ローマを代表する政治家!閥族派代表ルキニウス・コルネリウス・スッラの壮絶な人生と分かれる評価について

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ルキウス・コルネウス・スッラの評価は古来より論争の的となってきた。

ある人は共和政の破壊者だと言い、ある人は共和政の権化であるという。

ある人は民主的だと言い、ある人は民主主義の否定者だとも言う。

一体スッラの実像はどこにあるのだろうか?

今回はそんなスッラについて見て行きたいと思う。

 名門コルネリウス一族に生まれる

平民出身のマリウスと違ってスッラは名門貴族コルネリウス一族に生まれている。

コルネリウス一族は多数のコンスルを輩出した一族で、ローマの英雄スキピオなどもコルネリウス一族の出身だ。

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とは言えスッラの家族はコルネリウス一族の中でも主流とは言い難く、没落した貴族と言う見方さえされていたという。事実スッラの家族は持ち家さえなく賃貸住まいであり、スッラ自身は愛人のヒモのような暮らしをしていた時期もあるという。良くも悪くも魅力的な人物であったのかも知れない。スッラは後年、多くの味方とそして多くの敵を得ることになる。

とはいえそこは名門のコルネリウス家、スッラは紀元前107年にクアエストル(財務官)に当選することでローマの出世コースに乗る。

その後は軍事の才をマリウスに認められ、ユグルタ戦争においては副官に任命されている。

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ユグルタを捕えられたのはスッラがヌミディアの隣国マウリタニアの王ボックスに接近し一計を講じたからであったが、マリウスは全てを自分の手柄にしてしまう。

ユグルタはボックスを信用しており、ボックスとの会談の際には油断していて、そのすきをついてユグルタはローマに捕えられた訳であるから、明らかにスッラの手柄ではあった。

この件をきっかけにマリウスとスッラは仲が悪くなる。

マリウスからすればユグルタ戦争を終結できたのはスッラのおかげであるし、スッラから見れば自分を評価し出世のきっかけを作ってくれたのはマリウスであるので、互いに恩義を感じてもよさそうであるが、互いに嫉妬深い性格で、生来の折り合いが悪かったのであろう。

特にマリウスは貴族へのコンプレックスがすさまじく、前任の司令官メッテルスとも揉めている。

平民派(ポピュラレス)と閥族派(オプティムス)

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 マリウスは平民出身ということもあり、その周りの人物を含めて平民派と言われる派閥を形成していた。マリウスの軍事的な才能は圧倒的で、北方より侵攻してきた10万を超えるゲルマン民族を3分の1以下の兵数で壊滅にまで追いやっている(キンブリ・テウトニ戦争)。

この圧倒的な戦功によりコンスルには前代未聞の7回当選を果たす訳であるが、一方の元老院議員を中心とした閥族派という貴族中心の派閥も形成されており、平民派との対立を深めていた。

閥族派は残念ながら軍事的には優れているとは言い難く、連戦連勝のマリウスに比べて書く司令官は度々ゲルマン民族などに敗北している。このことが両派閥の対立を一層深くしてしまったのかも知れない。

伝統的なローマの文化ではコンスルは一度なったらよほどのことがない限り再選はできないようになっていて、そういった面では伝統を重視する元老院との仲は良くなかったであろう。

マリウスとスッラの関係はこういった派閥同士の対立も含まれていたが、マリウスはスッラの軍事的才能を誰よりも買っていた節があり、キンブリ・テウトニ戦争においても副官に任命している。

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人間とは共通の敵がいるうちは仲良くなるが、敵がいなくなった途端に同士討ちを始める生物である。

ゲルマン人の侵攻を跳ね除けた跡はマリウスとスッラの仲は悪化する一方であり、それは平民と元老院の仲の悪化ともいえる事態になっていった。

そうなるとどちらにも組していないエクイテス階級の動向が重要になる。

騎士階級ともいわれるこれらの階級は、徴税などを請け負うことで財を成してきた。士農工商で言うと武士ではなく商人に近い。

両者は巧みに自分の味方を増やしながら、ローマ全体を2分していったのであった。

マリウスとの武力衝突

 2人にとって、いやローマにとって転機だったのが200年以上も同盟関係を維持してきた同盟市の戦争であった。

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 ローマの腐敗ここに極まれりと言った感じの戦争であったが、スッラはこの戦争で見事な活躍をおさめ、ローマ市民たちの支持を獲得していく。

対してマリウスは60過ぎと言う高齢もあり、この戦争では大きな活躍はしていない。それどころか腹心とも言ってよいサトゥルニヌスがマリウスの威光をかさに好き放題始めたため、元老院から敵視されてしまい最終勧告までだされる始末。マリウスは自らサトゥルニヌスを討伐し、自らは引退に近い形となった。

同盟市戦争自体はルキウス・ユリウスの出した「ユリウス市民権法」の制定により解決を見たが、時を同じくして地中海の覇権を狙う小アジアのポントス王ミトリダテスが反ローマの動きを見せる。

元老院はスッラの派遣を決めた訳だが、マリウスはそのすきを狙ってスルピキウスという人物を通じて元老院へのクーデターを敢行する。

まさに欲深き老人。

のちにノーベル賞作家となるローマ史家テオドール・モムゼンは、マリウスをこう評している。

「マリウスにおいては、政治的教養の欠如は致命的であった」

果たしてそうだろうか?

スルキピウスは元老院にスルキピウス法案を提出。内容はマリウスの復権とスッラの失脚だった。

元老院はこれを承認せざるを得なくなり、スッラはローマの敵とされてしまう。

が、スッラはすぐに踵を返しローマに向けて進軍し始めた。

ローマの700年近い歴史において、ローマ本国に軍を進めた司令官はスッラが初めてであった。

マリウスは完全に隙を突かれた形になり国外へ逃亡、法案を提出したスルキピウスはそのまま帰らぬ人となった。

スッラは執政官キンナに後事を託してミトリダテスとの闘いに赴いたが、何を血迷ったかこのキンナはマリウス側に寝返ってしまう。

キンナの野望は同僚執政官オクタウィウスによって阻止されたが、北アフリカに潜伏中のマリウスはこれを聞きつけてキンナと合流、今度はマリウスがローマに向けて進軍を開始した。

マリウスの大虐殺と国家の敵

老害というのは恐ろしい。ローマに進軍したマリウスを止める者は誰もいなかった。

マリウスは敵対する閥族派の元老院議員たちを虐殺した。あるいは閥族派に組したエクイテス達も虐殺した。それどころか自分に味方しなかった平民派の人間たちさえ虐殺した。

ただの虐殺王である。

後に活躍するポンペイウスの父親も殺された、クラッススの父も、カエサルの叔父も、多くの人々がマリウスの手によって粛正された。

そしてその直後、マリウスは病死した。

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跡を継いだキンナには能力も人気もなかった。

彼がしたことと言えば娘をユリウス・カエサルに嫁がせたこととスキルピヌス法を復活させてスッラを国家の敵としたことぐらいであろう。

それでもスッラがミトリダテスとの闘いをしている最中は平民派代表として3年連続でコンスルに就任しているが。

ポントス王ミトリダテスとの戦争

スッラは本国の様子は知っていたが、あえて無視してミトリダテスとの闘いに臨んだ。

スッラというのはつかめない男である。

スッラが単に権力だけを欲するマリウスのような人物であったなら、このままローマに進軍し再び政権を握ることが可能であっただろう。

スッラはそれをしなかった。

スッラが優先したのは共和政ローマの敵の征伐であった。

スッラは圧倒的な勢いでポントス王を圧倒した。

スッラが率いていた兵は30000ほどで補給もままならない状態、ミトリダテスの兵力は総勢で300000ほどともいわれていた。

更には平民派が政権を握ったローマ元老院からはフラックス率いるローマ軍が進駐してきていた。

 それほどの事態になってもスッラは冷静だった。

スッラはアテネに本拠地を置き、闘いの準備を整えるとミトリダテスとの会戦を行った。

兵力的に圧倒的な不利な状態であったにも関わらず、スッラは圧勝した。

 ポントス側の被害が10万を超えたのに対し、スッラ側の被害はたったの12名だったという。本当かよと思ってしまうが、スッラがほとんど消耗なくミトリダテスに勝利をしたのは本当であった。

スッラはハンニバルやスキピオの行ったことをそのままギリシャでやったと言われている。

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突撃してくるギリシャ戦車をいなし、騎兵によって包囲して殲滅する。やはりハンニバルがローマを強くした。

ハンニバルを破ったスキピオとスッラが同じコルネリウス一族であるというのもまた興味深い。

ミトリダテスは再び兵力を送り、かつてアレクサンダー大王がアテネを破ったカイロネイヤの戦いでローマとの決戦に臨んだが、今度はアテネに陣を置くスッラの勝利に終わった。ギリシャ側は、アレクサンダー大王の時期から戦術的に成長していなかったのである。数々の戦いに勝利し、そして戦術を吸収してきたローマ軍の敵ではなかった。

スッラは即座にミトリダテス王と講和条約を結んだ。

そして次にローマの正規軍との闘いが待っていた。

このローマの正規軍が驚くほど弱かった。

スッラの強さを差し引いてもどうしようもなかった。

指揮官であったフラックスは副官のフィンブロスとのいさかいの結果勝手に同士討ちを始めて死んだ。

フィンブロスはもはやスッラの敵ではなかった。

ローマ兵もスッラを敵に回す気は全くなく、誰もがフィンブロスを見放してスッラについたという。

フィンブロスは勝手に死んだ。

その後スッラがイタリアに上陸するのには数年を要した。スッラは知っていた、急いてはことを仕損じると。

スッラは周到に準備をし、イタリア上陸の時を待った。

そうしている間に、ローマ執政官のキンナは死んだ。

時は来たのであった。

ローマ進軍

イタリアに上陸したスッラのもとに次々と味方がはせ参じた。

まずメッテルス・ピウスが合流した、次にポンペイウスも合流した、クラッススも合流した、その他の有力な将軍たちもスッラに合流した。まさにローマオールスターである。

それでも戦闘は熾烈を極めた。

平民派は必至だった。スッラが戻れば自分たちの命はないからである。

ローマを2分する戦いに勝利したのはだが、スッラだった。

18歳になるユリウス・カエサルは国外に逃亡した。

スッラによって平民派の元老院議員は根絶やしにされた。平民派に味方をしていたサムニウム族は競技場で集められ、処刑された。

その断末魔はローマ中に響き渡った。

その声を聴いて青ざめるローマ市民に向かってスッラは顔色一つ変えずに言い放った。

「正統な罰を受けている者超えに、耳を傾ける必要はない」

マリウスの墓は暴かれ、彼を称えるあらゆる記念物は破壊された。マリウスの血族は例外なく虐殺された。

スッラは追撃の手を緩めることはしなかった。マリウスに味方をした者のリストを作り、公表し、懸賞金をかけさせた。

彼らには裁判を受ける権利さえ認められなかった。

彼らは子々孫々までローマの要職につける権利をはく奪された。

リストに連なる人名は5000人にも上ったという。

これらの人物から没収された財産は競売にかけられ、スッラ派の連中に安く買いたたかれた。

これを最も多く買った人物こそがのちの3頭政治の1柱となるクラッススである。

スッラの追及は執拗だったが、ローマの人々はある1人の人物をリストから抹消して欲しいと願った。

スッラは拒否し続けたが、最後には折れた。

スッラは知っていた。その人物の非凡なる才能と人気を。

その人物を敵に回せば今度は自らが滅ぼされることを。

男の名はユリウス・カエサル。

後にその名はローマの皇帝となり、ドイツやロシアの皇帝の名となり、英語の皇帝ともなる。

スッラは嘆願者を前に言った。

「君たちにはわからないのかね?あの男の中に100人のマリウスがいることを?」

終身独裁官と辞任

スッラはディクタトル(独裁官)となり、グラックス兄弟以上の改革を進めた。

元老院の定員数を300人から600人に増やし、コンスルやプラエトルと言った重要要職の数も倍増させた。

コンスル経験者やプエラトル経験者を属州の総督として派遣することも決めた。

元老院にヴァレリウス法という法律が提出された。内容はスッラを終身独裁官とするというものだった。

もはや誰もスッラには逆らえなかった。通常ディクタトルは人気半年だったが、ローマ史上初の終身独裁官が誕生した訳である。

スッラは福祉対策や公共事業政策および失業対策、司法や行政に関して様々な改革を行い、そして改革がなったのを見て終身独裁官を辞任した。

政界引退後のスッラは毎日遊んで暮らしたという。

その日々は長くは続かず、スッラは60歳でこの世を去った。

その葬儀は国葬をもって行われ、過去の誰よりも華やかな葬儀であったという。

スッラの墓碑には以下のような言葉が刻まれていたという。

「味方にとってはスッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」

これ以上にスッラをよく表した言葉もないであろう。

個人的なスッラの評価

政治家としても軍略家としてもローマ全体で5本の指に入るだろう。

世界史の教科書ではあまり扱われない部分であるが、グラックス兄弟には触れてスッラにはあまり触れていないのは誤りとさえ思っている。

とはいえ手放しに評価できる部分だけではない。

平民派への弾圧がその評価をどうしても落としてしまう。

敵対した人間たちをいつのまにか味方にしてしまうような気質こそがローマ人の長所でありアイデンティティであったはずだ。

それがポエニ戦争以来なくなってしまった。

そのことがローマに混迷をもたらした。

スッラもまた混迷をもたらした人物の1人だと言えるだろう。

それでも限られた状態で行政や軍制を改革し、成果を上げた部分はもっと評価されても良い部分である。

戦闘にはめっぽう強かったスッラだが、自身の改革で軍制と政務を分離するシビリアンコントロールを取り入れているのは興味深い。

この上もなく優秀ではあったが英雄ではない。

これが個人的なスッラの評価である。

英雄とは、光を与えられる人物のことだろう。

スッラは優秀だったが、そこまでは至っていなかった。

それがユリウス・カエサルとの違いだと思う。

 

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