞に出ていたことで有名で、ディープインパクトはハリケーンランに先着したものの失格になってしまい、その繰り上げでハリケーンランは3着となった。

やや早熟ではあったが、ピーク時には世界最強馬として君臨した名馬である。

14戦8勝 勝率57% アイルランドダービー、キングジョージ、凱旋門賞

98位:シービスケット(1933年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808025552j:plain

父:Hard Tack 母:Swing On

最も迷った一頭。今回のランキングにおいて何度も消し、何度も載せ、消しては載せ、載せては消しを繰り返した。

映画にもなった伝説の名馬で、生涯勝率は37%とこのランキングに載っている馬の中では最低クラスで、そこまで華々しい実績がある訳ではないのだが、アメリカの歴史に燦然と輝く三冠馬ウォーアドミラルとのマッチレースを制した名馬でもある。

このマッチレースはアメリカにおける伝説の一つとなっていて、完全なる公平さでもって行われたためにウォーアドミラルはシービスケットに完全に力負けしたことになる。

総合的にはウォーアドミラルの方が優れているのは間違いないが、シービスケットがアメリカの伝説であることもまた間違いないであろう。

マッチレース以外にフィーチャーしても、2走連続でレコードを記録したり7連勝したりとかなり強い馬であった。

シービスケットは典型的な晩成型で、初勝利までに18戦もかかり、2歳時は結局35戦5勝と後の伝説とは思えないような戦績を残している。

本格化したのは4歳の秋からで、そこからは連戦連勝、レコードタイムをいくつも更新する活躍を見せ、先述したように三冠馬ウォーアドミラルをマッチレースで降す快挙を成し遂げた。

まさにドラマチックホースである。

89戦33勝 勝率37%

97位:デイラミ(1994年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808024823j:plain

父:ドユーン 母:ダルタワ

エクリプスS、キングジョージ、BCターフと言った大レースを制した名馬で、凱旋門賞馬ダラカニの兄でもある。

キングジョージを5馬身差、アイルランドチャンピオンSを9馬身差をつけて勝つなど勝つときは圧倒的だが、2着や3着も多く勝ちきれないレースも多かった。

掲示板を外した(5着未満)のはモンジューとエルコンドルパサーの叩きあいとなった凱旋門賞だけで、その結果は不良馬場が合わなかったのが原因だったと言われている。良馬場で戦っていたらあるいは3頭のたたき合いになっていたかも知れない。

21戦11勝 勝率52% キングジョージ、BCターフ、マンノウォーSなどG1レース7勝

96位:ナシュア(1952年生まれ)

f:id:myworldhistoryblog:20190808161158j:plain

父:ナスルーラ 母:Segula

ライバルであるスワップスとの戦いはアメリカの伝説の1つと言える。

2歳時は8戦して6勝、その年の2歳代表に選ばれると3歳になってすぐに4連勝を飾る。そのまま3冠確実と言われたナシュアだったが、三冠最初のレースであるケンタッキーダービーにおいてスワップスという伏兵に敗れてしまい早々にその夢は潰えてしまった。

スワップスが残りのクラシックレースに出場しなかったということもあり残り二冠のプリークネスSとベルモントSは楽勝、二冠馬となったナシュアはスワップスに雪辱をすべくマッチレースを挑む。

ナシュアはこのレースで6馬身差の圧勝。見事に雪辱を果たすことに成功し、そのままグランプレースであるジョッキークラブゴールドカップを優勝し見事にアメリカの年度代表馬に選ばれる。

その後もビッグレースに勝ち続け、サイテーションのもっていた生涯獲得賞金額記録を更新、引退レースとなったジョッキークラブゴールドカップではレコード記録で2連覇、有終の美を飾った。

30戦22勝 勝率73% アメリカ二冠、ジョッキークラブゴールドカップ2連覇など

95位:セントジョヴァイト(1989年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808155224j:plain

父:プレザントコロニー 母:Northern Sunset

2歳時を3戦3勝で終えてアイルランドチャンピオンとなるも3歳時のイギリスダービーでは調教中の怪我が響きドクターディビアスの2着に沈む。

しかし完調したアイルランドダービーを従来のレコードを3秒も縮める記録でドクターディビアスに12馬身差をつけて勝利すると、次のキングジョージでも6馬身差をつけて圧倒的な勝利をおさめた。

その後はアイルランドチャンピオンシップで2位、凱旋門賞で4位になった後で引退した。

 11戦6勝 勝率55% アイルランドダービー、キングジョージ

94位:スウェイン(1992年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808145502j:plain

父:ナシュワン 母:Love Smitten

父ナシュワンと共に親子2代キングジョージ制覇およびキングジョージ連覇という偉業を成し遂げた名馬。

3歳時はデビュー5連勝を飾り凱旋門賞に挑戦したものの神の馬ラムタラの前に完全敗北。

4歳時にはイギリスのコロネーションカップにおいてG1レース初勝利を挙げ、サンクルー大賞および凱旋門賞ではエリシオに完敗。

しかしスウェインが本格化したのは5歳からで、キングジョージにおいては凱旋門賞馬エリシオ、BCターフ馬のピルサドスキー、ジャパンカップを勝ったシングスピールなど過去最高レベルの相手に完勝、続く凱旋門賞ではパントルセレブルの前に敗れ去る。

6歳時にはディラミなどを降してキングジョージを二連覇、その強さを見せつけた。

22戦10勝 勝率45% キングジョージ二連覇など

93位:ジョン・ヘンリー(1975年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806235406j:plain

父:Ole Bob Bowers 母:Once Double

フォアゴー、ケルソと並ぶアメリカを代表するセン馬で、その生涯においてG1レースを16勝した名馬。

9歳まで現役を続け、6歳時と9歳時にアメリカ年度代表馬(エクリプス賞)を受賞している。

ジョンヘンリーはその血統から全く期待されず、当初は1100ドルというおおよそ競走馬とは思えない値段で取引されていた。

値段が低かった理由には血統面以外にも気性の荒さがあり、それを抑制するためにデビュー前にセン馬となった。

ジョンヘンリーは典型的な晩成馬で、2歳から4歳までの重賞を勝つことさえできなかったが、5歳になると突然その才能が開花、G2、G3を連勝するとG1レースであるサンルイレイを優勝、その年はそのままあと3つG1レースに勝ち、G1レース4勝で幕を閉じた。

ジョンヘンリーは6歳になり更に開花、10戦8勝うちG1レース6勝という驚異的な記録を残して年度代表馬に選ばれ、その勢いは9歳まで続いた。

最終的には16ものG1レースで勝利をおさめ、ダートのみならず芝のレースでも優勝し高い対応力を見せた。

アメリカでは非常に人気の高い馬で、アーリントン競馬場にはジョン・ヘンリーを称える像が立っているほどである。

83戦39勝 勝率47% G1レース16勝

92位:ウィンクス(2011年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808031249j:plain

父:ストリートクライ 母:Vegas Showgirl

G1レースを25勝し、2019年現在生涯獲得賞金額歴代第1位となっているオーストラリアの名牝。

生涯においてオーストラリアのレースにのみ参加したためアメリカやヨーロッパの名馬たちと比べてどうだったのかはわからないが、最大で33連勝という記録は伊達ではなかったであろうと思う。

 43戦37勝 勝率86% G1レース25勝

91位:フォアゴー(1970年)

f:id:myworldhistoryblog:20190806224832j:plain

父:フォルリ 母:Lady Golconda

ブリーダースカップができる前のグランプリレースであるウッドワードSを4連覇し、アメリカの年度代表馬に3度輝いたアメリカを代表するセン馬。

走りも走って57戦し、そのうち34回の優勝を体験。中にはメトロポリタンHやウッドワードSなどの大レースも多く、重いハンデを背負ってもなお勝利したその様に国民人気が非常に高かったが、アメリカ最強馬との呼び声も高いセクレタリアトとの一戦には完敗した。

57戦34勝 勝率60% ウッドワードS、メトロポリタンH 

90位:オーサムアゲイン(1994年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190807011200j:plain

 父:デピュティミニスター 母:プライマルフォース

 史上最高レベルと言われたブリーダースカップクラシックを優勝したアメリカの名馬。

2歳時こそ6戦3勝3敗と凡庸な成績で終わったものの3歳時は一気に本格化し6戦6勝と無敗のまま終了。

最後のレースとなったブリーダースカップクラシックにおいてはアメリカ史上2番目の生涯獲得賞金を記録したスキップアウェイ、アメリカクラシック二冠およびドバイワールカップを制したシルバーチャーム、キングジョージを連覇したスウェイン、G1レースを複数優勝しているヴィクトリーギャロップ、コロナズクエスト、ジェントルメンなど錚々たるメンバーを抑えての優勝であった。

強い馬は大きなレースで強い馬を相手に勝つ。オーサムアゲインは本当に強い馬だと言えるだろう。

12戦9勝 勝率75% ブリーダースカップクラシック、ホイットニーHなど

89位:エルコンドルパサー(1995年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808000655j:plain

父:キングマンボ 母:サドラーズギャル

今回のランキングで最も迷ったのは日本馬の扱いだった。

今回の記事は作成過程で何度もランキングが入れ替わり、ある馬がランクインしては削り、削ってはランクインしてきた。

エルコンドルパサーは当初ランク外であった。

実際にできたランキングは自分の基準や想いが思いっきり矛盾するのだが、日本馬の強さランキングは自分の中では以下のようになっている。

ディープインパクト、シンボリルドルフ、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、オルフェーブル、アーモンドアイ(執筆時にはまだ現役)、ジェルティルドンナ。

当初ルドルフが100位だった。それでも高すぎるんじゃないかと思ったぐらいだ。

でも、エルコンドルパサーの強さを考えたら100位に入らないということはない。

ここはものすごく悩んだ。

エルコンドルパサーはサイレンススズカには完敗した。もちろん1回だけの勝負だったが、それでも2000mならサイレンススズカにエルコンドルパサーが勝てる気はしない。

だがサイレンススズカはG1レースには1勝しかしていない。このランキングは凱旋門賞馬やイギリス三冠、アメリカ三冠を制覇した馬でさえ入れないほど強い馬がそろっている。

そんな中、日本という極東のグランプリレースを一回勝っただけの馬が入って良いのだろうか?

それだったらプエルトリコ三冠を達成しデビューから56連勝という意味不明な記録を残したカマレロを入れる方が妥当なのではないだろうか。G1レース10勝クラスの馬だってBCクラシックを勝った馬だって入れないのにそれはいくらなんでも客観性がないのではないだろうか?

そのような矛盾から、苦肉の策として当初エルコンドルパサーを入れないという選択肢を取ってなんとかバランスを取り、ランキングを完成させた。

しかしそれはやはり不自然なのだ。

エルコンドルパサーとモンジューが不良馬場の中激しく叩きあった凱旋門賞は、歴代凱旋門賞の中でも特にハイレベルのレースとして記録、認知されているし、フランスの伝統あるG1レースであるサンクルー大賞にも勝利し、生涯連帯率は100%、国際レースであるジャパンカップも勝っており、国内ではサイレンススズカ以外には先着されていない。

さらにエルコンドルパサーの世代は日本競馬史上最高レベルの世代であり、日本馬にはキングヘイロー、セイウンスカイ、スペシャルウィークといった3強が揃いそれぞれG1ウィナーになったし、有馬記念を制したグラスワンダーもいた。しかしこれらの歴史に残る名馬たちはエルコンドルパサーには1度として先着できなかったのだ。日本最強世代の最強馬。

エルコンドルパサーは日本はもちろん世界でも最強クラスの名馬だ。

でも、個人的にはルドルフの方が上だと思っている。

ルドルフはアメリカのG1レースであるサンルイレイで7頭中6着になっている。これはレース中に故障したからであるが、ルドルフには国際的に見て実績がない。ジャパンカップは勝っているが、そこに海外の一流馬が出たかと言えばそうではない。

エルコンドルパサーは半年間もフランスで調教し、結果を出した。

凱旋門賞馬がジャパンカップで優勝できず、その逆もしかりなのは馬場が違うからだ。言うなればエルコンドルパサーは元々の能力に加え現地での適応をしたからこそ結果が出たという面もある。

ルドルフが同様に現地での適応をしていたら?

ルドルフなら、ルドルフならなんとかしてくれたのではないだろうか。

しかし残念ながらそれは俺が思っているだけでまるで根拠のない話なのだ。

だから泣く泣くシンボリルドルフをランク外にした。客観的な事実を見れば、エルコンドルパサーはシンボリルドルフよりも強いであろう。この順位は妥当なものだと思っている。

11戦8勝 勝率73% 連帯率100% サンクルー大賞、ジャパンカップ、NHKマイルカップ

88位:ディラントーマス(2003年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806144500j:plain

父:ディンヒル 母:Lagrion

アイルランドダービー、キングジョージ、凱旋門賞といった各国のビッグレースを制したアイルランドの名馬。

キングジョージを4馬身差で勝利するなど勝つときは圧倒的に勝つが負ける時はあっさりかつ大差で負ける所謂ムラッ気の強い馬でもあった。

18戦10勝 勝率56% アイルランドダービー、キングジョージ、凱旋門賞

87位:アロゲート(2013年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806143504j:plain

父:アンブライドルドズソング 母:Bubbler

ドバイワールドカップ、BCクラシック、ペガサスワールドカップという世界最高クラスの賞金額のレースを勝利し2019年現在では獲得賞金額歴代2位の名馬。

生涯獲得金額は17,102,600ドルという途方もない額であるが、幼駒の時はそれほど期待されておらず、購入価格は56万ドル、デビューも3歳の春とかなり遅れていた。

そのデビュー戦さえ勝てずにいたが、2戦目には4馬身差の圧勝しその才能をみせつけ、5戦目のG1レーストラヴァーズSでは初の重賞挑戦でありながら2着に13馬身差をつけてのレコード勝ちを達成した。その後はビッグレースを3連勝し、わずか7勝で世界最高獲得額を達成する(現在はオーストラリでG1レース25勝を達成したウィンクスが1位)。

しかしその後はまるで勝てずに3連敗しそのまま引退となった。

11戦7勝 勝率64% BCクラシック、ドバイワールドカップ、ペガサスワールドカップなどG1レース4勝

86位:ゴルティコヴァ(2005年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190730234758j:plain

父:アナバー 母:Born Gold

ブリーダースカップマイル3連覇という前代未聞の偉業を成し遂げた名牝。

フランスクラシック路線では後にフランス牝馬三冠+凱旋門賞を制覇するザルカヴァに完敗。これはあまりにも相手が悪かったことに加えゴルティコヴァがまだ本格化していなかったという事由もあるだろう。

完全にマイル路線に絞った同馬はクロエ賞を皮切りにロートシルト賞、ムーランド・ロンシャン、BCマイルとG1レース3連勝。その後ロートシルト賞は三連覇、BCマイルも3連覇という快挙を為し、歴史に残る前人未到の実績と共にその名を刻んだ。

27戦17勝 勝率63% BCマイル3連覇、ロートシルト賞3連覇、ムーンランドロンシャン、ジャックルマロワ賞など

85位:デインドリーム(2008年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190804030038j:plain

父:Lomitas 母:Danedrop

ドイツ生まれのドイツ育ちでありながらイギリス最高峰のレースキングジョージを勝ち、またフランス最高峰のレース凱旋門賞をレコード勝ちした偉大な名馬。

デビュー時はフランスに遠征するも勝ちきれず、2歳を5戦1勝と凡庸な成績で終える。

3歳になると活躍の場をイタリアに移しイタリアオークスで後続に6馬身差をつける圧勝、ドイツに帰るとベルリン大賞を5馬身、バーデン大賞を6馬身と圧勝し素質を開花させる。

そのままの勢いで凱旋門賞に挑戦し、馬場の状態が良かったこともあってレコード勝ち。ドイツ馬としては36年ぶり二頭目の快挙であった。

その後は日本にも遠征しジャパンカップに挑戦するも6着に終わる。

4歳時にはキングジョージを勝利し、牝馬としては史上初の凱旋門賞とキングジョージを両方制した馬となった。

キングジョージ後はドバイに遠征予定であったが、伝染病の検査のために中止、そのまま引退となった。

勝つときは強いが負ける時はあっさり負ける馬であった。

16戦7勝 勝率44% 凱旋門賞(レコード勝ち)、キングジョージ

84位:スワップス(1952年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808155828j:plain

父:カーレッド 母:Iron Reward

2歳時は6戦して3勝と凡庸な成績であったが、3歳になると3連勝し、6連勝中だったナシュアを退けて見事ケンタッキーダービーを制覇する。

そのまま3冠を制するかと思われたがスワップスは残りのレースには駒を進めず、ライヴァルのいなくなったナシュアが残り二冠を制することになった。

ちなみにその後ナシュアとスワップスのマッチレースが行われたがその際にはナシュアが勝利している。

スワップスはその後も勝利を重ね、生涯において8度のレコード記録を更新しており、ライバルのナシュアとは1勝1敗であるが、レコード記録を多く更新したということでスワップスの方を高く評価したいと思う。

余談だが、アメリカにおけるスワップスの評価は非常に高く、そのレースを実際に見た人はこの年の凱旋門賞馬よりもスワップスの方が強いと主張していたという。

なおその凱旋門賞馬とはリボーのことである。

25戦19勝 勝率76% ケンタッキーダービーなど

83位:イージーゴア(1986年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808155620j:plain

父:アリダー 母:リラクシング

日本の競馬史に革命をもたらしたサンデーサイレンスの競走馬時代、最大のライバルだったのがイージーゴアだった。

アメリカで最も人気のあった名馬アリダーを父に持ち、母の父もまたアメリカで人気のあったバックパサーというアメリカ人好みの超良血を背景にサンデーサイレンスよりも遥かに人気のあった名馬で、デビュー戦こそ2着に敗れるもそこから4連勝、迎えたBCジュブナイルでは圧倒的一番人気になりながらのまさかの2着になってしまう。

イージーゴアは強烈な差し足を持った馬であったが、同時に出遅れ癖もあり、その結果がもろに出てしまったと言える。

それでも3歳時、3連勝したイージーゴアの三冠達成を誰も疑わなかった。初戦のケンタッキーダービー、圧倒的な1番人気となったイージーゴアはここで初めてサンデーサイレンスと対決、敗北を味わうことになった。

2頭は終生のライヴァルと言われ、二冠目のプリークネスSでは鼻差まで詰め寄るも再び2着、しかし三冠目のベルモントSにおいてはイージーゴアが8馬身差をつけての圧勝をすることによって雪辱を果たすことになった。

その後サンデーサイレンスのいないG1レースを4連勝し、グランプリレースであるBCクラシックにて再び両雄は対決、激しい戦いの末再びサンデーサイレンスに軍配が上がることとなる。

4歳時にはG1ゴールドステージSで7馬身以上差をつけて大楽勝、その強さを示したが、脚部不安により3戦しただけで引退。その生涯G1勝利数を8とした。

終生のライヴァルと言われた2頭であったが、アメリカでは圧倒的にイージーゴアに人気が高く、サンデーサイレンスは半ば悪役としての役回りで、その血統的背景がアメリカで評価されなかったことも含め故郷アメリカを後にして日本に輸出されることになる。

多大な期待をもって迎えられた種牡馬イージーゴアであったが、種牡馬生活4年目で心臓麻痺を起こして死んでしまう。そのせいで子供も少なかったこともあり、現在ではイージーゴアの直系種牡馬は残っていない。

種牡馬の墓場と言われた日本で活躍したサンデーサイレンスとはこれまた対照的だったと言える。

20戦14勝 勝率70% G1レース8勝 複勝率100%

82位:サンデーサイレンス(1986年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808164700j:plain

父:ヘイロー 母:ウィッシングウェル

日本におけるホースレースの根本を変えてしまったサンデーサイレンスは、種牡馬になる前は非常に優秀な競走馬であった。

しかしその活躍とは裏腹にデビュー前はその血統の悪さや見栄えの悪さなども手伝って売りに出されたのに買い手がつかず売れ残ってしまうほどであり、最終的には3万2000ドルで元の所有者による買い戻しが発生する事態になってしまうほどであった。

実際にデビューにも2着に敗れ、2戦目にはなんとか勝利、続く条件戦でも2着に終わった。

とはいえサンデーサイレンスはこの時にはもう調教では良い走りを見せるようになり、もはや誰も駄馬とは思わなくなっていたという。

3歳の春、条件戦に勝利したサンデーサイレンスはG2レースであるサンフェリペ賞を出遅れながら勝利、これを機に完全に覚醒が始まった。

続くサンタアニアダービーを11馬身差というレース史上最大の着差で勝つとクラシックレースの1冠目ケンタッキーダービーに臨む。

結果は先述した通り。超良血のイージーゴアを買い手のつかなかったサンデーサイレンスが破ったのだった。

二冠目のプリークネスSもサンデーサイレンスが勝ち、三冠目のベルモントSはイージーゴアが8馬身差をつけての勝利に終わった。

2頭の歴史的名馬は再びBCクラシックにて激突した。勝ったのはサンデーサイレンス。2着はやはりイージーゴア。まるでこの2頭しかいないかのような戦いであった。もしサンデーサイレンスがいなければ、イージーゴアはこれらのレースを勝利し、史上初のグランドスラム(4冠)を達成していたことだろう。ある意味運が悪かったと言える。

4歳になっても現役を続行し、2戦したがレース後に靭帯の損傷がみつかりそのまま引退。同じころライヴァルのイージーゴアも引退し、イージーゴアは歓待を以てアメリカで種牡馬になったのに対し、サンデーサイレンスはその血統が嫌われ、種牡馬の墓場と言われた極東の島国日本に売り渡されてしまう。

しかしサンデーサイレンスはそこで圧倒的なトップに立ち、日本という国に変革をもたらした。初年度からG1勝利馬を出し、スペシャルウィークやサイレンススズカ、そしてディープインパクトなどの名馬を多数輩出し、13年連続でリーディングサイアーとなり後継種牡馬にも恵まれサンデーサイレンス系が確立された。

まさに日本の歴史を変えた種牡馬である。

14戦9勝 勝率64% 連帯率100% ケンタッキーダービやBCクラシックなどG1レース7勝

81位:サイレンススズカ(1994年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808002646j:plain

父:サンデーサイレンス 母:ワキア

サイレンススズカをこの位置にランクさせることに違和感がある人はいるだろうか? 

サイレンススズカは極東の競馬後進国日本において、G1レースをたった1勝しただけの馬である。勝率も56%とこのランキングに入るにはかなり低めとなっている。そんな馬が凱旋門賞を優勝した馬よりも上に位置している。客観的に見たら出鱈目もいいところである。

それでもサイレンススズカの強さを知る者ならこのランキングにも違和感はないのではないだろうか?

先ほどルドルフを泣く泣くランク外にした話をした。実績で言えばサイレンススズカよりもオルフェーブルやジェルティルドンナの方が上だろう。

でも、オルフェーブルはともかくジェルティルドンナがサイレンススズカよりも強いと思う人はどれぐらいいるだろう?

サイレンススズカは典型的な晩成馬であった。デビューが3歳と遅かったサイレンススズカは、素質は誰もが認めるのに全然勝てない馬だった。3歳終了時までの戦績は9戦3勝。成績だけ見るとまるで駄馬である。

しかし4歳時は1度も負けなかった。2度のレコード勝ち、1つのグランプリレースを制し、毎日王冠では後に凱旋門賞を2着しジャパンカップに勝利するエルコンドルパサー相手に完勝だった。

勿論一度のレースで完全な優劣などつかないが、エルコンドルパサーがサイレンススズカに勝てる様がまるで想像できなかった。あるいは相手が誰であっても本格化したサイレンススズカが負ける様は想像がつかなかった。

実際、本格化したサイレンススズカは一度も負けなかった。一度も負けずに死んでしまった。

私は友人と一緒にサイレンススズカの亡くなった天皇賞秋を見ていた。途中で止まってしまったサイレンススズカを見て、しばらく言葉がでなかった。

サイレンススズカはあまりにも速すぎたのだと思っている。速すぎて身体の限界を超えてしまったのではないだろうか。

日本の馬場は時計が出やすいが、その分故障も多い。

日本馬が凱旋門賞を征することができない理由にその芝の深さがあげられるが、それゆえにフランスは日本と違いレース中に死んでしまうような怪我を負う馬は少ない。イギリスも同様である。そしてそれが日本が競馬後進国と言われる所以でもある。

サイレンススズカの他にもテンポイントやライスシャワー、サクラスターオーなど複数のG1レースを制した名馬たちが予後不良となってしまっている。レース中に死んでしまう馬を見るのは非常に悲しい。

16戦9勝 勝率56% 宝塚記念など

80位:ボールドルーラー(1954年)

f:id:myworldhistoryblog:20190808172359j:plain

父:ナスルーラ 母:Miss Disco

明確に強い馬が揃う年というのがある。日本で言えばグラスワンダーやエルコンドルパサーが揃った年などがそうだが、ボールドルーラーが生まれた1954年、アメリカには非常に強い馬が何頭も生まれた。

後に黄金世代と呼ばれるこの世代にはギャラントマン、ラウンドテーブル、アイアンリージそしてこのボールドルーラーなどの名馬が揃い、3冠レースはそれぞれ別の馬が征する事態となった。ボールドルーラーは2歳に10戦7勝を挙げ、3冠の1つプリークネスSでの勝利を挙げる。

それ以前のレースにおいて2回もレコード記録を更新しており、これだけの名馬たちの中で3歳時は16戦11勝という好成績成績をあげ、並み居る強豪を抑えて年度代表馬に選ばれることになった。

4歳時には60Kg以上という厳しいハンデを背負いながらも8戦して6勝の好成績を残す。

最強のライヴァルと言われたラウンドテーブルとは1勝1敗。両馬規格外に強いのだが、レコードの更新記録などを考慮してラウンドテーブルを上とした。

なおボールドルーラーは種牡馬としては大成功をおさめ、アメリカのリーディングサイアーに8度も輝いている。アメリカ最強の三冠馬と名高い名馬セクレタリアトもボールドルーラーの子供である。

32戦23勝 勝率72% プリークネスSなど

79位:モンジュー(1996年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806140702j:plain

父:サドラーズウェルズ 母:Floripedes

日本人にはなじみの深い凱旋門賞馬。

日本の馬にとって凱旋門賞は高い壁であり、夢でもある。史上最も凱旋門賞優秀に近づいたのがエルコンドルパサーであるのだが、そのエルコンドルパサーとの壮絶な叩き合いを制し凱旋門賞を優勝したのがモンジューである。

凱旋門賞を征する前からモンジューは当然のように怪物であった。

デビュー戦、条件戦を難なく勝利、初のG1挑戦となるリュパン賞こそ敗れたもののフランスダービーに相当するジヤッケクルブ賞を4馬身差で勝利、続くアイルランドダービーでも5馬身差という確かな力でもモノが違う勝利をおさめた。

そして続くニエル賞も危なげなく勝利して、歴史に残る不良馬場となった凱旋門賞でもエルコンドルパサーらをおさえて完勝。しかし続くジャパンカップではスペシャルウィークの4着に沈む。

実は日本馬も凱旋門賞に勝てないが、凱旋門賞馬も全くジャパンカップに勝てていない。ロンシャンと府中ではあまりにも馬場が違いすぎるのが原因だろう。それゆえに本当に強い凱旋門賞馬はジャパンカップを避ける傾向にある。

4歳になったモンジューはサンクルー大賞やキングジョージも勝利してその最強ぶりを示すのだが、その後は成長のピークを過ぎてしまいフォア賞での勝利後3連敗を経験、そのまま引退することとなった。

種牡馬としても成功し、凱旋門賞馬ハリケーンランを生み出し親子2代で凱旋門賞を征するという偉業を成し遂げた。

16戦11勝 勝率69% アイルランドダービー、凱旋門賞、サンクルー大賞、キングジョージ

78位:スワーブダンサー(1988年)

f:id:myworldhistoryblog:20190806231525j:plain

父:グリーンダンサー 母:Suavite

血統的に良血とは言えず、当初4万5000ドルという安値で取引されていた。

2歳時には勝利を挙げることができずにその評価を覆すことはできなかったが、3歳春に初勝利をあげると続くグレヒュール賞で初重賞勝利、さらにフランスダービーに相当するジャッケクルブ賞を勝つと評判を一気に上げた。

次走のアイルランドダービーでは最強のキングジョージ優勝馬と名高いジェネラスに3馬身差をつけられて敗北したが、次のアイルランドチャンピオンステークスでは古馬混合であるにも関わらず4馬身差をつけての圧倒的な勝利をおさめた。

再びジェネラスとの戦いとなった凱旋門賞では2着に2馬身差をつけて快勝。ジェネラスを抑えてその年の最優秀3歳牡馬に選ばれている。

9戦5勝 勝率56% フランスダービー、アイルランドチャンピオンシップ、凱旋門賞

77位:ラウンドテーブル(1954年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190804002547j:plain

父:プリンスキロ 母:ナイツドーター

芝、ダート問わずに勝ちまくり、重ねた勝利数は43回、その生涯において16度もレコード記録を破って優勝しているアメリカの名馬。

勝率はこのランキングに載っている他の馬に比べて必ずしも高くないが、更新したレコード数では最多で、クラシックレースへの参加はなかったもののそれらのウィナーに完全勝利しており、ライヴァルのボールドルーラーと共にアメリカ黄金世代を大いに盛り上げた。

66戦43勝 勝率65% 生涯レコード勝利16回

76位:エルグランセニョール(1981年)

f:id:myworldhistoryblog:20190806180820j:plain

 父:ノーザンダンサー 母:Sex Appeal

 生涯連対率100%を誇るアイランドの名馬。

後に代種牡馬となるサドラーズウェルズと同年、同厩舎であり、種牡馬としては圧倒的にサドラーズウェルズ、競走馬としては圧倒的にエルグランセニョールが優秀であった。

2歳時には4戦して4勝、2歳チャンピオン決定戦であるデュハートSでは後の凱旋門賞馬になるレインボークエスト相手に完勝し欧州最優秀2歳馬に選ばれる。

3歳初戦では後にエクリプスSの覇者となるサドラーズウェルズに2馬身差の完勝、イギリスに渡り歴代でも5本の指に入ると言われた2000ギニーを制したが次のダービーではセクレトに敗れ初の、そして唯一の敗戦を経験することになる。

次のアイルランドダービーでは再びレインボークエストに完勝し、そのままキングジョージや凱旋門賞に進む予定であったが脚部不安のために引退となってしまった。

エルグランドセニョール自体が強かったのはもちろんだが、破った馬が悉く大レースで勝利したことで相対的に評価が上がったという面もある。このまま現役を続けていたらキングジョージや凱旋門賞を勝った可能性は高いと思われるが、実際にレースにでていたらどうなっていたか、それもまた神のみぞ知ることであろう。

9戦8勝 アイルランドダービー、2000ギニーなど 

75位:アイソノミー(1875年生)

 父:スターリング 母:Isola Bella

凱旋門賞やキングジョージなどが創設される前、アスコットゴールドカップ、グッドウッドカップ、ドンカスターカップの三つのレースがグランプリレースの役割を果たしていた。

日本で言えば有馬記念、天皇賞、ジャパンカップのようなものだろう。そしてこの3つのレースを制した馬がいた。アイソノミーである。

アイソノミーは2歳の時はパッとしない馬であった。3戦して1勝という凡庸な成績であったが、それでも調教師はその素質を見抜き、クラシックレースでも勝負になると見ていた。

しかし調教師のそのような見立てをよそにアイソノミーはクラシックレースには参戦せず、3歳の秋まで一切レースには出なかった。それでもアイソノミーは調教中は古馬を相手に圧倒しており、出ればクラシックレースでの勝利は確実であっただろうと言われている。

3歳の秋、ケンブリッジシャーHに出たアイソノミーは、英国古馬最強のハンプトンと戦う羽目になった。

ハンプトンは典型的な晩成馬で、5歳になって本格化すると6連勝、その中にはグランプリレースであるグッドウッドカップ、ドンカスターカップも含まれており、名実ともにイギリス最強、実質的にその時代の世界最強馬であった。そんなハンプトンを相手に休み明けのアイソノミーは圧勝、見ていた誰もが驚いたという。3歳時はこのレースのみの出場となる。

このレースには裏があった。ハンデ戦であったので、アイソノミーはハンプトンに比べ遥かに軽い斤量を背負っており、具体的にはハンプトンが129ポンド、アイソノミーは99ポンドとかなりの差があったのだが、それでも何の実績もないアイソノミーのオッズは40倍であったという。そりゃあそうだ。3戦して1勝しただけの馬が世界最強馬に勝てるわけがない。誰もがそうおもっていたことだろう。ただ1人を除いて。

アイソノミーの馬主はこの時勝利を確信していたのだろう、アイソノミーにかなりの額を賭けており、レース後まんまと大金を手にしたわけである。

アイソノミーをクラシックに出さなかったのは恐らくこのためであろうと言われており、相当の策士であると言える。

 4歳になったアイソノミーは8戦6勝の好成績を残す。その中には3つのグランプリレースが含まれており、そこで同世代のダービー馬やセントレジャー優勝馬を蹴散らし、史上初めて3大カップレースを制した馬となったのであった。

5歳時にもアスコットゴールドカップを連覇しており、競走馬としての能力の高さが伺える。

なおアイソノミーは種牡馬としても優秀で、コモン、アイシングラスといったイギリス三冠馬を2頭も生み出している。

まさにイギリスの歴史に名を刻みし名馬である。

14戦10勝 勝率71% イギリス三大グランプリレース制覇

74位:ディープインパクト(2002年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808004024j:plain

父:サンデーサイレンス 母:ウインドインハーヘア

この記事の主役。

海外ではエルコンドルパサーの方が評価が高いが、ディープがエルコンドルパサーよりも弱いとは誰も思わないだろう。

ディープインパクトが現役の時、私は中山競馬場でアルバイトをしていた。

バイトが早上がりだったのでディープのレースには間に合った。初めて見たのは弥生賞だったが、本当に翔んでいるみたいだった。

ウインニングポストの真ん前に陣取ってみていたけれど、こんな馬は後にも先にも見たことがなかった。

ディープインパクトが有馬記念で初めて負けた時、何万人もいるはずの中山競馬場から音が消えた。小さな音はまるで何かに吸い込まれるように、何も聞こえなかったのだ。誰もがその現実を受け入れられなかった。それぐらい衝撃的だったのだ。

凱旋門賞に関しては調整不足であったと思う。何回か書いているように、日本とフランスでは馬場がまるで違う。日本で効くような差しや追い込みはフランスでは有効ではない。それが故に凱旋門賞を追い込んで勝ったダンシングブレーブが如何に強いかわかるのだが、それはさておきエルコンドルパサーのように現地での調教はもちろん現地でのレースが必要だったと思う。エルコンドルパサーも最初のレースイスパーン大賞は負けているし、逆に凱旋門賞優勝馬でジャパンカップを優勝している馬もいない。

本当はディープインパクトはもっと上の順位に相応しい馬だと思っている。

でも、実績などを考えればこの順位は妥当なのではないかとも思っている。むしろ少し高いのかもしれない。

ディープを実質的に唯一破ったハーツクライはキングジョージを3着と好走している。しかし結果だけを見れば、両馬ともに海外の一流レースには手が届かなかったことも意味している。

だがしかし、近い将来きっとディープインパクトを越え、海外の一流レースに勝利できるような名馬が現れることだろう。

14戦12勝 勝率86% 2着1回失格1回 日本三冠、ジャパンカップ、宝塚記念、天皇賞、有馬記念

73位:ダリア(1970年生)

父:ヴェイグリーノーブル 母:チャーミングアリバイ

世界最強牝馬との呼び声も高いG1レース9勝馬。

その生涯勝率は50%を下回っており、「負けない強さ」はないのだが、キングジョージを6馬身差で圧勝するなど「勝つ強さ」は持っている。

2歳時のダリアは惨敗を繰り返しながらもどうにか1勝をもぎ取った程度の馬だったが、4歳になるとG1レースを制すなど本格化、そして臨んだキングジョージでは英国最強馬ミルリーフが勝てなかったブリガディアンジェラードを破ったロベルトを破って6馬身差で優勝、そのタイムはミルリーフと同タイムであった。

次の年もキングジョージに参戦し見事勝利、キングジョージ以外にもマンノウォーSなどのビッグレースにも勝利しており、ダリアが恐ろしく強いことは誰も疑いようがないことであろう。それでも勝った数よりも負けた数の方が多い馬でもあった。

何をもって「強い馬」なのか、ダリアについて考える時その難問に再びぶち当たる。でもダリアは本当に強い馬だ。

なおシンボリルドルフがレース中に故障し敗れたサンルイレイSの優勝馬ダハールはこのダリアの息子でもある。

48戦15勝 勝率31% キングジョージ2連覇などG1レース9勝

72位:レイズアネイティブ(1961年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808010147j:plain

父:ネイティブダンサー 母: レイズユー

後の大種牡馬として知られるが、実は無敗で引退した名馬でもある。

そのキャリアはわずか4戦であったが、グレートアメリカンS、ジュブナイルSなどの大レースを2歳でありながら両方レコード勝ちするという規格外ぶりを見せた。

仮に超早熟であったとしても驚異的であり、産駒の傾向を見ても早熟とは言い難いため、そのまま現役を続けていればとてつもない記録を出していた可能性はある。

しかし現役時どれほどの活躍をしていようとも、後の種牡馬としての成功の前にはかすむかも知れない。それぐらい、アメリカンホースレースにレイズアネイティブが果たした役割は大きい。

 4戦4勝 グレートアメリカンステークスをレコードで勝利 

71位:ブラックキャビア(2006年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802185708j:plain

父:Bel Esprit 母:Helsinge 

オーストラリアで25戦無敗、G1レース15勝という大記録を樹立したオーストラリアの名牝。

オーストラリアが誇る名馬ファーラップの持つ15連勝の記録を大幅に塗り替え、オーストラリア国内の1400m以下のG1レースを15勝するという偉大な記録を残した。

惜しむらくは欧州やアメリカでの実績がないことで、もしブラックキャビアがBCマイルなどに挑戦していたらどうなっていただろかと妄想せずにはいられない。

25戦25勝 勝率100% G1レース15勝

70位:カーリン(2004年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190808131943j:plain

父:スマートプロフェッサー 母:Sherriff's Deputy

史上初の1000万ドルホース。

BCクラシック、プリークネスS、ジョッキークラブゴールドカップ、ドバイワールドカップという大レースを次々と征していった名馬で、世界最高賞金額であるドバイワールドカップに関しては7馬身差という歴史に残る圧勝を達成した。BCクラシックも4馬身差以上離しており、ダート路線でも強いが芝のG1レースマンノウォーSでも2着に入っており、凱旋門賞挑戦の話もあったがこの結果を受けて断念したという。 

なお、2019年現在BCクラシックもしくはドバイワールドカップと凱旋門賞の両方を優勝した馬はまだ出てきていない。

いつかそれらのレースを軒並み勝ってしまうような怪物が出てくるのだろうか。

16戦11勝 勝率69% BCクラシック、ドバイワールドカップ、ケンタッキーダービー

69位:バリーモス(1954年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806180447j:plain

父:モスボロー 母:インディアンコール

アイルランド生産馬として初めてセントレジャーSに勝った名馬。

セントレジャーSは今でこそ権威は低くなってしまったが、実はイギリスのエプソムダービーよりも歴史が古く、アイルランド産馬が優勝したことは181年間一度もなかった。

バリーモスはさらにギングジョージ、凱旋門賞と言った世界最高峰のレースに勝利し、歴史に名を刻む名馬となった。

2歳時のバリーモスは後の偉業が嘘のように凡走しかしなかった。4戦してようやく1勝するという有様で、後の凱旋門賞馬とは思えないほどの戦績で2歳を終える。

バリーモスが勝つには距離が必要だった。

あまり期待されずに出走したイギリスダービーでまさかの2着になると、バリーモスは一気に化けた。あるいはもともと強かったのかも知れない。続くアイルランドダービーでは2位に4馬身差をつけて圧勝、続くセントレジャーSでは先述のようにアイルランド馬として初の優勝を決める。

4歳になるとバリーモスはさらに力をつけ。コロネーションカップを6馬身差で、キングジョージを3馬身差、凱旋門賞を2馬身差で勝利、これまたアイルランド馬としては初の快挙であった。

この年の凱旋門賞もかなりレベルが高く、イタリア最強馬セダン、イギリスオークスなどを制した歴史的名牝ベラパオラ、フランス最強古馬のタネルコなど各国を代表する名馬が一同に集結するまさに世界最強決定戦であり、その勝利は非常に価値の高い勝利と言える。

 17戦8勝 勝率47% アイルランドダービー、キングジョージ、凱旋門賞、セントレジャー

68位:ダラカニ(2000年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190803141112j:plain

父:ダルシャーン 母:ダルタワ

キングジョージ優勝馬ディラミの弟。

無敗でフランスダービーに相当するジャッケクルブ賞を征するもアイルランドダービーでは生涯唯一となる敗戦を経験。しかしその後は再び連勝し凱旋門賞に勝利。そのまま引退した。

9戦8勝 勝率89% 凱旋門賞などG1レース5勝

67位:コリン (1905年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802191229j:plain

父:コマンド 母:Pastorella

アメリカの伝説的な名馬。

シャンペンSやベルモントSなどのアメリカのビッグレースを総なめにし、生涯無敗で競走馬生活を終えた。

アメリカにおいてチャンピオンクラスの馬が無敗で現役を引退するのは大変珍しく、コリン以後は約80年間、パーソナルエンスンが13戦無敗で引退するまで無敗馬は現れなかったほどである。 

15戦15勝 ベルモントSなど

66位:ナシュワン(1986年)

f:id:myworldhistoryblog:20190806230130j:plain

父:ブラッシンググルーム 母:Height of Fashion

イギリスダービーとエクリプスSを5馬身差で圧勝したフランスの名馬。

英国ダービー以前に2000ギニーも征しており、さらにイギリスダービーの後キングジョージも征したことからニジンスキー以来のイギリス三冠、あるいはミルリーフ以来の欧州三冠のどちらかが期待されたが、ダービー後調整のために出たニエル賞に出て3着に敗北。そのまま引退してしまったので結局どちらにもなれなかった。

7戦6勝 勝率86% 英国ダービー、キングジョージ

65位:ウインザーラッド(1931年生)

 父:ブランドフォード 母:レスプレンデント

 イギリスダービーとセントレジャーSを勝ったイギリスの2冠馬。

生涯13戦して10勝という高い勝率を誇り、英国ダービーを無敗かつレースレコードタイで勝利しセントレジャーでは単独でレースレコードを更新し、この記録は以降77年も破られなかった。

そのあまりの勝ち方に英誌は以下のような評価を下している。

「英国競馬界において見られた最上級の馬の一頭」

古馬になってからも勝ち続け、1歳年下の名馬フェアトライアルとの戦いを制した一方同年生まれのフランス最強馬ブラントームとの対戦は実現されず、また1歳年下の三冠馬バーラムとの対戦も実現しなかった。

バーラムは無敗のまま引退した馬であったが、英タイムズ誌はもし戦っていればウンザーラッドが勝利していいただろうと評している。

実際のところはどうであったのだろう。

個人的にはこのようなランキングになった。

13戦10勝 勝率77% イギリス2冠、エクリプスS

64位:ジャスティファイ(2015年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803012258j:plain

父:スキャットダディ 母:Stage Magic

無敗で三冠を制し、無敗のまま引退したアメリカの名馬。

無敗でアメリカ三冠を制したのはシアトルスルー以来41年ぶり2頭目で無敗のまま引退したのはジャスティファイが初めてである。

 ではジャスティファイがシアトルスルーよりも強いかというと難しい問題で、正直投げ出したくなるほど結論がでない。

ジャスティファイはその偉業にも関わらずまるで人気がなく、あるアメリカのクイズ番組で「今年アメリカの三冠を制した馬は?」という問題が出てきたにも関わらず誰も答えられなかったというエピソードがある。

それはさておきシアトルスルーは無敗のまま引退した訳ではなく敗戦も経験している。アメリカでは無敗であることはそれほど価値をもたないようで、アメリカ人が選ぶ名馬の中には勝率は半分以下の競走馬も存在している。

ジャスティファイについて考える時「強さ」とは何か?という根本的な問にぶち当たる。

かなり色々なことを考えた結果、ジャスティファイはこの位置になった。

シアトルスルーが評価されているのは、無敗で三冠をとったこと以上に年下の三冠馬をねじ伏せたことによることが大きい面がある。後はやはり条件戦などでは圧勝したがG1レースでは圧勝できなかったことやレコードを更新していないことも考慮した。

勿論、シアトルスルーもジャスティファイもアメリカ最強馬の一角であることには疑いの余地はない。

それでも、もしこの馬が古馬になってBCやドバイワールドカップに出場していたら、そう思わずにはいられない。

6戦6勝 勝率100%

63位:ダマスカス(1964年)

f:id:myworldhistoryblog:20190806173428j:plain

父:ソードダンサー 母:Kerala

バックパサーやドクターフェイガーと共にアメリカ最強の世代の一角を担った名馬。

アメリカ史上最高のレースと言われるウッドワードSにおいてバックパサーやドクターフェイガーを10馬身差で勝利し優勝。同レースでは3位になったドクターフェイガーが4位に13馬身差もつけたことからいかにダマスカスが強かったがよく分かる。

「BIG3」という言葉が好きなアメリカ人が、競走馬の歴史でその言葉を使ったのはこの3頭に対してだけであるという。

まさに伝説のレースであった。

他にも三冠こそ逃したもののベルモントSやプリークネスSには勝利してクラシック2冠を達成、グランプリレースでもあるジョッキークラブゴールドカップにも優勝している。

32戦21勝 勝率66% アメリカ2冠、伝説のウッドワードSに勝利

62位:バックパサー(1963年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803145045j:plain

父:トムフール 母:ブサンダ

完璧な馬と称されるアメリカの名馬。

裂蹄のために三冠レースへの参加はなかったが、3歳時はウッドワードSなど大レースを中心に13連勝を達成し、この年のケンタッキーダービー馬に完勝すると同時にワールドレコードを更新するという強さを見せた。

バックパサーの活躍した時代はドクターフェイガーやダマスクスなども活躍した時代で、4歳時に挑んだウッドワードSにおいて一堂に対戦、結果はダマスクスが10馬身差の圧勝という結果であった。

このレースを最後にバックパサーは引退し、種牡馬生活に入る。

バックパサーの牡馬は不思議なほど活躍しなかったが、名牝を数多く生み、ブルードメアサイアーとして名をはせることになる。

エルグランセニョール、イージーゴア、日本のマルゼンスキーは皆バックパサーを母の父に持つ名馬である。

31戦25勝 勝率81% 15連勝 シカゴ三冠、ジョッキークラブゴールドカップなど

61位:サガス(1980年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806134159j:plain

父:リュティエ 母:Seneca

二年連続凱旋門賞をトップゴールしておきながら2度目は失格となってしまった幻の凱旋門賞2連覇馬。

3歳時に挑戦した凱旋門賞での11着以外は3着以下を経験したことがなく、ガネー賞やイスパーン賞、フォア賞などのG1レースでも勝ち鞍をあげたフランスを代表する名馬である。

早死にしてしまったため種牡馬としてはわずか3世代しか産駒を遺せなかったが、その中からBCクラシック優勝馬のアルカングなどを輩出している。

13戦8勝 勝率62% 幻の凱旋門賞二連覇

60位:ワイズダン(2007年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190804024550j:plain

父:Wiseman's Ferry 母:Lisa Danielle

BCマイルを連破し、G1レースを11勝した名馬。

3歳でデビューした時にはあまり目立った活躍はせず、4歳になってからも連戦連敗しており、4歳の夏まではG1レースはもちろん勝ったことはなく、G3レースで1勝したぐらいの馬であった。

しかし4歳の秋から本格化し、年度最後のレースクラークHで初のG1ウィナーになるとその素質は一気に爆発することになる。

5歳から7歳にかけては連戦連勝し、17戦して15勝、うちBCマイルを2連覇、G1レースを10勝、負けた2回も2着というほぼ完ぺきな成績を残した。

典型的な晩成馬と言え、ダートが重視されるアメリカにおいて芝レースでの活躍で年度代表馬(エクリプス賞)に選ばれている数少ない馬でもある。

大器晩成、その言葉が実に似合う一頭である。

31戦23勝 勝率70% BCマイルに連覇を含むG1レース11勝

59位:トレヴ(2010年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802191957j:plain

父:モチベーター 母:Trevise

凱旋門賞を二連覇したフランスの名牝。

欧州三冠よりも凱旋門賞連覇の方が達成が困難であると言う人もいる。その理由は斤量にあり、4歳以上の馬は3歳馬に比べて3.5kgも重い斤量を背負うからだという。

当たり前だが載せる重さが軽いほど馬は速く走ることが出来る。

そういった意味でも凱旋門賞を連覇するのは本当に強い馬にしかできないことだ。

いや、そもそも本当に強い馬でなければ凱旋門賞には勝てない。2019年現在まで、幾度となく挑戦しても日本馬はまだ一度も勝てていないのだ。あのディープインパクトですら勝てなかった凱旋門賞を、トレブは2度も勝っている。

トレヴはフランスオークスとも言われるディアヌ賞をレコード勝ちし、続くヴェルメイユ賞も勝利、そして臨んだ凱旋門賞では日本最強馬オルフェーブルに5馬身の差をつける圧勝を見せ、我々日本人に凱旋門賞の厳しさ、壁の高さを見せつけた。

もしトレヴがいなければオルフェーブルは凱旋門賞を征し、このランキングにも載っていたかも知れない。けれども実際にはトレブとは大きな実力差があった訳である。完全に力負けだった。

翌年はまるで勝てない状態が続いたが、それでも凱旋門賞では見事勝利し、さらに翌年にはサンクルー大賞を勝利し健在ぶりをアピールしたが、三連覇のかかった凱旋門賞では4着に敗れている。2019年7月現在まで、凱旋門賞を3連覇した競走馬は歴代で存在していない。

面白いもので、トレヴは当初まるで期待されておらず、わずか22000ユーロで取引されていたという。そのような馬が凱旋門賞を2連覇するとは、誰にも分らないことであっただろう。

13戦9勝 勝率70% 凱旋門賞連覇、サンクルー大賞

58位:トムフール(1949年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806163230j:plain

父:メノウ 母:ガガ

ニューヨークハンディキャップ3冠を達成した名馬。

1950年代、まだブリーダースカップが創設されるより前の話、ニューヨークで行われるメトロポリタンハンデキャップ、ブルックリンハンデキャップ、サバーバンハンデキャップの3レースには非常に権威があり、ニューヨークハンディキャップ三冠と呼ばれていた。

これらは3歳クラシックとは異なるが、アメリカのグランプリレースとしての性格をもっており1つでも勝つことは非常に困難であった。ましては3つ勝つなど夢物語に近い。

トムフールは発熱などの影響でクラシックレースには参加できなかったが、4歳になると本格化し、4歳時は10戦無敗、先述したように達成不可能とさえ思われていたニューヨークハンディキャップ三冠を達成し、年度代表馬に選ばれている。

同年代にネイティブダンサーがおりそれを抑えての年度代表馬というのは非常に価値があったというべきであろう。どちらが強いのか?という疑問は当時から皆持っており、実際に2頭によるマッチレースなどが予定されたが、ネイティブダンサーが故障してしまったために結局そのドリームレースは実現されなかった。

そして、そのおかげで今非常に困っている…

生涯成績は30戦21勝2着7回と非常に優秀で、実際に対決が実現されていたらどのような結果になったのか、それが神のみぞ知ることになってしまったのは非常に惜しい。もし実現できていればこのランキングも大きく変わっていたかも知れない。

トムフールの全盛期、アメリカの年度代表馬はネイティブダンサーではなくトムフールであった。10戦無敗の成績に加えレコード勝ち、圧勝楽勝を繰り返したことが評価されてのことであった。ただ、それでも結局ネイティブダンサーを個人的には上にした。その理由はまたネイティブダンサーの項で語れればと思う。

後にナシュアの主戦も務めたトムフールの主戦騎手アトキンソンは「私が他に乗ったいかなる馬でも彼と比肩できるものはいなかった」との言葉を遺している。

30戦21勝 勝率70% ニューヨークハンディキャップ3冠など

57位:ケルソ(1957年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806160433j:plain

父:ユアホスト 母:Maid of Flight

アメリカの年度代表馬を5回受賞、BC創設前のアメリカグランプリレースであるジョッキークラブゴールドカップ5連覇という驚異的な記録を残すアメリカを代表する名馬。

デビュー前のケルソは見栄えがせず、臆病で痩せこけて貧相、1957年に生まれた競走馬の中で最も期待できない馬と評されていた。

あまりにも期待できず、成長を促すためにケルソはセン馬となってしまう。

2歳時のケルソはデビュー戦こそ勝利したものの連戦連敗。その過程で実は蹄が他の馬よりも薄いことが判明し、特注の馬蹄をつけると突然連戦連勝かつ圧勝をするようになった。

調整の関係からクラシックレースには参戦できなかったが、3歳が終わるころにはグランプリレースであるジョッキークラブゴールドカップに3馬身差で勝利するほどとなり、以後同レースを5連覇する。

重馬場であったにも関わらずレコード勝利をする、ニューヨークハンディキャップ三冠を達成する、後の大種牡馬ネヴァーヴェンド(ミルリーフの父)を破る、当時の歴代1位の獲得賞金額を更新する(15年後にアファームドが更新するまで破られなかった)、数多くのレコード記録を更新する、9歳まで現役を続けるなどまさに生きた伝説とでもいうべき数多くの記録を残し、ピークをとうに超えた9歳の時でも勝利を重ねているから驚異と言うべきであろう。人間で例えるなら60を超えた方がプロボクシングでKO勝利するようなものである。

ケルソ。その名はまさにアメリカの伝説である。

63戦39勝 勝率62% 5年連続年度代表馬

56位:トロイ(1976年生)

父:ペティンゴ 母:ラミロ

英国ダービー、アイルランドダービーとキングジョージを征し生涯複勝率100%を誇ったイギリスの名馬。

担当調教師のディック・ハーンは「自己の手掛けた最高の名馬」としており、シーバードやミルリーフ、ニジンスキーとも遜色ない名馬であるとしている。

 この言葉は軽くない。

なにせディック・ハーンは結局ミルリーフが一度も勝てなかったブリガディアンジェラードの担当調教師であったからだ。

実際にトロイは英国ダービーを7馬身差、アイルランドダービーを4馬身差、キングジョージを3馬身差と完勝している。引退レースとなった凱旋門賞はスリートロイカスの3着に終わっているが、それはこの馬の評価を下げるものではなかった。

11戦8勝2着2回3着1回 勝率73%、複勝率100%

55位:ラフィアン(1972年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802180620j:plain

父:レビュワー 母:ジェニガンズ

アメリカの伝説的名馬。

無敗でアメリカ三冠を制覇した後ケンタッキーダービーの優勝馬フーリッシュプレジャーとのマッチレースで命を落としてしまったことにより伝説となる。

ラフィアンが牝馬三冠を達成した時、アメリカの三冠レースは全て違う馬が制していた。当初は三頭によるレースを企画していたが、結局は実現せずにケンタッキーダービー馬と牝馬三冠馬のマッチレースが組まれることになったのだ。

そしてラフィアンはレース中に骨折し、そのまま予後不良となってしまう。アメリカではこれ以降マッチレースが行われることはなくなった。

ラフィアンはデビュー戦では15馬身差でコースレコードタイのタイムで勝利すると、牝馬三冠最初のレースであるエイコーンSでは8馬身、マザーグースSでは13馬身差と圧倒的な差で勝利しており、今なおアメリカ史上最強牝馬であるとの声も高い。

ラフィアンが生きていたらこの先どんな活躍をしてのだろうか?

 10戦10勝 アメリカ牝馬三冠

54位:フライングフォックス(1896年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806151512j:plain

父:オーム 母:バンパイア

祖父オーモンドに続きイギリスの三冠レースを制した名馬。

祖父のオーモンド、父オームと同様ウエストミンスター侯爵ヒューグロウブナー卿の生産馬であり、その最期の傑作となった。

2歳時こそ連敗してしまうが、3歳になってから本格化して連戦連勝の末イギリス三冠レースを制す。さらにその後もエクリプスSやプリンスオブウェールズSなどを制し名実ともに歴史の残る活躍をした。しかしグロウブナー卿が亡くなるとフランス人エドモン・グランの所有となり、そのまま種牡馬生活に入ったため3歳で現役を引退。その後はフランスで種牡馬となり、無敗のフランスダービー馬アジャックスを生み出すなどフランスで3度のリーディングサイアーに輝くなど大活躍を見せる。

11戦9勝 勝率82% イギリス三冠

53位:ミエスク(1984年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806142625j:plain

父:ヌレイエフ 母:Pasadoble

マイル路線における最強馬の一角。

BCマイルをレコード勝ち及び連破し、生涯複勝率100%を誇る名馬中の名馬で、母としてもフランス牝馬二冠馬のイーストオブザムーンやキングマンボを生み出し、そのキングマンボからはエルコンドルパサーやキングカメハメハなどのG1馬が多数誕生した。

生涯4度の敗戦を経験しているが、そのうち3度が重馬場で、あとの一回は騎手の乗り替わり時のレースであった。

16戦12勝 勝率75% 複勝率100% BCマイルを連破、レコード勝ち

52位:バーラム(1932年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802000813j:plain

父:ブランドフォード 母:Friar's Daughter

無敗のイギリス三冠馬。

デビュー前のバーラムは病弱な上に弱弱しく、調教にも全くやる気がなかったが、レースになるとまるで別の馬のように闘争心を見せ連戦連勝、2歳を5戦全勝に終えると2000ギニー、英国ダービー、セントレジャーを征し三冠を達成、そのまま引退した。

間違いなく最強馬の一角だが、この馬の強さは底が知れず、また古馬との戦いや強敵との戦いもなかったためその評価は非常に難しい。

実際にバーラム調教したバタースは「この馬の本当の強さは分からない」とし、騎手であるフォックスも「これほどの怠けものだった馬は最初で結局最後だった」という言葉を遺しており、バーラムがどれぐらい強かったのかは本当に誰もわからないと言える。

イギリスの伝統あるタイム誌はバーラムよりも1世代上のウインザーラッドの方が上としており、そのことが非常に私を悩ませる結果となっている。

イギリスのある雑誌によればウンザーラッドは20世紀の英国ダービー馬としては史上六番目に強い馬として評価しているのだが、一体それをどう考えるべきなのか…

9戦9勝 勝率100% イギリス三冠

51位:ブラントーム(1931年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190803030031j:plain

父:ブランドフォード 母:Vitamine

デビューから11連勝し、無敗で凱旋門賞を征した名馬。

1200mから3000mまでのレースに勝利をしており、晩年敗戦したのは落鉄によるコンデイションの悪化や競争に飽きたことが理由だとさえ言われたほど強い馬で、2歳の時にはレコードを更新するような勝ち方をしており、2歳、3歳時には2位に着差をつけた勝利を重ねるなど圧倒的な勝利を重ね、4歳時に挑戦したカドラン賞では2位に15馬身差をつけてレコード勝ちをした。

その後イギリス2冠馬ウンザーラッドとの対戦が組まれるもウインザーラッド側の都合でレースは無くなり、英仏最強馬対決は結局実現しないままとなる。

もし戦っていればどうなっていたか?

その予想を踏まえた上で作った結果がこのランキングである。

なおこの時代の凱旋門賞は現在ほどレベルが高くないが、それでも多数のレコード勝ちおよび非常に高い勝率などを考慮してこの結果となった。

ブラントームは調整がうまくいかなかったためフランスのクラシックレースには参戦できなかったが、その代わり2歳時のビッグレースであるグランクリテリウム、モルニ賞、ロベール・パパン賞というフランス2歳三冠とも言われるレースを制覇しており、古馬になっても活躍したことからフランス最強馬の一角と言われている。

余談だが、ブラントームはナチスドイツがフランスに侵攻した際に連れ去られるという体験をしているが、パリ大賞典優勝馬を複数輩出し種牡馬として大成功をおさめた。

さらなる余談をするとブラントームの所有者はエドワール・アルフォンス・ロートシルト男爵であり、ロートシルトを英語読みするとロスチャイルドになる。

14戦12勝 勝率86% グランクリテリウム、凱旋門賞など

50位:パーソナルエンスン(1984年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806141859j:plain

父:プライベートアカウント 母:Grecian Banner

アメリカでは珍しく無敗のまま引退した名馬。

デビュー戦をいきなり大差で勝つと2戦目でG1レースを勝利。その後は調教中に骨折してしまい1年近い長期休養を余儀なくされる。

脚にボルトの入った状態で復帰戦を楽勝すると以降連戦連勝、1988年のブリーダースカップディスタフでは牝馬ながらもケンタッキーダービーに勝ったウイニングカラーズやG1レース7勝馬グッバイヘイローなどを抑えて見事に優勝、最強牝馬としての威厳を見せながら引退した。

繁殖牝馬としても優秀で、G1馬を次々と輩出した。

その圧倒的な強さからついたあだ名が「ミス・パーフェクト」であった。アメリカではその功績を称えジョンA.モリスハンデキャップという名のG1レースがパーソナルエンスンハンデキャップに改称されたのであった。

繁殖牝馬としても優秀で、イージーゴアとの間に生まれた仔マイフラッグはBCジュブナイルフィーリーズを見事に勝利してG1ウィナーとなっている。

13戦13勝 勝率100% BCディスタフを含むG1レース8勝

49位:タンティエーム(1947年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802010944j:plain

父:Deux-Pour-Cent 母:Terka

初戦こそ6着に敗れてしまうもその後は本格化したのか6連勝と波に乗る。その後フランスダービーとも呼ばれるジョッケクルブ賞に臨むも2着に敗れるが、次のレースであるクイーンエリザベスSでは前年度の凱旋門賞馬コロナティオンを破って優勝、続く凱旋門賞にも勝利して3歳を終える。

4歳になるとガネー賞、コロネーションカップと立て続けに勝利を重ねるもイギリスに遠征したキングジョージでは3着に敗れてしまう。

しかし最後のレースとなった凱旋門賞では再びウイニングランを飾り2連覇という有終の美を飾ることが出来た。

15戦12勝 勝率80% 複勝率100% 凱旋門賞2連覇

48位:ウォー・アドミラル(1934年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803142234j:plain

父:マンノウォー 母:ブラッシュアップ

世界が恐慌に包まれる中、偉大なアメリカの三冠馬ウォー・アドミラルは伝説の名馬マンオウォーの子供として生まれた。

幼駒の時は目立たぬ子で、非常に小柄であったのだが、気性は非常に荒く、とにかくじっとしていることの出来ない馬で、しばしば厩舎を逃げ出し、フランイングすることもよくあったという。

しかしそれは激しく負けず嫌いな性格をも表しており、優れた勝負根性でケンタッキーダービを始めとしたアメリカ三冠を達成、古馬になっても活躍を重ね、アメリカを代表する名馬として成長した。

ウォー・アドミラルを語る際には、映画にもなったシービスケットとのマッチレースについて語らねばならないだろう。

共に快進撃を続ける二頭には、直接対決する機会が与えられた。当日はそのマッチレースを見るためだけに4万もの観衆が集まったという。

結果はウォー・アドミラルの完敗。4馬身もの差がついたという。

このレースはアメリカブラッドホース誌が選ぶアメリカ競馬史における100の重大事件において2位に選ばれるほどの衝撃を与えた。

そしてこの出来事は私を非常に悩ませた。

ウォー・アドミラルを載せるということはそこに完勝したシービスケットを載せなければならないということでもあるからだ。

実際にこのランキングを作る際にはシービスケットを何度も載せ、そして何度も削除した。

シービスケットは典型的な晩成馬で、当初は完全なる駄馬であったのだがある時突然強くなり、アメリカの大レースを勝てるようになっていった。生涯成績は89戦33勝、勝率を見れば決して強い馬ではない。しかし獲得賞金額は当時のアメリカ記録であり、非常に人気が高く、小説やそれを原作にした映画がつくられたほどだし、日本の教科書に載ったことさえある。

しかしそれでも世界の競走馬の歴史を見た時に、その100番以内に入るには実績不足でもあり、勝率不足でもあった。しかしそれらを満たすアドミラル・ウォーに完勝しているのも事実であるし、この点はものすごく私を悩ませた。

そして一度の完勝は果たしてその馬よりも強いことになるのか?という命題を私に与えることにもなった。

ディープインパクトに完勝したハーツクライはディープよりも強いのだろうか?ニジンスキーに完勝したササフラはニジンスキーよりも強いのだろうか?

実際シービスケットだけでなく、これらの名馬もランクインさせるかどうか非常に迷っていた。しかしそれを言い出すと際限がなくなってしまい、100頭におさめるということができなくなってしまう。

これはこの記事の根本を左右する問題である。

結果としてシービスケットは載せないことにした。むしろ載せられなかったという方が正しいかも知れない。

シービスケットはウォー・アドミラルに確かに勝ったが、総合的に見ればやはりウォー・アドミラルの方が優れた馬であることは疑いようのない事実であろう。同様にササフラよりニジンスキー、ハーツクライよりもディープの方が総合力に優れている。

この辺りはなかなか苦しいところであるが、どこかで線引きをしなければならないとしたらやはりそこであろうと思う。

完璧なランキングなんてない、完璧な絶望がないようにね。

いつか誰かが言ったその言葉を胸に、僕は記事を書き続けようと思う。

追記:結局載せた。

26戦21勝 80% アメリカ三冠

47位:ネアルコ(1935年)

f:id:myworldhistoryblog:20190801142323j:plain

父:ファロス 母:Nogara

イタリアの天才馬産家フェデリコ・テシオの代表作。

デビューから最期のレースフランスのパリ大賞典まで無敗で駆け抜けた名馬で、特に最後のレースは英国ダービー馬のボワルセルを始めとした各国の代表的な名馬が参戦するレベルの高いレースであったのだが見事に勝利し、ネアルコの評価を決定的なものにした。

それまでもイタリアダービーやグランクリテウム、ミラノ大賞典などの大レースを勝っていたのだが、イタリアのホースレースがあまり高くないということもあってあまり評価はされていなかったためフランス大賞典の勝利はネアルコの競走馬としての評価を大きく上げたと言える。

生涯戦績:14戦14勝 勝率100% イタリアダービー、ミラノ大賞典、フランス大賞典など

しかしネアルコの本当にすごいところはその生涯戦績以上に種牡馬としての活躍だろう。

ナスルーラ、ダンテ、ロイヤルチャージャー、ニーアックティックなどを輩出し、ノーザンダンサーやサンデーサイレンス、トニービンなどの大種牡馬も元を辿ればネアルコにたどり着くほどであり、現在活躍しているほとんどの馬がネアルコを直系に持っていると言える。まさに歴史を変えた名馬である。

なお、フェデリコ・テシオ自身はネアルコをスタミナ不足として自身の最高傑作ではなく、カヴェリエ・タルビーノ(5戦5勝)こそが自身の最高傑作であるとしている。

この言葉は、今私を最高に悩ませている…

46位:インヴァソール(2002年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801225008j:plain

父:Candy Stripes 母:Quendom

アルゼンチン生まれの競走馬。

ウルグアイ三冠レースを征すると所有者アラブの王族に変わり臨んだUAEダービーでは4着となるもそこからアメリカのG1レースを6連勝、その中にはドバイワールドカップ、ブリーダースカップクラシックと言った大レースも含まれる。

12戦11勝 勝率92% ドバイワールドカップ、BCクラシック、ウルグアイ三冠など

45位:ゼニヤッタ(2004年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801234734j:plain

父:ストリートクライ 母:Vertigineux

アメリカ史上最多となるデビュー19連勝を誇り、牝馬で初めてブリーダースカップクラシックを勝利した名牝。

ゼニヤッタは当初6万ドルという競走馬としては非常に低い値で取引されていた。馬主となったのは音楽プロデューサーであるジェリー・モスという人物で、ゼニヤッタという名前は彼のプロデュースしたロックバンドのアルバム名から来ているという。

ゼニヤッタはデビューするや破竹の19連勝(うちG1レース13勝)をし、3歳時にはブリーダースカップディスタフを、そして4歳時にはブリーダースカップクラシックを制している。5歳時の最後のレースもまたBCクラシックであったがこちらは頭差の2着に終わっている。成長のピークを過ぎていたことを考えれば十分すぎる結果であろう。

牝馬でありながら体重が544kgと非常に大きく、スタートが苦手であったため不利と言われる追い込みスタイルでレースに臨み、その巨体ゆえの一歩の大きさを利用した直線の伸びで勝利をもぎ取った。

主戦であったスミス騎手はゼニヤッタに対し「天から贈り物」「自分が騎乗した馬の中で最高の馬」とその才能と能力を激賞しており、現在ではゼニヤッタSというG1レースが存在している。

彼女の連勝ぶりは悲劇に終わってしまったアメリカの伝説的名馬ラフィアンに例えられ、もしラフィアンが生きていればこれだけの活躍をしていたかも知れないという想いから「ラフィアンの再来」と呼ばれていた。実際にラフィアンとゼニヤッタのどちらが強いのかはまさに神のみぞ知るといったところであろうか。

20戦19勝 勝率95% BCクラシックなどG1レース13勝

44位:ハイペリオン(1930年)

f:id:myworldhistoryblog:20190809175918j:plain

父:ゲインズボロー 母:シリーン

ランキングというのは難しい。そして評判や評価というものはそこまであてにならないことが多い。

無敗でイギリス三冠を制したバーラムは、その世代最強古馬であるウィンザーラッドよりも評価が低かった。そしてそのウィンザーラッドはハイペリオンほどの評価を受けている訳ではない。

ハイペリオンの成績は13戦9勝、ダービーやセントレジャー、プリンスオブウェールズを勝利した名馬だが、実績だけを見ればここまで上位に上がるような馬ではないように思う。

しかしイギリスのタイムフォース社という雑誌社が1999年に発表した「A Century of Champions」という企画において、ハイペリオンは史上5番目に強い馬、イギリス史上2番目に強い馬という評価がされている。

それはハイペリオンが伝統あるイギリスダービーをレコード勝ちしたことが大きいと言われる。「2着馬に4馬身差の勝利」字面からはこれだけしか読み取れなかったのだが、そのレースには実際に見た者にしか伝わらない「何か」があったのだという。

ハイペリオンはセントサイモンの3×4というインブリード配合によって生まれた馬で(直系ではない)、その性格を濃く受け継ぎ、かなりの気分屋で気に入らないことは絶対にやらない性格であったという。そのため気分が載らない時には凡戦するが、スイッチが入った時の強さはすさまじく、イギリスダービーはまさにスイッチが入った結果であったのだろう。

先ほどの雑誌では、イギリスダービーにおいてハイペリオンより強い勝ち馬はシーバードのみという評価さえされており、この評価でもなお低すぎるのかも知れない。

種牡馬としても大成功し、オリオールやオーエンテューダーなどの名馬を輩出し、ブルードメアサイアー(母の父)としてはノーザンダンサーの父親であるニーアークティックやサイテーションなどを生み出している。日本でも大活躍したハイセイコーやタケシバオーなどはハイペリオンの直系子孫にあたる。

13戦9勝 勝率69% イギリスダービー、セントレジャーなど

43位:ドバイミレニアム(1996年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190804000057j:plain

父:シーキングザゴールド 母:コロラドダンサー

イギリスダービー以外を全勝したドバイの名馬。

派手な結婚式をしたことでギネス記録にも載っているドバイのシェイク・モハメド殿下の所有馬で、2000年の年にドバイワールドカップを優勝するようにとの意味でドバイミレニアムと名付けられたという経緯があり、実際にその通りドバイワールドカップを見事優勝した。

他にもフランスのジャックルマロワ賞やイギリスのプリンスオブウェールズ賞などを勝っており、後者は2着に8馬身差をつける圧勝であった。

また、クイーンエリザベス二世Sでは2位に6馬身差をつける圧勝かつコースレコードで勝利している。

ダートでも芝でも勝利が出来る珍しい馬で、実際2000m以下なら負けなしであり、2400mのダービーはドバイミレニアムにとって長かったと言える。

残念ながら種牡馬入りして1世代を遺しただけで急性グラスシックネスという奇病を発症してしまいわずか5歳でこの世を去ってしまった。その少ない産駒の中から父同様ジャックルマロワ賞を征したドバウィを輩出しており、その能力の高さを示した。

10戦9勝 勝率90% ドバイワールドカップなどG1レース4勝

42位:ウェストオーストラリアン(1850年)

f:id:myworldhistoryblog:20190802024117j:plain

父:メルボルン 母:Mowerina

世界史上初の三冠馬。

デビュー戦こそ敗れたものの、その後は破竹の10連勝をし、史上初の三冠馬となる。古馬になってもイギリスのグランプリレースであるアスコットゴールドカップを優勝しその強さを示した。

あるイギリスの雑誌は同馬について以下のような評を遺している。

「かつて見られた英国競走馬の中で最も素晴らしい見本の一つ」

 11戦10勝 勝率90% 史上初の英国三冠馬 

41位:ザルカヴァ(2005年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801223301j:plain

父:ザミンダール 母:Zarkasha

無敗の凱旋門賞馬。

強豪ひしめく欧州競馬界において、無敗で凱旋門賞に勝利した馬は数えるほどしかいない。ザルカヴァはそんな無敗で凱旋門賞を制した一頭である。

デビューから2戦目でG1レースマルセルブサック賞を征すると3歳時にはフランス1000ギニーと呼ばれるプール・デッセ・デ・プーリッシュをコースレコードで勝利、その後も牝馬限定のG1レースであるディアヌ賞を後にBCマイル三連覇を達成するゴルディコヴァを降しながら征し、続くヴェルメイユ賞にも勝ちフランス牝馬三冠を達成、最後に臨んだ凱旋門賞でも勝利をおさめた。

7戦7勝 勝率100% フランス牝馬三冠、凱旋門賞を含むG1レース5勝

40位:シガー(1990年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803010529j:plain

父:パレスミュージック 母:Solar Slew

シガーはデビューしてしばらくは凡庸な馬だった。デビュー戦にはあっさり負け、2戦目ではなんとか勝ったものの芝レースを中心に走り11戦してわずか1勝。ただの駄馬として誰もシガーには見向きもしていなかった。

しかしある時ダートのレースに出ると突然8馬身差での勝利をおさめ、続くG1レースではG1レース5連勝中の名馬デヴィルヒズビューに7馬身差で圧勝、この前までまるで勝てなかった馬とは思えない活躍を見せ始める。

この後のシガーはまるで別馬のように連戦連勝をし、ブリーダースクラシックやドバイワールドカップを含む16のレースで優勝し、アメリカ最高賞金記録を樹立してから引退。

なお種牡馬となるも無精子症であることは判明し、子孫は1頭も残せなかった。

33戦19勝 勝率58% BCクラシック、ドバイワールドカップなどG1レース11勝 16連勝達成

39位:ザテトラーク(1911年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802024908j:plain

古代ローマにおける四分割統治を意味するテトラルキアから名前が取られた20世紀初頭を代表する名馬。英国では20世紀最強の2歳馬として高い評価を得ている。

ザテトラークはデビュー戦を勝ちあがるとウッドコートS、コヴェントリーSを連勝し、特にコヴェントリーSでは公式では10馬身差で勝利したことになっているが、実際にはその何倍もの差がついており、他の馬主の名誉のために10馬身としたという話が残っている。

4戦目のナショナルブリーダースSでは致命的な出遅れをするも驚異的な追い込みで勝利、5戦目のラウスメモリアルSでは後のオークス馬に6馬身差の圧勝、続くレースも4馬身、3馬身の差をつけて格の違いを見せた。

クラシック路線での活躍が当然の如く期待されたが、調教中の怪我がもとでそのまま引退してしまう。

そのため強さが未知数なところがあるが、よほどの超早熟でもなかった限りはそのままクラシックレースも制した可能性が高かったであろう。

産駒は総じて短距離路線で活躍した馬が多く、あるいは距離の壁に苦しんだかも知れない。かの有名なナスルーラは母方からザテトラークの血を受け継いでおり、その血が濃くでていたのかも知れない。

なお、今回は残念ながらランクインできなかった日本史上最強馬候補の一頭トキノミノルはザテトラークの3×4のインブリードを持っており、日本ダービーを含む10戦10勝という記録を保持している。

さらに後代英国ダービーを勝ったシャーガーにもザテトラークの血は流れており、必ずしも短距離路線の馬がでた訳ではない。

しかし全ては仮定の話でもある。

実際のザテトラークは英国史上最強の2歳馬であった。それはきっと間違いのないことであろう。

7戦7勝 勝率100%

38位:ドクターフェイガー(1964年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803190935j:plain

父:Rough'n Tumble 母:Aspidistra

アメリカ史上最強の短距離馬と言われる名馬。馬名は担当調教師の命を救った外科医にちなんでつけられた。

決して良血統とは言えなかったドクターフェイガーは、デビュー前には全くと言っていいほど期待されてはいなかった。しかしデビューするや新馬戦を馬なりのまま7馬身差で圧勝、次は8馬身、さらに12馬身と圧倒的な勢いで連勝街道を突き進んだ。

次のカウディンSでは1馬身以内に詰め寄られたものの見事に勝利し4連勝を飾った。しかし次の戦いは初のマイル戦となるシャンペンSで、ドクターフェイガーはここで初の敗北を味わうことになる。

休養明けとなったゴーサムSでは後の二冠馬ダマスカスに完勝、距離適性からクラシックは断念して臨んだウィザーズSでは6馬身差で勝利するも続くジャージーダービーでは4馬身差をつけてゴールするも降着処分となってしまう。それでも次のアーリントンクラシックでは不良馬場の中10馬身差の勝利、世紀の対決と言われるウッドワードSに駒を進めた。

アメリカ史上最高レベルと言われたこの年のウッドワードSには、二冠馬ダマスクスやパーフェクトホースの異名をとるバックパサーも参戦していた。

結論から言えば勝ったのはダマスクスであり、ドクターフェイガーは4着に13馬身差をつけた3着となってしまった。

続く4歳時にはさらに本格化し、8戦7勝、年度代表馬・最優秀古馬・最優秀スプリンター・最優秀芝牡馬の4つの賞に輝くという快挙を達成する。

その年に勝利したレースの一つワシントンパークスHにおいては二着に10馬身の差をつける圧倒的な勝利を飾っており、その記録は2019年現在でも破られていない。

引退レースであるヴォスバーグHでは63kgの斤量を背負っていたにも関わらずレコード勝ちをおさめており、単距離であるならばアメリカの歴史上最強であると言う声が多いのも納得である。

22戦18勝 勝率82% アメリカ単距離史上最強馬

37位:ゴールドファインダー(1764年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803011646j:plain

もはや伝説に近い名馬。

現存するサラブレットの95%の直系祖先であるエクリプスと同年に生まれ、13戦して13勝と生涯無敗。最後は2頭のマッチレースが予定されたがゴールドファインダーが故障してしまい実現には至らなかった。

相当強い馬だったのは間違いないが、この馬もまたどこにランクインさせたらよいのか非常に困った…

ゴールドファインダーは種牡馬としても成功をおさめたが、その直系子孫は残念ながら現在では絶滅してしまっている。

実際にレースは実現されなかったが、勝ち数や子孫の繁栄度の関係でこの記事ではエクリプスを上位に置くことにする。

13戦13勝 勝率100%

36位:スぺクタキュラービット(1976年)

f:id:myworldhistoryblog:20190802181825j:plain

父:ボールドルーラー 母:Spectacular

デビュー二戦こそ敗れたものの3戦目となるワールズプレイグラウンドSでは二位に15馬身差をつける圧勝で勢いをつけ、以後連戦連勝、ローレルフィーチャリティーを8馬身差で勝利するとその年の2歳代表馬に選ばれる。

その後も連勝&圧勝劇は続き、アメリカ2冠も難なく達成、当然のように三冠をとることと思われたが、クラシック最後のベルモントSでは安全ピンが蹄にささるというアクシデントがあり3着でゴール、アメリカ三冠は達成できなかった。

その後はジョッキーゴールドカップにて年上の三冠馬アファームドに完敗、その後は再び連勝&圧勝街道を進み、世界レコードなどを達成しながら9連勝、引退レースとなったウッドワードSでは恐れをなした他陣営が出走を見送り単走となってしまうという珍事が発生した。

2000mまでならアメリカ史上最強はスペクタキュラービットであるという声も多い。

30戦26勝 勝率87% ケンタッキーダービーなどG1レース13勝

35位:ヴェイグリーノーブル(1965年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806134620j:plain

 父:ヴィエナ 母:Noble Lassie

ヴェイグリーノーブルは当初全く期待されていなかった。どれぐらい期待されていなかったかというとクラシック登録すらされていないというほどだ。

*ダービーなどのクラシックレースにはあらかじめ登録料を払う必要があり、通常はどの馬でも一応の登録はされているものである。日本でもオグリキャップがこれを払わずクラシックに出られなかった例がある。

そうなってしまった理由としては非常に憶病だったことと、父ヴィエナの種牡馬としての評価の低さがあったという。

父であるヴィエナは第二次世界大戦を勝利に導いたウィストン・チャーチルの所有馬で、その最良の馬とされたが、ヴェイグリーノーブルの馬主が以前ヴィエナを種付けた馬が奇形になってしまったためにひどく後悔したという話が残っている。

実際にヴェイグリーノーブルはデビュー戦2戦に負けてしまう。しかし3戦目には完全に開眼し2着に12馬身差の勝利をし、4戦目には不利がありながらも7馬身差の勝利。

クラシックに参加できないヴェイグリーノーベルは目標を凱旋門賞に定めギシュ賞、リス賞を3馬身、8馬身と圧勝、続くサンクルー大賞こそ3着に敗れてしまうが次のシャンティ賞を4馬身差で圧勝し、凱旋門賞に臨む。

この年の凱旋門賞には英二冠馬サーアイヴァー、アイルランドダービーとセントレジャーに勝ったリベロ、ドイツ三冠馬ルチアノ、ソヴィエトからの刺客ズボール、フランス古馬最強のペトローヌ、ジャックルマロワ賞を勝利し後に種牡馬として名を残すリュティエなど確実に凱旋門賞の歴史でも5指に入るハイレベルなレースであった。

そしてヴェイグリーノーブルはその空前のハイレベルなレースにおいて3馬身差で完勝を果たすのである。

その強さは凱旋門賞馬の中でも指折りで数えられるほどである。

凱旋門賞後は引退し、種牡馬としてキングジョージ優勝馬ダリアやパリ大賞典の優勝馬エクセラーなどを輩出し大成功をおさめた。

生涯成績:9戦6勝 67% 

34位:アイシングラス(1890年)

f:id:myworldhistoryblog:20190802164927j:plain

父:アイソミノー 母:デッドロック

イギリスの三冠馬。かなり重い馬で、調教時の動きは悪くかったようだが、レースになるとまるで別の馬のように走り、レースでは連戦連勝、イギリスの三冠を始めとした大レースに悉く勝ち、負けたのは生涯に1度2位になっただけで、その総獲得金額は半世紀以上も破られなかったという。

レース時にはそのあまりの強さからかなりの斤量を背負わされたが、持ち前のパワーでそれを感じさせない走りを見せており、他の馬よりも8kg重い斤量を背負ったレースでも圧倒的な勢いで完勝して見せた。

アイシングラスの前後の世代は非常に強豪の多い時代であったが、アイシングラスはそれらの強豪に対しほとんど全勝した。唯一レーバーンという馬にランカシャープレートというレースで敗北を味わっており、この際にはレーバーンよりも約5kg重いハンデを背負っていたという。

地力で言えばこの馬を止められる馬はいなかったことだろう。

12戦11勝 イギリス三冠

33位:ゴーストザッパー(2000年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802183013j:plain

父:オーサムアゲイン 母:Baby Zip

世界最高峰のレースであるブリーダースカップクラシックをレコード勝ちしたアメリカを代表する名馬。

血統的な面でほとんど注目されずにデビューしたが、新馬戦でいきなり9馬身差で勝利すると一気に注目が集まった。2戦目はあっさりと敗北し2歳は2戦1勝で終わる。

年明けから条件戦を4馬身、10馬身以上で圧勝するも初のG1レースギングズビショップSでは3着に敗れる。

秋には、ヴォスバーグSを6馬身以上の差で圧勝して初のG1レースを制覇すると3歳時を4戦3勝で終えた。

ゴーストザッパーは脚部不安を抱えていたためあまり無理使いは出来ず、その後は約10か月休養し、休養明けとなったトムフールHを4馬身、次のG3レースを10馬身差以上で勝つとその年の秋にはBCクラシックをレコードで征し、その年のアメリカ年度代表馬となった。

翌年はメトロポリタンHを6馬身差以上で圧勝し現役を引退。そのレースぶりから現在でもゴーストザッパーをアメリカ史上最強馬とする声も大きい。

11戦9勝 BCクラシックをレコード勝ち

32位:アファームド(1975年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802004348j:plain

父:エクスクルシヴネイティヴ 母:Won't Tell You

もはや伝説となった名馬アリダーとの戦いを制し見事アメリカの三冠馬となった歴史的名馬。

 アリダーとは勝ったり負けたりを繰り返し、両馬の生涯成績は7勝3敗とアファームドに分があった。

しかし1歳年上のアメリカ三冠馬シアトルスルーには2度対戦して2度とも敗北、結局1度も勝つことが出来なかった。それに対しアメリカ有数の名馬スペクタキュラービッドとの戦いには完全勝利し、それが最後の戦いとなる。

アファームドの長所はその類まれなる勝負根性と言え、接戦になると無類の強さを発揮し、1馬身以内の着差のレースにおいては全て勝利している。敵が強ければ自分もより強くなる少年ジャンプの主人公のような馬で、そういった意味ではアリダーやシアトルスルー、スペクタキュラービッドと言ったライヴァルに恵まれたのはアファームドにとっては幸運であったかも知れない。しかし一方のアリダーは三冠レースで全てアファームドの2着となっており、本来なら三冠馬になれるだけの力を持っていただけにこちらは不幸だったと言える。それでもアリファーはG1レースを6勝もしているのだからこちらも歴史的な名馬であろう。さらに言うとアリダーは種牡馬としてアメリカのリーディングサイアーとなったのに対しアファームドは10位以内にも入れず、現役引退後はその関係性が完全に逆転してしまうことになる。

アファームドは最終的にはG1レースを14勝、あまりにも偉大なその名はアメリカの歴史に刻まれることとなった。

29戦22勝 勝率76% アメリカ三冠などG1レース14勝 

31位:シーザスターズ(2006年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802002602j:plain

父:ケープクロス 母:アーバンシー

兄に英国ダービー馬ガリレオを持ち、母は凱旋門賞を征したアーバンシーという超良血場。

あまりにもプレッシャーがかかりすぎてしまったのかデビュー戦では敗北してしまう。個人的にはこの辺りは私の好きなミドリノマキバオーのアマゴワクチンに重ねてしまうのだが、それはさておき2戦目を征したシーザスターはいきなり本格化し始める。

約七か月の休養明けで臨んだイギリス2000ギニーに勝利すると続く英国ダービーも距離適性を不安視されながらも制覇、兄弟でダービー馬となる。その後もエクリプスS、インターナショナルS、アイルランドチャンピオンシップと立て続けにG1レースを勝利していき、勢いにのって凱旋門賞も制覇。

母アーバンシーに続き親子で凱旋門賞制覇の偉業を成し遂げる。

主戦騎手だったM・キネーンはシーザスターズを「わが生涯最高のパートナー」として激賞している。キネーンはモンジューやジャイアンツコーズウェイ、ロックオブジブラルタル、ガリレオなどにも騎乗しており、その言葉は非常に重い言葉であると言えるだろう。

9戦8勝 勝率89% 英国ダービー、凱旋門賞

30位:シンダー(1997年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190803004651j:plain

父:グランドロッジ 母:Sinntara

史上初めてアイルランドとイギリスのダービーを制しながら凱旋門賞に勝利した名馬。

アイルランドダービーでは9馬身、続くニエル賞では8馬身の差をつけて勝利をしており、凱旋門賞では8連勝中だった昨年の覇者モンジュー、6戦無敗のドイツダービー馬ザムムなどを始めとした強豪たちを抑え堂々の優勝を果たした。

なお唯一の敗戦であるバリサックsに参戦した際にはG1馬であったことから131ポンドという異常なほどの斤量を背負っての参加であり、かつ休み明けということも堪えたのだろう。それでも頭差の二着であったのだからこの馬の強さが伺えるというものである。

8戦7勝 勝率88% 英国ダービー、アイルランドダービー、凱旋門賞

29位:アメリカンファラオ(2012年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802174053j:plain

父:パイオニアオブザナイル 母:リトルプリンセスエマ

アメリカの歴史で初めて三冠とブリーダースカップクラシック勝利という所謂グランドスラムを達成した名馬。

アメリカンファラオはデビュー戦こそ敗れたものの、2戦目からはG1レースデルマーフューチャリティを4馬身以上の差で勝利すると連勝街道にのり、アーカンソーダービーでは8馬身差の圧勝という記録を携えてアメリカクラシック最初の関門であるケンタッキーダービーに臨む。

この時代のケンタッキーダービーは無敗馬ドルトムント、G1勝利馬のカープディームなどハイレベルな争いになり、たたき合いの末アメリカンファラオが優勝。続くプリークネスSは7馬身、ベルモントステークスは5馬身以上と圧倒的な勢いでアメリカ三冠レースを制していく。

その後トラヴァーズSで2着に敗れたものの、引退レースとなったBCクラシックでは6馬身差の圧勝、有終の美を飾った。

11戦9勝 勝率82% アメリカ三冠を含むG1レース7勝

28位:ハーヴィンジャー(2006年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806145503j:plain

父:ダンシリ 母:Penang Pearl

G1はわずか1勝しかしていない。しかしその1勝が英国最高峰のレースキングジョージであり、2位に11馬身差をつけて圧勝したことから英国史に名を残すことになった。

日本最強馬候補であるサイレンススズカもG1レースは宝塚記念しか勝っていないことを考えるとハーヴィンジャーが世界最強馬候補であることは不自然ではない。

生涯成績は9戦して6勝、デビュー当時はパッとせずにデビュー戦は敗戦、G2レースであるグレートヴォルティジュールS、G3レースであるセントサイモンSを連敗かつ惨敗、とても後の最強馬の結果とは思えぬ結果となった。

しかしジョン・ポーターS、オーモンドSを連勝すると素質が完全に開花、続くハードウィックSを3馬身差以上をつけて完勝するとキングジョージに駒を進めた。

ハーヴィンジャーの主戦騎手はライアン・ムーアは同レースで英国ダービー馬のワークフォース(のちに凱旋門賞勝利)に乗るため鞍上は日本でもおなじみのオリビエ・ペリエとなる。

終わってみれば11馬身差のレコード勝ち。伝統あるギングジョージ史上圧倒的な勝利となった。

ハーヴィンジャーはこの後に骨折をしてしまい現役を引退、後に日本で種牡馬として活躍し、日本でもG1ウィナーを量産している。

ハーヴィンジャーは明らかに成長が遅い馬で、2歳時は5戦2勝、3歳児時は4戦4勝と本格化してからの引退となってしまったのは惜しまれる。この馬の本領はこれから発揮されるはずだったことだろう。

キングジョージで完勝したワークフォースが後に凱旋門賞を征したことから考えても、ハーヴィンジャーが現役を続行していたら多くのグランプリレースを制していた可能性は非常に高い。

最初に述べたように、G1はわずか1勝だがそれでもハーヴィンジャーが世界史上最強馬候補の一角であることは疑いようがないであろう。

9戦6勝 勝率67% キングジョージを11馬身差で圧勝

27位:ハイフライヤー(1774年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806133031j:plain

父:ヘロデ 母:Rachel

18世紀における最強馬の一角。

英国でダービーレースが開催されるよりも前の世代の名馬であり、マッチレースなどが主流の時代であったが、ハイフライヤーはその全てに圧勝したと伝えられる。

種牡馬としても優秀で、イギリスにおける最優秀種牡馬リーディングサイアーに13度も輝いている。

実在したのは確かだが、その存在はもはや伝説に近いかも知れない。ランクインさせるかどうか非常に迷ったが、これほどのレジェンドを入れないのはやはりオールタイムランキングの主旨に反するであろう。

14戦14勝 勝率100%

26位:ネイティブダンサー(1950年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802022925j:plain

父:ポリネシアン 母:Geisha

グレイファントム(灰色の亡霊)と言われたアメリカを代表する名馬。

生涯22戦して21勝、唯一の敗戦がケンタッキーダービーでの2着であった(それ以外の二冠は征している)。

同時代を生きたトムフールとはネイティブダンサーの屈腱炎のため直接対決は叶わなかったが、同時代トムフールがネイティブダンサーを抑えて年度代表馬に選ばれたことから評価はトムフールの方が高かったことが伺える。

*ネイティブダンサーは2歳時と4歳時に年度代表馬に選ばれている。

ただ、ネイティブダンサーがあまりにも強すぎたために賭けにならず馬券の発行が中止された(オッズが1.05倍以下になり赤字になるため)、62Kgを背負ってなお2着に9馬身差をつけて勝ったなどの伝説もあり、勝率の高さなどを考えるに実際に戦ったらどうなったのだろうという思いもある。

凱旋門賞への挑戦の話もあったが、これまたネイティブダンサーの屈腱炎のために話は流れてしまっている。

ネイティブダンサーに関しては、いくつものifが出てきて楽しいのだが、実際に他の馬と比べてどの程度強いのか、そこが見えないところがあってこの記事で扱うのは非常に難しい面がある。

それでもネイティブダンサーが歴代最強馬候補の一角であることは間違いないであろう。

22戦21勝  勝率95% アメリカ二冠など

25位:シャーガー(1978年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190803233549j:plain

英国史上最強馬の一角。

父:Great Nephew 母:Sharmeen

2歳時は1戦1勝、G1レースで2着になったにも関わらずシャーガーの評価は高いものではなかった。

しかし3歳になるとシャーガーは突然大化けした。4月に行われたクラシックトライアルで10馬身、続くレースで12馬身という圧倒的な差で勝利するとそのままイギリスダービーも10馬身差でぶっちぎって優勝してしまった。

勢いそのままアイルランドダービーも4馬身差で圧勝し、古馬との戦いであるキングジョージにも4馬身差で完勝する。

しかし次のレースセントレジャーSでは4位に沈んでしまい、予定していた凱旋門賞の出走は取り消され、そのまま現役を引退してしまった。

シャーガーの引退はそれ以前から実は予定されており、高額のシンジケートが組まれていたために起こったことでセントレジャーでの敗北がその原因ではないという。そしてそれが故に誘拐されてしまうという悲劇も起きており、結局そのまま行方不明になってしまった。

結局種牡馬としては1年しか活動ができなかったが、その少ない中からG1ウィナーのアウザールが生まれており、その潜在能力の高さがうかがえる。

8戦6勝 英国ダービーを10馬身差で勝利、キングジョージ

24位:サイテーション(1945年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802012654j:plain

父:ブルリー 母:Hydroplane

アメリカ史上最強の一角。

生涯45戦して複勝率98%、38レース連続連対という偉大な記録を持っており、アメリカ三冠をはじめ当時の大レースという大レースを制覇、アメリカ人が選ぶ20世紀の名馬投票では堂々の3位に選ばれる。

晩年はさすがに成長のピークを過ぎていたが、それでもラスト3レースは勝利を飾ったのだから圧巻と言える。生涯において5度もレコードを更新しており、まさにアメリカを代表する名馬の一頭だと言えるだろう。

 45戦32勝 アメリカ三冠 16連勝 38連続連対

23位:ジェネラス(1988年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190803024451j:plain

父:カーリアン 母:ドフザダービー

イギリスダービーを5馬身、アイルランドダービーを3馬身、キングジョージを7馬身差で勝った歴史的な名馬。

その圧倒的な勝ち方から史上最強のキングジョージ優勝馬との声もある。

圧勝する一方で惨敗することもあり、キングジョージの次の凱旋門賞ではスワーブダンサーから9馬身離れた8着に沈む。その後はウィルスに感染したことがわかり現役を引退。凱旋門賞での大敗北がこのせいであったのかは現在でも不明である。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

アイルランドダービーではスワーブダンサーをぶっちぎっていたこと、並み居る強豪を抑え、特にハイレベルであったキングジョージの勝ち方が圧倒的であったことなどが考慮されイギリスのタイムフォース誌ではジェネラスを90年代最強馬と認定、凱旋門賞を勝ったスワーブダンサーよりも高い評価を与えた(ただし年度代表はスワーブダンサーが選ばれた)。

負けない馬が強いのか、圧倒的な勝ち方をした馬が強いのか、競走馬の歴史における最大の難問である。

11戦6勝 勝率55% 英国ダービーを5馬身、キングジョージを7馬身差で圧勝

22位:ダンテ(1942年生まれ)

f:id:myworldhistoryblog:20190803174453j:plain

父:ネアルコ 母:Rosy Legend

大種牡馬ネアルコ最高傑作にして歴代最強のダービー馬と呼び声高い一頭。

幼少時はあまりの見栄えの悪さに買い手がつかなかったほどで、しかたなく生産者自体が自分で買い取ったというエピソードさえあるほど誰も期待をかけていない馬であった。

しかしデビューするやダンテはその才能を発揮し、2歳時にミドパークS勝利を含む6連勝を果たしその全てに圧勝するに至る。

続く3歳時、条件戦を4馬身差で楽勝するとクラシック初戦である2000ギニーに参戦、当然優勝が確実視されたがレースの直前に他の馬の蹴った小石が目に入るというアクシデントが発生、その傷がもとで本来の力が発揮できず初にして生涯唯一の二着を味わう。

その後目の治療を行ったダンテは英国ダービーに出場し、レースレコードを更新(ただし二次大戦中につきコースはいつもと違ったが)するタイムで大勝利をおさめ、それを最後に競走馬生活を終え引退することとなった。2000ギニー直前に負った目の傷は思いのほか重症で、ダンテは晩年完全に失明してしまうに至る。

ダンテの人気は相当なもので、ダンテがダービーを制した際には調教されたミドルハムの街では教会の鐘が鳴りやまなかったと言い、ダンテの強さを記念してダンテSが創設されたほどである。

なお、本来は英国ダービーはエプソム競馬場で行われるエプソムダービーとも言われ、ダンテの勝ったダービーはニューマーケット競馬場であるので単純に比較できないが、ダンテが勝ったレコードタイム2:26というタイムは現在のレコード2:31(2010年ワークフォースが達成)よりも遥かに速い。もちろん馬場の違いは大きいが、それでもダンテが如何に強かったのかよく分かる話である。

9戦8勝 勝率89% 英国ダービーなど

21位:パントレセレブル(1994年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190806152926j:plain

父:ヌレイエフ 母:Peinture Bleue

凱旋門賞をレコード勝ちした歴史的名馬。

生涯出走数は7と少ないが、その中にはフランスダービーに相当するジャッケクルブ賞やフランスの大レースパリ大賞典なども含まれ、そのいずれも完勝している。

特に凱旋門賞はBCターフやアイルランドチャンピオンシップなどを勝利し後にジャパンカップを制することになるピルサドスキーを5馬身後方置き去る完璧な勝利を飾り、それまでのレコードを1秒7の更新、その長い歴史の中でも5指には入る勝ち方をし、歴史に名を刻み込んだ。

パントルセレブルの敗戦は実はG3,G2レースでのことであり、G1レースでの負けはなく、3勝したG1レースは全て完勝かつ圧勝であった。勝負所のわかる非常に頭のいい馬だったのかも知れない。

なので2度の敗戦は個人的にはそれほど評価を落とすもではなく、やはり大レースで強い馬こそが本当に強い馬だという考え方からこの評価とした。

7戦5勝 勝率71% 凱旋門賞をレースレコードで勝利

20位:アレッジド(1974年生)

父:Hoist the Flag 母:Princess Pout

凱旋門賞を二連覇し、セントレジャーで二2着に敗れた以外は全て勝利した名馬。

3歳時の凱旋門賞では英国ダービーを制して年度代表馬にもなったザミンストレルを降し、4歳の時に参戦したプランスドランジュ賞ではコースレコードで勝利、その後の凱旋門賞でも勝利を得た。

アレッジドの担当調教師はアレッジドをスタミナは豊富だがスピードにかけるとし2000ギニーやイギリスダービーなどには参加させなかったという背景がある。また、アレッジドが引退する際、担当調教師であるオブライエンは自身が調教した馬の中ではアレッジドはニジンスキーの次に優れた名馬としている。実際にどちらが強いかは難しいが、今記事ではその言葉をそのまま採用することにした。

生涯成績:10戦9勝 勝率90% 凱旋門賞二連覇 

19位:カウントフリート(1940年)

f:id:myworldhistoryblog:20190803003242j:plain

父:リーアカウント 母:Quickly

デビューしてすぐのカウントフリートは負けることも多く、フューチャリティーSでは3着に敗れるも以後は完全に素質を開花させ、シャンペンS、ピムリコヒューチャリティを連勝するとウォルデンSを30馬身差の圧勝でもって2歳を終える。この時点で15戦10勝。以後カントフリートが負けることはないが、明らかにレース過多である。

3歳になるとカウントフリートを恐れた各陣営が出走を見合わせる事態が多くなるほどで、常にレースは少数で行われたという。

そうなると基本的には強豪だけがレースに参加することになるが、全て楽勝でアメリカ三冠を達成する。特に最後のレースベルモントSでは2位に25馬身をつける圧勝ぶりを発揮し、そのまま引退する。これはどうやらベルモントSの途中で故障をしていたことが原因であるらしい。故障してなお勝つのだからこの馬は恐ろしい。

アメリカ最強馬を語る際、この馬の存在は決して外せないと言える。惜しむらくは同様にアメリカ最強候補となるシアトルスルーやセクレタリアトと違って他世代の最強馬たちと戦うことがなかった点であろう。その分それらの三冠馬の方がどうしても評価は上になってしまう。

 21戦16勝 アメリカ三冠 複勝率100%

18位:シアトルスルー(1974年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802161516j:plain

父:ボールドリーズニング 母:My Charmer

アメリカの歴史上初めて無敗での三冠を達成した歴史的名馬。

父のボールドリーズニングは種付け料がわずか14万ほどと種牡馬として全く人気がなく、シアトルスルーがデビューする前に牝馬に蹴られて死んでしまったというエピソードを持った馬で、シアトルスルーは当初全く評価されず、セリにかけられた時にはわずか17500ドルという安価な値段で売られてしまうほどであった。

あまりにも見栄えが悪かったことから、ついたあだなが「醜いアヒルの子」だったという。

しかし実際にデビューしてみるとデビュー戦、条件戦ともに楽勝し、続く2歳G1レースであるシャンペンSに出場すると2着を9馬身以上離して優勝、アメリカの最優秀2歳馬に選ばれ、醜いアヒルの子は白鳥へと成長した。

3歳になってもシアトルスルーの勢いは止まらず、条件戦を勝利した後はG1を連勝、続くアメリカクラシックレースを全て楽勝し三冠を達成。

しかしここで疲れたのか一月後のスワップスSでは1位に16馬身も離されての4着に沈んでしまう。

この辺りで権利関係などのゴタゴタもあり、所有者や厩舎が変わるなどのトラブルもあり、ストレスからなのか、シアトルスルーは高熱をだしてしまい長い療養生活に入るようになる。この時期は生命そのものさえ危ぶまれていたという。

翌4歳の春には復帰し、条件戦をそれぞれ8馬身、6馬身と圧倒的な勢いで2連勝するもさらに休養をし、3か月後のG2レースでは2着になってしまう。

それでも次のG1レースマールボロチャンピオンシップでは1歳年下の三冠馬アファームドを降して優勝、その強さを見せつけた。続くウッドワードSではヨーロッパからの刺客エクセラー(父ヴェイグリーノーブル)に4馬身差の完勝。しかし次のジョッキークラブゴールドカップでは逆にエクセラーの2着となってしまう。

最後となったG3レースで勝利を飾り、シアトルスルーはその競走馬人生を終えた。

シアトルダンサーには弟がおり、この弟は兄とは対照的に1310万ドル(約31億円)で取引され、後にシアトルダンサーと名付けられる。シアトルダンサーは目立った活躍はなかったが、シアトルスルーの弟という点が評価されて後に日本で種牡馬生活に入り、タイキフォーチュンやエイシンガイモンなどの重賞ウィナーを生み出すことになる。

競馬の長い歴史には、セリで安値であったにも関わらず後に化ける馬がいる。凱旋門賞を勝ったトニービン、BCクラシックを勝ったサンデーサイレンス、そしてシアトルスルー。

アダムスミスは「神の見えざる手」という表現を使ったが、競走馬の歴史を見るにそのような何かが働いているようにも見える。

17戦14勝 勝率82% アメリカ三冠、ウッドワードSなど

17位:ブリガディアジェラード(1968年生)

父:Queen's Hussar 母:La Paiva

デビュー以来16連勝を重ね、史上初の欧州三冠馬ミルリーフが一度も勝てなかった馬。

当初誰もブリガディアジェラードには注目しておらず、この世代の話題はミルリーフとマイスワローに関することで一杯だった。

ブリガディアジェラードと言えば新馬戦の段階で5頭中5番人気という有様でその後3連勝するも、注目されるのはミルリーフとマイスワローのどちらが強いかというものであり、ブリガディアジェラードがいくら勝ってもその2頭がいないかったから勝てたという評価しかされなかった。

3歳時のクラシック初戦、イギリス2000ギニーにおいてミルリーフ、マイスワロー、ブリガディアジェラードの3頭がついに相まみえることとなり、結果はブリガディアジェラードの勝利となった。

その後ブリガディアジェラードはクラシック戦線には参加せずにマイルのG1を4連勝、6戦無敗でシーズンを終えるも評価は欧州三冠を達成したミルリーフの方が高かった。

4歳時、順調に勝ちを重ねたブリガディアジェラードは距離の限界を超えるべくキングジョージに参戦し見事に勝利、デビュー以来15連勝を飾る。

しかし16戦目となるベンソン&ヘッジズゴールドカップでロベルトに生涯初の敗北を味合わされ、同時にそれが生涯唯一の敗戦となった。

その後も順調に勝利を重ね生涯成績は18戦17勝。

最終的にはミルリーフは一度もブリガディアジェラードに勝てなかったことになる。

生涯成績:18戦17勝 勝率94% 2000ギニー、キングジョージなど 

16位:アンネイブル(2014年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801171900j:plain

父:ナサニエル 母:Concentric

この記事を執筆している現在では唯一の現役馬。

その強さは圧倒的で、3歳で英オークス、キングジョージ、凱旋門賞を勝ち4歳時には再び凱旋門賞を制覇、その後はブリーダースカップターフにも勝利してイギリス、アメリカ、フランスのビッグレースを征してしまう。

5歳になった今年もキングジョージに勝利し、凱旋門賞史上初の三連覇に向けて期待がかかっている。

その結果によってはさらにランキングを上げるかも知れない。本当に底が知れない馬である。

この順位でさえもまだ全ての結果が出ていないという理由でむしろ抑えめの順位であると言っても良いかもしれない。果たして凱旋門賞三連覇なるか、それとも日本最強馬アーモンドアイが日本馬初の凱旋門賞勝利となるのか。楽しみでしょうがない。

生涯成績:12戦11勝 キングジョージ、凱旋門賞連覇、BCターフ

追記:2019年の凱旋門賞では2位だった。惜しくも3連覇は逃したが、その評価を貶めるようなレースではなく、アンネイブルが世界最強馬候補の一頭であることは疑いようがないであろう。

15位:セントサイモン(1881年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190804020109j:plain

 父:ガロピン 母:St.Angela

「20世紀のノーザンダンサー、19世紀のセントサイモン」「セントサイモンの悲劇」などの格言でお馴染みのセントサイモンである。

競走馬の歴史はセントサイモン抜きには語れないと言って良く、種牡馬としての成績はいわずもがなであるが、競走馬としても大変優秀だった。

馬主が死んでしまうというトラブルからクラシックレースには一切出られなかったが、デビュー以来連戦連勝、特にアスコットゴールドカップやグッドウッドカップでは後続に20馬身差もつけるほどの大圧勝で、並み居るクラシックホースを寄せ付けなかったという。

生涯において無敗を誇り、その実力19世紀において五本の指には入ると評された。

ちなみにセントサイモンは恐ろしく気性が荒く、厩務員にしばしば噛みつき、忍び込んだ猫を噛み殺し、まるで電気のようだったという。

種牡馬としてはあまりにも圧倒的。セントサイモン産駒でクラシックレースを全勝した年もあったほどで、あまりにも種付け頭数が多かったためにまセントサイモンの血の入っていない馬がイギリスから消滅するという事態になってしまった。

これにより「血の袋小路」と呼ばれる現象が起こり、セントサイモン産駒の種牡馬は種付け相手がいないという事態に陥る。その結果1930年までにはその直系がほとんど死に絶えるという事態になり、あれほど多かったセントサイモンの直系がイギリスには一頭もいなくなってしまうほどの衰退をみせてしまった。これを競走馬の歴史では「セントサイモンの悲劇」という。

それでも1952年、セントサイモンから数えること6代目、イタリアの地にて奇跡のような名馬が生まれることになり、その直系はなんとか存続することが出来た。その馬の活躍は後程見ていただきたいと思う。

9戦9勝 勝率100% 史上最強の種牡馬

14位:ファリス(1936年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802015555j:plain

父:ファロス 母:Carissima

フランス史上最強と言われる競走馬の一頭。

キャリアは第二次世界大戦の影響もあってわずか3戦しかないのだが、それでも歴代最強と言われるのはその勝ち方があまりにも圧倒的であったからである。

初戦ノアイユ賞を勝利したファリスは2戦目でフランスダービーの異名をとるジョッケクルブ賞に挑戦、最後方から追い込み、途中進路妨害をされたにも関わらず最終的に2着に2と半馬身差をつけて大勝利、その後当時のフランスのグランプリレースであるパリ大賞典に参加したファリスは騎手が落馬寸前になるような不利にみまわれるも直線差し切って優勝、その後はイギリスに遠征する予定であったが2次大戦のために計画は中止。その後はフランスに侵攻してきたドイツ軍に連れ去られるという事件を経て種牡馬となり凱旋門賞馬アルダンなどを輩出するなど成功をおさめる。

ファリスの全盛期には戦争のため各種レースが中止となってしまったため、ファリスの本当の実力は不明なままであるが、あらゆる不利を撥ね退けて勝利するさまはナチスドイツの支配を受けたフランス国民を高揚させ、その存在はフランスの英雄となった。

ちなみに凱旋門賞の権威が高まったのはファリスの馬主であったマルセル・ブサックが凱旋門賞の賞金を引き上げたからという背景があり、氏はフランスの最優秀生産者を17度も獲得している人物でもある上にフランス競争馬のレベルを飛躍的に高めた人物である。

ファリスはそのブサックの最高傑作と言われているのだからとてつもなく強い馬であるのは間違いないが、しかし今回このファリスをどのように評価するかは非常に難しかった…

ニジンスキーやブリガディアジェラードとファリスはどちらが強いのか。本来なら神のみぞ知るところであるのだが。

3戦3勝 勝率100% フランスダービー、パリ大賞典

13位:ニジンスキー(1967年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801221508j:plain

父:ノーザンダンサー 母:フレーミングページ

日本ではマルゼンスキーの父親として有名かも知れない。

競走馬の歴史を変えたと言われるノーザンダンサーの子供の中でも最強と言われる1頭。イギリス三冠を無敗で達成しながら合間のアイルランドダービー、キングジョージにも勝利した歴史的名馬。

誰もが凱旋門賞勝利を疑わなかったのだが、ふたを開けてみればフランスダービー馬のササフラの2着に沈み初の敗戦。現在に至るまでこの時のニジンスキーの敗因は議論されているところであるが、夏の間に真菌性皮膚炎を患ってしまったことが原因であるという意見や騎乗ミス、あるいは無理使いが原因である説など未だに定説をみない。

確かに3歳時のニジンスキーはレース数が多く、凱旋門賞までに7戦もしておりかなりのハードスケジュールであった。そのような中で引退レースとなったチャンピオンステークスでも2着に敗れてしまう。このレースにおいてニジンスキーは異常な発汗をしていたと言われ、明らかに本調子ではなかったという。

一般的にはセントレジャーS(3000m)に出場したことが最後2戦のニジンスキーの敗因であると考えられており、これ以降セントレジャーSの価値が著しく下がってしてしまったという話さえある。実際にニジンスキー以降イギリスダービーを勝ってもセントレジャーに出ない馬が続出した。1世代下のミルリーフがダービー後セントレジャーにはでずにキングジョージ、凱旋門賞と進んだのはその象徴とも言えるだろう。

ニジンスキーが3歳で引退したためミルリーフやブリガディアジェラードとの対戦は実現されなかったら、実際に対戦していたらどうなっていたかというのは誰しもが思うことであろう。私自身の考えはこのランキングの通りである。

ちなみに種牡馬としても大成功を収めており、自身最後の産駒であるラムタラがニジンスキーの成し得なかった欧州三冠を達成したのは何か感慨深いものがある。

生涯成績:13戦11勝 勝率85% 連帯率10割 英国三冠馬、キングジョージなど

12位:ミルリーフ(1968年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801214602j:plain

 父:ネヴァーベンド 母:Milan Mill

史上初の欧州三冠馬。

ミルリーフはデビュー戦を勝利で飾ると続くコヴェントリーSを8馬身差で大勝。しかし続くロベールパパン賞ではマイスワローの2着となる。その後3連勝を飾り当時の2歳獲得賞金額記録を更新、続く3歳時のクラシック路線では2000ギニーでマイスワローに雪辱するもブリガディアジェラードの前に敗北。

しかし2度の敗戦を経てミルリーフはさらに強くなり、続く英国ダービーで勝利、さらにエクリプスSをコースレコードで勝利すると古馬混合戦であるキングジョージに参戦、ここで2着に6馬身差をつける圧倒的な勝利をものにする。

本格化したミルリーフはそのまま全世界の頂点をとるべくフランスの凱旋門賞に挑戦、コースレコードで見事に勝利し世界史上初の欧州三冠を達成し、文句なしの欧州年度代表馬に選ばれる。

4歳になり参戦したガネー賞では10馬身差の勝利を飾るがその後はインフルエンザに罹るなど調子を崩し、調教中に骨折してしまいそのまま引退することになった。

ブリガディアジェラードとミルリーフの優劣は非常に難しく、直接対決ではブリガディアジェラードがミルリーフに3馬身差をつけて勝利をしたが、ミルリーフが本格化したのは次の英国ダービーからであること、ミルリーフの適正距離が2400mであること(2000ギニーは1600mなのでマイラーのブリガディアジェラードが有利)などを評価してミルリーフを上位においた。

どちらも史上最強馬候補であることには違いがない。

14戦12勝 勝率86% 欧州三冠馬

11位:セクレタリアト(1970年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801191013j:plain

父:ボールドルーラー 母:Somethingroyal

アメリカ史上最強の1頭。その強さと人気は映画「セクレタリアト」が作られるほど。

普通の馬の二倍の重さの心臓があったことでも知られていて、栗毛のその巨体から「Big Red」の名前で親しまれた。

最強馬とも言われるセクレタリアトはしばしば凡庸な負け方をしている。デビュー戦からして4着に負けており、他の最強馬たちと比べるとムラッケがあると言えるかも知れない。

*4着以下になったのは実はデビュー戦だけである。

しかし勝つときはすさまじい勢いで勝利し、特にアメリカ三冠がかかった最後のレースベルモントSでは2着に31馬身差をつけるという前代未聞な勝ち方をし、見事三冠馬となっており、驚くべきことに三冠全てレコード勝ちで、そのレコードは2019年現在でも破られていないというおまけつきである。

三冠レースだけではなく勝ったレースの約1/3はレコード勝ちで、ダートのみではなく芝のG1レースでも勝ちをおさめており、年度代表馬に3度も輝いた名馬フォアゴーなどの強敵に勝利している点も評価の高いポイントであろう。

その圧倒的強さから各地に像が立ち、その功績を称えセクレタリアトSが毎年開催されており、その人気はもはや競走馬という次元を超えてしまったと言ってよいだろう。

生涯成績:21戦16勝2着3回3着1回 勝率76% アメリカ三冠、マンノウォーSなど

10位:ラムタラ(1992年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801150247j:plain

父:ニジンスキー 母:スノーブライド

神の馬。

ノーザンダンサーの2×4というかなり濃いインブリードが影響したのかあまり丈夫ではなく、その生涯においては4戦しかしていないが、その4戦がいずれもビッグタイトルであった。

20世紀を代表する偉大な名馬ニジンスキーの最期の産駒で、初戦から準重賞であるワシントンシンガーSに臨み3/4馬身差で勝利。

2戦目のイギリスダービーでは2000ギニーを征したペニカンプが圧倒的な一番人気であったが、終わってみればラムタラがレコードレースレコードを1秒半、コースレコードを1秒も短縮した勝利をおさめた。

ダービーの次に臨んだのはイギリス最高峰のレースキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで、これも首差で勝利。

欧州二冠を征すとそのまま世界最高峰のレースである凱旋門賞に挑戦、前年度優勝馬のカーネギーや5連勝中のスウェインなどを退けて1馬身差で勝利。ミルリーフ以来史上2頭目、無敗では史上初の欧州三冠馬となった。

ラムタラは決して圧勝する馬ではなかった。4つの勝利はいずれも1馬身差以内で、接戦であると言っても良い。そのためラムタラの専門家からの評価は低い。

*この点においてはラムタラがアラブの王族マクムゥート家の所有であること、欧州競馬界がアラブの王族に対して反感を持っていたことも要因だと言われている。また、強敵に勝っていないという評が下されたが、ベニカンプやスウェイン、カーネギーが強い馬に相当しないというのは公平性を欠く見方であると思う。

この記事でも勝ち方を重視するように、多くのファンはその勝利以上に勝ち方を求める。これはホースレースに限った話ではなく、サッカーやバスケ、あらゆるスポーツに共通していることであろう。

しかし、ラムタラの勝ち方は圧勝ではないが完勝である。必要最低限の力で最高の結果を出す。そういった資質も重要なのではないだろうか。実際にラムタラの戦った相手はかなり強かった。

かなりきついインブリードの弊害から、常に体調に不安を抱えていたラムタラにとって、無理をしないでレースを全うすることは他の馬に比べてはるかに重要であったことだろう。

そしてラムタラはどの馬よりも勝利に対しての執念が強かった。スピード、スタミナ共に超一級であったが、ラムタラが他の馬より優れていたのはその勝負根性であったと言える。凱旋門賞では一度抜かれるも持ち前の根性で最後に再び抜かし勝利を得ている。

デットリーはラムタラを「ライオンハート」と評した。最後に勝利を呼び込むのは月並みだが勝利への執念であり気合である。ラムタラはそれを持っていた。

自分自身の力を最大限に発揮するにはどうすればいいのか、ラムタラはそれを知っていたように思う。

担当調教師が銃殺される、肺の感染症に罹り命の危機に陥るなど過酷な環境の中で、ラムタラはそういった生きるために必要な何かを学んでいったのかも知れない。

戦績はわずか4戦であるが、ラムタラが史上最強馬の一角であることに個人的には疑問はない。

生涯成績:4戦4勝 勝率100% 欧州三冠

9位:キンツェム(1874年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190730235129j:plain

父:Cambuscan 母:Waternymph

その名は「私の宝物」を意味するハンガリーの至宝。

幼駒の頃にジプシーに誘拐されるという事件を経験しており、それを捜査した警官は「あの牧場にはもっといい馬がいただろうになぜこの馬を誘拐したんだ?」と聞かれ、誘拐犯は「あの馬は見劣りするかも知れないが誰よりも勇気があったんだ」と答えたという。

キンツェムはドイツでデビューするや連戦連勝、様々なレース場を経験しながら2歳にして既に10戦10勝、3歳児にはハンガリー1000ギニー、ハンガリー2000ギニーと言ったクラシックレースを連勝、ハンガリー(オーストリア)ダービーに相当するジョッケクルブ賞に出場すると大差でこれを征してしまった。

*当時のハンガリーはハプスブルク家の支配を受けておりオーストリア=ハンガリー2重帝国であった。

その後もハンガリーセントレジャーを含むあらゆるレースに連戦連勝、事実上ハンガリー三冠を達成し、17戦17勝で3歳を終えた。

4歳になっても勢いは止まらず、1か月で9つのレースに出るという無理使いをされるもこれらすべてに勝利、そのままイギリスやフランスなどの西方遠征に乗り出す。

イギリスやフランスでもキンツェムの噂は広まっており、ハンガリー馬に負けるのを警戒した英国の馬主たちはキンツェムが出るレースの出走を回避、グッドウッドカップはわずか3頭という少数でレースが開催されたという話も残っている。

その後フランスのドーヴィル大賞典にも勝利し、ドイツでも圧勝、4歳を15戦15勝で終える。

5歳になっても活躍を続け、時には76kgを越える斤量を背負っても楽勝し、結局生涯54戦して54勝、無敗のまま現役を終えた。

キンツェムについてはその強さもさることながら丈夫さも異常で、連戦に次ぐ連戦、輸送に次ぐ輸送の中でも体調を崩すことなく全てのレースを終え、そして勝った。

その強さは欧州全体に轟き、ハプスブルク家総帥であるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフもキンツェムの活躍を楽しみにしていたという。

実際にそのレースを見た訳ではないが、なぜだろう、キンツェムが負けるところは想像すらできない。ありとあらゆることを超越してしまった名馬である。

ハンガリーが生み出した最高の至宝キンツェムは、間違いなく史上最強馬の一角であろう。

生涯成績:54戦54勝 勝率100% ドーヴィル大賞、バーデン大賞など

8位:エクリプス(1764年)

f:id:myworldhistoryblog:20190801185531j:plain

父:マークス 母:カンピレッタ

全ての競走馬は直系を辿ればたった三頭の馬にたどり着くことが知られているが、現在全ての競走馬の直系をたどるとその95%はこのエクリプスにたどり着く。

競走馬の祖ダーレーアラビアンの5代子孫であり、エクリプスの存在がなければダーレーアラビアンの血がここまで広がることもなかったであろう。

「Eclipse first, the rest nowhere.」という唯一抜きんでた存在という諺の語源にもなっており、種牡馬としてはもちろん競走馬としても抜きんでていた。

とは18世紀の時代にはエプソムダービーすらない時代で、マッチレースやヒートレースと呼ばれる長距離を何度も走らせる競争が主たるもので、エクリプスはそこで無類の強さを誇り、生涯18戦して18勝したという。同時代のゴールドファインダーも13戦して13勝したという記録が残っているが、両者の対戦は実現できていない。

それが故にこの記事でエクリプスをどう扱うか非常に迷っている。エクリプスが18世紀における最強馬であることは疑いようもなく、世界史上最強馬の候補であることもまた間違いない。

だがその強さの位置づけをどこにしようかは非常に悩んだ。そして結果こうなった。あまりにも強すぎてレースが組めなかった上に、ようやくレースが組めても全て勝ってしまうために賭けがなりたたなかったと言われるその強さは本物で、この順位は妥当なところではないかと思う。

その存在はあまりにも偉大で、キングジョージができるまでのイギリスのグランプリレースはエクリプスSであったし、エクリプス賞はアメリカの年度代表表彰の名称となっているほどである。

エクリプスがいなければ今日のホースレースは成り立っていなかった、そういっても過言ではない存在であろう。

生涯成績:18戦18勝 勝率100%

7位:ダンシングブレーブ(1983年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801232501j:plain

父:リファール 母:Navajo Princess

80年代最強馬、あるいは歴代最強馬と名高い。

2歳時にはデビュー2戦を難なく勝利し、3歳になると前哨戦、イギリス2000ギニーを2着に3馬身差つけて楽勝した。

続く英国ダービーにおいては圧倒的な一番人気になるも残り2ハロンの段階で先頭と12馬身差にまで差が開いてしまう。しかしダンシングブレーブは持ち前の末脚でこれを最終的に1/2馬身差まで縮めてシャーラスタニの2着に入った。

ダービーにおいてレースには負けたが負けてなお強しとの評価を得たダンシングブレーブは次に古馬混合のG1レースエクリプスSに臨むと4馬身差で圧勝、続くキングジョージでは英国ダービーに続いてアイルランドダービーを大差で勝利したシャーラスタニを降し雪辱を果たす。

この時点でダンシングブレーブは史上最強馬の評判を得ていたが、同馬の評価を決定づけたのが続く凱旋門賞であった。

前哨戦ともいえるセレクトSを大差でレコード勝ちしたダンシングブレーブはG1ウィナーが11頭も出そろった史上最強のメンバーとも言われる凱旋門賞に出場した。

レースは終始スローペースで、追い込み馬であるダンシングブレーブには著しく不利なレース展開であったが、ラスト1ハロンを10秒8という驚異的な速さで追い込み、最終的にはレースレコードで勝利。ディープインパクトがまるで伸びなかったロンシャンで、これほど驚異的な伸びを見せたのはダンシングブレーブが最初で恐らくは最後であろう。

最終レースとなったブリーダースカップターフは4着に終わってしまうも凱旋門賞での勝利がかすむものではなく、現在でも史上最強馬であるとの呼び声は高い。

ちなみにニジンスキーの凱旋門賞同様ダンシングブレーブのBCターフの敗因についても議論の尽きないところであるが、ダートが目に入ったという説が強い。当時のBCターフはダートコースを横切る必要があったようで、その時にダートが目に入ってしまったのではないかという説である。実はルドルフもダートコースに入った瞬間に故障したと言われており、この辺りから欧州馬がアメリカのレースを避ける傾向が一時期強まっていくことになる。他にも猛暑のために脱水症状に陥っていたとする説や長距離遠征による弊害説も強い。

ニジンスキー同様、ダンシングブレーブもまた負けてもなお強い馬なのである。

10戦8勝 勝率80% キングジョージ、凱旋門賞など

6位:グラディアトゥール(1862年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190802170448j:plain

父:Monarque 母:Miss Gladiator

19世紀最強馬。

フランス生まれの競走馬で、フランス史上最強候補の一頭でもあり、凱旋門賞の行われるロンシャン競馬場には像がたっており、グラディアトゥール賞というレースまで存在している。

出生直後に母親が足を踏んでしまうというアクシデントに見舞われ、そのことで障害が残ってしまい、そのことも要因となってデビュー戦こそ勝利したものの続く条件戦で2連敗を喫してしまう。

この時期のグラディアトゥールは調整がうまく行っておらず、激しい咳が止まらず情事ハ行のような状態であったという。

3歳になると調子が上向き、休み明けで2000ギニーに挑戦して勝利、これはフランス馬が初めてイギリスのクラシックレースを制した歴史的な瞬間でもあった。フランス競馬はイギリス競馬を輸入した形なので、本場のクラシックに勝つというのはまさに悲願であり非常に大きなことであったのだ。

続くイギリスダービーにも勝利するとフランスは歓喜に包まれ、新聞の見出しは「ワーテルロー(フランスのナポレオンがイギリスのウェリントンに負けた戦い)の報復」と題されその勝利はフランス全土に広まり、各地で宴が何日も続く状態であったという。

グラディアトゥールはそのまま一度フランスに帰国し、ロンシャン競馬場でフランスのグランプリレースパリ大賞典に参加、母国の英雄を見ようとこの日ロンシャン競馬場には15万人の人が駆け付けたという。グラディアトゥールはここで2位に8馬身差の圧勝を見せつけイギリスに戻るとドローイングルームSを40馬身差という圧倒的な差で勝利し、三冠最後のレースであるセントレジャーSに臨むことになった。

しかし大一番の直前八行になってしまい、実質三本の足で走ったと言われながらもセントレジャーを3馬身差で勝利、フランス馬としては初、歴史的にみても史上2頭目のイギリス三冠馬となった。

その後もグラディアトゥールは連勝し、唯一62kgを背負って戦ったハンディキャップ戦以外は勝利を重ね、中には40馬身差以上をつけて大勝利したこともあったという。

最後に勝ったのはアンペルール大賞典というレースであったが、このレースが引退レースであったことから同馬にちなんで以降グラディアトゥール賞に改めたという。

19戦16勝 イギリス三冠、パリ大賞典など

5位:シーバード(1962年生)

f:id:myworldhistoryblog:20190801180015j:plain

父:Dan Cupid 母:Sicalade

史上最強の凱旋門賞優勝馬との呼び声も高いフランス史上最強馬。

フランスで生まれたシーバードは、当初全く期待されていない馬であった。母親であるSicaladeはシーバードが走り出す前に食肉に変えられ、デビュー当初も同厩舎のグレイドーンの方が期待されており、実際に2頭が対決したグランクリテリウムではグレイドーンが先着している。

もっとも、同レースでは両馬の主戦騎手であったパット・グレノンがグレイドーンを選んだことやシーバード側の大幅な出遅れなどがあったことは考慮すべきかも知れない。あるいは意図的にグレイドーンを優勝させる意図があったのではないかとさえ言われている。

ただ、このレースでもって陣営のシーバードを見る目が変わった。後の歴史から見ればシーバードに先着したグレイドーンはどれだけ強かったんだという視点になるが、当時ではグレイドーン相手に善戦し、さらに大幅な出遅れから2着にまで追い込んだ末脚が評価された形となる。

3歳になったシーバードはグレヒュール賞に勝利すると続くリュパン賞において2着に6馬身差をつける圧勝、この時2着だったダイアトムはアメリカの大レースワシントンDCSに勝利することになる訳だが、それは別として陣営はシーバードを英国ダービーに参戦させることを決めた。

「ダービーを出走するような一流馬を、まるで乗馬クラブの去勢馬のようにあしらった」

イギリス誌にそう書かれたように、シーバードは圧倒的な強さでイギリスのダービーを征した。

その後はフランスに帰り古馬との戦いとなるサンクルー大賞に勝利、続く世紀の対決凱旋門賞に臨んだ。

この時の凱旋門賞は過去最高レベルとの評判が高く、各国のダービー馬が4頭、アメリカのトムロルフ、フランスのクラシックホースであるルリアンス、ソヴィエト史上最強馬と言われるアニリンなどそうそうたるメンバーがそろう中、ふたを開けてみればシーバードが6馬身差で圧勝していた。

シーバードはこれにて引退するが、あまりの勝ちっぷりに世界史上最強馬という評価を得る。

2019年現在まで、幾頭もの日本最強馬が挑んでも優勝できていない凱旋門賞を、ここまで圧倒的に勝った実績、それも過去最高レベルのレースであったのだから史上最強馬という評価も妥当なものである。

勝ち方で見るなら最強馬はシーバードであろう。

生涯成績:8戦7勝 勝率88% 英国ダービー、凱旋門賞

4位:フランケル(2008年生まれ)

f:id:myworldhistoryblog:20190801135349j:plain

父:ガリレオ 母:カインド

フランケルはデビュー戦からものが違った。後にキングジョージを勝つことになるナサニエルとの戦いを半馬身差で勝利すると続く条件戦では2位に13馬身差をつけて圧勝。

3戦目となるロイヤルロッジステークスでは後にアイルランドダービーとセクレタリアトSを制することになるトレジャービーチに11馬身差(2位には10馬身差)をつけて完勝。

4戦目は初のG1デューハーストSに臨み2馬身半差で優勝。

その後は5戦目も難なく勝利し、6戦目の2000ギニーを6馬身差で圧勝。その後は英国ダービーへの出走が期待されたが距離適性の問題からフランケルの次走はマイル戦であるデューハーストSに決められた。

7戦目では勝ったにも関わらず仕掛けが速すぎたという理由で騎手が避難を受けてしまうという珍事が起こる。

フランケルの評価が決定的となるのは次のサセックスSで、G1レース13勝馬の古馬ゴルティコバを降した名馬ギャンフォードクリフスとの対決となり、この二頭を他の馬の陣営が恐れたためにG1レースであるにも関わらず出走がわずか4頭という有様で、終わってみれば結局フランケルが5馬身差の圧勝。

その後もフランケルの勢いを止められる馬は登場せず、続くG1レースを4馬身から11馬身という圧倒的な差で勝利を積み上げていき、アスコット競馬場で行われたチャンピオンSを1と半馬身差で勝利して競走馬人生を終えた。

 最後の2レースは2000mのレースであったが、基本的にはマイラーであり、世界史上最強のマイラーであると言えるだろう。

フランケルの場合はデビュー戦から敵が強かったにも関わらずただの一度も負けておらず、勝つときは大体圧勝で、誰もこの馬を止められなかった点に圧倒的な強さを感じる。

まさに世界最強馬の一角である。

生涯成績:14戦14勝 勝率100% G1レース10勝 5馬身以上で勝ったG1レース6つ

3位:オーモンド(1883年生まれ)

f:id:myworldhistoryblog:20190801144523j:plain

父:ベンドア 母:リリーアグネス

イギリス史上最強馬、あるいはオールタイム最強馬であるとさえ言われる。

無敗でイギリス三冠を達成した後もチャンピオンステークスなどのグランプリレースに勝利。

生まれつき喘鳴症を患っており、常にハンディキャップを以てレースに臨んでいたが、症状そのものは段々と悪化していったという。それでもオーモンドは誰にも負けずに勝利を重ねていった。

特に有名なのがアスコットで行われたルースメモリアルSで、オーモンドはこのレース25ポンド(約11Kg)も重い斤量を背負ってなお2位に6馬身差をつけて圧勝した。それを見た観衆は皆涙し、拍手は半時間ほど鳴りやむことはなかったという。

オーモンド自体には生まれつきの病の他に2つの悲劇が待っており、1つは1886年に主戦騎手フレッド・アーチャーが拳銃で自殺したこと、もう1つは喘鳴症が遺伝することを恐れたイギリスから事実上追放されてしまったことである。

オーモンドは現役引退後アルゼンチンに輸出され、後にアメリカに渡る。その中からエクリプスSを連破した代表産駒オームが誕生し、その子供フライングフォックスは祖父同様イギリスの三冠馬となった。

最後は喘鳴症の悪化でこの世を去ったが、その遺体はアメリカからロンドンの自然史博物館に移されることになる。

オーモンドは死してようやく故郷イギリスに帰れたのであった。

あらゆる困難を乗り越えてそれでも勝利する様は、時空を超えて我々に感動をもたらしてくれる。まさに名馬中の名馬であろう。

生涯成績:16戦16勝 勝率100% イギリス三冠、チャンピオンSなど

2位:マンノウォー(1917年生まれ)

f:id:myworldhistoryblog:20190801172006j:plain

父:フェアプレイ 母:Mahubah

ブラッドホース誌が行ったアメリカ人が選ぶ「20世紀アメリカの名馬」投票で堂々の第1位。史上最強馬候補の一頭である。

第1次世界大戦中に生まれ生産者が戦争に出たことからその婦人より「My Man O' War(戦争にいる我が夫)」と名付けられたのだが、どういう訳か登録の際の手違いで「Man O' War」となってしまったという。

ただ、現役中その名で呼ばれることはほとんどなく、栗毛であったことからついた愛称「Big Red」の名で呼ばれていた。後にセクレタリアトもこの名で呼ばれるようになるが、それはウォーニングにちなんでそう呼ばれた面もある。

マンノウォーが生きた時代はあらゆる面で競走馬にとって困難な時代であった。1920年にアメリカで禁酒法が制定されてアルカポネを始めとしたマフィアを台頭させることになったのは有名な話であるが、それ以前の1908年にもハート・アグニュー法が制定され、賭博などが禁止になってしまい(1913年には撤廃)、そのあおりを受けてアメリカの競走馬文化は下火となり多大なるダメージを受けてしまう。そしてさらには世界大戦である。まさに世界に暗い帳が落ちていた時代であった。

そんな中で登場したマンノウォーはデビューより無傷の6連勝を飾り、一躍有名になる。7戦目ではスタートで出遅れをしてしまい、騎乗ミスなどもあって2着となってしまうが、その後は3連勝。シーズンを10戦9勝という好成績で終える。生涯においてマンノウォーが負けたのはこのレースだけである。

1920年、戦争が終わり禁酒法が制定されるこの年、アメリカのクラシックレースであるプリークネスSに勝利するともう一つのクラシックレースであるベルモントSにも出走、ドンコナーという馬との一騎打ちになったが、終わってみれば20馬身差をつけてレコードタイムで勝利、アメリカの二冠馬となる訳だが、なぜこの際にケンタッキーダービーに出場しなかったのかは現在でも謎のままとされる。

もっとも、「アメリカ三冠」という概念がマンノウォーよりも後の概念であるので、今日的な価値観を当てはめるのは少し違うのかも知れないともよく言われていて、この時代の三冠レースはウィザースステークス・ベルモントステークス・ローレンスリアライゼーションステークスの3つであったという説もあり、それにのっとればその全てにsぃ溶離したウォーニングは三冠馬であるとも言える。どちらにしてもマンノウォーが規格外に強いことには変わりがないであろう。

その後のマンノウォーは8戦して8勝し、うち6レースをレコード勝ち、マッチレースとなったローレンスリアライゼーションステークスでは100馬身差という圧倒的な差で勝利をおさめることになった。

ラストランはアメリカ史上初の三冠馬と言われるサーバートンとのマッチレースとなるも、結果は7馬身の差をつけて圧勝。その現役生活を終えた。

サーバトンはエクスターミネーター(アメリカ人が選ぶ20世紀の名馬ランキング29位に入る。なおサーバトンは49位)というかなり強い馬に勝利した後でのことであり、サーバトン自体がアメリカ三冠馬の中でも上位であると考えられているので、マンノウォーが如何に強いかがよくわかる話である。

そのあまりの強さからマンノウォーの名はアメリカの殿堂に刻まれ、その功績を称えてアメリカ合衆国ではマンノウォーステークスが毎年開催されており、先述したように20世紀アメリカの名馬投票ではセクレタリアトを抑えて堂々の1位となっている。

アメリカ史上最強馬であり、世界最強馬候補の一頭である。

21戦20勝 勝率95% プークネスSやベルモントSなど

1位:リボー(1952年生まれ)

f:id:myworldhistoryblog:20190730233234j:plain

父:テネラニ 母:Romanella

どの方面、どの角度から考えても世界史上最強馬はこの馬しか考えられない。

ネアルコの生産者としても知られる天才馬産家フェデリコ・テシオが遺した最後の産駒で、その父母三代前まで全てフェデリコ・テシオの生産馬というまさにテシオの人生の結晶とも言える一頭であった。

幼駒の頃はあまりにも小さかったことから「イル・ピッコロ(ちびっこ)」というあだ名がつけられており、あまり期待されてなかったことからクラシック登録さえされていない状態であったという。

しかしリボーがデビューするや連戦連勝、3戦目で2歳限定のG1レース(現在はG2)イタリアグランクリテリウムに勝利するも3歳時にはクラシック登録をしていなかったことが響きクラシック競争には出られず、その代わりテシオの悲願であったフランスの凱旋門賞に登録、そのステップレースとして臨んだベサナ賞ではイタリアのセントレジャーSを優勝したデレインという馬に10馬身差の圧勝。続く凱旋門賞でも2位に3馬身差をつけて快勝するのであった。

イタリアに帰ったリボーはイタリアのG1レースジョッキクラブ大賞で前年の優勝馬に15馬身差の圧勝、翌年も快進撃は止まらず、グィリオヴェニノ賞を4馬身、2戦目のヴィチュオーネ賞を12馬身、3戦目のガルバニャーテ賞を8馬身、イタリア最大のレースミラノ大賞典を8馬身と圧勝に次ぐ圧勝劇を繰り広げた。

しかしイタリアは必ずしもレベルが高い国とは言えず、ホースレースの本場ともいえるイギリスの人々はリボーを必ずしも評価していなかった。そのためリボー陣営はイギリス最高峰のレースキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSへの挑戦を決める。

かくして挑戦したキングジョージを5馬身差で圧勝すると流石のイギリス人もリボーを認めざるを得なかったという。

そして最後のレースとなった凱旋門賞では、各国のグランプリホース7頭が集う非常にハイレベルな競争となったが、リボーは最後まで鞭をいれることなく6馬身差で圧勝。格の違いを見せた。

実はリボーがデビューする直前にフェデリコ・テシオは亡くなってしまい、彼がその活躍をみることはなかった。テシオは生前自己の最高傑作はカヴェリエ・タルビーノであると語っていたが、リボーの活躍を見て何と言ったであろう?

今頃は天国でテシオとリボーは仲良く暮らしているのだろうか。

リボーは競走馬としてはもちろん種牡馬としても大活躍しており、リボーの直系の孫のアレッジドが凱旋門賞連覇を成し遂げている。実は19世紀のセントサイモンと言われるほど繁栄したセントサイモン系の種牡馬はほぼ絶滅しており、リボーの存在によってセントサイモンの直系は奇跡的に復活を遂げるのであった。

 生涯成績:16戦16勝 勝率100% 凱旋門賞二連覇、キングジョージなど

 まさに世界史上最強馬である。

ランキングを終えて

正直疲れた(笑)。

おおよそ300年に及ぶ競走馬の歴史において、このような形でベスト100を並べたような企画など恐らくほとんどはなかったであろうし、やろうと思った人もあまりいなかったのではないだろうかと思う。

なにせかなり無茶な企画だった。

AとBのどちらが強いかだけでも難しいのに、そこにCもDも加わるのだから。ホースレースと言っても芝とダートでも全然違う。シガーのように芝では全然ダメだったのにダートでは超一流の馬もいるし、芝に強い馬とダートに強い馬を並べるというのはそもそも論おかしな話で、さらに距離も1200mで強い馬もいれば3200mで本領を発揮する馬もいる。

それなのに「最強」を決めようというのだからかなり無茶な企画だ。

でも無茶だからこそやる意味があったと思う。自分で作っておいて難だが、出来上がったランキングにはそこまでの違和感はないのではないかと思う。

勿論人によって異論は沢山あるだろう。

例えばシーバードとダンシングブレーブのどちらが強いか論争だけを考えても恐らく結論ができる問題ではない。両馬は決して対戦することは出来ない。

他の記事でもよく「ランキングの根拠を示せ」と言われるのだが、最終的には「主観」としか言いようがない。

100%の主観はまずいが、主観の入らないランキングなど存在しない。

冒頭でも述べたように、始めは本当に客観的に点数を決めていく方式を取ろうと思っていた。

具体的には「勝率+勝ち数+G1レース1勝につき3点」みたいな感じだ。しかしすぐにやめた。それはただの数字であって本当に強い馬のランキングではないと気づいたからだ。

この式に当てはめると例えばダリアやジェネラスはランクインしないことになる。この2頭がランクインしない最強馬ランキングなんて意味があるかい?

現在世界のホースレースには「レーティングシステム」が導入されているし、アメリカでは昔から「ハンディキャップ」を数値化していた。

参考までにそのレーティングシステムによる2019年の格付けを見ると以下のようになっている。

1位:フランケル
2位:ダンシングブレーブ
3位:パントルセレブル
4位:ジェネラス
5位:シーザスターズ
6位:シャーガー
7位:シガー
8位:ディラミ
9位:エルグランセニョール
10位:ハーヴィンジャー

なんでシガーが入っているのにセクレタリアトが入ってないんだとかシーバードが入っていないのは明らかにおかしいとか個人的には思ってしまうのだが、そういうものだろう。

文中にも書いたが、完璧なランキングなど存在しないのだ。完璧な絶望がないようにね。

だから俺が思う最強馬ランキングはこれだ。自信をもってこの結果を公表する。