日本の少子化が止まらない。
そのことは学校の授業で誰もが習うのだが、ではどうしてそのようなことが起こるのか?
今日本で何が起きていて、これからどうなっていくのか?
この記事ではその辺りのことを見ていきたいと思う。
日本の少子化が現在どのような状況なのかを客観的に見ていきたい
まずは統計から日本の少子化を見ていきたいと思う。
総務省の調査によれば、日本の人口は2004年12月をピークに急激な人口を始めている。
画像引用元:総務省ホームページ
グラフを見るとよくわかるのだが、2004年までは一部の例外的時期を除いて日本の人口は増え続けている。
一部の例外的時期とは1788年に起こった天明の飢饉と20世紀前半に起きた第二次世界大戦の2回だけである。
戦国時代と言われる室町末期にさえ人口減少は起こっておらず、統計的に見ると現在は飢饉や大戦争の時よりも日本は危機的な状況にあると言えるだろう。
人類が経験した最も悲惨な戦争の1つであった第二次世界大戦(1939年から1945年)において、日本はイタリアやドイツが降伏した後も戦い、約250万人から300万人、全人口比で言えば4%前後ほどの人口を失った計算になるが、2004年から2030年の間には約1200万人の人口が減少する計算になり、全人口比で言えば10%ほどが失われる計算になる。
期間が違うので純粋には比較できないが、現在世界規模の大戦が起こっているのとほぼ同質の勢いで日本の人口が減少しており、今後それが加速していくというのが総務省の出している予測である。
果たして少子化の原因は何なのか?
少子化の原因が一体何なのか?
この部分に関しては議論が尽きないところであるが、主な原因としては以下のような要因があると思う。
・出生率の減少
・婚姻率の減少
出生率の減少
厚生労働省によれば、2018年の出生率は1.42で3年連続の減少であり、同時に3年連続の100万人割れであるという。
外部リンク:厚生労働省ホームページ
当たり前と言えば当たり前なのだが、出生率が下がれば子供の数も減り人口も減る。少子化の原因は何か一言で表せと言われたら出生率の減少と答えるしかないだろう。
なぜ出生率が減少してしまったのか?
重要なのはなぜ出生率が低下してしまったかという点である。
内閣府の調査によれば、1940年代後半の出生率は4を超えており、その子供世代が親世代になった1970年代の出生率も2を超えていた。しかしその子供世代が親世代になる1990年代には1.57となり、以降はゆるやかに出生率は下がって行っている。
引用元:内閣府ホームページ
出生数はともかく出生率に関してはバブル崩壊と共に下がっているように見えるが、実は1970年代から緩やかに減少しているのが見て取れる。
果たして経済格差があるから少子化が進んでいるのか?
先日、東進の林先生が少子化についての言及が話題になった。実はこの記事を書こうと思ったのはそれを読んだからなのだが、そこでは少子化の原因は低所得者が結婚して生活が出来なくなったことが原因だという論調になっている。
林先生のおっしゃっていることは間違いのない事実であると思う。
実際日本人の実質的な所得は下がり続け、格差は広がり続けているからだ。
この点は圧倒的に深刻なのだが、統計を見ると実は日本人が最も豊かだった1980年代には既に出生率が低下しているのが見て取れる。バブル崩壊後に下がるのは分かるが、それ以前から実は下がっていた計算になるのだ。
つまり、もっと根本的な原因が他にあるということになる。
この点に関してはまた後で詳しく言及したいと思う。
婚姻率の減少
出生率以前に婚姻率が減少している。総務省の統計によれば、2020年では役3割の世帯が単独世帯であり、この割合はますます増え、やがて子供のいる世帯の数を上回るとされている。
画像引用元:総務省ホームページ
人口が減ったうえに婚姻率が減るのだから子供が減るのは必然である。
ではなぜ婚姻率が減っていったのか、それを述べる前に当ブログは世界史ブログなので人類の歴史上人口が減少するのはどのような場合なのかを見ていきたいと思う。
戦乱や飢饉以外で人口が減少するのは極めて稀
ある国家や集団において、人口が急激に減少するという現象は数こそ多くないが存在している。
特に顕著だったのが古代中国の漢時代である。紀元前に出来た帝国であるのに漢は厳格な戸籍制度を維持しており、正確な人口統計が遺されていて、それによれば漢帝国は全盛期5000万人から6000万人の人口を擁していた。それが漢が王莽によって滅ぼされ、再び光武帝によって後漢が出来た時の人口調査では2000万人に減っていた。さらに時代が進み後漢末期の三国時代になると人口は500万人にまで減っていたという。
後漢末期に正確な人口統計が取れたとも思えないが、約400年の間に人口が90%減少した計算になる。その結果漢民族は勢力を維持することが出来なくなり、五胡十六国時代と呼ばれる異民族に内地を奪われる時代を体験することになるのだがそれはまた別の話。
また別の例では南米で起きた三国戦争(パラグアイ戦争)の例があって、約2000万人いたとみられるパラグアイの人口は6年間の戦争の結果1000万人まで減少したとみられている。
戦争以外で人口減少が起きた例としては苛烈な植民地政策などもある。特にベルギー国王レオポルド2世の私有地となったコンゴではそのあまりに非人道的な植民地政策により2000万から3000万ほどいた人口が900万人まで減少したと言われている。
くわしくはこちらの記事をご覧いただけるとありがたい。
他にはペストの大流行で人口の半分が失われた例などもあり、いずれにしても人口が急激に減るのは外的要因、戦争や飢饉、苛烈な政策によるものなどが挙げられるが、恐ろしいことに現代日本においてはそのような外的要因がないのである。
とはいえ社会が平和を享受すると人口減少の陰がちらつくということはよくあり、例えば共和政末期のローマなどは人口減少に悩んでおり、初代皇帝と言われるアウグストゥスはユリウス婚姻法と呼ばれる法を作り、独身者に税を課すことで少子化対策したという例もある。
なおローマの少子化についてローマ研究家の塩野七生氏は以下のような見解を示している。
当時のローマが貧しく、将来に希望がもてなかったのではない。それどころか反対であったのだ。ただ子を産み育てることの他に快適な人生の過ごし方が増えたのである
世界各国はどのような状態なのか?
少子化は日本だけの問題なのかというとどうにもそうでないらしい。
画像引用元:wikipedia
総じて先進国と言われる国々は少子化になっており、発展途上国においては人口爆発が起きているのが現在の世界の状況であると言って良く、世界的に見ると人口は爆発的に増えている。
所謂途上国においては少子化とは無縁で、人口比は圧倒的に若年層が多く、日本とは全く逆の様相を見せている。特に東アジア地域の人口減は顕著で、日本以外にも韓国、台湾、香港、シンガポールなどが破滅的な少子化に陥っていて、ポーランドやハンガリーのような東欧諸国、ドイツに代表されるような中欧諸国、総じてヨーロッパの人口減が激しい。
一方でインドやインドネシアなどのアジア地域やアフリカ諸国、中東などでは人口増加が激しく、特にアフリカ地域の人口爆発が止まらない。
個人的に思う日本の少子化の原因
これまでは一応統計を並べてみたのだけど、これからは完全なる私見で行きたいと思う。
こんな偉そうな記事を書いておいて、当の私は少子化に貢献している人間の1人である。子供はおろか結婚さえしない可能性が非常に高い。結婚を考えていた女性に別れを告げられてそう思っているのもあるが、仮に結婚していたとしても子供はいなかったであろう。結婚はしてもいいけど子供は絶対に産みたくない。彼女は以前そう語っていた。彼女がどうしてそう思ったかなどはここには書かないが、そういう人も多いんじゃないかと思う。
良くも悪くも社会的な圧力が減った
個人的に最大の理由はここにあるんじゃないかと思っている。
昔、と言っても一昔前ぐらいは男も女も30までに結婚し「なければ」ならなかった。女性はクリスマスケーキに例えられ、25歳までに結婚しなければオワコンみたいな感じだったし、40過ぎて独身の男性なんてもはや一人前の男ではなかった。
結婚していない男女がいればどこかから縁談の話が持ち掛けられ、家族も巻き込んでもはや逃げられない状態にまで追い込まれる。
結婚して、子供を産んで、初めて人として認められる。
これが常識的な価値観であったし、今もこれが常識的な価値観であろうが、良くも悪くも「普通」というものが大きく崩れ去っているのだと思う。
「結婚しなければならない、子供を産まなければならない、それが普通だ」
その「普通」が壊れ去ってしまったのが現代日本であり、それが少子化の根本原因であると思っている。
崩れ去る中間層と「普通」の概念
かつて、日本は総中流社会と呼ばれる社会を築き上げていた。飢えの心配もなく、誰でも就職でき、結婚でき、身体的な問題がなければ子供を産んで育てることができた。それが「普通」だった。
「普通」という概念と「常識」という概念は難しい。
かつては労働市場において「正社員雇用」が常識であり普通であった。
しかし、2019年現在所謂非正規雇用と呼ばれる雇用形態は40%近くにもなっている。
もはや正社員雇用は普通でもなければ常識でもなくなってしまったのだ。
それゆえにそれまでのライフスタイルは常識はなくなってしまった。
そしてそれに連動して中間層の崩壊が始まった。
2006年ぐらいから、日本では平均値と中央値と呼ばれる概念が重要視されるようになってきた。
平均というのは幻想に近いのではないかと。
例えば貯金額1億の人が1人、0の人が4人いたとして、5人の平均貯蓄額は2000万という計算になってしまう。
そう言った概念で見ると、日本人の平均年収と中央値には乖離があることがわかる。返金年収を受け取っている人は日本の平均的な中間層ではないという大きな問題があるのだ。
企業間における圧倒的な給与格差
日本人の給与は、個人の能力というよりもどの会社にいるのかで決まる。
高給の会社に入るのも能力の1つだ!という意見もあるだろうが、それにしたって差が激しい。
有名経済紙であるプレジデントは毎年給与の高い企業ランキングと低い企業ランキングを発表している。
持ち株会社などもあるし単純に比較はできないのだが、トップクラスでは2000万近い年収があるのに対しワーストにランクインした会社では300万を下回る会社もちらほらある。
ここで問題なのはワーストと言われてしまう会社でも上場している会社の中での話なので、もっと給与水準の低い会社は山ほどあるのだ。というよりもそちらの方が多いのかも知れない。
そしてこれらの問題は大概において便利な一言で片づけられてしまう。
「給料のいい会社に入れなかった奴が悪い」
話は少しそれるが、給与のいい会社ランキングを見ていると多くは国との癒着企業であることに気づく。
GHQに解体されたはずの財閥系企業が多いし、テレビ局を始めとした規制産業が並ぶ。商法が変わった影響で所謂HD系の持ち株会社も多い。規制産業に関して言えばテレビ局や広告代理店に代表されるようにコネを持った者たちの入社も多く、自己責任で片づけるのはいかがなものかと思ってしまうのだが、それはまた別の話。
個人的に、現在の日本の政体は「貴族政」であると思う。現在日本の国会議員は2世3世が多く、総理大臣以下有力なポストは上級国民とも揶揄される門閥化が激しい。この点に関しては麻生氏が大久保利通の血を引いているなど実は明治時代からあまり変わっていないが…
話がそれまくってしまったが、現代日本では生まれついて有力な門閥に生まれるかずば抜けた能力と運がないと色々厳しい。
それでも所謂中間層に位置できた人たちは順調に結婚し子孫を増やせるが、そうならなかった人にとって結婚して子供を育てるなどということは夢のようなおとぎ話なのである。
就職氷河期世代に手を差し伸べなかった日本
「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代の方たちがいる。私よりも上の世代で、現在の40代前後の方たちだが、彼ら彼女らは氷河期世代とも言われ、特に就職が厳しい世代であった。
この時期正規雇用されなかった人たちの多くはその後非正規として活動せざるを得なく、政府は特に何もしてこなかった。そしてなぜか今頃になって600億円の予算を組んで支援をすると表明し始めた。この国の行政はいつもこんなパターンである。もっと早くに支援しろよと。何のための政府なんだよ。
2005年に日本は歴史上最低数値である出生率1.26という数字を叩きだしているが、このことと決して無関係ではないだろう。
非正規雇用の増大と少子化は決して無縁ではないと思う。
ちなみに就職氷河期世代の方については以下の方の記事がリアルである。
競争力を失ってしまった日本
この点を詳しく書くと1記事分必要なのでさらりと触れるだけにするが、現在日本はあらゆる分野で国際的な競争力を失ってしまっている。その最たるがスマートフォンと言え、日本のスマートフォンは国内でしか通じないガラパゴススマホなんて揶揄のされ方さえしている。
かつて日本が反映したのはソニーのウォークマンに代表されるような革新的な技術やアイディアがあったからだと言える。
しかし、近年の日本からそのようなアイディアは生まれたのだろうか。
徐々に徐々に競争力を失い、全体として地盤沈下をしてしまっている状況になっている。あらゆることの根本原因はそこにあるかも知れない。
こうやってみると、わずか30年の間に日本企業が海外に置き去りにされた様が良く分かる…
子供を育てるコストが兎に角上がった
この点も非常に大きいと思う。
かつて、大学を卒業するというのは「普通」でも「常識」でもなかった。
1950年代には10%に到達していなかった大学進学率は徐々に上がっていき、1994年にようやく30%を超え、2009年に50%を超えた。つまりかつて大学進学は普通ではなかったが、2019年現在大学への進学は「普通」となったと言える。
引用元: http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kyoken/data/13.pdf
文部科学省によれば大学に進学する率は増えるが数は減るだろうとのことである。
引用元:文部科学省ホームページ
総合すると、日本人は貧しくなり収入は減っているのに子供にかかるコストは総じて上がっているということになる。
大学の学費は非常に高い。年間で80万円から200万ほどかかり、卒業させるまでには数百万から数千万単位かかることもある。
これを支払いきれる家庭の数は多くない。奨学金を借りる生徒も多いことだろう。
また話がそれるが、もう10年以上も奨学金を毎月払っている身としては奨学金の返済は地味に辛い。特に精神的に下降気味の時には重くのしかかってくる。
奨学金の返済に月20000円ほどかかっているが、これは経済的に見れば可処分所得が20000円ほどが減っていることであり、そう言った人間が増えれば当然社会全体での可処分所得が減るということでもある。大学の学費問題はもっと話し合われるべき問題なのだが、そのような様子は見られない。
近年では奨学金破産で一家が破産するケースも目立ってきているし、この点は大きな社会問題とも言える。
北欧諸国やドイツなどは大学の費用が無料かそれに近い水準なのにね。
さらにちなむとアメリカの大学の学費はバカ高く、ハーバードなんかは年間で400万円かかる。しかし日本と違って奨学金の制度が充実しているので優秀な学生はきちんと通えるようにもなっているらしい。
諸々含めて日本って本当に先進国なのだろうかと思う。ある意味経済だけは先進国だったのがその経済力さえ失おうとしているのが今の日本という国なんじゃないかとさえ思う。
女性の社会進出と整えられない制度
ポストドクター問題というのがある。大学の博士課程まで出たのにポストがないので仕事がなくなってしまう現象を指す。日本の行政はこのように常に行き当たりばったりなのだが、その最たるが女性の社会進出だったと思う。
政府は女性の社会進出を促したが、現状社会進出した女性が子育てできるような制度は整っていない。
この点に関しては以下の記事が面白い。
少子化の根本はリンク先にもあるように現代人のライフコースが出産、育児に向いていないという部分が大きいのは確かだと思う。
男性は子供が産めない。だから女性に子供を産んでもらう訳だが、育児の面はさておき出産の際にはキャリアプランを一度中断しなければならない。
そしてその中断したキャリアを復帰できるのかという問題は大きい。
赤ん坊を育てるのは大変だ。突然熱を出すかも知れないし、夜泣きが止まないかも知れない。なので出産後もキャリアを中断し、復帰となった際にはもうポストがないということも珍しくはないだろう。
それでも男性側に給与が潤沢なら経済的という一点においては問題がない。
問題なのはそうでない場合だ。女性も働かなくてはならない場合、その制度が整えられていない。
所謂保育園問題だ。
保育園の数は足りないし、保育士の給料はあんまりだし、無認可保育では虐待のニュースが後を絶たない。
結果として女性の側が産むのを躊躇せざるを得なくなる。
婚姻にかかるコストの増大
それ以前に、先ほども触れたように結婚する人間の割合が急激に減っており、これからも減るだろうことが予想されている。
それでも現在、数多くのマッチングサービスが誕生し、跋扈している。
多くの人は結婚したくない訳ではないようだ。
所謂「婚活」なる言葉も生まれ、結婚するための活動に精を出す人も多い。そのために費用をかけすぎて結婚後の貯金が減っているなんて言う冗談なのかどうかも分からない話も聞いたことがある。
かつては見合い結婚が主流だった。私の母方の祖父母も見合い結婚であったし、結婚とはいわば社会的なものであったと言える。現在では見合い結婚は減り、結婚は個人的なものとなったと言える。
結婚しなくても幸せになれる時代にあえてあなたと結婚したいのですというキャッチコピーがあったと思うが、そこに代表されるように結婚はしなくてもいい、でもするなら幸せな結婚がしたいと思った結果時だけが過ぎゆくケースも多いだろう。
総じて昔に比べて伴侶に求める何かが大きくなったのではないかと思う。
ここで言うコストは、金銭的なものだけでなく、もっと包括的な意味でのコストと言って良い。
子育てに夢が持てない日本
先日、非常に痛ましい事件の判決が下った。
東大に行き、国家公務員試験を受け、事務次官という日本のヒエラルキーの頂点に立った男が、息子を殺害して懲役刑を受ける。
既に娘さんも自殺をし、奥さんも精神的に疾患を抱えてしまっているようである。
私が子供の頃理想とされていたモデルが、ドンドン崩れ去っていく。
かつて若貴兄弟の一家は理想とされていたが、現在は誰もが離婚しいがみ合い、罵りあいを繰り広げている。
言うなれば家庭に夢を見られない現状となってしまっているのだ。
私も以前、子供なしを覚悟した時、気持ちが少し楽になったのを今でも覚えている。
これからよくなるという楽観論は通じなくなってしまった
これはここ最近の話ではなく、バブル期から既にそうであったのではないかと思う。
先ほど統計でバブルの絶頂期に出生率が下がっているという結果が出たが、それはこの心理が現れたのではないかと個人的には思っている。今が絶頂ということは、後は落ちるしかない。
あらゆることが徐々に悪化していくこの国に、果たして自分が愛する者を置いていきたいだろうか。
今回は一切触れていないが、子育ての話以外にも超高齢化社会における介護の問題も潜んでいる。そしてこれからも収入は減り続けるのに税金や年金などの社会保障料は間違いなく増えていく。
人間は、何かがよくなっていくということに希望を見出す生き物だ。例え今月給が10万でも来年には12万、再来年には14万という風に徐々に何かが良くなっていくならそこに希望を見出すことは出来るだろう。
しかしそのような期待感を抱くことができない
結局のところ、現代日本における少子化の原因はそこなのではないだろうか?
少子化になる原因はあっても少子化にならない要因はなかった
少子化に至る原因は結局特定の何かというよりも、大きな流れのようなものなのかも知れない。単純な因果関係の問題ではなく、複雑な要素が絡まりあった結果だと言える。
・個人主義が進み社会の圧力が減ったこと
・日本が技術面で国際的な優位性を失ってしまったこと
・所得格差が生まれたこと
・全体的に所得が減っていること
・育児コストが増大していること
・システムがそもそも出産、育児に対応していないこと
・子育てや結婚に夢や希望を持てないこと
こうやってみると、少子化になり人口が減っているのはもはや必然であるとさえ言える。今ならまだいろいろ間に合うかもしれないが、このまま何もしなければ日本は確実に滅びの道を歩むことだろう。
その際には、貧者も富者も関係なく、滅びを味わうことになる。
なんだかんだ文句は言っているが、私は日本という国を大変愛しているので、そうならないように願うばかりである。