西洋と東洋における「皇帝」という概念の違いについて

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「皇帝」という言葉を聞くとき、「翻訳」というものの難しさを心の底から感じる。

「見る」という英語はいくつもある。see,watch,look at,glanceなど。

「I」を日本語にすると実に多様だ。私、僕、俺、拙者、うち、わい、吾輩、わっち、あちき、あっし、手前、おいどんなど。

1人称を何にするかでその文章から出る雰囲気は大きく変わる。

厳密に言えば見る=seeではないし見る=watchではないのだろう。翻訳と言うのは自分たちが普段使っている言葉に他の言語を当てはめる行為である。

スターウォーズの翻訳で戸田奈津子さんは卒中叩かれていたが、他の言語を自言語化するのはそれだけ難しいということだろう。

 皇帝を表す単語

皇帝を表す単語は各言語によって異なる。

日本語、中国語:皇帝

英語:emperor(エンペラー)

フランス語:empereur(アンペラール)

ドイツ語:kaiser(カイザー)

ロシア語:царь(ツァーリ)

英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語は発音も文字も違うが実はたった1人の人間から派生した言葉である。

その人物はユリウス=カエサル(ジュリウス=シーザー)。

カエサル自体は皇帝にはなっていないが、彼の名前は皇帝を表す言葉になった。

もう少し正確に言うと英語およびフランス語は彼の持っていた尊称である「インペラトル」という軍事大権からきている。

インペラトルを持っていたのはカエサルだけではなく、ライバルのポンペイウスも持っていたし、軍事的に功績のある人物に贈られた尊称である面も大きい。

対して中国での皇帝の語源は3皇5帝から来ている。

誰が3皇で誰が5帝であるかの論議は古来よりされているけれど、伏羲、女媧、神農あたりが一般的で、5帝は黄帝・堯・舜・禹あたりが入っているのが一般的である。

3皇に関して言うと人間というよりも神様で、5帝というのは基本的に人間である。どこの国にもある建国神話の世界が3皇、日本で言うとイザナギとイザナミのような存在で、5帝は中国の建国者、日本で言うと神武天皇のような存在である。

皇帝というのは「皇」であり「帝」である訳なので、王よりもはるかに上の存在、天も地も人もすべてを統べる絶対的な存在なのである。

皇帝の尊称を始めて使ったのは始皇帝(秦の政)

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通常中国の皇帝の尊称は死んだ後につけられる。始皇帝が生きている間は始皇帝という名前は使われなかったであろう。始まりの皇帝なので始皇帝という名前が使われた。

中華帝国という概念をはじめに作ったのも始皇帝で、それまではいくつかの国に分かれていた国々をまとめて「中国」という概念を生み出したのも彼だ。

それまではいくつかの王がいて、戦国の7雄に代表されるようにそれぞれの国に王がいた。戦国時代を制覇した秦の王政は王よりさらに上の概念として「皇帝」の尊称を使うことにしたのだ。

中国の歴代王朝もこれに従い、清のラストエンペラーが退位するまで歴代の王朝はこの「皇帝」の称号を使うようになる。

東洋における「皇帝」は絶対的な専制君主

東洋文化圏において「皇帝」を名乗ってよいのは中華帝国の皇帝のみである。実際に「皇帝」を自称した勢力は沢山あって、どれが本物でどれが偽物であるかなどは区別ができない。秦の始皇帝が皇帝位を表す玉璽を作らせ、それを持っているのが皇帝であるという話もあって、三国志時代の袁術などは玉璽を得た勢い勝手に皇帝を名乗り「成」という国を勝手に作ったという話もある。すぐに滅びたけど。

特に中国を統一していないのに皇帝を自称した例も結構あって、三国志における蜀や呉の国などはある意味勝手に皇帝を名乗っていたし、女真族の作った金なんかも華北を得ただけで皇帝を名乗っていた。

儒教の教えからすれば前の皇帝から「禅譲(平和的に譲られること)」された政権だけが正当な王朝だと言えるらしいけど、実際に禅譲される例は珍しかった。

このように特に統一感のない皇帝の概念ではあるけれども、共通しているのが絶対的専制君主であること。

皇帝の言葉は神の言葉であるし、皇帝の決定は絶対的なものである。皇帝は誰にも従う必要がないし、すべての決定権を持つ。

 この点が西洋における「エンペラー」と違う点である。

西洋における「皇帝」は第一の市民

 西洋における「皇帝」の定義は「プリンケプス・セナトゥス」の一言である。

訳すと元老院の第一人者となる。

中華帝国およびその政体を模した東洋の国々には「議会」と言う概念が存在していない。ある意味現代ですらその概念が定着しているかは疑わしい。

 ローマは王制を経て共和政に移行した。共和政ローマを統治していたのは元老院(セナトゥス)と呼ばれる議会である。王制時は200の議席であった元老院は共和政末期には600まで数を増やしており、最高意思決定機関であった。

ちなみに現在でもアメリカの上院は「United States Senate」であるし、フランスの上院も「Sénat」である。ある意味人類の政治は共和政ローマから特に進歩していないと言えるかも知れない。

ローマの初代皇帝であるオクタヴィアヌス(以下アウグストゥス)はあくまで自らの地位を元老院の下に置いた。

これはユリウス=カエサルが元老院を軽んじたあまり暗殺されたことの反動であろう。

アウグストゥスは何をするにしても元老院の承認を得てから行動した。基本的に歴代のローマ皇帝はこの方針を踏襲し、元老院の決定を求める政策をとっていたのだが、歴代皇帝の中には元老院を軽視して暗殺される者までいた。

「カエサル」の名が正式に皇帝を表すようになったのは3世紀頃の話であると言われ、テトラルキア(4分割統治)を始めたディオクレティアヌスが「副帝」を表す尊称として使用したのが正式な使用であるらしい。

 歴代のローマ皇帝も自らの地位や位置には悩んだらしく、中華帝国と違ってその定義はあいまいであったため、どこまでが自らの権限であるかはわからなかったような節がある。

ローマ皇帝はオリエント的な君主と違い王冠などはなく、代わりに月桂樹で作った月桂冠を使っていたというから形式上は君主ですらなかったというべきであろう。

その後東西ローマは分裂し、東ローマ帝国では7世紀まで「カエサル」の称号は使われていたが、のちにペルシャ風およびギリシャ風の「バシレウス」の称号を使うようになった。

西欧諸国も東ローマ帝国ことビザンツ帝国に遠慮してかカエサルの称号はしばらく使わず、9世紀初頭のカール大帝の時にようやく「imperator Romanorum」の称号が使われた。この称号がイギリスにわたり英語のエンペラーになったことは想像に難くない。

ドイツやロシアでは「カエサル」の名称の方を引継ぎカイザーやツァーリを使用するようになったのであろう。

皇帝をエンペラーとしたのは世紀の誤訳である

このように東洋における「皇帝」と西欧におけるエンペラーとは概念からして大きく異なる。

ナポレオンを「皇帝ナポレオン」と日本語では訳するが、ナポレオン自体は「des Français」という名称を使っており、直訳するとフランスの第一市民という感じになる。おそらくはアウグストゥスに倣ったのであろう。

 「議会」の概念のない日本や中国において、プリンケプスやエンペラーに相当する概念も当然存在していなかった。それを無理矢理当てはめてしまったことに日本人の世界史嫌いが始まってしまった気もするし、理解が遠のいてしまった気もしてしまう。

翻訳というのは誠に難しいものなのだなと思う。