プロの家庭教師が不登校について真剣に考えてみた

10歳の子供が「不登校youtuber」として動画を出したことが波紋を呼んでいる。

「不登校は不幸なのか?」「学校には行かなければならないのか?」

子供の個人情報や家庭環境はともかく、この辺りは真剣に考えねばならない問題であると思う。

俺の本業は教育関連で、所謂プロの家庭教師であり、不登校の生徒も何十人も担当させていただいてきた。

今回はそう言った経験も踏まえて、改めて「不登校」の問題について考えてみたいと思う。

 海外の不登校事情~リンカーンは学校に通っていない~

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日本の不登校事情について語る前に、海外では不登校はどのように考えられているのかを少し見て行きたい。

まずはアメリカ。

アメリカにおいて子供に教育を施すことは親の義務である。

ただしそれは必ずしも「学校」でなくても良い。

アメリカには「ホームスクーリング」というシステムがあって、保護者などが教育係になって教育を施す場合やe-learningを駆使して教育を施すなどをすることで義務教育を修了したとみなされる。そもそも飛び級も認められているし、教育の内容は重視されるが場所は重視されていない。アメリカの学校では銃乱射事件なども起こっているため、子どもを学校に通わせたくないと思う親も多く、そういった自由は広く認められている。2019年現在では100万人を超える子供がホームスクーリングの精度を利用しているという。

後にアメリカ大統領となったリンカーンも学校に通っていなかったし、エジソンが学校に通っていなかったのも有名な歴史的事実である。ちなみにアメリカ国民が選ぶ最も偉大な大統領は大体リンカーンになる。歴史学者もリンカーンを最も評価している人が多い。

イギリスも同様で、アメリカがイギリスから独立したことを考えるとそのシステムを受け継いだのも自然だろう。

両国とも必ずしも学校に通う必要はないが、親が放任することを禁止しており、学力テストなどを義務付けている。同じくイギリスから独立したカナダも同様である。

フランスも基本的に学校へ通う義務はなく、民間の教育機関であっても義務教育として認める傾向にあり、法制度も充実している。

参考外部リンク:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jces1990/2001/27/2001_27_159/_pdf/-char/ja

一方のドイツはホームスクーリングを禁止しており、学校への通学義務を設けている。子供が学校に行かない場合、警察が子供を学校に強制連行する権利が認められており、場合によっては保護者の親権が停止されることもある。

www.newsdigest.de

 義務教育よりも家庭教師の方が歴史が古い

義務教育が始まったのはどれだけ昔にさかのぼっても19世紀前半である。どうやら最初に義務教育を採用したのはドイツの前身となるプロイセンでのことで、きっかけはナポレオンに戦争で負けたことであるらしい。

つまり子供の教育の権利というより、国家発展のための義務教育であると言え、そのため徴兵制度に近いと言うべきかもしれない。

日本もドイツの憲法や法律を真似て明治時代に現在の法律を作った訳なので、同様に子供の教育を受ける権利というよりもいかに国家発展に寄与する人材を育てるかに義務教育の重きを置いていると言えるだろう。

ドイツに関して言えばいかにもゲルマン的であると思う。

イギリスやフランスは国家の源流を古代ローマに求めることが出来る。

ローマの基礎を作ったユリウス=カエサルは、今のフランスにあたるガリア地方をローマ化したが、ゲルマン民族を征することはできなかった。

カエサルは教育を非常に重視していて、仮に異民族であっても教師か医師として勤務するならばローマ市民権を与えるという法律を制定したことでも有名で、自身も幼いころには家庭教師による教育を受けている。

www.myworldhistoryblog.com

ローマの政治制度はギリシャに源流を見ることができ、有名なアレキサンダー大王はアリストテレスを家庭教師としていたことは有名だ。

ローマでも私塾が盛んだったが、所謂上流階級は私塾よりも家庭教師をつけるのが普通だった。

西欧では家庭教師として生活するのはそれほど珍しくなく、ポーランドの話ではあるが後にノーベル賞を受賞するマリー・キュリーも家庭教師として生計を立てていた。

総じて教育は義務である以上に「権利」なのである。

では日本はどうかというと、新井白石が徳川将軍の家庭教師(侍講)であったことでもわかるように、家庭教師の精制度はあったものの、寺子屋や福沢諭吉や吉田松陰がやっていたような私塾が盛んだった。

日本の源流ともいえる中国でも科挙試験のための私塾は盛んで、どちらかというとこちらが主流であったと言えるだろう。

そのため日本人は良い意味で教育水準が高く、明治時代に急速に産業革命に成功できたのも、ドイツ式教育制度と元々の教育レベルの高さがあったと言ってよいであろう。

ドイツや日本はいわば後進国であったため、イギリスやフランスに急いで追いつくことが重要で、そのための教育であったと言える。

つまり教育は権利である以上に「義務」であったのだ。

果たして学校に行かなければならないのか?

10代後半より何らかの形で教育に関わっていた俺の意見は「No」だ。

無理矢理子供を学校に行かせることは人権侵害であると考える。

ホリエモンが言ったように、学校というのは人によっては「監獄」となりうる。

逃げ場がないのだ。

ちろん深くは語れないが、自分が昔担当させていただいた不登校の生徒は、ほぼ10割がイジメによる不登校であった。

日本の教育制度はイジメに対してまるで機能していない。

ほとんどのイジメは「なかったこと」にされる。

イジメで不登校の生徒がいるのに、平然と学校の広報に「わが校にはイジメが存在しません」と言うのが日本の学校の実情だ。

ほとんどのケースにおいて、教師は加害者となる。

担当の教師だけではなく、俺の知る限りほとんどの校長はイジメをどうもみ消そうかに頭を悩ます。

基本的に保護者が学校側にいじめの解決を依頼しても無駄である。

なにせ「イジメなどなかった」のだから。

 思い出しても色々腹が立つが、それは日本の義務教育による圧倒的なリアルである。

イジメによる二次被害

不登校による問題、というよりもホームスクーリングを認めない弊害は教育業界では「二次被害」と呼ばれる学力の低下である。

学校に行けないのだから学力が低下するのは当たり前である。

なのである日学校に行ってもその授業の内容がまるで分らないので再び学校に行けなくなるというケースは頻繁に起こってしまう。

精神的なダメージも大きい。

俺の知る限り好きで不登校になった子供はいない。中にはいるだろうが、彼ら彼女らは苦しみの中にいる。

俺の知る限り、彼ら彼女らが悪かったケースは一件もない。

これは許容すべき「理不尽」であろうか?

否!

許容する必要のない「理不尽」である。

日本の公機関における隠蔽体質

学校に限った話ではないが、日本の公機関は不祥事を全て隠蔽しようとする。

もちろんこれは日本だけのことではない。

かつてイギリスは「ウィンズケール原発事故」を30年間隠蔽し続けたという過去もある。

 あるゆる権力は腐敗するもので、誰もが失敗を隠し、保身を考えるものである。

でも学校に関して言えばそれが多すぎるのだ。

gendai.ismedia.jp

www.sankei.com

不登校の問題は教育の腐敗、しいては公務員の腐敗と深く結びついている。

かつて大分県で起きた「教員採用汚職事件」に代表されるように、教育の現場の腐敗具合は目に余るものがある。

www.nishinippon.co.jp

本来教員になるべき人間が不採用になり、そうでない人間が「コネ」で教員になる。

www.oita-press.co.jp

教員に限った話ではないが、このような話は日本中いたるところで蔓延している。この問題は、大分県だけの話ではないだろう。

この国は「上級国民」が罪を犯してもマスコミは被害者ではなく加害者に味方をするような国である。

www.myworldhistoryblog.com

コネでその地位についた者が考えるのはその「保身」のみである。

そのような形で教員になった人間達が、果たして生徒の「イジメ」の問題に真剣に取り組むのだろうか?

ちなみに、俺も仕事なので、生徒が学校に行けるようにさらに上から圧力をかけてもらったことがある。

今迄まるで取り合わなかった人間達が目の色を変えてイジメ問題に取り組む様には、これ以下はないというほどの吐き気を感じたのを今、思い出して再び吐き気がしている。

フランスのイジメ問題

イジメや不登校の問題は、結局国が動かなければ解決はない問題だと思っている。

でも多分、日本の行政は動かない。

腐敗した我が国の行政は「利権」がなければ動かない。官僚たちが考えているのは国をよくすることではなく、如何に定年後甘い汁を吸うかという点だけである。

国をあげてイジメ問題に取り組んでいるのがフランスだ。

socialaction.mainichi.jp

フランスではイジメの加害者に対し、しっかりと「ヒアリング」と「カウンセリング」を行うんだそうだ。専門のダイヤルもあるし、隠ぺいが行われないように第三者の目も入れる。国が本気でいじめをごく滅しようという意思が感じられる。

当たり前すぎる事実だが、いじめられる側よりもいじめる側に問題がある。

俺自身の拙い経験を言えば、大体両親の不和や家庭環境の悪化が背景にある。父親の失業によって昼間から飲酒を繰り返し、子供に虐待をしたことでどの子供が不満のはけ口としてイジメを行っていたというケースもあった。

そういう生徒に対し、日本では何もしない。

驚くほど何もしないのだ。

教師に見放されてしまったら、生徒は誰を頼ったらいいのだ?

担任が突然ぶちギレタ日

俺が中学校3年生の時、突然担任がぶち切れたことがあった。

「このクラスにはイジメがある!お前らも全員同罪だ!」

真面目に何のことだかさっぱりわからなかったし、ショックだった。どうやら本当にクラスでいじめがあったらしい。

女の子同士のイジメで、傍目には仲良く見えていた。男なんてそんなもんだ。女性のことなんてちっともわかっていない。

女の子同士のイジメって一見わからないんだよな。仲良くしているように見せかけて1人にだけ話ふらないとか、明らかに無視するとか。

イジメてたのは2人の女子だったらしいが、今度はその2人がクラス全体を敵に回すことになってしまった。

クラスの女子たちが憤慨してその2人を今度はのけ者にし始めたのだ。我々男子はそれをオロオロと見ているだけだった。実に情けない…

でも、担任がイジメに気づかないなんてことはないだろう。1年生の時も吹奏楽部でイジメがあったらしく、同じクラスの女の子が不登校になったことがあった。後で担任が吹奏楽部でいじめがあったことを皆の前で語ったのでわかったのだが、加害者の女子は結局他の人間をターゲットにしてイジメを繰り返していた、らしい。

学校側はそういった事実を当然知っている。

知っていて放置しなければ、少なくともイジメはその場ではなくなる。

でも、今は放置する。あるいは昔から教師によっては放置していたのかも知れない。俺の担任は放置しなかっただけで。

生徒が教師に相談する時、親に言うとき、それは大きな勇気を伴うことなのだ。

だからそれを放置するということは、その子供にとって大きな傷となる。絶対にしてはいけないことだ。

だが、今の教育の現場では放置をすることが奨励され、真面目に対処することは歓迎されない。

なぜなら「わが校にはイジメなどない」のだから。

イジメのない学校なんてないよ。

イジメはどんな場所でも起こる。学校でも、職場でも、小さなコミュニティでも。

重要なのは、イジメがないと洗脳のように繰り返すのではなくて、イジメが起ることを前提として動くことなんじゃないか?

「性善説」とか「性悪説」とかの問題じゃなくて、そういうことは起こるんだよ。

この点に関しては日本政府はフランスを見習った方がいい。

「ここは日本だ」とか、そういうことは生徒には一切関係がない。

誰しもが教育を受ける権利がある。それを奪うことは何人にも許されない。

いじめ以外にも不登校の理由はある

不登校になる原因はなにもイジメだけではない。

病気などの理由もある。

最近では起立性調整生涯という生涯も認められてきたし、色々な病気がある。

www.saiseikai.or.jp

俺の中学生の頃のクラスは、3人ほど不登校の生徒がいた。ちなみにその3人は俺の出席番号の前3人だったので俺は調理実習を1人でやるはめになった訳だが、それはさておきそのうち2人は病気によるものだった。

一度病気になると学校の授業をその分受けていないので、学力的な被害を受けやすい。この部分を軽視すると、影響は後々大きくなる。完全な抜けができると、先の学習項目は理解しにくくなるからだ。

比例ができないと一次関数はできないし、一次関数が分からなければ二次関数が分からないという風な感じだ。

ホームスクーリングは認めるべき

なんか論文みたいな感じになってしまったが、日本は「ホームスクーリング」を取り入れるべきであると思う。

それができないのは結局予算を裂きたくないからだろうな。

でも、一体何が大事なんだ?

選挙権を持っている老人を優遇することがそんなに大事か?

これからこの国を背負って行かなきゃならない若者を保護することの方が重要なんじゃないか?

個人的には学校なんて行かなくてもいいと思うよ。

俺もアメリカやイギリス同様、教育は大事だがその場所は重要じゃないと思ってる。

学校では大切なことを教わる?

本当にそうかな。

だって官僚やいじめを黙認するような教師たちだって「ちゃんと」学校に通ってたんでしょ?

その人たち、一体学校で何学んでたの?

学校に行った人間の方が偉いなんて、ただの幻想にすぎないよ。大切なことは学校でなんて学ばない。