後夜祭

高校時代、文化祭の後夜祭は全部途中で帰っていた。

俺は所謂世間になじめないタイプだ。

俺の父親もそうだったので、これはもう遺伝だと言っていいだろう。昔会社員もやっていたが、人間にはどうしてもあわない生き方というのがある。

昨日公開した記事がおかげ様で無事にホッテントリー入りし、800を越えるはてぶをつけてもらえることが出来た。

www.myworldhistoryblog.com

今は正直燃え尽き症候群みたいになってしまって、今日はアマゾンプライムで見られる「ドクターX」を見ることぐらいしかしていない。

という訳でこの記事は後夜祭という題名をつけて、昨日の記事についてあれこれと書いていこうと思う。

 目次を最後にしたのは俺のエゴ

今は双方向の時代だ。

例えばニコ生やyoutubeライブなんかでは視聴者のコメントに反応しながら動画を作り上げていく様子が見られるし、古くはラジオの投稿ハガキなんかもそうだ。

テレビ番組なんかは一方的に流れる片面的なメディアであって、ブログはどうだろう?

このブログをはじめ俺は運営するサイトにコメント欄を設けていない。以前悪辣なコメントが届いて気分をかなり害した経験があるからだ。

でもこのブログのはてぶのコメントだけは見ている。

今回は沢山のはてぶとともにコメントもいただいたので幾つか返信みたいなことをしてみたいなと思う。

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最も支持を集めていたのがこちらのコメントで、多分大体の人が同意見だったんじゃないかと思う。

俺が読者でも同じことを思う。

本文にも書いていたが、目次を置かなかったのはわざとだ。俺はこれだけ長い文章を書いたにも関わらず、むしろ時間をかけたからこそ読んで欲しかったのだ。俺の父親は本なんて目次だけ見れば内容がわかると言っていたが、目次だけ読めば大体記事の内容は分かる。

むしろ目次だけ見て内容が分からない記事はあまりいい記事でないとも言える。

ブログを書いたりサイトを運営している人は分かると思うが、訪問者はとにかく記事を読まない。読んでくれない。

1日に公開される記事の量はどれくらいになるのだろうか?

その大半は下手すると読まれない記事なのだ。

今回の記事は「読まれたい」という強烈なエゴによって書かれた。

もしアドセンスを貼っていればいくらかにはなっていただろうが、この記事を書き始めてからはその申請させしていない。仮に審査に通過していたとしてもこの記事の公開直には貼らなかったであろう。

別の記事でも書いたが、俺は今まで金を稼ぐためだけの記事を大量に書いてきた。多分何百万文字と書いてきたことだろう。俺はそこまで金銭欲は強くないが、そうしなければ生きていけなかったのだ。

金がなければ生きていけない。

これは厳然たる事実だ。

でも、だからこそそれよりも強い欲求で今回の記事を書いた。目次だけ見て素通りなんてさせないぜ!と言う感じだ。それでも全文読んでくれた人は稀だろう。でもそれでいい。そういう稀な人にとっては、はじめに内容が分かることを好まない俺のような人間もいたはずだ。

ビートたけしと松本人志が対談している本があって、2人とも本当に面白いものはごく限られた人間だけが楽しめるものという意見で一致していた。例えば学校の先生の物まねなんてクラスの人間は面白いがそれをテレビでやってもウケない。テレビでやるにはその濃度を何倍にも薄めないとならないというものだ。

ブログの記事もテレビに似ている。誰でも楽しめるような記事を書くのはとても難しいし、基本的には消耗されて流れていくものだ。

誰に向けてその記事は書かれているのか?

今回はごく少数の人に向けて記事を書いた。なので反感を買うだろうなと思いながらも目次を冒頭に置かなかった。それでもてっとりばやくランキングを見たい方のために目次は最後におくということを、前日ぐらいに思いついたのだ。

まぁ、この辺りは完全なる俺のエゴなので、気分を害してしまった方がいるのなら謝りたいと思う。

人生の目標について

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マズローの承認欲求ピラミッドではないが、人間という生き物には金銭欲よりも強い欲求がある。

他の記事でも書いたが、俺は何年か前にサイト運営で月に100万円という目標ラインを突破したことがあった。その結果どうなったかというと徹底的に病んだ。

ずっと金がない生活をしていて、会社員最後の時の月の給料なんて額面で15万円だった。手取りでは11万だった。それだけで生活していなかったと言っても、悲しくなる金額だ。

生きるために必死だった。誰も自分を助けてくれない、だれにも頼れない。かなり身体はボロボロだったが、それなりに必死に頑張ったと思う。

そしてその目標が達成された訳であるが、結果として残ったのはいつ収入がなくなるのかという不安と、そして人生において何の目標も持っていない自分という名の屍がいることだけだった。

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俺は20代前半の時にどのような生活をしていたかを語ることはほとんどない。結果としてはただ挫折経験が残ったからだ。

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100位が池井戸潤だったことについて、知人から意見をもらった。まだ返信していないが、どうしても池井戸潤出なければだめだったと思う。

ここには計算も働いている。

今回はどうしてもホッテントリー入りしたかった。ソーシャル資源もなく、検索流入もほとんどないこのブログは、現在でははてぶやツイッターなどの流入がなければほとんど人が見ないブログとなっている。

ツイッターでシェアされる記事というのもある。

例えば以下の記事だ。

 これはありがたいことにツイッター上で多数拡散していただけた。この時のフォロワーは60人前後ぐらいだったと思う。

俺にはソーシャル資源と言えるようなものは何もない。有名ブロガーのように万を超えるフォロワーがいる訳でもない。格好つける訳じゃないが、記事の質だけで勝負しなければならない。

だからこそ今回100位は重要だった。

100位に求められるのは①誰でも知っていること②ほとんどの人が評価していることの2点を満たしている人物であり作品であった。

例えば「アルケミス」を100位にした場合、誰もその作者を知らない。知らないから興味がいだきにくく、離脱する人がかなり多くなる。

池井戸潤は現代日本において知らない人のいない作家だ。ドラマ化すれば高視聴率がとれ、直木賞も受賞している。いわば「ヒキ」が強い作家だ。だからそれを見た瞬間多くの人がランキング全体に興味をもつだろうと思っていた。

興味があるけど読み切れない。俺はそんなときにハテブをつけることが多い。同じ人が多いんじゃないかと言う計算もあった。

だがそれ以上の意味ももちろんあった。

挫折経験を克服するのは容易ではない

俺の人生最大の挫折ポイントは10年前に江戸川乱歩賞に応募し、1次予選すらも通らなかったことだ。

サイトが飛んだとか、アドセンスの収益が10分の1になったとか、自分の中では「挫折経験」としてはカウントされない。辛いけど、20代前半にしたいくつかの挫折に比べれば軽傷だ。

初めて応募した横溝正史大賞においては、一次審査を通過することが出来た。それからかなりの量の文字を書き、かなりの量の文章を読み、自分では成長しているはずだった。

でも、成長などしていなかった。むしろ、退行さえしていた。

デビュー作が最高傑作になる作家は多い。でも池井戸潤は違った。江戸川乱歩賞を取った時から着実に進化した。進化し続けた。

俺はこの10年、成長しただろうか?

10年と言わず、この数年単位でさえ成長しただろうか?

今の俺の収入は、月に100万などない。これは成長していないどころか退行しているとさえ言える。まるで賽の河原で石を積んでいるがごとく、何も積み重なっていないことに愕然とし、失望し、自信を亡くした。

池井戸潤がうらやましくてしかたがないのだ。そこには嫉妬もあるが、それ以上に尊敬の念もある。

まるで就活している大学生のようだが、俺も成長したいのだ。

1mmでも前に進みたいのだ。

800のはてぶが俺に与えてくれたもの

今回の記事は、俺に多少なりとも自信を取り戻させてくれた。

記事と言うよりもはてぶをしてくれた人や各種SNSで拡散してくれた人のおかげだが、本気で物事に取り組めば、道は開けるという確信を与えてくれた。

もう少し大げさに言えば、自分自身に過去と向き合うきっかけと勇気を与えてくれた。

人は挑戦することを辞めた時老いていく

人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。
この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けば分かるさ。
ありがとう!!

アントニオ猪木

 自分の才能のなさは自分が一番よく知っている。

村上春樹の「若い読者のための短編案内」を読めば、自分との読者としての差も明白だ。良い作家は良い読者でもある。

昔、江戸川乱歩賞に落ちてから、修行しなおしたことがある。

有名な作家の文章を模写し、できるだけ多くの本を読んだ。1年間に300冊ぐらいは読んでいたと思う。昨日のランキングのうち半分ぐらいはその期間に読まれたものだ。

でも写せば写すほどつらかった。差が、あまりにも明白だったからだ。

ある日過呼吸に陥った。自分の人生に絶望した。楽になりたいとさえ思った。

だがかろうじて生きている両親のことが頭をよぎり、楽になるのは辞めた。

幼いころから何をやっても父には勝てなかった。

父は一族の誇りだった。

幼いころから何をやってもずば抜けていて、中学校1年生から高校3年生まで生徒会長をし、体育会系の部活の主将として県大会でも優秀な成績をおさめ、当たり前のように東大に入った。高校1年生の時に赤本を解いてあまりにも簡単だったのであとは遊んでばっかりいたようだ。

天才はいる。

でも、父は作家としては大成しなかった。家族を養い、家を守ることさえもできなかった。一家は離散せざるを得なかった。

世は非情だ。金がなければ済むところさえ守れない。

文章を書いてそれだけで生活するということに、だから俺は並々ならぬ執念がある。

このブログだってそうだ。

おれは中古ドメイン使ってスパムして儲けたい訳じゃなかったんだ。

挑戦

「レイジンブル」という映画がある。

辛口で有名な井筒監督が一番好きな映画だそうだ。

ラストシーン、もう完全に終わっちまった男が、再びファイティングスピリットを燃やすシーンは、映画史に残る名シーンだ。

10年経った。

再び、挑戦する時が来たのだと思う。

今回の記事は、20日間60時間ほどかけた。

2年後を目途に、再び江戸川乱歩賞に応募してみようと思う。

俺には才能なんてない。きっと作家として何冊も書けるようなタイプじゃないだろう。

どうして最初よりも最後の方が悪くなったのか、今ではよく分かる。

最初に応募した時、そのような新人賞があることさえ知らなかった。

当時は色々あって派遣社員をしていた。夕方の五時から深夜の2時までという異質な勤務時間の中で、帰ってからの時間をひたすら書くということに、業務時間内は話を考えることに費やしていた。

書くのは楽しかった。なにがしか形になっていくのは楽しかった。

だいたい深夜の3時から昼の12時までひたすら書き続け、1月で書き終えた。そしてたまたま締め切りの近かった横溝正史大賞に応募したのだった。

初めて、商業誌に自分の名前が載った時は泣きそうだった。誰かは、見ていてくれるのだと。

でも、何回やってもどの賞でも最終選考の壁は破れなかった。

次第に何がダメかを考えるようになり、段々誰かの模倣になっていき、深みにはまっていった。

毎日原稿用紙30枚分ぐらいはなにがしかを書いていたと思う。

書くことが目的になっていた。書きたいことがあるから書くのではなく、書かなきゃいけないから書いていた。

1作でいい。

人生で1作だけ、自分の納得のいく何かを作れればいい。

昨日の記事は、自分ではかなり納得のいく記事だった。

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書いたことに満足して推敲とかがおろそかになっていたようだ。

自分ですら納得ができない文章が、人を納得などさせられるだろうか?

江戸川乱歩賞は高い壁だ。

歴代の受賞者を並べてみよう。

東野圭吾、岡嶋二人、池井戸潤、陳舜臣、西村京太郎、森村誠一、栗本薫、井沢元彦、真保裕一、桐野夏生、野沢尚、福井晴敏

受賞には至らなかったが最終選考に残った人たち。

山村美紗、島田荘司、折原一、夏樹静子

早々たる面々だ。

長い逃避の時間は終わりだ。

人間はどうせ死ぬ。

だっから生きているうちに、魂を燃やさなきゃ嘘だよな。

書きたいものは、結構ある。

あとはそれを自分の中にある全てをかけて文章にするだけだ。

負けたら、また挑戦すればいい。

幸いなことに、挑戦するだけなら誰でもできる。

今の全力でダメなら、力をつけるまでだ。

身体の成長期はとっくに終わっちまったけど、心の成長期はまだまだこれからだぜ!