「アメリカ史上最も評価されなかった大統領」
これが従来のウォレン・ハーディングの評価であったが、その在職中に失業率が半減するなど実はかなりの功績のあることがわかり、近年では見直しがされている大統領でもある。
大統領になる前のウォレン・ハーディング
ウォレン・ハーディングもまた南北戦争後の共和党の歴代大統領同様オハイオ州で1865年に生まれた。
父は元々教師であったが、ある時雑誌社「アルゴス」の経営権を手に入れて以来経営者となった。ハーディングはオハイオ・セントラル大学にて新聞の出版と運営を学び、卒業後は「マリオン・デイリー・スター社」を買収、1899年にはオハイオ州議会議員、1903年にはオハイオ副州知事、1915年からはオハイオ州選出連邦議会議員とキャリアを重ねていき、1921年の大統領選に出馬、圧倒的な大差で当選することになる。
南北戦争後の共和党大統領全般に言えることだが、ハーディングはその中でも特に腐敗した選挙活動を行っており、バックには「オハイオギャング」と呼ばれる後援会が存在しており、このメンバーの中から閣僚を出しており、後にそれらのメンバーは汚職に逮捕されるに至る。
また、ハーディングは日ごろからポーカーなどの賭け事や女性遊びに熱中しており、妻の恨みを買っていた。
ハーディングの評価が低いのもこの辺りの事情によるところが大きいと言えるだろう。
第29代アメリカ合衆国大統領
ハーディングはまさに共和党の典型的な大統領と言って良い。
彼は大統領になると累進課税制度を弱め、富裕層への税制優遇を露わにした。これまた共和党の大統領らしく関税を引き上げ、とにかく富裕層への優遇を行った。その背後にはもちろん癒着があり、汚職があった。
外交面においては第一次世界大戦後の後処理の為にワシントン会議を開き、軍縮を名目に伸長しつつあった日本の海軍力の削減に成功した。さらにこれによって日英同盟は破棄され、マッキンリー以来の中国への門戸開放を行いアメリカによる太平洋の覇権を目指すことになる。
しかしそのような矢先自らの陣営の汚職が次々に発覚。
特に「ティーポッド・ドーム事件」はアメリカの歴史において「ウォーターゲート事件」に並ぶほどのスキャンダルとして知られている。
内容はアルバート・B・フォールが政府所有の油田を癒着企業に入札もなく格安の賃料でリースをしていたことであり、これにより現役の閣僚が逮捕し有罪、収監されるという前代未聞のスキャンダルとなった。
逮捕者はアルバートだけにとどまらず、在留外国人資産管理局長のトーマス・ミラーは収賄で有罪、司法長官の個人補佐官のジェス・スミスは証拠隠滅後自殺、退役軍人局局長のチャールズフォーブスは横領および多額のリベートを取りその資金で密造酒の販売や麻薬取引を行っており有罪、個人秘書が自殺する騒ぎとなった。
さらに1923年、アラスカへの遊説中に脳梗塞で死んだ。57歳だった。
ハーディングは生前から黒いうわさが絶えず、禁酒法の途中であったにも関わらずホワイトハウスで酒宴を行っていたという。そのようにある意味プライベートの面では最低な大統領ではあったが、日本の伸長を防ぎ、失業率がその治世下には減っている。
もっとも、この軍縮を始めとした日本への締め付けにより日本は行き詰まり、やがて国連の脱退および二次大戦時にドイツと組んで世界を混乱の渦に巻き込むことになったことも確かであり、失業率に関しては一時的には減ったもののハーディングの時代に富裕層を優遇しすぎて世界恐慌の原因を作ったこともまた確かであろう。
さらにKKKなどのレイシズム団体との関与も指摘されており、その治世下では南部で黒人に対する差別が強まっていったのも確かである。
そういった諸々の面を考えても、ウォレン・ハーディングはアメリカ史上最低の大統領の1人とするのが妥当であろう。