暴君やアホ君主も多いが名君も多いのがローマという国の特徴なのだが、その中でも最高の名君とは一体誰だろう?という場合に必ずと言っていいほど名前があがるのがトラヤヌスだ。
正式な名前はマルクス・ウルピウス・ネルウァ・トライヤヌス・アウグストゥスというギャグみたいなこの5賢帝2人目の皇帝について見て行こう!
軍部・元老院・ローマ市民に歓迎された皇帝
帝政ローマには大きな4つの勢力があったと言える。
皇帝・軍部・元老院・ローマ市民。
これらの勢力は密接に関わりながらも時として意見を異にし時として元老院はその意にそぐわぬ皇帝を暗殺したりなんかした。
民主的な成り立ちの元老院と軍部は対立することが多く、先帝であるネルヴァなんかは元老院から支持されても軍部には支持されていなかったし、その前のドミティアヌス帝は軍部からは絶大な指示を得ていたものの元老院からは蛇蝎の如く嫌われついには記憶抹消刑というとんでもない刑に処されているぐらいだ。
そんな中、トラヤヌスはドミティアヌス帝の元で活躍しただけあって軍部からの絶大な指示を受けていた。
先帝であるネルヴァを軍部の代表である近衛軍団が捕えて後継者にトラヤヌスを据えるように脅迫したぐらいである。
トラヤヌスは今までのローマ皇帝の中でもいくつか異質な面のある皇帝だ。
オクタヴィアヌスからネルヴァまでのローマ皇帝は皆イタリア半島の出身だったが、トラヤヌスはローマ皇帝史上初めての属州出身の皇帝で。おそらくはスペインの出身であると言われている。
実はトラヤヌスについてはわかっていない部分が多い。トラヤヌスの先祖がどのような存在であったかは知られておらず、トラヤヌスの父親がローマ皇帝にもなったウェスパシアヌスのもとで活躍した軍人であることがわかっているぐらいだ。
トラヤヌス自身もその地位を引き継ぎドミティアヌス帝のもとで戦功を挙げたことぐらいしか皇帝になる前のことはわかっていない。
ただしドミティアヌス帝の支持母体であった軍部からの支持はすさまじく、また元老院やローマ市民からの信頼も厚かった。
その理由としては皇帝即位が決まったトラヤヌスがローマに初めて行った際の対応にあると言われている。
トラヤヌスは皇帝即位の時をダキア攻略に使っていた。ダキアというのは今日のルーマニアのあたりで即位が決まってからローマに行くまでに1年半ほどかかっているのだが、トラヤヌスはローマに入る際城門の前で馬から降りたのだという。
ローマ皇帝はオリエント的専制君主とは違う。その称号である「プリンケプス」はあくまで「ローマ第一の市民」でありローマ市民の代表なのだ。
徒歩でローマに入るということはそのことを理解しているという意味合いでもあった。彼は華美な宮殿を建てることもなかった。トラヤヌスはその生涯を通じて質素倹約に励み派手な生活をしなかったことでも知られる。市内を移動する際は輿は使わずに常に徒歩で移動していて、月2回開かれる元老院には必ず出席していたという。
同時代に元老院議員だったプリニウスはトラヤヌスのことをこう評している。
「用いる言葉に込められた真実味、強く毅然とした声音、威厳に満ちた顔、率直で誠実な眼の光」
また先帝ネルヴァ同様国家反逆罪を用いず元老院議員に対する殺さずの誓いをし、その治世において見事にそれを守った点も評価が高いポイントであろう。
ダキア制圧とローマ帝国最大版図
トラヤヌスは中々に冷酷さを持ち合わせた人物でもあり、容赦のない人物でもある。
先帝ネルヴァを監禁した近衛兵達をすぐさまに死罪にしたこともそうであるし、制圧したダキアの民衆を国外退去させ、捕えた捕虜は奴隷にし、あるいは闘技場で猛獣と戦わせた。
源平合戦において、平清盛は源氏のプリンスである頼朝を生かし、のちにその頼朝に平氏は滅ぼされたが、トラヤヌスにはそのような甘さはなかった。ローマの敵となりうる人物は即座に抹殺したのだ。
ローマと言えば侵略のイメージがあるが、帝政になってからは初代皇帝アウグストゥスの言いつけもあってあまり領土を拡大してはいない。積極的に膨張政策を採用したのはこのトラヤヌスの時代だ。
ダキアを制圧した後は東方のパルティアとの抗争を始める。その際にアルメニアやメソポタミアなどを征服することに成功し、ローマ帝国の最大版図を築くことに成功する。
イタリア半島を中心に北アフリカ、スペイン、イタリア、フランス、イングランド、トルコ、メソポタミアなど広汎にわたる大帝国を築いたトライアヌスだったが、パルティアを攻めている際に病死をしてしまう。
一説にはあまりの激務に倒れてしまったのではないかとも言われている。トラヤヌスは朝から晩まで働きどおしで、属州の長官から来る知らせにいちいち目を通していたという。
外征的なイメージの強いトラヤヌスだが公共事業を積極的に行い内政も重視していた。
元代でもトラヤヌス時代に作られたフォルムや柱、市場や浴場などが残されており、インフラの整備も行っていたようで、更には次代のローマを担う人材を育てるべく育英資金制度も充実させている。この制度の画期的なところは男子だけではなく女子もその対象になっており、さらに嫡出子だけではなく非嫡出子にもその権利が認められていたことである。これによって少子化を食い止める効果があったと言われている。
現代日本においては奨学金という名の教育ローンが横行し、あまつさえ少子化を推進しているのとは大違いと言える。
さらにはイタリア本国への投資を推進する法律を制定させるなどありがちな空洞化を防いだ点も大きく評価されるべき点であろう。
事実ローマ時代の末期はこの辺りが守られずローマが空洞化したことによってまた少子化によって滅んだと言われており、その点を熟知し先見の明を持っていたことは驚かざるを得ない。
個人的なトラヤヌス帝の評価
帝政ローマだけではなく、世界史全体を見渡してもトップクラスの名君と言うべきであろう。ヨーロッパ全体で名君を1人選ぶとするならば、個人的にはトラヤヌス帝を推したいぐらいである。
カエサルやポンペイウスが基礎を作り、アウグストゥスが耕したローマを見事に花咲かせたのがトラヤヌスというべきであろう。
ローマ長年の宿敵であり先人たちが大敗したパルティア相手に勝利を収めた軍事面、適切な公共事業と立法を軸とした内政、文句のつけようのない君主である。
もしも現代日本にこのような君主が誕生したら、きっと停滞した空気も吹き飛ぶに違いないが・・・