恥ずかしい話だが、俺は20代前半の時小説雑誌の新人賞に書いた小説を投稿するということをしていた。
初めて書いた小説が予選を突破したので、頑張ればいけるんじゃないかと思っていたが、書けば書くほど結果は悪くなっていき、ついには一次予選を突破することさえできなくなった。
自分では何がダメだったのかもわからず、段々と書くのが苦しくなり、結局書くのを辞めた。それから10年ぐらいの月日が経つ。
そんな経緯もあって、小説を世に出版できる人間に対しては尊敬の意を持っている。
先日「映画好きな俺が人生をかけておすすめする映画ランキングベスト100」という記事を書かせてもらった。
おかげ様ではてぶ数が690を越え、ホッテントリー入りし、10000人を超える人に見てもらうことが出来た。
だがこの記事は二匹目のドジョウではない。
もとよりこの記事こそが俺にとっての本番なのだ。
観た映画の数よりも読んだ小説の数の方が多い。
映画を好きだったんだなということは、記事を書いている時にようやく気付いたぐらいだったが、俺は昔から小説が好きだったしその認識はこの記事を書く前からあった。
それゆえに映画の時以上にこの記事については悩んだ。
100に絞るのは大変だった。
今回は映画の時以上にきつい縛りを設けていて、それはシリーズものは当然一作だが、一作家一作のみのエントリーにしようというものだ。
なので実際には100冊以上紹介することになると思う。
それでもとても大変だった。
「ランキング」とする以上、並べているうちにこの本がこの本より下とかありえないよな?とか思い始め、そうなると止まらず順位がかなりぐちゃぐちゃし始めた。
今回はあらゆるジャンルが一緒くたになっているので、文学とミステリーを比べた時にどうしてもミステリーが下になってしまう現象なんかにも悩んだ。
あるいは読んだ時と現在では価値観が大きく変わっていて、読んだあの時はすごいと思ったけど、今考えるとどうなんだろう?みたいなことにもなった。
だが別にこれは優れた小説ランキングではない。俺が「後世に残したい」「おすすめしたい」本ランキングなのだ。
そう思えた瞬間から楽になった。
「その人を知るにはその人が何に怒るのかを知ればいい」
これはハンター×ハンターという漫画に出てくる主人公の言葉だが、実に深い言葉だ。
「その人を知るにはその人が一番好きな本を読めばいい」
これは俺の持論だ。
本は確実にその人を形作るし、その人の価値観を形成するし、好きな本はその人を最もよく表している。
優れた人物は優れた本を読んでいるとさえ思っている。
だからこの記事は、これから先何千記事書こうが一番俺自身を表す名刺のような記事になるだろう。
この記事を書くのには実に60時間以上の時間がかかった。
でも実際には、映画の時にも言ったように、今までの人生+60時間の時間がかかったのだ。
今回も映画の時同様目次はつけない。
それは俺のわがままだ。よろしければ一冊づつ本が出てくることを楽しんで欲しい。自分の好きな本がランクインしているのか、何位に出てくるのかを楽しみながら見てもらえたら幸いだ。
なにせ良い本ばかりを集めたのだ。
それと、今回もリンクとか広告は貼らないことにした。その代わりと言ってはなんだがこの記事が気に入ったら何らかの形で拡散してくれるとありがたい。正直、この記事はできるだけたくさんの人に読んで欲しいと思っている。
また前置きが長くなってしまった。
それでは「小説家になりたかった俺が人生をかけておすすめする後世に残したい小説ランキングベスト100!」を楽しんでくれ。
*目次は文の最後につけておいた。順位だけ知りたい人はそちらだけ見てくれ。
第100位:下町ロケット 池井戸潤
江戸川乱歩賞の受賞作品はほとんど読んでいて、池井戸潤のデビュー作であり乱歩賞受賞作「果つる底なき」も読んでいる。そこからずいぶんと成長したよなぁと思うのが直木賞受賞作となった「下町ロケット」だ。
江戸川乱歩賞受賞者において、それはあらゆる新人賞でそうかも知れないけれど、デビュー作から成長する作家とデビュー作が最高である作家に分かれる訳だが、池井戸潤は完全に前者だったというのが同作を読むとよく分かる。
ちなみになんでそんな江戸川乱歩賞に詳しいかと言うと、実は俺も応募したことがあるからだ。
結果は一次予選も通らなかった。
それを最後にもう何も書いていないし何も応募していない。
だからこの記事を書くとき、この小説から始めたかったんだよな。俺のブログは様々な挫折経験から始まっている。
この記事も、そんな経験から始めたかったんだ。
第99位:アルケミスト 夢を旅した少年 パウロ・コエーリョ
ブラジルの作家パウロ・コエーリョが母語であるポルトガル語で書いた小説。
世界67か国語に翻訳され、世界全体で3000万部という途方もない数売れた本でもある。
南米と言えばマジックリアリズムが文学の潮流で、この本もある意味その1つの流れと言えるかも知れない。
錬金術師と訳されるアルケミストというタイトルの通り、錬金術師は出てくるし、占いは成就するし、主人公の少年は何か大きな力に導かれている。
途中で持っていた財産をだまされて奪われたり命の危機に陥ったりするのだが、それでもなんとかなってしまう。
完全なご都合主義なのだが、それを見てイラつくこともなく、まぁいいかと思えてしまうような雰囲気を持っていて、この話の中でなら何が起きても許せるという気になってくる。
作者のパウロ・コーリョはいつもフラフラと世界中を旅してしまう性格のようで、若いころは学業を放棄して世界をめぐる旅に出て、社会人になってからも仕事を放り出して世界をめぐる旅に出てしまったらしい。
そういう人物だからこういう本が書けるんだろうなぁ。
この作者も主人公の少年同様、あるいはこの物語の根底に流れているような、なんとでもなるさ、どうとでもなるさ、「おまえが何か望めば、宇宙のすべてが協力して、それが実現するように助けてくれる」という考えの持ち主なんだろうなぁと思う。
この本は子供の為に書かれた本なのだが、ある意味子供の頃には信じていたことが信じられなくなってきた大人が読むべき本なのかも知れない。
芸能人にも愛読者は多いようで、森山未來なんかは会う人に名刺代わりに渡しているほどなんだとか。他にも戸田恵梨香や本仮屋ユイカ、海外ではブリトニー・スピアーズやジュリア・ロバーツなど数多くの人が愛読書として名前をあげているほどで、成功するにはやはり、何より成功することを信じることなんだろうなと、この本とその愛読者を見ていると思う。
求めよ、さらば与えられん!という言葉があるが、求めなければ何者も得られないよなぁ。
第98位:死者の驕り 大江健三郎
1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の代表作。
大江健三郎の本は何冊か読んだのだけれど、やはり死者の奢りがダントツかなと思う。
これを読んで同い年のムツゴロウさんこと畑正憲が大変ショックを受けたという話があるけれど、気持ちはよくわかる。
同年代の人がこんなの書いてたら自分はどうすりゃいいんだよ…ってなるわな。
あらゆる意味でヤヴァイ一作と言えるだろう。
第97位:三つの棺 ディクスン・カー
ディクスン・カーは生涯を密室トリックに捧げた推理小説家だが、その中でも最高傑作は「三つの棺」ではないかと思う。
ミステリーゆえにネタバレはできないが、小説の中で密室講義を始めるというウディ・アレンもびっくりの演出で、所謂本格ミステリー好きな人は楽しめると思う。
ただ、密室トリックをはじめとした本格ミステリーが好きじゃない人にはなんじゃこりゃ?な感じかも知れない。それはこの小説に限らず全ての推理小説に言えることかも知れないけれど、本格ミステリーと言われる小説は特にこの傾向が強いよなぁ。
第96位:空中ブランコ 奥田英朗
2004年に直木賞を受賞した奥田英朗の代表作で、風変わりな伊良部医師のもとにやってくる人々が精神的に立ち直っていく話。
伊良部医師のキャラクターが強烈で、医学部の厄災と言われるほどエキセントリックな人物で、大学時代は落ちこぼれ、卒業当初は小児科に配属されるも子供と同じレベルでの喧嘩が絶えず、院長である父のはからいで地下の神経科の医師を務めている。
続編の「インザプール」も傑作で、それらを読んでもなお伊良部医師が名医なのかやっぱりヤブ医者なのかよくわからない。
でも、伊良部総合地下の神経科に通った人たちが自分の人生を取り戻しているのは確かで、不思議なほど読後は非常にさわやかな気分になれる。
神経科という重そうな舞台を軽やかなコメディタッチで描いているので読みやすく、万人に勧められる稀有な小説だと言える。
第95位:僕僕先生 仁木英之
第18回日本ファンタジー大賞を受賞した作品で、色々な意味で問題作。
美少女の姿になった仙人に段々恋をしていくという内容は、色々と示唆に富んでいると思う。
好きなのは外面なのか内面なのか。
第94位:イッツ・オンリー・トーク 絲山秋子
芥川賞作家絲山秋子のデビュー作。
等身大の人間が、等身大のキャラクターを描いた作品で、特別な人間も出てこなければ特別な事件が起こる訳でもない。
壮大なテーマもなければ感動的でもない。
ただただ普通の人間が、普通の何かを求める話。
そういう小説が一冊ぐらいランクインしてもいいかなと思う。なにげにこの小説、3回ぐらい読んでいる気がする。
第93位:テロリストのパラソル 藤原伊織
全部読んだ訳ではなく、9割ぐらいの本しか読んでないのだが、歴代江戸川乱歩賞の中で最高傑作はどれか?と聞かれたら、やはり「テロリストのパラソル」と答えるだろう。
江戸川乱歩賞は誰でも応募の出来る新人賞である。しかし同書は江戸川乱歩賞の受賞作であると同時に直木賞をも受賞してしまったのだ。それはあまりにも快挙なことだった。
展開に粗さやご都合主義も多々あり、個人的には必ずしも好きという訳でもない。少々偶然が重なりすぎだろうと思う。
東大卒業で電通勤務という経歴だって好きじゃない。。
でも、それでも「テロリストのパラソル」は評価せざるを得ないだろう。
第92位:日の名残り カズオ・イシグロ
2017年にノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロが、1989年に出版し、イギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞した一冊。
ある大邸宅の執事であるスティーブンスが過去を思い出しながらイギリスの近現代史を語るという形式の小説で、特に大きな事件が起こる訳でもなく淡々とした調子で進んでいく。
ともすれば一人の老人の回顧録であり、一人の老人が過去の恋愛を懐かしんでいるに過ぎないのだが、ある意味そこにこそ魅力がある。
和歌で言うところの幽玄の美のような味わい深さがあって、松尾芭蕉の「しずけさや 蛙飛び込む 水の音」のような静かだが味のある一作だと言える。
映画で言ったら小津安二郎「東京物語」に近い雰囲気があるかもしれない。
イギリスも、今の日本と同じように衰退していくしかない国家の一つで、この物語と言うべきか、「日の残り」は一次大戦から二次大戦の話を1950年代に振りかえるという構成になっていて、随所にチャーチルだとかヴェルサイユ条約とか出てくるので、歴史小説という見方もできるかも知れない。ある種衰退していく国と自らの職務と権限と、そういった閉塞感に抗うでもなく受け入れていくスティーブンスの存在は、亡国の民と言った見方をどうしてもしてしまう。
そのような亡国の民を透明度の高い文章で描いており、それゆえに品格が備わった印象になっていて、大きなお屋敷の執事だったスティーブンスの回顧を色濃くしている。
良くも悪くも読んでいる人間の「老い」が出てくる小説で、自分がもし20歳ぐらいの時にこの小説を読んでいたら反発していたかもしれない。
だが30代になり、この小説を、スティーブンスを受け入れられるようになってきたんだと思う。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
成長とは、抵抗の力を一つずつ失っていくものなのかも知れない。
あるがままを受け入れられるようになることを、成長と呼ぶのか老いと呼ぶのか。この小説を読んでいると考えさせられる。
第91位:曹操 陳舜臣
色んな人が色んな曹操を書くんだけど、個人的には陳舜臣の描く曹操が一番好きかな。
曹操は明代に成立した三国志演義だと完全に悪役なんだけど、個人的には世界史レベルの傑物だと思っていて、古代ローマのカエサルや日本の戦国時代の織田信長のように「創造的天才」だと思っている。
横山光輝三国志みたいに「げぇ、張飛!」とか言ってやられ役になっている曹操も結構好きなんだけど、やっぱり時代の覇者として主役になるべき人物。
余談だけど陳舜臣の先祖は陳羣という人物で、実際に曹操の家臣だったというから面白いなと思う。
第90位:神様からの一言 荻原浩
大学生の頃に読んだ本。
神田の三省堂かなんかでおすすめの本みたいな感じで棚にあったんだったかな?
荻原浩さんの本が好きで、結構読んでいるんだけれども、個人的にはこの「神様からのひと言」が一番好きかな。
多分、渡辺謙主演で映画化もされた「明日の記憶」が一番有名なんだろうけど、この小説は色々と見事だと思う。キャラクターも構成も見事だし、ラストシーンも結構好き。
大学の頃、とにかく就職したくなくて、この本を読んで就職するのを辞めたほど。この小説に出てくるおでんの話がとにかく印象的で、結局会社員も経験したんだけど、本当にこの小説に出てきたおでんの話の通りだよなぁと今でも思う。
最終的にいなくなった彼女に再会できるのも良い。
第89位:殺戮にいたる病 我孫子武丸
「おすすめランキング」と言いながら果たして本当におすすめしていいのか迷う本が何冊かあるが、この本もそんな一冊。
なにせかなり描写がグロテスクで、人によっては徹頭徹尾受け付けないかもしれない。
俺が推理小説にはまったのは金田一少年の事件簿と子供の頃にやった「かまいたちの夜」というゲームの影響が強くて、そのかまいたちの夜のシナリオを描いたのが我孫子武丸だった。
我孫子武丸の書いた本は大体読んだのだが、やはりこれが一番の傑作だと思う。
けどなんだろう、読んだ時は凄いと思ったけれど、今思うとそうでもないのかも知れないと思えてきた。
読書というのは読んだ時の感覚と現在の感覚が違うことが往々にしてあるもので、それは読書に限らずあらゆるものがそうなのかも知れない。
子供の時はアニメとかが好きだったけど、今は全く見ない訳だし、最近は推理小説よりも文学とかの方が好きになってきた。
良い意味で成長してきているのかなぁと思う反面、以前ほど色々なことが楽しめなくなってしまっているのも確かだよなぁとも思う。
第88位:山月記 中島敦
唐の時代、エリート中のエリートだけが受かる科挙試験に若くして受かった李徴は、功名心からさらなる名声を求め、詩人になるべく官職を辞する。
その後人々は李徴の名を聞くこともなく、やがて人々は彼を忘れた。
時は過ぎ、唐王朝で官吏になった袁傪はある日虎に出くわす。慌てた袁傪だったが、虎は彼を見てさめざめと泣き始め、自分のことを語り始める。
虎は李徴だったのだ。
李徴は肥大化した自尊心から虎になってしまったと語り、やがて自分は完全に獣になってしまうだろうと語った。
袁傪は李徴に同情し、涙を流す。
言ってしまえばそれだけの話なのだが、これだけの話を文学として昇華させるのだから中島敦という人物の才覚たるやすさまじいものがあったと思う。
わずか33歳で亡くなってしまったため作品数は少ないが、もう少し長生きしていたらと思う人材の一人である。
代表作である「山月記」は読む人によって形を変える不思議な小説である。
清代に成立した説話「人虎伝」をもとにしているが、その内容はあらゆる時代にあてはめることが出来るから面白い。
現代社会で考えるのであれば科挙を国家総合職試験としてもよいだろう。
どれだけ優秀な人物でも地位を失ってしまえばその人は有能ではなくなってしまう。
もちろん三島由紀夫みたいに官僚辞めて作家として大成功する人間も中にはいるんだけど、世には成功者の話しか残らない。
昔、大学4年生の時、友人が超一流企業への内定が決まったので新宿で皆でお祝いしていた。するとそれを知った店員さんが一品サービスをしてくれた。
「いい会社に入ったんだから辞めない方がいいよ。自分の能力を過信して独立して、今居酒屋店員やってる僕みたいなのもいるからね」
失礼ながら俺はその店員さんにどこの会社にいたか聞いてみた。TOYOTAだった。山月記について考える時、なぜかいつもそのことを考えてしまう。
山月記のとらえ方は様々あるだろう。視点によっては、人には向き不向きがあるという話にもとれる。
天分を全うしなければ悲劇になる。
科挙は100人に1人受かるかどうかのテストで、その合格はすなわち成功を意味した。しかしそれを自尊心から辞してしまい虎になってしまった。
あるいは望み過ぎるとロクなことがないという話かも知れない。
李徴は詩人には向いていなかった。
向き不向きとは面白いものだ。
国語の教科書に必ずと言っていいほど載っている「春暁」は、作者の孟浩然が科挙試験に失敗してできた名作なのだ。
孟浩然は科挙に失敗しても虎となることなく詩人として名をなした。
李徴はまるで逆だった。
第87位:黄色い部屋の謎 ルルー
ガストン・ルルーと言えば「オペラ座の怪人」が有名な訳なんだけど、自分の中では断トツで「黄色い部屋の謎」なんだよなぁ。
実際に黄色い部屋の謎が解けた時には「あぁ、そうか!」と思わず手を叩いてしまったほどだ。
第86位:アルジャーノンに花束を ダニエル・キイス
文体のみで主人公チャーリーが知能を得、それを失うまでを表現した一作。
この小説を読むにつけ、人間の幸福とは何だろうということを考えてしまう。
「ignorance is bliss」 という言葉があって、無知と言うのは幸福であるという考え方がある。
チャーリーはロボトミー手術を受けて知能を得る訳であるが、結局手術は不完全でもとに戻ってしまう。
その過程を読んでいくにつれて、チャーリーは手術を受ける前の方が幸せだったんじゃないかとさえ思うのは俺だけじゃないと思う。
チャーリーは周りが自分を馬鹿にしていることさえ知らなかった。でももうそれを知ってしまった。知ってしまったのにまたそこに戻らなければならないのだ。
チャーリーは何を得たのだろう?
実は失った何かの方が多かったんじゃないだろうか?
とても辛い小説である。
でも、やはり傑作であると思う。
第85位:デヴィット・コパフィールド ディケンズ
サマセットモームが選ぶ「世界十大小説」の一つ。
イギリスが誇る大作家ディケンズの代表作で、ユライア・ヒープやスティアフォースなどかなり印象的な人物が出てくる小説。この話の登場人物をもとにしたロックバンドとか結構イギリスにはあるみたい。
十大小説の中でも良くも悪くも重みはなくて、わりとすらすら読めるけれど深みも他の小説と比べてしまうとなぁという感じがする。もちろん十分傑作ではあるけれども。
様々な登場人物が出てくるけれど、好きなキャラクターも嫌いなキャラクターも人によって分かれそうだな。
少年ジャンプみたいにこの本のキャラクターの人気投票やったら面白そうだ。
第84位:不夜城 馳星周
やっぱり名作だよね。
地方に行くとやたら「不夜城」という名のホテルを見かけるのはさておき、日本人と台湾人のハーフである劉健一を主人公とした小説で、なかなか魅せるワイルドな一作。
金城武主演で映画化もされているのだけれど、これを書いている時点では 実はまだ見てない。。
原作を読むとその映画をあまり見たくなくなるのは俺だけじゃないはずだ。
大体の映画は小説を越えられないというのが俺の中のデフォルトで、記憶にある限り原作を超えた映画ってあまりない。漫画原作の「デスノート」ぐらいじゃなかろうか?
原作を好きなら好きなほど映画は見たくなってしまうんだよなぁ。
第83位:幸福な王子 オスカー・ワイルド
「民主主義とは 人民の人民による人民のための 脅しにすぎない」
数多くの名言を残したオスカー・ワイルドだが、数多くの名作も残している。
「サロメ」や「ドリアングレイの肖像」は世界史の教科書に載るレベルで、俺はその中でも特に「幸福の王子」を推したい。
これほど美しく、これほど悲しく、そしてこれほど残酷な話は他にないのではないだろうか。
いい意味でも悪い意味でも、どうしてこんな儚い話が書けるのだろう?
「人」の持つ美しさと醜さを書いた童話で、表題の「幸福」とはどういうことだろうと考えずにはいられない。
第82位:十角館の殺人 綾辻行人
この小説をこのランキングに入れるかどうかはものすごく迷った。
この小説に限らず推理小説をこのランキングに入れるのかどうかは難しいところであった。
年を経るごとに推理小説への評価は下がっていく。反対に子供の頃はつまらないと思っていた文学への評価は上がっていくから不思議だ。
十角館を最初に読んだ時は衝撃的だった。
この小説はアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を下敷きとして作られた小説で、ともすれば陳腐なのだが、推理小説が好きな人は楽しめる内容になっていると思う。
俺はこの本が好きで友達に勧めたのだが、読んだけどイマイチだったという感想が返ってきた。アマゾンでのレビューも☆3.5だし、好みがかなり分かれる小説だと思う。
個人的には面白いしおすすめしたい小説なんだけどなぁ。
第81位:フラニーとゾーイ J・D・サリンジャー
風呂場で長々と話をしている兄と妹の話。
俺の大学時代の親友の1人が過去に読んだ中でも最高傑作だったという一作で、正直読むのが苦痛な中読み終えた。
なにせ話が全然進まない。もう全然進まない。なんか川の流れに逆らってオールを漕いでいるような気さえする。
一体この話はどこに向かって行くんだろう?
正直挫折しそうになったが、それでも人に紹介された本はできるだけ読んでみようと思う性質なので頑張って最後まで読んでみた。
傑作だった。
特に最後の方。
名作とはやはり読了感なのだと思う。
最後の最後に救われる話で、フラニーが救われるとともに読者も救われるという稀有な小説。
この小説は、最後の1ページの為にある。
村上春樹訳もあるけれど、やっぱり野崎さんの訳がいいな。
第80位:変身 カフカ
順位が低すぎるかなという気はするけれど、やはりこんなものかなとも思う。
グレゴール・ザムザがある日起きたら巨大な虫になっているという話で、何の救いもなく虫のまま死んでいくだけの話。
ザムザに優しくするものもなく、家族や同僚からは忌み嫌われ、徹底的に何の救いもない。
まさに「不条理」
カフカは1883年に生まれて1924年に亡くなったチェコ人。ヘミングウェイ達所謂ロストジェネレーション世代よりも1世代前の人物で、意外にも生前は全く評価されず、生涯を郵便局の一職員として過ごしたという。その評価が高まったのは死後の話で、芸術家としては珍しくないが小説家としては珍しい部類の人物だ。
「変身」が刊行されたのは1915年なので一次大戦中だが、書かれたのは1912年らしく、大戦による不条理を書いた訳ではないのだが、この時代になるともはや避けられない大きな力に呑まれていくことに、抵抗さえできない閉塞感が漂っていたんだと思う。
この手の閉塞感はどの時代にもあって、今の時代にも当然ある。
地位も金も名誉も愛もなければ、誰もがグレゴール・ザムザになる可能性がある訳で、ある意味我々などその程度の存在なのかも知れないと思わせる。
なのに不思議と絶望感はなく、その程度なんだと思うと楽になったりするから人間というものは一口には語れない。
第79位:後宮小説 酒見賢一
第一回日本ファンタジー大賞の受賞作。
確か恩田陸が影響を受けた小説として紹介していたのを見て読んだんだったと思う。その割に恩田陸の小説はランクインしてないんだけども。。
中国の歴史を下敷きにしたファンタジーで、俺みたいな中国史好きには大変良い小説。逆に歴史嫌いの人にはおすすめできないかも知れない。
選考委員だった井上ひさしが言った 「シンデレラと三国志と金瓶梅とラスト・エンペラーの魅力を併せ有す、奇想天外な小説」という書評がその通りで、これらの話が好きな人ははまると思う。
個人的には最後の一文がとても好きだった。思わず「俺もそう思う」と言いたくなるような一文。
第78位:Xの悲劇 エラリー・クイーン
エラリー・クインはフレデリック・ダネイとマンフレッド・デニントン・リーの2人組の作家のペンネームで、著書名だけでなく物語の中で活躍する名探偵の名前でもある。
「Xの悲劇」はそんな2人が別のペンネームであるバーナビー・ロスを使って書いた作品で、元シェークスピア俳優のドルリー・レーンを主人公とする探偵小説であることからレーン4部作とも呼ばれる。
一般的には「Yの悲劇」がその意外過ぎる犯人やプロットの妙から最高傑作と言われるしそのことに異論はないのだけれど、個人的には「Xの悲劇」の方が好きなのでこちらをランクインさせた。
是非シリーズで読んでみてほしいと思う。
第77位:シッダールタ ヘッセ
1946年にノーベル文学賞を受賞したスイスの作家ヘルマン・ヘッセの代表作。
「車輪の下」の方が有名だが、個人的には「シッダールタ」の方が好き。
ちなみにゴータマ・シッダールタこと釈迦の伝記とかではなく、ある意味シッダールタはヘッセ自身を投影した姿ともいえるかも知れない。
150ページぐらいですぐに読めるので、まだ読んでない人にはぜひ読んで欲しい一冊。
第76位:生きる 乙川優三郎
黒澤明監督の「生きる」とは一切関係のない乙川優三郎の「生きる」
同作は2002年に直木賞を受賞した短編小説で、藩主への忠誠を誓う武士が「追腹」を禁じられて生き恥を晒しながら生きながらえねばならなくなった状況を見事に描き切っている。所謂0年世代における日本語で書かれた小説の最高傑作ではないかと思っている。
この小説はある種時代の閉塞感を表しているかも知れない。
自分の向きたい方向に向けない、何か大きな力によって動けない。でも生きるしかない。
その上で「生きる」とはどういうことなのか?その問いに真正面から向き合っ傑作。
読んでいる最中は辛いのだが、読み終わった後は不思議とさわやかな気分になれる不思議な小説である。
第75位:興奮 ディック・フランシス
女王陛下の専属騎手を務めたこともあるディック・フランシスが、その経験を元に描いた傑作。
騎手としての経験をもとに書かれた上質なミステリーで、ディック・フランシス自体は英国推理協会賞やアメリカのエドガー賞も受賞していて、晩年には英国推理協会の会長を務めていた人物でもある。
イギリスの障害レースで立て続けに起きた不自然な大穴について調査していく話で、推理小説の白眉という言葉がぴったりくる一冊。
ディック・フランシスが書いた小説には傑作が多いが、個人的にはやはり「興奮」が一番かな。
第74位:奪取 真保裕一
1991年に江戸川乱歩賞を受賞した真保裕一の最高傑作。
「奪取」は山本周五郎賞と日本推理協会賞を同時受賞した作品でもあって、多少の粗さはあるものの、そのスピード感と爽快感は他の追随を許さないほど。まるで映画をみているみたいに小説を楽しめる。
最後のオチには賛否両論あるかも知れないけれど、個人的には結構好きかな。
ちなみに真保裕一と「生きる」の乙優雄三郎は実は同じ高校出身で、ついでに俺も同じ高校出身であったりする。
高校の教師の話では、真保裕一は一時期水道やガスが止められるほど困窮していて、卒業生の中でも断トツで貧乏だったらしい。しかし時は移ろい、彼は卒業生の中でも最も成功した人間となったのだから人生はわからない。
第73位:はつ恋 ツルゲーネフ
ツルゲーネフに関しては「父と子」とものすごく迷った。
迷ったあげくツルゲーネフと言ったらやはり「はつ恋」だろうということでこちらをランクインさせることにした。
もちろん両方おすすめ。
読むたびに印象の変わる作品で、高校時代、誰かが言っていた「真の傑作というのは読む年代ごとに色を変える」という言葉を思い出す。
そういう意味でツルゲーネフの「はつ恋」は真の傑作なのだなぁと思う。
第72位:深夜プラス1 Midnight Plus One ギャビン・ライアル
結構好き嫌いが分かれるかも知れない。
俺はもちろん好きなのでランクインさせている訳だが、いい意味で漫画的で、臨場感あふれる描写と練りに練られた秀逸なプロットは傑作と呼ぶにふさわしいと思う。
冒険ものの最高傑作で、ルパン三世とか好きな人なら好きだろう。
漫画のワンピースとか進撃の巨人とかもそうだけど、名作には「伏線と回収」が欠かせない。
「深夜プラスワン」はそのお手本のような物語で、しっかりと伏線が貼られ、しっかりと回収されている。
こんな何気ない描写が後でこんなところで出てくるのか!と喜べるタイプにはおすすめ。
第71位:新宿鮫シリーズ 大沢在昌
キャリア官僚でありながら過去に巻き込まれた事件の影響で一匹狼となった鮫島の活躍を描いたシリーズ作品。
何人かは同じキャストなはずなのに、作品ごとに雰囲気や色合いが違い、そしてそのどれもが傑作レベルという稀有なシリーズ小説。
シリーズ第4作「無間人形」が直木賞に輝いた訳だけど、個人的には第二作目の「毒猿」が好きかな。なんとも切ない話なんだよな。
第70位:リプレイ ケン・グリムウッド
何回も同じことを繰り返す「ループもの」というのは、映画や小説、アニメに漫画など、もやは陳腐化してしまったと言ってもいいほど使い古されたジャンルになってしまったが、その元祖と言えるのが世界幻想文学大賞を受賞したケン・グリムウッドの「リプレイ」である。
完成度が非常に高く、映画である「バタフライエフェクト」とか「バックトゥザフューチャー」などが好きな人にはお勧め。
第69位:敦煌 井上靖
日本を代表する歴史作家である井上靖の最高傑作。
中国宋の時代、科挙試験に失敗した男が売られていた女性を助けるところから始まる数奇な運命を描いた作品で、歴史好きでなくとも楽しめるし、歴史好きなら絶対に読むべき一冊。
井上靖の本は「天平の甍」「楼蘭」「蒼き狼」「風林火山」などの歴史小説はもちろん「あすなろ物語」や「しろばんば」などの非歴史小説もおすすめできる。
歴史作家というよりも、作家が歴史を扱っているという感じかも知れない。
第68位:華氏451 レイ・ブラッドベリ
「書物」を持つことが禁じられたディストピアを描いた作品。
SFの括りになっていて、あり得ないことであるように思われるが、歴史上において思想統制や文化的破壊などは結構行われている。
始皇帝のやった焚書坑儒やテオドシウス帝のローマ文化の徹底破壊、清王朝における文字の獄など例を挙げれば枚挙にいとまがない。
華氏451°というのは本が燃える温度のことで、この世界において本は見つけられ次第燃やされる。
そのようなことが行われるのは本などあれば為政者の邪魔になるからで、国民の知能は低い方が良いとする政策が採られているからだ。
今でも北の国などはそのような政策をとっているし、日本と言う国でも「ゆとり教育」といって経済界が主導で行った政策が採用された過去があり、それも遠く昔の話ではない。
だが、どれだけ国が文化や人類の叡智を奪い禁止しようとも、その知識や技術などの伝播は防げない。
「本当の財産は頭の中にだけある」
この小説を一言で表すならこの言葉に集約されるだろう。
それを伝える人間がいる限り、それらは死なないのである。
第67位:第三の時効 横山秀夫
横山秀夫の代表作と言えば映画にもなった「クライマーズハイ」が有名だが、横山秀夫の最高傑作と言えば短編「第三の時効」であろう。
ミステリーなのでネタバレできないが、これは大半の人が「面白い!」という感想を持つはず。
個人的に日本の短編ミステリーの中で最もおすすめなのは?と聞かれたら「第三の時効」であるとまず真っ先に答えるだろう。
第66位:ガープの世界 The Wolrd According to Garp ジョン・アーヴィング
村上春樹をはじめ多くの作家が影響を受けたと公言するジョン・アーヴィングの「ガープの世界」
全米を代表するフェミニストの母のもとに生まれたガープの生涯を描いた傑作で、ガープは作中多くの傷を負うことになる。
それは心の傷でもあるし肉体的な傷でもある。
信頼、裏切り、喪失、理不尽、人間のあらゆる負の面がガープを襲う。
ガープの世界はある意味当然の如く現実の世界での出来事ではない。でもだからこそ、なぜか現実の人間が浮き彫りにされているのである。
邦題は「ガープの世界」だが、原題は「The Wolrd of Garp」ではなく「 The Wolrd According to Garp」である。直訳したらガープによる世界であろうか。
文学というものは現実を書いたものでなければならない。
アメリカ文学は、北米も南米も含めその呪縛から脱却した。
南米はマジックリアリズムを発展させたし、日本にも北米文学の影響を受けた村上春樹があらわれた。
文学とは自由である。
その自由さをどこまで許容するかで、この本を読んだのちの感想は大きく変わるような気がする。
それはきっと「ガープの世界」が傑作であることの証明なのだろう。
第65位:魍魎の匣 京極夏彦
サイコロ本と通称されるほど長い小説を書くことに定評のある京極夏彦の代表作。
日本ミステリー小説の中でも確実に10指には入るであろう傑作で、とにかく長いんだけど読みやすく、後半の怒涛の展開は圧巻。
雰囲気やキャラクターはクセが強いので好き嫌いが分かれそうで、実は俺はこの本が「好き」という訳ではない。
ただ、それでも読んでしまうのは筆者の筆力がなせる業なのだろう。
このランキングにも好きだから入れている本もあれば好きじゃないけどこれは評価すべきと思って入れている小説もある。同じ作者の小説でも、好きな方を載せている場合もあればできの良い方を載せている場合もある。
好き度で言ったら「絡新婦の理」の方が高いんだけど、完成度で言ったらやっぱり「魍魎の匣」で、今回は「魍魎の匣」をランクインさせた。
やっぱり圧倒的に面白いんだもの。
第64位:転生夢現 莫言
中国籍の作家として初めてノーベル文学賞を受賞した莫言の代表作。
この本を読んだ時はまだノーベル賞前だった気がする。
この作家の何が凄いって小学校を中退して軍隊に入って小説を書いて世界的な傑作を生みだしたところだろう。
中国というと武侠小説が有名だけど、この話は中国が共産党になった瞬間に殺された地主が何度も人以外の姿をとって転生することで中国の歴史を体験していくという壮大なもので、この小説そのものが現代中国史になっていると言っても良いかもしれない。
ただ、文化大革命のあたりは微妙にボカしてあるので、まだまだ言論の自由とは程遠いのかも知れないなとは思う。
この転生夢現は構想もすごいのだが、莫言の筆力がすさまじく、悲惨な話でもあるのになぜか陽気な文体になっていて、読んでいて全く辛さを感じさせないようになっている。
純粋に面白いので「文学」が苦手な人にもおすすめできる一作。
10億人もいたらやはりこういう人も出てくるよな。
第63位:モモ ミヒャエル・エンデ
ミヒャエル・エンデというと映画の影響もあってネヴァー・エンディングストーリーのイメージが強いと思うが、個人的には「モモ」を書いた人のイメージが強い。
モモは小学生の頃の教師が繰り返し褒めていた作品で、個人的にはその教師には反感をもっていたので長い間モモは読まなかった。
なぜそれを読もうと思ったのかはわからないが、結局20代の半ばあたりでモモを読んだ。
子供向けかと思っていたのだが、内容は子供以上に大人向けだと思う。
モモには宿敵がいる。
時間泥棒だ。
時間泥棒は時間を盗む。けど、盗まれた人には盗まれた感覚はない。
時間泥棒は巧妙だ。「時間を貯金できて好きな時に使えますよ」そう言って時間を人々から盗んでいくのだ。
これは非常に示唆に富んでいて、例えば新幹線が出来て移動の時間が減った、例えば洗濯機によって洗濯の時間が減って家事の時間が、オートメーション化によって人々の労働時間が、それぞれ減ったはずだった。
なのに誰もそのことで余裕ができたとは思っていない。それどころかむしろ人々は余裕をなくしている。
モモが刊行されたのが1973年。それから40年以上が経ち、それは加速した。
おかしいんだよな。節約できたはずの時間は我々に余裕を与えてくれないんだ。
モモは、現代人が忙しさの中で我を忘れている21世紀にこそ読んで欲しい本であり、読むべき本なのだと思う。
第62位:そして誰もいなくなった And Then There Were None アガサ・クリスティ
この本は当初もっと上だったんだ。
この本に限らず、どうしてもこのようなランキングになると「本格ミステリー」は順位が下がってしまう。
それもいたしかたないのかも知れない。
「そして誰もいなくなった」という名前がすでにネタバレなのに驚きをもって読めるのは流石アガサ・クリスティと言わざるを得ない。
初めて読んだ時の衝撃たるやすさまじいものだったのだが、段々と粗が目立ってしまうのも本格ミステリーのお約束なのかも知れない。
「十角館の殺人」や西村京太郎の「殺しの双曲線」などの傑作オマージュを誕生させ、その後のミステリー全てに影響したとさえ言われるアガサ・クリスティの代表作。
「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」の3作である意味奇抜な発想の本格ミステリーの雛型は出尽くしてしまった感じさえある。
世界的な歴代ベストセラーランキングを出すと圧倒的に1位は聖書、2位はシェークスピア、3位はアガサ・クリスティになるそうだ。
代表作3つをよむにつけ、その理由がよくわかる。
第61位:三国志 吉川英治
横山光輝「三国志」の原作にもなった吉川英治の傑作。
このブログを見てわかる通り俺は三国志好きで、御多分にもれずこの小説の影響を強くうけている。
本当は「宮本武蔵」もランクインさせたいぐらいなんだけど、世界史ブログとしてはやはり「三国志」を入れない訳にはいかない(><)
どうやったらこんなにも面白く三国志を描けるんだろうと本気で思う。
ちなみに吉川英治三国志は明代に成立した「三国志演義」という史実をもとにした創作なので、実際の歴史とはだいぶ異なる点には注意したい。
ちなみに俺は結構長い間吉川三国志の内容を本当の歴史だと思っていた口だ。
まぁ、演義の方が面白いんだけどさ。
第60位:悪童日記(Le Grand Cahier) アゴタ・クリストフ
マザー3というゲームが「悪童日記」という小説から着想を得たと聞いて読んでみた。
読み終わった後思わず声が出た。
「悪童日記」は少なくとも俺が知っている小説のどれとも似ていない。
何のジャンルに近いかと言うと、あえて言うならハードボイルドだろうか。
ハードボイルドの主人公は大体おっさんだが、この小説の主人公はまだ10歳ぐらいの双子だ。あるいはまだ乳歯の時代だからもっと前かも知れない。
この小説の舞台は明記されていないけれども多分作者が幼少期を過ごした二次大戦中のハンガリーであろうという前提で注釈がなされていて、きっとそうなのだろう。ドイツに支配され、その後はソ連に支配された国ハンガリー。
日記は双子が母親の許から祖母のもとへ預けられるところから始まるが、まずこの祖母が凄まじい。
風呂には入らないし村人からは魔女と呼ばれているし、双子の母親から送られてくる仕送りは着服するしガメツクてすさまじい。
他の村人たちもさもありなんだ。
双子の前には圧倒的な現実が展開されていくわけだが、何と言えばいいのだろうか、双子は何も寄せ付けない、それは強さと言っていいのか、冷淡で、冷酷で、ただ事象をそのままとらえていく。
あまり書き過ぎるとネタバレになってしまうが、そこには倫理や思いやりなどはない。かといって野生的でもない。
圧倒的に残酷な世界なのに、双子の目を通してみる世界は全く残酷ではなく、全てがそのままの事実なのである。
そこには感情は書かれない。だから双子が実際にどう感じたかまではわからない。
感じるのはあくまで読者の役目なのである。
事実にどのような価値を与えるのか?
この小説はそれを読者に問うているような気がしてならない。
確かなのは、「悪童日記」は世界的傑作であるということだろう。
それほど時間も食わないので、これは是非読むべし。
第59位:タフの箱舟 ジョージ・R/R・マーティン
「こいつぁ面白い!」と思わず叫びたくなるのがヒューゴー賞やネビュラ賞などアメリカの大きな賞をたて続けに受賞したジョージ・レイモンド・リチャード・マーティンの書いたタフシリーズだ。
短編というより中編の連作で、宇宙一がめつい商人であるタフが宇宙を舞台に商売をしていく話。
タフが前面に立ってあれやこれやする話もあれば忘れたころに出てくる話もあって、純粋に面白い小説を求めている人にはおすすめ。
問題なのは、現在絶版となっているようで入手困難な点かな。
面白い本でも絶版になってしまう現実は、なかなかどうして如何ともしがたいものがある。
第58位:ムーンパレス オースター
ポール・オースターもまたどの本を選ぶか迷う作家の1人だった。
「鍵のかかった部屋」「幻影の書」「孤独の発明」「最後の物たちの国で」
ポール・オースターには傑作が多すぎる!
でも結局最初に読んだ「ムーンパレス」が一番かなぁ。
ディケンズの「大いなる遺産」に似た話なんだけど、ある種ポール・オースターらしさが一番出ている気がする。
柴田元幸さんの訳も素晴らしくて、同氏が書いた翻訳の本もおすすめ。
翻訳ものは訳者の力量も大事だよなぁと感じさせる一作でもある。
それにしても、大学生を主人公とした話はなぜこうも楽しいのだろうか。
第57位:僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
本格ミステリー界のいわばレジェンドと言っても良いのがヴァン・ダインその人であろう。
ハーヴァード大学を卒業したあと評論家として活躍していたものの当時は第一次世界大戦中、不安定な生活と不安定な時代を背景にヴァン・ダインは長期の入院生活を送ることになってしまう。
その2年間の生活の中で約2000冊もの本を読み、退院後に第一作「ベンスン殺人事件」を出版するとたちまちベストセラーに、50歳で死ぬまでにワンダース(12冊)の本を出版した。
本格ミステリーにおける決まり事「ヴァン・ダインの20則」の他「1人の作家が書ける本当の傑作は半ダース(6冊)まで」など後世に影響を与えるような言葉を残している。
「僧正殺人事件」は12冊の本の中でも最高傑作と名高く、そこそこ推理小説を読んでいた俺も見事に騙された。
本作が与えた影響は大きく、この本を読んだ横溝正史が着想を得て「獄門島」を書いた話はあまりにも有名。
かくいう俺も「獄門島」を読んだ時にこの本の存在を知った。
出版されたのが1929年、つまり世界恐慌が起こった年であるため、多少読み難いところがあるが、十二分読むに値する一作だと言える。
同時代の作家アガサ・クリスティとは仲が悪かったようだ。
ちなみにヴァン・ダインを担当した編集者であるマクスウェル・パーキンスはスコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイの担当もしており、まさにヒットメーカーとも言える存在で、多少のネタバレを含むと彼の担当した3人の作家はこのブログのこの記事にも登場している。
文学がないと言われたアメリカ文学の地位を押し上げた人物であるとも言えるだろう。
第56位:銀河鉄道の夜 宮沢賢治
最近「アクタージュ」という少年ジャンプで連載中の漫画でも出てきた宮沢賢治の傑作。
「オツベルと象」「セロ弾きのゴーシュ」も捨てがたいけどやっぱり銀河鉄道の夜だよなぁ。
読んだのは小学生の頃なのに、カンパネルラとかジョバンニとかよく覚えていて、やはりそれぐらい印象的だったんだと改めて思う。
「注文の多い料理店」とか「よたかの星」とか、本当に宮沢賢治はすごいよ。
アメニモマケズ カゼニモマケズ そんな人に私はなりたい。
第55位:リングシリーズ 鈴木光司
ホラー小説の日本代表みたいになっていて、「リング」を世に出すために角川ホラー文庫が出来たって話もあるぐらいなんだけど、リングシリーズってホラーじゃないと思うんだよね。
元々「リング」は横溝正史大賞っていうミステリー賞に応募された作品だったしさ。
貞子も井戸の中から出てくるイメージが強いんだけど、あれは映画的な演出が強くて、貞子ってもっと違う存在だし、ちょっと作者の方が不憫だと思ってる。
「リング」「らせん」「ループ」を続けて読むとその圧倒的な完成度の高さに驚くし、貞子にホラーなイメージを抱いている人にこそ読んで欲しい小説群だと思う。
ちゃんと読むと圧倒されるほどの出来の良さなんだから。
第54位:容疑者Xの献身 東野圭吾
泣いた。
東野圭吾の小説は好きで、「白夜行」と迷ったけれどもやはり最高傑作は「容疑者Xの献身」で、よくこのような小説が書けたなと素直に感心する。
「毒笑小説」みたいな毒のある作品も好きなんだけど、トップ100に入る可能性があるのはやはり容疑者Xと白夜行の2つだろうな。
この本を読んでいると、日本で偉大な数学者とかが出ない理由がよくわかる。この国は資源も少ないんだし頭脳に投資をしないと未来はないのにしないでいるので今の惨状がある訳で、石神は天才的な頭脳を持っているのに学者になれず、高校教師として誰も聞いていない授業を繰り返す人生を送っている。
湯川と違うのは容姿には全く恵まれておらず、コミュニケーション能力も0に近く、内面的にも外面的にも女性にはまったくモテない男性で、そういう人物はこの日本という国において活躍の機会さえ与えられないという非情な現実がある。
そんな石神が生きる希望を亡くし、凶行に走る訳だが、非常に物悲しいストーリーになっている一方で石神の行いは決して正当化できるものではない。
同書は直木賞とともに本格推理協会賞を受賞しており、本格推理小説が初めて直木賞をとった訳であるが、それは推理の部分、ミステリーの部分が評価された訳ではなくてそういった人間的な部分が評価されたのだろう。
推理小説嫌いの人々さえ認めずにはいられない同作は、疑いもなく傑作と呼ぶにふさわしい。
推理小説の分類としてはハウダニット(どのようにそれを行ったのか?)物に分類され、犯人はあらかじめ分かっているけれど、それをどうやったのかが分からなく、そこに焦点があてられる。でもその部分はかえってマイナスになってしまっているかもしれない。
映画版も良かったのだが、その部分が分かりやすくなりすぎてしまって本格推理小説としての良さが損なわれてしまっていたのは残念だった。
やはり小説の映画化は難しい。
第53位:幼年期の終わり アーサー・C・クラーク
映画「2001年宇宙の旅」で有名なアーサー・チャールズ・クラークの最高傑作。
最初にこの「幼年期の終わり」を読んでいたから「2001年宇宙の旅」もなんとなく理解できたけど、そうじゃなかったら意味不明な映画だったと思うんだが実際見た人の感想はどうだったのだろう?
地球規模の壮大な話ではなく宇宙規模の壮大な話。
ある日地球の上空に巨大な宇宙船がやってきた。そいつらにはどんな攻撃をしても全く効かない。効かないのだけれども特に何もしてこない。
オーヴァーロードと呼ばれる連中は、ただただ人類の進化と衰退を見ているだけであった。そしてただそれだけの存在であった。
人類はその全てをもってしてもオーヴァーロードには勝てないが、そのオーヴァーロードもさらに上位の存在、宇宙そのものであるというオーヴァーマインドには逆らえない。
オーヴァーロード達の役目はただただ人類の中から「超人」が現れるのを待つことである。
ある意味それだけの小説。
残された旧人類がどうなったのかはさすがにネタバレになるから書けないけど、背景にはダーウィンの進化論とかニーチェの超人思想とかがあるんだと思う。
2001年宇宙の旅なんかでも原始人から突然現生人類に進化するシーンがあるんだけど、これはアーサー・クラークの作品に共通する、「宇宙の意志」が介在していたと描写で、2001年でも最後は人類が別の何かに進化していた。
適者生存。
環境の変化に対応し、進化するものとただ淘汰されるだけのもの。
作中、人類は幼年期を終える訳だが、それが果たしてハッピーエンドなのかどうか。
希望か絶望か。
両者は常にコインの表裏なのかも知れない。
第52位:白鯨 Moby-Dick ハーマン・メルヴィル
もはや神話である。
「白鯨」ことモビーディックの後世に与えた影響は大きい。
ワンピースに出てくるモビーディック号やロマンシングサガシリーズに出てくるハマーンやメルヴィルなどは白鯨に由来する名前であるし、最も有名なのは世界的に有名なコーヒーチェーン店starbucks(スターバックス)であろう。
かつてアメリカには文学がないと言われていた。
それを完全に払拭したのがメルヴィルの書いた「白鯨」だ。
全生物の中でも最大を誇るクジラ種の中でも特に獰猛なマッコウクジラ。その中でも白い身体の通称モビィーディックだけは別格の強さで、船長のエイハブは片足を食われ、その復讐を果たすべく完全に狂気に支配されていた。
ラストシーンはもはや伝説を越えた神話の域に達していると言ってもよく、イギリスの作家サマセット・モームが発表した世界10大文学においてアメリカ文学でただ1つだけランクインすることが出来ている。
第51位:移動都市シリーズ MORTAL ENGINES フィリップ・リーブ
第一作「移動都市」から始まるシリーズで、60分戦争により荒廃した未来において、移動する都市同士が相争う過酷な世界を描いたジュブナイルもの(少年が主人公で活躍する)の大傑作。
SFでファンタジーでジュブナイルものだがミステリーの性格も持っており、それらが高次元で融合している。
海外では映画化もされたらしいが、残念ながら日本で見ることは現在ではできないようだ。
「移動都市」の世界観がどのように映画になるのか見たかったのだが仕方がない。ブルーレイは英語他にフランス語ドイツ語に対応しているのになんで日本語に対応してないんだよぅ。。
第50位:イワンイリイチの死 レフ・トルストイ
トルストイは「戦争と平和」から入った。
ツルゲーネフが「あれは小説じゃない、象だ!」と言った通り、戦争と平和はあまりにも大きすぎた。そのおかげでもうトルストイはいいやとなったのだが、この短編を読んでやっぱりトルストイはすごいなとなった。
ロシア文学らしく重厚で重苦しいのだが、ロシア文学らしく最後には光を感じる内容となっている。
題材は黒澤明の「生きる」と共通していて、死を前にして本当に生きるとはどういうことなのかを問う話なのだが、それゆえに作家の筆力がモロにでるテーマだともいえる。
レフ・トルストイは、言うまでもなく非凡なる筆力の持ち主である。
他にも「幸福な家庭はどれも似たように見えるが不幸な家族にはそれぞれの形がある」という書き出しで有名な「アンナ・カレーニナ」などもおすすめ。
第49位:赤と黒 スタンダール
「パルム僧院」と迷った。
サマセット・モームが選ぶ世界十大文学の1つ。7月革命の起きた1830年のフランスで書かれた小説なので、もはや世界史の一部だと言って良いだろう。
有名な主人公ジュリアン・ソレルを主人公に据えた作品で、その栄光と破滅を描いた同作はいかにもフランス文学らしい小説だと言える。
俺の読んだ限り大体のフランス文学の登場人物は不倫をしているが、赤と黒でも当然のように不倫している。フロヴェールのボヴァリー婦人なんかも不倫してたし、ヴィクトル・ユーゴーのレ・ミゼラブルでも不倫してた。「不倫は文化だ!」と主張していた石田純一はフランスに生まれればよかったのかもしれない。
敬虔なクリスチャン国であるフランス社会において不倫は大罪で許されないものであり、フランスはその建国からずっと一夫一婦制である。
世界の民族を見てみると一夫一婦制の社会の方が少なく、中国やトルコなどでは後宮(ハーレム)があったし、日本にも江戸時代まで大奥があった。
もちろんそれらは為政者レベルの話で、民間レベルだと日本には姦通罪なんてのもあった訳だけど、フランスに関してはそれこそローマ時代から不倫が禁止されていて、紀元1世紀には初代ローマ皇帝アウグストゥスが不倫禁止令を出しているぐらいである。
余談なんだけどアウグストゥスの家族は結構これを破っていて、法律の立案者自体が法を破った家族を島流しにするなどその罪をごまかしたという歴史もある。
禁忌を破るという背徳感はこのローマの流れをくむフランスで特に文学上のモチーフになりやすいんだと思う。イギリスとかアメリカで不倫をモチーフにした傑作ってそこまで多くない。
「赤と黒」は実際に起こった事件を下敷きにして書かれたものであり、その実は社会批判を内包した小説であるとも言え、ただの不倫小説という訳ではない。
スタンダールは1783年に生まれた。彼はその生涯においてフランス革命、ナポレオン時代、王政復古、7月革命という激動の時代を生き抜いており、その変革をその鋭い筆致でもって落とし込んだのが「赤と黒」で、これは単に名作という話ではなく、世界史的に見ても指折りの傑作だと言えるのである。
第48位:パンタレオン大尉と女達 マリオ・バルガス・リョサ
2010年にノーベル文学賞を受賞したペルーの作家バルガス・リョサの代表作。
南米と言うと所謂「マジックリアリズム」と言われる魔術的な描写のイメージがあるが、「パンタレオン大尉と女たち」は徹底的なリアリズムの小説である。
軍の命令でアマゾンに娼館を作るように命じられたパンタレオンは、その実務能力をもって完璧に仕事をこなしていく。
命じられたことをしっかりとやっただけなのに、パンタレオンの娼館は次第に非難を浴びていくようになる。
特に最後の結論部分は個人的にとても感心した。
そうだよなぁと思う。
世の中には自由を好む人間と自由を極度に恐れる人間がいて、アメリカのニューシネマの代表と言われた「イージーライダー」という映画では自由を恐れる人間が自由を好む人間を殺害するという描写があったが、パンタレオンは決して自由を好む人間ではないであろう。
軍隊的と言うよりも官僚的で、「個人」という者の在り方とその難しさ、儚さと言ったものをこの作品で描き切っていると思う。
まさに文学的な傑作である。
第47位:柳生石舟斎 山岡荘八
日本を代表する歴史作家山岡荘八
大作「織田信長」や「徳川家康」 も良いのだけど、俺にとってはやはり高校生の時に読んだ「柳生石舟斎」が一番だ。
これほど感動した小説もなかなかない。
現在「剣道」といわれているものは「柳生新陰流」と呼ばれる流派で、新陰流開祖の上泉信綱から継いだ剣の道を柳生石舟斎が昇華させたのが柳生新陰流で、その奥義はなんと刀を持たぬこと!
宮本武蔵も最終的には人を活かす「活人剣」を目指したと言い、殺傷の道具である剣の最終目的が斬らないことというのは矛盾をはらんだものであるが、しかし真理なのである。
柳生石舟斎の息子柳生宗矩は徳川家の剣道指南役となり、以降柳生家は代々その地位を守ってきた訳であるが、その開祖である柳生石舟斎が剣を持たずして敵を制する「無刀取り」に開眼するまでを描いたのがこの作品。
実はこの小説の一幕はマンガ「バカボンド」の中にも描かれていて、若き柳生石舟斎と宝蔵院胤栄を見ることが出来る。
フィクションではあるのだが、吉川英治の宮本武蔵の中にも武蔵が柳生石舟斎の寝ているところに忍び込んで戦わずして負けた描写がある。
それは純粋な剣技というよりも、その精神性に負けたと感じたのかも知れない。
柳生新陰流ができてからもう400年以上も経ち、人々が刀を捨ててからも150年以上経つというのに、その理念は今でも残っているのだから、やはり石舟斎は偉人だよなぁと思う。
第46位:鷲は舞い降りた The Eagle Has Landed ジャック・ヒギンズ
イギリス人作家ジャック・ヒギンズの傑作で、第二次世界大戦時、英国首相ウィストン・チャーチル誘拐という特殊任務を帯びたドイツ空軍を主役とした小説。
フランス映画にしてもハリウッド映画にしてもドイツ人はいつも悪役だ。最近だとキャプテンアメリカでもドイツ人は悪者だし、大学時代に見たフランス映画は例外なくドイツをボロくそに描いていた。
なのでイギリス人がドイツ人を主役にすえて小説を書くというのは衝撃的だったんだろうなぁと思う。
いまでこそ「善悪の違いではなく立場に違いに過ぎない」的な言説がでてきたけれども、同作が書かれた時代にはかなり珍しかっただろうと思われる。なにせエヴァンゲリオンはもちろん機動戦士ガンダムよりもずっと前にできた話だからな。
冒険ものの傑作で、男たちの熱い物語が読みたいならこの一作。
第45位:百万ドルを取り戻せ Not A Penny more, Not A penny Less ジェフリー・アーチャー
いわゆるコンゲームものの歴史的傑作。
個人的にジェフリー・アーチャーは「カインとアベル」と迷ったのだけれど、やはり最高なのはこの「百万ドルを取り戻せ!」かなと思いこちらをランクインさせた。させたが、未だに迷っている。
「カインとアベル」は1900年代初頭に生まれた2人の対照的な人物を主人公に据えた話で、片方は極貧の農家に生まれナチスのホロコーストから逃れてアメリカに亡命したロフノフスキがアメリカで成り上がる話、もう片方はアメリカの伝統的なエリート階級、大銀行の頭取の子供として生まれ何不自由なく育った人間の話が独立して進む訳だが、ある時二人の人物の人生がある点をもって交差する超大作である。
表題が表している通り聖書におけるジェネシス(創世記)における二人の兄弟の話をモチーフにしていて、交わった二人はお互い憎しみあい、争いあうのだが・・・
「百万ドルを取り戻せ」の方は原題が「Not A Penny more, Not A penny Less」になっていて、直訳すると「1ペニー以上でも1ペニー以下でもない」となるだろうか。これは作品の内容をこの上もなく良く表していて、コンゲームであるからにはだまし取る訳であるが、それは取られた分を取り返す訳であってそれで利益を出す訳にはいかないという信条のもとに行う必要がある訳で、そこにはただ取り戻すのではなく取られた分以上を取ってはいけないというイギリス紳士的なマナーが存在している訳である。
原題はそのことを1文で表した素晴らしいタイトルな訳だが、残念ながらそれを訳しきれなかったようだ。
作者のジェフェリー・アーチャーはまさに万能の天才と言った感じで、オックスフォード在学中に短距離走の記録を出したり、最年少議員として国会議員になるも投資の失敗で無一文になるも最初に書いた「Not A Penny more, Not A penny Less」でベストセラー作家になったり、何をやっても成功する人間の世界代表みたいな人物だ。
同作は1976年に出版された本だというのに、現在読んでもその面白さが色あせないのだからすごいの一言。人類の普遍を描いた文学ならまだしも、エンタメ系というのは時代が進むにつれてどうしても劣化してしまう点は否めない。
だがエンターテイメントであっても、真の傑作は色あせないということをこの本は教えてくれる。
第44位:二分の一の騎士 初野晴
一時期絶版になったのだけれど、現在はキンドルで読めるようになったらしい。これは非常に良いことだ。
これほどの傑作が世に埋もれてしまうのはやはり悲しい。絶版になった本も電子書籍としてよみがえるのならこれほどうれしいことはない。
俺が最初に応募して一次予選を通過したのが横溝正史大賞という文学賞で、 初野晴は第22回横溝正史大賞を受賞しており、1/2の騎士は多分、作者が持てるその全てを出し尽くした作品なんだと思う。
女子高生の主人公がある日幽霊と出会って次々と街を襲う悪意との闘いに臨んでいくというともすれば2流の映画のような設定なのだが、段々存在が薄れていく幽霊やその途中で出会う人間達と、巧妙に練られたプロットがそれぞれ魅力的で、敵はどんどん強くなっていくのに最高の味方である幽霊はどんどん弱体化していくスリルがある。
こう書くと一気に安っぽく聞こえてしまうのだが、敵は基本姿が見えない。
「モリノサル」「ドッグキラー」「インベイジョン」「ラフレシア」「グレイマン」
異様な名前の敵達はどれも憎むべき犯罪者達で、事件は起こるのだが誰がどのような手口でそれを行っているのか最初はまるで分らないのだ。
650ページを超える長編なのだが、ページを繰る度に終わりに近づいて欲しくないという想いに駆られたのを覚えている。そのような本は今までの生涯で何冊もなかった。
個人的には特に「インベイジョン」の異質さが印象的で、敵の正体が判明した時、背筋が寒くなるのを感じるほどだった。
このランキングの本は、全て読んで欲しいのだが、読んで欲しい度で言ったらこの小説は1位かも知れない。
それぐらい面白かった。
第43位:嵐が丘 Wuthering Heights エミリー・ブロンテ
サマセット・モームが選んだ世界十代文学の1つ。
読んだ感想としては、まず第一にこれは小説なんてものではなく別の何かだ!というものだった。
それが一体何なのかはわからないが、あえて言うならエミリー・ブロンテという存在そのものであったのだろう。
エミリーは自分の命が長くないことを知っていた。だからこそこの「嵐が丘」にすべてを込めたんじゃないかと思う。ちょうど正岡子規が自らの死を前により一層創作に打ち込んだように。 彼女の30年の生涯において、ただ一冊書いた小説が「嵐が丘」というのはすさまじい。
余談だけど、「嵐が丘」という単語を聞くとケイト・ブッシュが歌った「嵐が丘」を聞きたくなる。
第42位:偽のデュー警部 ラブゼイ
英国推理作家協会賞を受賞したピーター・ラブゼイの代表作。
ジャック・ザ・リッパー事件の捜査にも参加し、イギリスでは超有名なクリッペン博士事件を解決に導いたデュー警部…に間違えられた男の話で、豪華客船という海の上の密室で展開していくミステリー小説。
最初からずっと伏線が貼られまくり、後半からそれらがドンドン回収されていくという構成は日本の作家伊坂幸太郎にも大きな影響を与えたという。
別の小説の項でも書いたけど、ミステリー系は如何に伏線と回収をうまくやるかで決まるという面もあって、ミステリーだけでなく映画や漫画などもそうで、おおよそ物語といえるものは全部そう。
例えば司馬遷の史記では始皇帝の行列を見て項羽が「やつにとって代わってやる」と言ったのに対し劉邦は「あのようにならねばならんなぁ」と言ったことが両者の性格を如実に表していることに加え後の展開の伏線ともなっていて、次第にこれが回収されていく構成となっている。
伏線がひたすら貼られている前半は正直結構退屈だが、後半それを一気に回収し始めるのでドンドン面白くなっていく。
文学的な要素はほぼ全くなく、ある意味エンタメに特化しているので、好き嫌いは分かれるかも知れない。
ミステリー好きには大変おすすめの一冊。
第41位:人間の土地 サン=テグジュペリ
「星の王子様」「夜間飛行」と迷うが、個人的にはどうしても「人間の土地」を推したい。
昔代々木ゼミナールに通っていて、西きょうじという人の英語の授業を受けていた。その授業の中で唐突にサン=テグジュペリの話になって、この人間の土地の話になった。
ある墜落したパイロットの話。
墜落し、近くの人のいるところまで歩こうとしたがいつまで経っても誰にも会わない。寒さと飢えで意識も朦朧としてきた。もうあきらめようと目をつぶった瞬間に家にいる家族のことが浮かんできた。一歩だけ足を前に出してみよう。もう一歩、もう一歩。もうダメだと思った時、ふと後ろを振り返ると自分の足跡が道となっていた。もうダメだと思ってからこれだけ歩いてこられたのだ。これからも歩くことが出来るに決まっている。
こんな感じの話だったと思う。
「今の自分を助けてくれるのはいつだって過去の自分」
確か武田鉄矢が言っていたと思うのだが、これはどの時代でも当てはまることだと思う。
困難な時、もうダメだと思った時、そこから一歩だけ前に足を出してみる。
そのことを、人は勇気と呼ぶのではないだろうか?
第40位:MOMENT 本多孝好
本多孝好は最も好きな作家の一人で、その著作は大体読んでいる。
色々と好きな作品は多く、MOMENTの続編であるWILLやMEMORYも好きだし、チェーンポイズンもかなり好きだが、やっぱり最初に読んだMOMENTが一番好きかな。
ある病院にまつわる噂、それは死期を悟った患者のところへ最後の願いをかなえるという仕事人がやってくるというもの。病院の掃除夫をやっていた大学生の神田はひょんなことから末期がんの老人の最期の願いをかなえる、病院内における仕事人となった。
人はその死に際して何を願うのか?
この本をどうやって知ったのかはいまだに思い出せない。友達に勧められたのか、それともよく行っていた神田の三省堂書店でおすすめの棚にあったのか?
この本を読んでいたころのことはなぜか思い出せる。ちょうど大学3年生の夏休みで、企業のインターンに参加していたころのことだった。本を思い出すとその周辺の記憶も同時に思い出すからいい。あるいはその時に知り合った人に勧められたのかもしれない。
神田もこれから卒業する時だったし、俺もそうだった。だからだろうか、以下のセリフはよく覚えている。
どこへ逃げようと一緒じゃねえのか?お前が折り合えないのは、この時代でも今の社会でもなくてお前自身だろ?世界に羽ばたこうが、宇宙へ飛んでいこうがお前はお前だ。そう簡単に折り合えるってもんでもないだろう
本多孝好は話を作る際、プロットなどは決めずに思いついたものをそのまま書いていくそうだ。それゆえに、例えば「正義のミカタ」とか、結末に納得できない作品が多いのだが、MOMENTは短編の重なりでありながら全体として完成度が高い一作になっていると思う。
文章は澄み切って透明さを感じるものであるが、センシティブであり、それゆえに好き嫌いが分かれると思う。
最近では「dele」もお気に入りで、山田孝之と菅田将暉主演でドラマにもなった。これを書いている現在アマゾンプライムで見られるので強くおすすめしたいと思う。
第39位:トムソーヤの冒険 マーク・トウェイン
トム・ソーヤの冒険を始めて読んだのは小学校3年生の時。
その時一回読んだだけなのだが、その内容は今でもよく覚えている。
いわば俺の原体験とでもいうべき一冊で、この本がなければこの記事もなかったかもしれない。
現代のアメリカではお爺ちゃんお婆ちゃんが孫にトム・ソーヤの冒険をプレゼントするんだけど孫は大体嫌がって捨ててしまうという話を聞いてとても悲しんでいる。
これだけネットに文章や動画などのコンテンツが溢れている現在、紙の書籍は衰退の道に入っているのかも知れない。
トム・ソーヤは機転の利く主人公だ。
今でも覚えているのはペンキ塗りに関するエピソードで、ある日、もしかしたら何かの罰だったかも知れないが、トムはお婆ちゃんにペンキ塗りを言い渡される。
トムはもちろんやりたくなくて遊びに行きたいと考えていたわけだが、そこに何も知らない友達がのんきにも通りかかる。トムは一計を案じてものすごく楽しそうに、口笛を吹きながらペンキ塗りを始める。友達は「ずいぶん楽しそうだねぇ」なんて声をかけるんだけれども、トムはそれに気づかなかったふりをして、「あまりにも楽しすぎて気づかなかったよ」なんてしらじらしくいう。友達はそれを聞いて自分でもやってみたくなる。
トムはしめしめと思いながらも「こんな楽しいことをただでやらせる訳にはいかないなぁ」なんて言うもんだから友達はお金を払ってでもやりたくなってしまって、ついに友達にペンキ塗りを押し付けながら小遣いまで稼いでしまったのだった。
記憶にあるのを書き起こしたのでちょっと違うかも知れないが、トムは万事こんな感じで日本風に言うとトンチが効いている。
ジュブナイルものの元祖と言え、ガチで危ないインジャン・ジョーなんかとも対決し、本当に命が危なくなっていたりするのも子供の時にはハラハラした。そして意外な小道具を使って助かったのも良かった。初めて伏線と回収について学んだ瞬間だったと思う。
アメリカの多くのお爺ちゃんお婆ちゃんが望むように、やっぱりこれは子供の時に読んで欲しい一作だよなと思う。
第38位:ラッシュライフ 伊坂幸太郎
大学時代よく行っていた神田三省堂で、おすすめの本として紹介されていたのが伊坂幸太郎のラッシュライフだった。
大学生だった俺はものすごい衝撃を受けた。
こんなすごい話を書ける人がいるのか!と。
伊坂幸太郎に同じような衝撃を受けた人は結構いて、でも面白いのは衝撃を受けた作品が違うことで、大体皆最初に読んだ本に一番衝撃を受けていたことだ。
伊坂幸太郎の本は7割ぐらいは読んだと思う。このランキングに入っている本の中にも井坂幸太郎がおすすめしていたからという理由で読んだ本はけっこうある。
「ラッシュライフ」はもちろん、「マリアビートル」「砂漠」「アヒルと鴨のコインロッカー」「オーデュボンの祈り「チルドレン」「ゴールデンスランバー」とおすすめしたい本は沢山ある。
しかしやっぱり俺も最初に読んだ「ラッシュライフ」を一番おすすめしたい。
以降伊坂作品には欠かせなくなる黒澤が登場した話であり、表紙にあるようなだまし絵の雰囲気を味わえる作品で、ラストも痛快だ。
物語はやっぱり、最後のシーンで決まるところがあって、その観点でも「ラッシュライフ」は傑作だと思う。
第37位:七回死んだ男 西澤保彦
日本語で書かれたミステリーの中でも最高傑作の一つ。
物凄く好きになるか全く受け付けないかの2択になるだろう小説で、俺はもちろんものすごく好きになった派である。
小説に文学性を求める人にはお勧めできないが、純粋にエンターテイメントとしての小説を読みたい人にはこれ以上ないほどにお勧めである。
高校生の久太郎は、同じ1日が繰り返し訪れる「反復落とし穴」に嵌まる特異体質を持ち、題名の通り7回同じ一日を繰り返す。
7回死ぬのは彼の祖父で、それをどうにか防止しようと奮闘するのだがあっちをいじればこっちがおかしくなり、何回やり直しても結局祖父は死んでしまう。
練りに寝られたプロットが魅力で、段々と面白くなっていき、読み始めたら止まらなくなってしまう一作である。
第36位:シャーロックホームズシリーズ コナン・ドイル
ホームズが世に与えた影響は大きい。
どちらかというとキワモノでしかなかった本格ミステリーに市民権を与え、以後全ての探偵小説に影響を与えたと言っても過言ではないだろう。
シャーロックホームズの生みの親コナン・ドイルから名前をとった「名探偵コナン」は今でも大人気だし、ルパンだって影響を受けている。受けすぎて勝手にホームズを登場させて怒られていたりする。
惜しむらくはホームズシリーズにはコレ!という代表作がないところだろうか。
「パスカヴィルの犬」が唯一と言っても良いかもしれない長編なのだが、やはりホームズは短編という気がする。個人的には「まだらの紐」が印象的だった。
イギリスがヴィクトリア女王のもとで最盛期を迎えていた時代の話でもあり、経済的な最盛期はやはり文化的にも最盛期となるのだなと、ホームズについて考える時にどうしても思ってしまう。
書かれてから100年以上が経過しているが、いまだにホームズを超える探偵、あるいはホームズを超えるキャラクターがまだ出てきていないのもすごい。
第35位:邂逅の森 熊谷達也
2004年に山本周五郎賞と直木賞を受賞したマタギを主人公とする話で、特に最後の数ページの迫力がすさまじかった。
文字通り本当に手に汗握ってしまい、本を読みながら心臓の鼓動が聞こえてくるようだった。
ここまでの描写力はこの「邂逅の森」以外では見たことがなく、作者の熊谷達也は卓越した筆力を持っていると言えるだろう。
日本文学の確かな傑作である。
第34位:崩れゆく絆 Things fall apart チアヌ・アシェベ
アフリカ文学の金字塔ともいえるのが、「アフリカ文学の父」と呼ばれるナイジェリア人作家チアヌ・アシェベの書いた「崩れゆく絆」だ。
この小説は300ページぐらいとそれほど長くなく、口語体で書かれているため以外と時間をかけずに読めるのだが、その壮大さやメッセージなどを理解するのには大変時間と労力がかかる。
まずは人の名前。
これは翻訳ものにはつきものなのだが、人名がアフリカ人で聞きなれない響きが多いため誰が誰だかわからないという状況が続く。
オコンクォはそれぞれの器から少しずつ口にしてからンウォイェとイケメフナにも取り分けた。
というような感じだ。しおりに人物名とその紹介が書いてあるのだが、結局最後まで誰が誰だか完全には把握できなかった。
そして物語は突然終わる。
びっくりするほどあっけなく、そして突然に終わる。
そして主たるテーマとは何だったのだろうかと考えさせられる。
舞台は1920年、この本が出版されたのは1958年、アフリカ諸国がヨーロッパから独立し、アフリカの年と後世言われた1960年の2年前。
「崩れゆく絆」は単にヨーロッパの植民地化を非難する小説ではない。
3部構成になっていて、1部はオコンクォの盛衰が描かれており、2部では追放された先での不遇の時と故郷がキリスト教や白人の入植によって変わりゆく様を、3部ではオコンクォの破滅を描いている。
ヨーロッパの植民地支配は常にキリスト教から始まることはよく知られた事実だ。
古代ローマの片隅で誕生したキリスト教は人から人へと伝わり世界を覆った。
その時代から顕著だったのが、キリスト教が社会のマイノリティから始まるということだ。
崩れゆく絆の中でもそのようにして広まっていく。例えば社会の中での被差別民たちの中に広がっていくし、社会的に不満を持ったものの中から段々と少しずつ広まっていき、人々の精神的な支柱となっていく。
しかしそれは元々の神々の否定であり元々の社会の否定をも表す。
かつてキリスト教の生まれたローマは、最終的にキリスト教に呑まれ、元々の神々を否定し、破壊し尽くした。
この小説内でも同様のことが起こる。
それが果たして文明の破壊であったのか?
この小説が問うのはまさにその部分でもある。
植民地化がもたらしたもの、キリスト教がもたらしたもの、それが一体何だったのか?
文明とは何か?人とは何か?
この小説が問うのはある意味そういった根源的な部分なのかもしれない。
全人類必読書があるとすれば、「崩れゆく絆」ほどそのキャッチフレーズが合う小説もないであろう。
第33位:殺し屋シリーズ ローレンス・ブロック
エドガー賞の受賞作だけを集めた短編集があったので読んだことがあった。ローレンス・ブロックを初めて知ったのはその時だ。
エドガー賞というのはその名の通りエドガー・アラン・ポーの名前がついた賞で、全米で最も優れたミステリー小説に与えられる賞の名前であって、その歴代受賞作家の中でもローレンス・ブロックは一つ頭が抜けていると思う。
そしてそんなブロックの代表作が「殺し屋シリーズ」だ。
kellerという名の殺し屋が活躍するシリーズで、そのいかめしい響きとは裏腹にkellerは切手集めが趣味だったり犬を飼ったり情緒不安定になったりする。
もしかしたら「keller」という名前でピンとくる人もいるかも知れない。このブログの前のブログや以前の俺のツイッターネームは「keller」だった。ツイッターを通じて実に100人以上の方にお会いしたので、そのたびに俺は「keller」さんと呼ばれていて、なんだか自分の分身にさえ思えてくるほどだ。
元々の由来はこのローレンス・ブロックの小説である。
つまり俺はそれぐらいこの小説が好きで、kellerという名のキャラクターが好きなのだ。伊坂幸太郎にも大きな影響を与えたようで、俺が彼の小説を好きなのもそもそもの好みが似ているからなのかも知れない。
第32位:オイディプス王 ソフォクレス
「オイディプス王」をランクインさせて良いものかどうかは正直かなり迷った。そもそもオイディプス王を「小説」に分類してよいのだろうか?
個人的にオイディプス王は物語の起源にして頂点に位置すると思っていて、父を殺し母と交わるという人類最大の禁忌を二つも犯し破滅の道へ至るその悲劇性は人類が作り出したあらゆる物語の中でも飛びぬけていると言える。
成立からおよそ2500年、オイディプス王は後に生まれた文学のほとんどに影響していると言ってもよく、その影響は心理学界にも「エディプスコンプレックス」という形で出ていて、小説という枠組みには収まらないかも知れない。
その根底に流れるモチーフはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟や村上春樹の海辺のカフカなどにも見られ、スターウォーズのダースベイダーもこの流れと言える。
男の子にとって常に父親は敵となり、壁となる。そして母親は…
第31位:獄門島 横溝正史
金田一少年の事件簿から本格ミステリーにはまった俺としてはやはり横溝正史は外せない。
個人的に一番好きな探偵は「金田一耕助」で、中でもやはり獄門島が一番好きかな。作品としては「犬神家の一族」の方が完成度が高い気もするし、「八つ墓村」の方が雰囲気出ていると思うのだけれど、総合するとやはり獄門島になる。
推理小説故にあまり多くを語れないが、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」とヴァン・ダインの「僧正殺人事件」に影響を受けて作った作品の質は確かで、両者の良いところを取り入れて和風の、横溝ワールドに落とし込んでいると思う。
これぞ本格ミステリーの金字塔!と言える出来で、推理小説嫌いまたは興味のない人にも是非読んで欲しい一作。
第30位:御伽草子 太宰治
冒頭でも語った通り、好きな本にはその人そのものが現れる。
三島由紀夫が好きな人は太宰治が嫌いで、太宰治が好きな人は三島由紀夫が大体好きではない。
三島由紀夫はナルシシズム全開で自分大好きなのに対し、太宰治は自虐的で内省的、三島は東大法学部から大蔵省に入省してイケイケだったのに対し太宰は東大に入ったとはいえ当時実質無試験だった仏文科でしかも卒業できていなかった訳で、それが作品にモロに出ている。
太宰治を好むのはまさに自己評価が低い人間で、俺もその類だろう。
だから三島由紀夫は苦手だし、川端康成は好きになれないし、ついでに浅田次郎も苦手なのかも知れない。
太宰治の作品は「人間失格」に集約されていて、特に「世間というのは何だ?世間なんてない、世間というのはお前のことだ!」という部分はものすごく納得した訳だが、太宰の真骨頂は「御伽草子」にこそあると思う。
太宰の書いた小説は多分全部読んだと思うのだが、斜陽のような暗さや走れメロスのような明るさも好きで、でも元々原作のようなものがあるのを太宰のフィルターを通して作品に仕上げる手法が一番その才能を発揮できるのだ。
「お伽草子」短編の集まりである1冊なのだが、菊池寛や小林信彦も絶賛し、太宰嫌いで有名な三島由紀夫ですら「斜陽は吐き気がするけれどもカチカチ山なんかはいい気がする」と言ったほどで、それでも題材が嫌いだと言い放ったようであるが、アンチでさえそのできの良さを認めるその一作を、どうぞ皆さん読んでくださいまし。
第29位:グレートギャッツビー フィッツジェラルド
この本を読むと、「ロストジェネレーション」という言葉が脳裏をよぎる。
村上春樹が特に影響を受けた3冊の本に名前を挙げていて、その本当の価値は英語で読まないと理解できないのだという。
その言葉を受けて日本語で読んだ後英語版を買って読んでみようと思ったのが大学生の時。
結局20ページぐらいで挫折した。
俺の英語嫌いはやはり相当なもので、でも10年間以上英語を中学生とかに教えて生きてきた訳で、ある意味矛盾を抱えていると言える。
人の生き方なんてどこか矛盾を抱えたもので、スコット・フィッツジェラルドの生き方も相当に矛盾を抱えていていたといえる。
美貌の妻ゼルダとの生活を維持するために多額の借金をしていたことは有名であるし、借金があるにも関わらずそのような生き方を辞めることはできず、自身の作品の映画権などを売ってその費用を捻出し、やがてゼルダが精神的に病むと次第に疎遠になってしまい、愛人であるシーラ・グレアムと生活しだしてしまう。
フィッツジェラルド自身も不安からかアルコール依存症になってしまい、長くは生きられなかった。1940年、フィッツジェラルドは44歳でなくなる訳だが、代表作となる「グレート・ギャッツビー」はフィッツジェラルドが死んでから10年後に突如評価を受けるようになった作品で、生前は全く売れずに絶版になったことさえあったという。
世界的な名作がそのような評価を受けたというのは現在の評価からすると考え難いことだが、この一事には様々なことを個人的には考えさせられる。
それは「優れた作品」とは何なのか?という点だ。
今回は惜しくもランクインしなかった作品に「エドウィンマルハウス」というスティーブンミルハウザーの書いた小説があって、その中では一体人は認知され、記録されなければ果たして存在していると言えるのか?という主たるモチーフが出てくる。
小説もそうだし映画もそうで、ある意味「誰がどのように評価するか?」という呪縛のようなものから逃れられない。
人はどうしても他人の評価に左右される生き物である。このランキングもやはり様々な人の評論や感想に大きく左右されている面はある。
大きな賞を受賞しているから、例えばノーベル賞とか直木賞とか、この作品は優れているに違いないという想いはどこかにはあるだろう。
絵だってそうだ。誰が認めるかが結局重要になってきてしまう。
単独で優れた作品などあるのだろうか?
誰も評価しないが確かに傑作である芸術が?
誰も読まず誰も評価しない文学は果たして存在していると言えるのだろうか?
ブログも同じである。
このブログは俺が書いているのであるが、俺は全くの無名でありソーシャル上で有名人である訳でもなく、俺がツイッターなどでつぶやいてもそれほどのリアクションは望めない。
だが、時々万単位のフォロワーのいる人が記事を紹介してくれることもあり、そうなると多くの人が読んでくれるようになる。
あるいははてなブックマークが集まり、ホッテントリーに掲載されたことで多くの人が読んだ記事になったこともあった。
それがなければ俺の書いた記事はなかったのも同然だっただろう。あるいはそういう記事もたくさんある。
人に読まれない記事は価値がないのだろうか?
転じて小説の価値とは何だろう?
小説とは書く人がいて読む人がいて成り立つ。
読み手がいなければ小説は、文は成り立たない。
読む人は多ければ多い方がいい。
だがそれだけだろうか?
スコット・フィッツジェラルドは死んだ。だが「グレート・ギャッツビー」は死ななかった。
もしも「グレート・ギャツビー」が評価されていなかったら…
ギャツビーとはきっとフィッツジェラルドのことなのだ。だから彼の肉体は滅んでも、その魂までは滅んでいない。
読み手がいる限り、その文章は死なないのである。
第28位:1984 オーウェル
ジョージ・オーウェルに関しては「動物農場」と迷った。
「動物農場」もまごうことなき傑作なのだが、多少プロパガンダ的に使われた面もあるし、やはりオーウェルと言ったら「1984」であろう。
「1984」は1949年に書かれたので、おおよそ40年後の世界を書いていることになる。そこには世界大戦で全体主義が勝利した未来が広がっており、人間は完全に「管理」されていて、どうやってもそこから逃れられない。
明かにスターリンを模倣したブッグブラザーの肖像画は、「big brother is watching you」という言葉と共に街中のいたるところに貼ってあり、ビッグブラザーが実在しているかどうかは結局わからないのだが、それでも人々を支配すのには十分なのである。必要なのは人々を縛る「恐怖」であって、欲しているのは人々を「支配」することのみ。そこには自由なんてないし、救いなんていらない。
まるで逃げ場のない圧倒的な恐怖社会を描くことで、独裁社会、管理社会の恐ろしさを表現することに完璧に成功している傑作中の傑作であり、幾世代にもわたって遺すべき一作であるだろう。
自由がなければ、人は人と呼べないであろう。
第27位:異邦人 カミュ
42歳という若さでノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュの、代表作「異邦人」について考える時、代々木ゼミナールの富田一彦という講師を思い出す。
彼は授業の度に言っていた。
「この選択肢にしてしまったのはなぜです?まさか理由もなしに選んだんじゃないでしょうね?答えはにはちゃんと理由があるんですよ。太陽が眩しかったからって人を殺さないでしょう?」
「今日ママンが死んだ」から始まる異邦人は、ムルソーという青年が母が死んで、そこから破滅に至るまでの道のりを描いた小説で、明らかに正当防衛で人を殺してしまっただけなのに、警察にはなぜか「太陽が眩しかったから人を殺した」と答えてしまうのだった。
結局そのことが原因で死刑になってしまう訳だが、そこまで全く感情を発露させなかったムルソーが最後のシーンで唯一感情を爆発させるところで話が終わる。
「この私に残された最後の望みとしては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった」
この小説は一読してみても何の小説だったか分からなかった。
初めて読んでから10年以上は経つが、実は未だによく分かっていない。
それでもまるで棘のように自分の心の奥底に引っかかっている。
あと10年してもよく分からないような気もする。だけどある日心の奥底にひっかかっていたものの正体がわかる日が来るかもしれない。
異邦人は不条理小説としてフランツ・カフカの変身などと並んで評価されるのだが、変身で虫に変えられたグレゴール・ザムザが終始その不条理に抵抗しようとしてもがいていたのに対し、異邦人のムルソーはその不条理に抗おうとしなかった点がまるで違う。
ではムルソーはその不条理を受け入れたのか?
もしそうなら、最後に司祭に対して怒りの感情を露わにしたのはなぜなのか?
読めば読むほど色々なことが分からなくなるのだが、そのことがむしろ心地よくさえ感じられてしまう。
そしてそのたび思う。
やはりカミュの「異邦人」は傑作なのだと。
第26位:北壁の死闘 Traverse of the GODS ボブ・ラングレー
原題は「Traverse of the GODS」で直訳すると「神々の登山」とでもなるだろうか。
Traverseは名詞として使われると「横断」とか「登山」の意味になるのでそうなるが、「神々の登山」だとやはり本の内容を伝えていないので「北壁の死闘」という訳は妥当かも知れない。
登山の難所と言われ、非常に死亡率の高いアイガー北壁「神々のトラバース」を登山中の2人組が奇妙な遺体を発見するところからこの小説は始まる。
ミステリーの要素が強いので内容には触れられないが、この本の持つ熱が、迫力が、感動が、読んだものには伝わるようになっている。
ラストも完璧で、冒険小説の最高傑作と言ってよいだろう。
第25位:夏への扉 ハインライン
アイザック・アシモフ、アーサーCクラークと並び世界三大SF作家(BIG3)と称され、SF最高の賞である星雲賞を4度受賞したロバート・A・ハインラインの最高傑作。
タイムマシーン物の代表作で、数多くの小説のモチーフともなった。
王道であるがゆえに筆者の筆力がモロに出る題材を見事に描き切ったと言え、タイムトラベルものなら個人的に映画では「バックトゥザフューチャー」小説なら「夏への扉」だと思っている。
書かれたのが1956年だというのに、現在読んでも面白いSFものというのもすごい。
我々は1980年代のミュージックビデオをみると古臭いと感じるのに、「夏の扉」は2019年現在読んでも全然古臭いと思わない。
それはまさに「夏への扉」が普及の名作だからなのだろう。
第24位:さむけ THE CILL ロス・マクドナルド
ハインライン、アシモフ、クラークがSFビッグ3ならチャンドラー、ハメット、ロス・マクドナルドはハードボイルドBIG3だと言えるだろう。
「ウィチャリー家の娘」と迷った。両方トップ100に間違いなく入る傑作だが、やはりロス・マクドナルドの最高傑作は「さむけ」だろう。
実直そうな青年アレックスは、新婚旅行初日に新妻ドリーが失踪してしまい途方に暮れる。私立探偵リュウ・アーチャーは見るに見かねて調査を開始したが…
ハードボイルドもミステリーの1つなので内容を詳しく書く訳にはいかないが、事件の真相は表題通り「さむけ」がする。
プロットを重視しないチャンドラーと緻密なプロットを練るロス・マクドナルドは対照的な存在と言え、それは良いとか悪いとかの問題ではなく、それぞれ異なった極致での魅力を感じる。
両方合わせて読むと、双方に小説により魅力を感じられることであろう。
第23位:タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア
「タイタンの妖女」を日本に広めたのは爆笑問題の太田光ではないだろうか?
彼がこの本を好きすぎて事務所の名前を「タイタン」にしたのは有名な話である。
かくいう俺も爆笑問題太田の書いた「カラス」という本で「タイタンの妖女」を知って、そして読んだ。
その結果がこの順位だ。
少々読み難い部分もあるが、壮大なストーリーを持った皮肉小説であり、あらゆる意味で日本人には書けないかも知れない小説。
例えば主人公ともいえる人物が金持ちになるのだが、その方法は聖書に出てくるアルファベットの文字の順番に沿った銘柄を決まった曜日に買うだけというもので、これは証券会社を壮大に皮肉っているし、ある惑星の住民を通して人類を強烈に皮肉っていたりする。
その惑星の人類は機械を作り便利な暮らしを享受していたが、やがて自分たちが何のために生まれてきたかを考えることに時間を使い始め、その答えを機械に求めた。機械は長い時間をかけて結論を出した。その結論というのは人類が生きていることには何の意味もないというものだった。人類はやがて発狂し、互いに争うようになり、ついにその惑星からは人類が消滅した。
高校時代友達が一人もいなかった爆笑問題の太田光にとってはこのような描写は救いであったという。
俺がこの本を読んだのは大学生だったか。
俺にとってもこの本のこのような描写は救いだった。
過大評価をし過ぎると辛くなる。人生に過度の意味を持たせようとすると辛くなる。無意味だと感じても辛くなるが、それぐらいなのかと思えば楽になる。
その程度だよって皮肉ってくれる小説の存在は、時として救いとなる。
これだけ毒気のある文章なのに、最後はさわやかな読後感を味わえる一作で、人生に疲れた人なんかには特におすすめ度の高い一冊となっている。
この本を読まずに人生を終えることなかれ。
第22位:長い別れ The long goodbye レイモンド・チャンドラー
「長い別れ」を始め、探偵フィリップ・マーロウの登場する作品は探偵小説の中でも異質だ。
探偵小説は、その起源ともいうべきシャーロックホームズがそうであるように、明確なプロットの世界を生きている。事件があり、それを解決するという定番のプロットだ。
だがチャンドラーの描く世界にはプロットという概念がない。
事件は解決されない場合もあるし、起った事件の犯人が最後まで分からず、作者であるチャンドラーでさえ犯人を知らないというとんでもない話さえある。
探偵ものと言えばミステリーだが、マーロウが出てくる小説にミステリーの要素はあまりなく、ハードボイルドものの代表作とよく言われる。なので探偵フィリップ・マーロウの出てくる小説は、シャーロック・ホームズのようなミステリーではなく、アーネスト・ヘミングウェイに近いと言える。
チャンドラーはしばしば探偵小説を再定義したと言われるが、従来の探偵ものとはある意味探偵が出てくるという共通点しかないのかも知れない。
チャンドラーの描く世界の一体何が魅力的か?
一つは明確にセリフ回しであろう。
誰もが聞いたことのある名言の中には、フィリップ・マーロウが発言したセリフが多い。
「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格がない
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive」
「さよならを言うのは、わずかの間死ぬことだ
To say goodbye is to die a little」
「ギムレットには早すぎる
I suppose it's a bit too early for a gimlet.」
「論理的になればなるほど創造性は失われる
The more you reason the less you create 」
「良き物語はひねり出すものではない。蒸留により生み出されるものだ
A good story cannot be devised; it has to be distilled」
もう一つはやはりフィリップ・マーロウのキャラクターであろう。
マーロウはハードボイルドものの主人公であるが故にタフな男であるが、時にセンチメンタルであったり時に理不尽な目にあっても抵抗せず、その行動の根底には常に優しさがあり、あらゆる困難に立ち向かう勇気があり、時としてその苦労に見合った報酬を受け取らない。
一体何が彼を動かすのか、それは誰にも分らない。マーロウ自体にもその生みの親であるチャンドラーにも分らないのではないだろうか?
でもそれが魅力的なのである。キャラクターは操り人形ではない。小説の世界でフィリップ・マーロウは確かに生きているのである。
探偵小説であるにも関わらず結局事件の犯人がわからないことなどもあるし、整合性などはおかまいなし、次から次へと困難がやってくる。
「ビッグ・リボウスキ」という映画はチャンドラーの「ビッグスリープ(大いなる眠り)」から名前をとった映画で、やはり理不尽なことばかり起こり、謎な部分は解決されない。
「長い別れ」は村上春樹が特に影響を受けた3作のうち1つで、プロットを気にしない小説という部分は明らかに村上春樹の血肉になったと言える。
チャンドラーはこれほどの知名度を誇るにも関わらずわずか7作しか小説を出しておらず、その中でもやはり傑作は「長い別れ」であろう。ハードボイルドに欠かせない男同士の友情が、武者小路実篤の「友情」の何倍もの熱さで語られる。
男とは、一見無価値な何かにどれだけ価値を見出せるかでその男の価値が決まる。意味のあることだけに命をかける男は、男から見て魅力的には映らない。
得もなく損しかないのに命さえかける。そんな男に、男は惹かれていくのである。
第21位:ビラブド Be Loved トニ・モリスン
凄まじい本だ。
トニ・モリスンは1993年に黒人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した作家で、この「ビラブド」でピューリッツァー賞も受賞している。
ニューヨークタイムズは2006年にこの「ビラブド」を過去25年間における最高の小説と評していて、これは読まなくてはならないだろうとこの記事を書いている最中に急いで図書館で借りてきて読んでみた。だからこの本を読んだのはつい最近だ。というより読み終わった後すぐにこれを書いている。
とても読むのが辛い小説だった。
文体は読みやすいのにとても読みにくいという不思議な小説でもあった。
場面は卒中転換され、人称は定まらず、時々自分がどこにいるのかわからなくなる。
更に読み進めているうちにこれは一体何の話なんだ?一体、一体なぜこんなにこの小説は辛いのだ?もう読みたくない、解放されたい、そう思いながらもなんとか読み進め、読み終わった瞬間には疲れ果て、解放感を何より感じてしまったぐらいだ。
そして気づく。あぁ、これこそがトニ・モリスンの狙いだったのだと。
きっと、トニ・モリスンの狙いは追憶なのだ。
この小説を読んで感じた不安や辛さは、黒人奴隷たちが感じた不安であり辛さであり救いようのなさなのだ。
それを文学を通して読み手に伝える。
それこそがこの小説の狙いなのだと。
そしてこの小説は存在そのものがアメリカ社会に対する痛烈な批判なのだ。
この話に出てくるビラブドは母親に殺され、また母親のもとに行き、そしてまた消えた。
人々はビラブドの存在をなんとかして忘れようとしている。
ビラブドは黒人奴隷として死んだ魂のメタファーなのだ。
アメリカ社会はその負の歴史をなかったかのように扱う。今は全て問題が解決したとでも言いたげに。
でも本当はなにも問題は解決していない。
我々はこの小説を読み終わった瞬間に開放される。
でも、黒人奴隷たちはついぞ解放されることなく死んだ。
あるいは解放されたけれどもずっと逃れようもない、行き場のない苦しみを抱えていたのだ。
あるいはそれは復讐なのかも知れない。
その何分の1でもいいからそれを味合わせてやる。
そんな思いもこの小説にはきっとある。
ビラブドは「BE LOVED」すなわち愛されるという意味だ。
この小説は当初「愛されしもの」と訳されていた。しかし「ビラブド」にまた戻って発売された。
賢明な判断だと思う。
ビラブドは愛されるべきだった魂なのだ。
それなのに結局愛されなかった魂でもある。
この小説を読んでいる途中、この本はこのランキングには入れられないな。なにせすすめるには辛い過ぎる。そう思っていた。
だが読み終えた今、これは「勧めるべき」小説なのだと強く思う。
これは我々が読み、そして後世に伝えるべき傑作なのだ。
閑話休題:他の人が選んだトップ100を紹介
20位の発表でもその前に、他の人のランキング記事へのリンクもご紹介させていただければと思います。
米国出版社ラドクリフ選: 20世紀最高の小説/フィクションベスト100
ランダムハウス出版社 モダン・ライブラリー選: 20世紀最高の小説ベスト100
「本当に面白い」小説おすすめランキングベスト100【2018年最新版】(tomoyukitomoyuki氏)
「世界文学(海外文学)ベスト100冊」は、どの1冊から読み始めればいいか(owl_man氏)
おすすめ小説ベスト100冊をランキング形式で紹介【海外文学編】(Cass_9999氏)
こうやって見ると幾つかのランキングに登場している小説もありますが、全部の媒体で全然違う本がピックアップされているから面白いですね(なぜか敬語)。
みんな違ってみんな良い!
色んな人の勧める本が読みたいから、コメントは一応目を通しているし、皆のお勧め小説も教えてくれよな!
それじゃあランキングの続き行ってみよう。
第20位:星を継ぐ者 ジェイムズ・p・ホーガン
SF小説の括りだが上質なミステリー小説の要素もあると思う。
1977年に書かれた小説なのにまるで古臭さはなく、奇想天外な結論なのに現在ですらもそれを否定できないのは圧巻。
話の端緒は月で人類の遺体が発見されたことで、チャーリーと名付けられたこの人物が一体どこから来た何者なのか、そういった謎を解いていく構成になっており、次第に解明されていく謎が思いもよらぬ方向に転がっていき、誰も予測しえなかった結論へと導かれる。
結論だけ見れば荒唐無稽なはずなのに、納得させられてしまうのは筆者の筆力ゆえであろう。SF最高の賞である星雲賞を三度も受賞している実績は伊達ではないのである。
「理論と現実に不一致があるなら、捨てられるべきなのは現実ではなく理論の方だ」というのは著者ホーガンの矜持で、彼が考古学者だったらいくつも歴史的発見をしたんじゃないないだろうかと思う。
確かな理論に裏打ちされたこのSF小説は、映画「インターテスラー」が好きな人は間違いなく好きなことだろう。。
むしろ、この小説を読んでそれでも好きじゃないという人はどれぐらいいるのだろう?
歴史的傑作である。
第19位:卵をめぐる祖父の戦争 CITY OF THEVES デイビッド・ベニオフ
原題は 「CITY OF THEVES」で直訳すると「盗賊たちの街」となるのだが、それを「卵をめぐる祖父の戦争」とするのだから翻訳は面白い。
俺は読んだ本は読み終わった後にアマゾンとかも含めて他の人がどんな感想をもっていたかを調べる。その中には翻訳がどうのこうので低い評価をつける人がいるのだが個人的には辞めて欲しいと思いつつも気持ちはわかる。翻訳ものは翻訳でだいぶ変わる。直訳が良いとは限らないのだ。
ちなみに全然関係ないんだけど、俺は本の感想を書いた個人ブログを沢山読みたいのだが、グーグルで調べても今は個人ブログが全然検索に出てこないでよくわからん内容の薄いドメイン力だけ強いサイトばかりが出てくるので不満だ。今の検索結果は面白くない。
でも「卵をめぐる祖父の戦争」は面白い。
純粋にハラハラするし、先が全く読めない。舞台はドイツとソ連が戦っている第二次世界大戦中のソ連で、祖父がそこでどのように生きてきたかを孫に聞かせる構成をとる。
なので主人公は祖父である。
あまりネタバレになるのは良くないので内容については書かないが、読み終わった後は不思議な気持ちになる。戦中の話で悲惨な背景があるはずなのに心は暖まる。ラストシーンも秀逸だ。小説の最終的な評価はやはりラストシーンに集約される。
ちなみにこれは祖父が戦時中のソ連で卵を探す話なのだが、なぜ卵を探さねばならないかという理由が馬鹿馬鹿しくていい。
戦争なんてそれぐらい馬鹿らしいんだよという皮肉がきいていて、だからこの本のタイトルは「卵をめぐる祖父の戦争」で良い。良い翻訳だ。
つまりこれは良い小説だ。
第18位:神の名のもとに メアリ・w・ウォーカー
この本を読んだことのある方はおられるだろうか?
俺自身どこでこの本の存在を知ったか思い出せない。誰かのブログだったかも知れないし、ヤフー知恵袋とかのQ&Aサイトだったかも知れない。
だが、なぜかこの本がどうしても読みたくて図書館で取り寄せたことはよく覚えている。
そして物語のプロットはもちろん、子どもたちと一緒にカルト宗教にジャックされたバスの運転手である元ベトナム帰還兵のウォルター・デミングのキャラクターがずば抜けていた。
彼は子供たちを励ますために様々な作り話をするのだが、そのことがラストへの伏線になっていて、読んだ人は大体泣くと思う。もちろん俺も泣いた。
是非読んで欲しい一冊なのだが、現在では絶版となってしまったようだ。残念。図書館で探せばあるかもしれないし、講談社に直接問い合わせればあるかも知れない。
この物語は実際にあった2つの事件をモチーフにしていて、1993年に起こったブランチ・ダビディアン教団本部突入事件と1976年に起きた1976年チャウチラ誘拐事件。そのうちこのブログでも取り上げてみたいと思うので、時々でいいからこのブログのことも見に来てくれよな(><)
読者登録も大歓迎だぜ!
ちなみにこの話の中に先ほど紹介した「タイタンの妖女」の一節が出てきたりする。名作はやはり名作を知っているんだよなぁ。
第17位:チャリオンの影 The curse of Charion ロイス・マクマスター・ピジョルド
こちらの本もどのようにして知ったのかをまるで思い出せない。
だがこの本を読むために結構苦労したことは覚えている。最終的には図書館で取り寄せてもらったのだが、絶版で手に入らず、どこにも売っていなかったのだ。
その後、ある官僚のお宅にお邪魔する機会があって、その方の本棚にこの本があったのもよく覚えている。冒頭でも述べた通り、本棚を見るとその人のことが分かる。あの本棚は実に素晴らしい本棚であった。
ロイス・マクスター・ピジョルドは日本では無名に近い存在だが、アメリカにおけるSFおよびファンタジーにおける最高の賞であるヒューゴー賞を4度も受賞しており、これは「星を継ぐもの」で有名なロバート・A・ハインラインの5度の次に多い記録である。
同時にネビュラ賞(星雲賞)も受賞しており、アメリカを代表するSF・ファンタジー作家な訳であるのだが、どうしてそのほどの作家が日本では知られていないのだろうな?
ピジョルドの代表作は5神教シリーズと呼ばれるシリーズもので、2007年に出版された「チャリオンの影」はその第一作にあたる。
俺はそれほどSFにもファンタジーにも詳しくないが、その面白さはピカ一で、読んだ後は苦労した甲斐が余裕であったと思われる内容であった。
このブログの記事がきっかけで日本での評判が上がって再版の流れとかにならないかなぁ。
もしそうなったら何十時間も時間を使ってこの記事を書いた甲斐があるってもんだぜ!
絶版になってしまったけれどいい本ってたくさんあるんだよなぁ。
第16位:アンドロイドは電気羊の夢を見るのか Do Androids Dream of Electric Sheep? フィリップ・K・ディック
ハリソン・フォード主演の映画「ブレード・ランナー」の原作ということになっているが、両者は別物と思った方がいい。
個人的に「ブレードランナー」は良い映画だと思うが、「アンドロイドは電気羊の夢をみるのか?」とは違い過ぎて残念ながら評価できなかった。
映画では 主人公が自分もアンドロイドなんじゃないかと思うシーンがあるが、原作ではそのようなことは一切ない。
本作では一貫してアンドロイドは邪悪なものとして描かれる。
元来、西洋世界では命は神が与えたものであり人が命を作るのは最大の禁忌なのだ。
それはゲーテの書いた「ファウスト」に非常に色濃く表れていて、ホムンクルスというのはやはり禁忌の結果できた生命にすぎず、アンドロイドも同様なのである。
日本では鉄腕アトムやドラえもんに代表されるようにロボットは友達なのである。
なのでこの本でアンドロイドを「駆除」している様は見ていて辛いものがある。
だが、そういった面を含めても本書は傑作であると思う。
途中誰がアンドロイドかわからなくなる場面では文字通り手に汗を握った。表現としてはよく聞くが、実際に手に汗することは少ない。
「人間とアンドロイドの違いは共感力があるかどうかである」
これが本書の根底に流れる概念だ。
それは裏返せば人を人たらしめるのは誰かに共感する力であるとも言える。
物語の舞台は第三次世界大戦後、人々の最大の贅沢は電気で動くペットを飼うこと。電子のペットであっても可愛がれるのが人間なのである。だがアンドロイドにはそれができない。アンドロイドには電気羊の夢を見ることはできないのだ。
人とは何か?というテーマに答えを出した稀有な小説で、もちろんエンターテイメントとしても一流である。
第15位:精霊たちの家 イサベル・アジェンデ
ここまでランキングを見て、マジックリアリズムと言われる南米の文学郡が全くランクインしていないことに違和感、もしくは失望を感じている人は多いかも知れない。
20世紀後半、文学界においてはガルシア・マルケスやボルヘスのような南米出身の所謂マジックリアリズムが旋風を巻き起こしていた。
ランクインしなかった理由は単に苦手だったからである。
ガルシア・マルケスも、フリオ・コルタサルも、ホルヘ・ルイス・ボルヘスもなぜかまったくハマらなかった。どうしてなのかは自分でもわからない。
だがイサベル・アジェンデの「精霊たちの家」に関しては強烈にハマった。
それがなぜなのかはやはり自分でもよくわからない。
人間、自分のことであってもよくわからないのだ。
話はそれるが、以前会社員だった時に、社長と2人で話していたことがある。
「自分自身を知ろうとすると、無限に広がる闇が見えるだけ。そこには真実なんてない。だから、もしかしたら他人の中にいる自分が本当の自分なのかも知れないなぁ」
俺には意味が分からなかった。会社員失格の俺は素直によくわかりませんと言った。
「そうだろうなぁ、自分もそれぐらいの年に言われたらよくわからなかったと思うよ」
そのころの俺はまだ20代だった。まだまだエゴが拡大し続けていたのかも知れない。30代になって、社長の言っていたことが少しだけわかったような気がする。
文学もそうかもなと今は思う。
物語は、それとして独立する訳ではなく、読んだ人間を通して存在しているのではないかと。
イサベル・アジェンデの人生は壮絶だ。
幼少期に外交官であった父が彼女を捨て、生まれたペルーからチリに帰国。母がまた別な外交官と結婚したためボリビアやラバノンなどで暮らし、自身は国連の機関で勤務したあと雑誌の記者に、やがて父方の親戚であるサルバトール・アジェンデが大統領になり、悪名高き独裁者ピノチェトのクーデターが起こるとイサベルも余波を受けてベネズエラに亡命、亡命先のベネズエラで自らの一族をモチーフにした壮大な小説を書いた。
それが「精霊たちの家」である。
思うに、イサベルは「精霊たちの家」を通して自分というものを再構築しようとしたのではないだろうか?
「自分自身とは何か?」
それは文学の持つ永遠のテーマでもあるだろう。
なおイサベル自身は自身の最高傑作を亡き娘に捧げた「パウラ、水泡なすもろき命」としている。
第14位:ゴリオ爺さん オノレ・ド・バルザック
世界十大文学の名付け親サマセット・モームをして「確実に天才と呼ぶにふさわしい人物」と言わしめたのが1799年に生まれたフランス人オノレ・ド・バルザックだ。
よく言われるように、バルザックは2つの視点を持つ作家だと言える。
1つは冷徹に社会全体を俯瞰できる視点、もう1つは登場人物から世を見る視点。
一流のサッカー選手などはフィールド全体が見えるというが、それに近いのかも知れない。
「ゴリオ爺さん」においてその力はぞんぶんに発揮されていて、ゴリオ爺さんを愚かだと思いながらも愛すべき人物であると誰もが思えるように小説を構成していて、これは誰にでもできることではない。
登場人物の視点という複数の目線を熟知しながらストーリーを構成できるという点ではハンター×ハンターの冨樫義博にも通じるところがあるが、まさにこれは天才のなせる業なのだろう。
それでいながら技巧的になりすぎず、深刻にもなりすぎず、すべてがちょうどいい塩梅に収まっている。
「ゴリオ爺さん」の話は実に物悲しい。
2人の娘にその全てを捧げながらその娘達には疎まれる。
全力で愛した存在からそれゆえに疎まれるのはいつの時代も変わらないものだ。
19世紀前半から変わらないし、21世紀になっても、そして何世紀になっても人類がいる限り変わらない普遍的な事実なのだろう。
双方向の愛情は礼賛されるが、片面的な愛情はどうだろう?
バルザックは登場人物に評価を与えない。
評価は読者がするからであろう。
真の名作はやはり、読んだ人によってその形を変える物語であろう。
つまり「ゴリオ爺さん」は真の傑作なのである。
第13位:イワンデニーソヴィチの一日 ソルジェニーチェン
強制収容所における極限状態というのは何かに開眼させるのかもしれない。
ソヴィエト連邦の作家ソルジェニーツィンはスターリンを侮辱した罪で現在のカザフスタンにある強制収容所に収監されてしまう。その時の体験をもとに書かれたのがこの「イワン・デニーソヴィチの一日」だ。
この本は1962年に発表された訳だが、背景にはフルシチョフによる歴史的な「スターリン批判」があった。ソルジェニーツィン自体はソ連の秘密警察KGBに目をつけられていて、原稿が日の目を見ることはないと思っていたようだが、フルシチョフの尽力もあり本は世にでることが出来た訳だ。
ソルジェニーツィンは粛正を恐れて書いた原稿を誰かに見せることはできなかったという。
つまり彼は誰にも読まれないかも知れない原稿をひたすら書き続けていたことになる。
これはすごい。
ブログという文化がある。始めた人間の9割は半年以内にやめる。3年も続いているブログは稀だ。理由は色々あるが、それだけ何かを書き続けるのは難しいということだ。
この記事を書いている時、幾度となく絶望的な気持ちになった。幾度となく手が止まった。
この記事が最終的に何文字になるかは知らないが、数十時間をかけて数万文字を書き、そして誰もこの文章を読まなかったら?
それほど悲しいことはないが、なぜ悲しいのだろうと考えた時に、それは読まれることを前提に、それを目的として書いているからであるのだろう。
ソルジェニーツィンにとって「書くこと」は何だったのだろう?
彼にとって「書くこと」そのものが救いであったのではないかと思う。
だから「イワンデニーソヴィチの一日」は強制収容所の話なのに明るい。絶望の中に光を見出しながら書いていたのがよく分かる。彼にとって、書くことは祈りに等しかったのだ。
この本の存在を思い出してから、この記事を書くのは楽になった。
この際読まれなくても良いと思えてから、驚くほど文字をタイプする指が軽くなった。もはやこの記事は読まれることではなく「書くこと」もしくは「残すこと」が目的となったからだ。仮に誰も読まれなくても、これを書いている時点で意味がある。
ソルジェニーツェンの書いた同作や「収容所群島」は発表されるやたちまちベストセラーになり、ソ連国内や西側諸国に衝撃を与えた。スターリンのやっていたことを、皆知らずに過ごしてきたのだ。
そういう意味では歴史資料としての価値も高いが、なによりもその文学性はロシア文学ここにあり!といわんばかりの輝きを放っていて、1970年にはノーベル文学賞が授与されている。
ソルジェニーツィンは、収容所での暮らしを地獄としては書き出さず、むしろ楽しそうにさえ書いた。
「一日が、すこしも憂鬱なところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日が過ぎ去ったのだ」
この文はラスト1ページに記された一節である。
そして読み終わった後にゾッとした。
収容所での生活が幸せな訳はないと!
こんなすごい小説、まさにさうなしに思う。
第12位:燃えよ剣 司馬遼太郎
司馬遼太郎は本当にどの本にしようか迷った。「竜馬が行く」「坂の上の雲」どちらも歴史に残る名作だ。
でも、自分の中ではやはり最初に読んだ「燃えよ剣」が一番という評価は揺るがなかった。
読み始めたきっかけは少年ジャンプで連載されていた「るろうに剣心」だ。
幕末を舞台にした漫画で、中学生の頃とにかくはまっていた。どれぐらいはまっていたかというと、実際に剣道部に入部してしまったぐらいだ。
で、その作者が好きな小説が司馬遼太郎の書いた「燃えよ剣」なのだと常々語っていた。なのである日高校の図書室で見つけた時、急いで図書カードを作った。当時はまだインターネットなど普及していないし、アマゾンの存在などもなかったから、欲しい本は今ほど手に入らなかった時代だった。
読んだ、見た、熱かった。ピカレスクというのか、滅びの美学と言うのか、滅びゆく江戸幕府と心中する土方歳三の生き方に熱中した。
読んでいる途中、俺ももっと強くなりたいと思って外に木刀をもって素振りしに行ったぐらいだ。しかも夜中だった。完全に不審者だったことだろう。中二病ともいわれるが、中学生から高校生の男の子などそれぐらい影響されやすいものだ。
いつかやるであろう「俺の好きな歴史上の人物トップ100」をやる際には、きっと土方歳三は上位にランクインするに違いない。
とはいえ、好きな人物が多すぎるので、そのランキングも100人に絞るのは大変そうだ。
第11位:あした天気のしておくれ 岡嶋二人
岡嶋二人は俺が一番好きな作家だ。
その著作は全部読んだくらいには好きだ。
だから岡嶋二人の作品でどれを選ぶかは非常に迷った。
一般的には岡嶋二人と言えば「クラインの壺」を挙げる人が多いだろう。
作品単位で見れば確かにそうかもしれない。
でも、「クラインの壺」はほとんどが井上夢人の手によるものだ。
「岡嶋二人」はその名前の通り日本では珍しい2人1組の作家だ。
二人は「焦げ茶色のパステル」で江戸川乱歩賞を受賞して世にでた訳だが、その1年前に惜しくも最終審査まで行って受賞に至らなかったのが「あした天気にしておくれ」なのだ。
あくまでランキング100冊なのだから、純粋に面白かった作品を挙げるべきなのかも知れない。だが、どうしても二人の想いが一番こもった作品である「あした天気にしておくれ」を紹介したかった。
「おかしなふたり~岡嶋二人盛衰記」という本がある。2人が出会い、乱歩賞を受賞し、解散するまでを描いた井上夢人さんの小説というかエッセイだ。その中で「盛」の部分は乱歩賞をとるまで、「衰」の部分は乱歩賞を取ってからとなっている。
これはある意味よくある話だ。
夢を見るまでは楽しいが、それが叶った後には忙殺され、我を失っていくようになる。ある意味「おかしなふたり」も個人的にはおすすめしたい一冊で、その中で本当に二人が噛み合って、そして楽しんでできた傑作こそが「あした天気にしておくれ」だと描かれていた。
「クラインの壺」「そして扉は閉ざされた」「タイトルマッチ」など傑作の多い岡嶋二人の作品群であるが、だから個人的にはどうしても「あした天気にしておくれ」なのである。
もちろん、個人的な思い入れを抜かしても同作が傑作であることは間違いない。
かつて「あした天気にしておくれ」の選評を読んだ東野圭吾はこう思ったそうだ。
「この人が受賞するまで応募は見合わせよう」
その後東野圭吾は出版された岡嶋二人の作品をみて自分とはレベルが違うと愕然としたそうだ。
そんな東野圭吾は岡嶋二人の小説をこう評している。
「読みだしたら止まらない」
第10位:異邦の騎士 島田荘司
ページを繰る手が止められず、結局一気読みしてしまったという体験は、そうそうあるものではない。
「異邦の騎士」は、ここでランクインした他のほとんどの作品とは違い、何の賞も受賞していない。
いわば「無冠の傑作」だ。
それをノーベル文学賞受賞者の作品よりも上に置いているのだから、このランキングはおかしいのじゃないか?と思われても仕方がないと思う。
全てのランキングは主観だ。それでいい。この記事は俺の自由にできる。何しがらみもない。俺が好きな小説を、俺が評価した小説を、俺が好きなように並べる。それこそがブログという媒体の持つ唯一にして絶対の意味なのだ。
ブログは自由だ。でも自由と言うのはとても不安で、そしてとても恐ろしいものでもある。
「異邦の騎士」の主人公は記憶を亡くした男だ。彼は自由だったが、それゆえにどうしていいのかわからなかった。
金も地位も何もない、そんな男を、占星術師の御手洗潔は命がけで助ける。
何の得にもならない、むしろ損しかない。
そんな状況で御手洗潔は敵に立ち向かっていく。ただ一人の友人を助けるために。
この作品は無冠だからいいのだ。
誰からも忘れ去られ、自分自身でさえも自分のことを忘れてしまった男の物語に、大仰な賞などいらない。
だが確実に俺の心には残った。
それ以上に重要なことなんて何かあるんだろうか?
作者自身が二度とこれほどのものは書けないだろうと言っている通り、その時にしか、その時の島田荘司にしか書けなかった傑作であろう。
島田荘司はやがて江戸川乱歩賞の最終審査に残り、作家となる。「異邦の騎士」はそれ以前に書かれたもので、いわば彼の原点だと言えるだろう。
ミステリーゆえにあまり詳しくは書けないが、この作品を見る前に「占星術殺人事件」「御手洗潔の挨拶」「斜め屋敷の犯罪」などを読んでおくと良い。これは出版された準であって、この順番は非常に大事である。
「異邦の騎士」と「長い別れ」は、男の友情を描いたに大傑作だと思う。
第9位:こころ 夏目漱石
三島由紀夫が好きな人は太宰治が嫌いで、太宰が好きな人は三島由紀夫が好きではない、夏目漱石が好きな人は森鴎外が苦手で、どちらかというと太宰治が好きな傾向にあるのではないだろうか?
俺がそうだ。
実際三島由紀夫も森鴎外を好んでいたが夏目漱石のことは嫌いだったらしい。
夏目漱石の書いた小説は一冊を除いて全部読んでいる。最後の作品であり未完である「明暗」だけはなぜか読んでいない。読んだら夏目漱石が自分の中で終わるような気がしているのかも知れない。。
そんな漱石好きの俺だが、「こころ」は圧倒的な傑作だろうと思う。
言ってみればこの小説の登場人物はウジウジとどうでもいいことに悩んでいる。悩んだあげくに死んでいる。
うるせぇ死ぬなよ、生きろよ!
そう言いたくなる。明日を行きたくても生きられない人間がどんだけいると思ってるんだよ!と。
でも、生きるっていうのはそんなに単純なものじゃない。
我々は一体何を求めて生きるんだろうと、こころを読む時、こころについて考える時に思う。
「 甘えや嫉妬や狡さを、抱えながら誰もが生きてる。それでも人が好きだよ」というのはミスターチルドレンの歌の一節なんだけど、この言葉があればKも先生も救われたんだろうなと高校生の時も思ったし、今もやはり同じ思いだ。
精神的向上心のないやつは馬鹿だ。
馬鹿でもいいさ。馬鹿で悪いなんてことは本当はないんだよ。
我々は常に向上しなければならない呪いにかかっているようだ。人類は進歩しなければならないし、より良い暮らしを求めなければならない。
洗濯板は洗濯機になって、電話は携帯電話になってスマートフォンになった。
ありとあらゆる技術が進歩し、便利になった。
だが、俺たちはその分幸福になったのか?
向上心をもって研鑽に励んだ結果、Kや先生は幸せになったのかい?
でも、Kも先生も大切な何かを守りたかったんだと思う。自分の命よりも大切な何か。それが無くなってしまえばもう自分が自分でいられなくなってしまうような、そんな何かを守るために死んだんだ。
でもやっぱりさ、何かを守るために生きるべきなんだよな。馬鹿でもなんでもさ。
この小説はなんで「こころ」っていうタイトルなんだろう?
高校の時から考えているけど未だによくわからない。
三島由紀夫は人の「強さ」を信奉し、それを文学にしようとした。
夏目漱石は、人のこころの弱さを認め、それを描くことで文学とした。
だから俺は三島が苦手で漱石が好きなんだな。
好きな本はつくづく、その人間が最も現れる。
あるがままのこころで生きようと願うから人はまた傷ついていくし、知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいているなら、誰だってそう、僕だってそうなんだ。
高校時代は夏目漱石とミスターチルドレンにはまった。この二つはすごく、親和性が高いと思うんだ。
そしてそういう時期って、きっと必要だったと思うんだ。
第8位:夜と霧 V・E・フランクル
ウィーン大学の教授にしてナチス収容所を生き抜いたフランクル博士の書いた歴史的傑作。
これを「小説」に分類していいものか迷ったし、これを書いている今でも迷っているが、後世に残すべきという点でこの作品は外せないであろう。
地獄はどこにあるか?
古来人は地獄や冥界は地下にあると考えてきたが違う。
地獄とは地上にあるのだ。
「永久に消えることのない人道に対する罪」として、ナチス党員に対して宣告されている罪に、時効などはない。
では一体ナチスはどのようなことをユダヤ人に対して行ったのか?
「夜と霧」は「アンネフランクの日記」と並ぶ重要な史料でもある。
アンネの日記と違うのは、フランクル博士が生き延びて、精神科医としての観点から収容所というものを描いている点であろう。
この本を読むのには覚悟がいる。
この本を読んだ直後、しばらくは動けないぐらいの衝撃を受けるだろう。人間の尊厳について考えさせられ、一体何が人を人たらしめているのか考えさせられ、人の、底知れない悪意をその肌身に感じざるを得ない。文章でそれを伝えるのだから脱帽である。
文学とは何であろう?
文学とは人を描くことであると思っている。
そういった意味で、「夜と霧」以上に人間を描いた作品はないかも知れない。
極限状態になった時人はどうなるのか。そこには綺麗なだけでない、一言では言いようもない人間としての真理が待ち受けている。そしてそれを描き切っている。
この本は1946年に初版が出版されたが、1977年に新版が出ており、そこには加筆があったそうだ。
その30年間にあったことと言えば4度の中東戦争であろう。
第二次世界大戦が終わり、ドイツが連合国に負け、活発になったシオニズム運動により、ユダヤ人はエルサレムを中心とした故郷パレスチナの地に帰ろうとした。そのためにそこに住まう多くのイスラム教徒を殺し、住処を奪い、蹂躙していった。
我々は犠牲者である。我々には故郷に帰る権利がある。
シオニズム運動における精神的支柱は、アンネの日記とこの夜と霧であった。
フランクル博士がそれをどんな目で見ていたのか、それはこの本の最期の方を読むとよくわかる。
夜と霧の最後の方に、共に強制収容所を生き延びた男と麦を踏むシーンが描かれている。フランクル博士は麦を踏むのはよくないと言ったのだが、その男はそれを聞くや人が変わったように激高し、こう言ったという。
「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか?」
初めはこのシーンが挿入されている意味が分からなかった。男のの言っていることもわからなかった。
そして思った。多分、麦はパレスチナに元々住んでいた人間のメタファーだ。
虐待をされた子供は成長し自分の子供に虐待をするようになる。
収容所から解放された人間は、その同じ痛みを他人に味合わせたくなる。自分たちにはその権利があると思い込む。
加筆個所は、ナチスからこうむった被害を、無関係なパレスチナのムスリム達に味合わせている同胞に対する、フランクル博士からのメッセージであったのだろう。
悪意はどうしようもなく連鎖するのだ。
フランクル博士は同書で人間をこのように定義する。
「では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」
人間とは、負の側面も正の側面も持った存在なのだと、それこそがフランクル博士の本当に伝えたいことなのだと、この本を読んで、そう、強く思った。
読むのにかなりの覚悟はいるが、それでも全人類必読の書だと言えるだろう。
「言語を絶する感動」
誰が言ったかはわからないが、この本にはそのような評がつけられている。
第7位:初秋 early autumn ロバート・B・パーカー
きっかけは忘れたが、一時期ロバート・B・パーカーにはまっていて、一日に一冊のペースで読んでいた時期がある。
パーカーの書く小説には傑作が多い。「儀式」 「約束の地」「背信」など骨太なハードボイルド小説が展開される訳だが、その中でも「初秋」は別格だ。
対立する両親の犠牲となった子供に私立探偵スペンサーが向き合うという話で、ミステリーでもなければハードボイルドでもないかも知れず、ある意味教育小説なのかも知れないとさえ思う。そしてそれはスペンサーシリーズの風味を少しも損なわない。
両親の不和で犠牲になるのはいつだって子供だ。
「初秋」は心に傷を負い、成長の止まってしまった少年に、スペンサーが生きることを教え、心と心でぶつかり合い、徐々に少年が心を開き、成長する過程を描いた物語である。
10年後には続編である「晩秋」で成長した少年を見ることが出来、成長した子供と成長しない大人の両方を読み取ることが出来る。
大人の犠牲になる子供の存在は、教育的に見れば最も恐ろしい問題であり、家庭内で起こること故に外からは決して手出しができない。
大人によって引き裂かれてしまっている子供のなんと多いことか。
人は年齢によって成長するのではない。
年だけとって、まるで成長していない大人は沢山いる。
そう考えると、やはり精神的向上心は必要なのかも知れない。
第6位:酔いどれの誇り The wrongcase ジェームズ・クライムリー
一番好きな小説かも知れない。
ジェイムズ・クライムリーを発見したのは完全なる偶然であった。元々は「ジェームズ・クラベル」と言う名の作家の書いた本を探していたのだが、 探している間に作家の名前を忘れて、いわば勘違いで借りたのがジェイムズ・クライムリーの「ダンシングベア」という本だった。なお探していたのはクラベルの「将軍」という本だったが、未だに読めていないことにこの記事を書いていて気付いた。
話をクライムリーの方に戻そう。「ダンシングベア」は正直それほど面白い本でもなかった。でも、作中で食品輸送車が事故にあって冷凍のチキンが町中にばら撒かれ、貧しい人々は初めて心から神に感謝したというようなアイロニカルな描写が個人的には面白く、この作家の本が読みたいと思ったのをかすかに覚えている。
それから少し月日が経って、近所の本棚で再びジェイムズ・クライムリーと出会った。今度はおすすめの本として紹介されていたので、なんとなく買ってみた。
読み終わった結果、今では最も好きな小説の1つになった。
どれぐらい好きかと言うと、携帯のキャリアメールにはこの本の名前を使い、命と同じぐらい大事な愛犬にはこの小説の登場人物の名前を付けた。
ローレンスブロックの殺し屋シリーズと双璧をなすぐらい自分の人生に関わりのある小説であると言って良いだろう。
ランキングを見ればわかるように、ハードボイルド物の最高傑作と言われる「さむけ」「マルタの鷹」「長い別れ」よりも順位を上につけていて、俺の知る限りでは「酔いどれの誇り」は史上最高のハードボイルド小説である。
表題の通り主人公ミロドラゴヴィッチは万年酔っ払いで、遺産が入るまでの時間を無為に過ごしているだけの私立探偵で、独自の美学をもったフィリップ・マーロウなどとは比べようもないぐらいダメな男だ。
でも、ダメな奴にはダメな奴なりの誇りがある。
「The wrongcase」という原題を「酔いどれの誇り」としたのは大胆な翻訳だったと思う。そして非常に良い題名だと思う。
どんな美酒であっても、この本以上に酔わせてはくれないだろう。
誇りや美学は、拳銃以上にハードボイルド小説には大切なのだ。
第5位:ミレニアムシリーズ スティーグ・ラーソン
スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンが その命をかけて書き切った傑作中の傑作。
読書家として知られる故児玉清さんが生前最も好きな本として名前を挙げていたので読んでみた超長編。
「ドラゴンンタトゥーの女」「火と戯れる女」「眠れる女と狂卓の騎士」の3部作で、それぞれ1000ページずつぐらいあるのだが、読む価値は確実にある。
今回のランキングを作る際、この「ミレニアム」をどこに置くかは非常に迷った。迷ったあげくにこんな高順位になってしまった。自分でも意外だった。
3部作は全部連作なのだが、それぞれ別のジャンルと言っても良い仕上がりになっている。
最初の「ドラゴンタトゥーの女」は数十年前に突如消えてしまった少女の行方を捜していく話で、日本の横溝正史に近い雰囲気を持ったさながら本格ミステリー風味の物語。
次の「火と戯れる女」はある女性の出生の秘密にまつわる物語で、ハードボイルドというかノワールものに属する空気感をだしている。
最後の「眠れる女と狂卓の騎士にいたっては政治サスペンスであり、スパイものになってしまっている。
どんな頭をもってすればこんな壮大な話を思いつくのか。
どれもミステリーの要素を多分に含んでおり、話の行く先がまるで思いつかず、常に新鮮な驚きをもって読み進められ、それが最後まで息切れすることもなく続いていく。期待させるだけさせて失速するような物語とは一線を画した傑作だと言えるだろう。
ちなみに「〇〇な女」というのは全部リスベット・サランデルという女性のことで、最初は主人公を補助する人物としての色彩が強かったが、3部作のうち後半2つは彼女を巡る物語になっている。
ミステリー要素が強いゆえに内容は書けないが、とにかくすさまじい作品であるということだけは強調しておきたい。
作者のスティーグ・ラーソンは3部作を書き終えるとすぐに亡くなってしまい、出版された時にはこの世の人でなかったという。まさに命がけで書いた作品だと言えるだろう。その魂は、やはり後世に伝えたいものである。
第4位:武器よさらば A FAREWELL TO ARMS アーネスト・ヘミングウェイ
初めて「武器よさらば」を読み終わった時、数時間その場から動けなかった。
読み始めた時は、読み難い小説だな、これが歴史的名作なのかな?そう思って「我慢」して読んでいた。それがいつしか自分の意思ではそれを止められなくなり、寝るべき時間になってもページを繰っていた。朝になり、読み終わり、もうどうしていいのかわからなくなった。ここまで小説の世界に入ってしまったのは後にも先にもこの時だけだったであろう。それぐらい衝撃的だったのだ。
アーネスト・ヘミングウェイはビッグネームだ。
知らない人はいないってレベルの作家だし、当然のようにノーベル文学賞を受賞している。歴代の受賞者の中にあってもその存在感は圧倒的で、後世の文学はもちろんアニメや漫画、ゲームに映画などのモチーフやタイトル、キャラクターなどにもヘミングウェイの名は出てくるほどである。
ヘミングウェイは「文体革命」と呼ばれる文学上でも革新的な文体の開発者で、ある学者の長さによれば最も副詞を使わない作家なのだそうだ。
要するに、ぼくにとってはすべてが終わったのだ。僕はみんなの幸運を祈ってきた。いいやつもいれば、勇敢なやつも、平静なやつもいた。聡明なやつもいた。だれもが幸運を手にする資格をもっていた。が、いまやもう僕の出る幕ではなかった。僕はただひたすら、このろくでもない汽車がメストレに着いて、何か食べるものにありつき、考え事を辞められればいいと願った。とにかく、もう考えるのはごめんだった。
これは武器よさらばの一場面を切り取ったものだったが、1文は短く簡素であるのにその意味することを十分に伝えている。それによって小説に迫力が出、思わず読んでしまう臨場感が出ている訳である。
出来の良さで言えばきっと「老人と海」の方が上であろう。「老人と海」も縛りがなければトップ10にランクインする傑作で、その場合は「武器よさらば」よりも順位は高かったかも知れない。「武器よさらば」をランクインさせたのはいわばエゴだ。個人的に受けた衝撃が違い過ぎた。
「今はお入りにならないで」看護師の一人が言う。
「いや、はいらせてもらうよ」
「まだ、いけません」
「あんたのほうこそ出て行ってくれ」僕は言った。「もう一人も」
しかし、彼女たちを追い出し、ドアを閉めて、ライトを消しても、何の役にも立たなかった。彫像に向かって別れを告げるようなものだった。しばらくして廊下に出ると、僕は病院を後にし、雨の中を歩いてホテルまで戻った。
これはラストシーンの引用だが、物語について何も知らなくても、この情景が浮かぶと思う。知っていれば、ここで本当に雨に降られたような感覚に陥る。
第3位:世界の終わりとハードボイルドワンダーランド 村上春樹
1位じゃないのかよ!と突っ込みを入れたくなるかもしれませんが3位です(なぜかここだけ敬語)。
このブログのタイトルは誰でもわかる通りこの小説のモジリだ。
これまでのランキングでもわかる通り、俺が何かの名前を付ける時、好きな小説にちなんだ名前を付けることが多い。ハンドルネームやメールアドレス、愛犬の名前なども好きな小説からつけている。
このブログの名前もそうだ。
もちろんただのブログじゃない。己の人生をかけたブログの名前だ。
つまりそれぐらい好きな小説だということだ。
村上春樹の小説は9割ぐらいは読んでいると思う。むしろ何を読んでいないのか自分でもわかっていない。小説は全部読んでエッセイとかを読んでいないのかも知れない。
最初に読んだのは大学に入る前、これまた代々木ゼミナールの英語講師西谷昇二先生の勧めていた「海辺のカフカ」だった。
カラスと呼ばれる少年が言った、人生の困難に対する話が印象的だった。
「人は生まれた瞬間に竜巻に追われている、それはドンドン大きくなっていきやがて手に負えなくなる。対処法はただ一つ、まだ小さいうちにその竜巻に飛び込んでいくんだ。」
みたいな話だったと思う。その話を読んで、司法試験の勉強を始め、数年後に無惨に散っていく訳だが、それはまた別の話。
「海辺のカフカ」読んですっかり村上春樹にはまり、すぐに「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ。
これは確か渋谷のブックファーストで買ったんだったと思う。そして読み終わるのに3か月ぐらいかかった記憶がある。大学に入学したあたりからの3か月間、確か毎日持ち歩いていた。ちょっとした隙間時間を見つけてはすこしずつ、すこしずつ読んでいった。終わりが近づいてくると、終わってしまうのが嫌だなぁと思うのだが先に進みたい気持ちもある。それでも読み終わった時、不思議と寂しい気持ちはなかった。ただ読んでよかったなぁという気持ちだけが残ったのをなんとなく覚えている。
その3か月の間、大学の英語の授業で「ボブディラン」を扱った。「激しい雨が降る」を授業で聞いて、即座にボブ・デュランのCDを買いに行った。この小説にもたくさんのディランの歌がでてくるけど、「ハードボイルド編」の終わりに「激しい雨が降る」が流れた時には震えた。
こういうのシンクロニティっていうんだっけ?
ボブ・ディランの歌も含めて、完璧な終わり方だったと思う。
村上春樹の小説は、中盤盛り上がるけれどラストはなんかなぁという終わり方がほとんどなんだけど、「世界の終わりとハードボイルドランダーランド」に関しては世界観からキャラクターと文章、終わり方まで完璧だった。ハードボイルドであり、ワンダーランドであり、ノスタルジックであり、ファンタジーであり、ミステリーの要素をはらんだ文学、それが「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という小説だ。
いつか「俺の好きな村上春樹の小説ランキング」もやりたいなと思っているが、もうここで1位を発表してしまっているから個人的にも盛り上がらないので、ここで発表してしまおう。
1位は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
2位は「風の歌を聴け」
3位は「羊をめぐる冒険」
4位は「海辺のカフカ」
5位は「ダンス・ダンス・ダンス」
6位は「ねじまき鳥クロニクル」
これらは縛りがなければこのランキング100の中にどれも入っていた作品たちだ。これ以外にも傑作は多い。
村上春樹は好き嫌いの分かれる小説家だと思う。好きな人は好きだろうし、嫌いな人は本当に嫌いだろう。誰もが好きになるような、万人を納得させられる文章なんてものは、幸せの青い鳥のようなものだ。きっとそんなものはない。そう、
完璧な文章なんてない、完璧な絶望がないようにね!!
第1位:怒りの葡萄 The Grapes of Wrath ジョン・スタインベック
人類が生み出した最高の書物は、日本語では聖書と訳される「バイブル」であろう。
断然ダントツでベストセラーと言え、旧約まで含めれば2500年もの間人々の間で読み継がれてきた本である。
あらゆる書物がそのバイブルに太刀打ちできないが、唯一「怒りの葡萄」だけが対抗し得るのではないだろうか。
モーセの出エジプト(エクソダス)になぞらえたその壮大なストーリーは、決して日本人には書けないんじゃないかとはじめに読んだ時に思ったほどだ。多分書けないだろう。
この小説を読んだのは20代の前半だったが、ある一節を読んだ時にふと、これは世界史の資料集に載っていた文章だということに気づいた。
人々は山と捨てられたオレンジを拾いに、がたつく車でやってくる。しかしそれには石油がまかれている。人々は、じっとたたずんで馬鈴薯が流れていくのを見まもる。穴の中で殺されている豚どもの叫びを聞き、その穴に生石灰がかぶせられる音を聞く。腐ってくずれていくオレンジの山をみまもる。そして人々の目には失望の色があり、飢えた人たちの目には怒りの色がある。人々の魂の中には怒りの葡萄が実り始め、それが次第に大きくなっていく。収穫の時を待ちつつ、それは次第に大きくなっていく。
この描写は25章にある描写で、ここから突如物語は跳ねる。まるで堰を切ったように物語が流れ始めるのだ。
この描写だけでも素晴らしいが、やはりそれまでの積み重ねがこの部分で一気に来る感覚は、他のどの小説でも、映画でも、漫画でも味わえないほどの感動と憤りがあった。
正直、最初はつまらない小説だと思った。読むのがキツクなったので途中でやめようとさえ思ったの。
だが、物語はここからだったのだ。
話の舞台は1930年代。世界恐慌と歴史的な不作が重なり、日本教科書ではあまりとりあげられないが、アメリカでは多数の餓死者が出た。
カルフォルニアには仕事がある、食べ物がある。その噂を信じた人が群れとなりカルフォルニアに押し寄せ、そして石油の撒かれたオレンジの山を見たのである。
「経済」と言う名のねじれ、目の前に食料があるのに餓死しなければならない人々。
だがそれこそが第二次世界大戦当時のアメリカの現実だったのだ。
これはアメリカだけの話ではない。
現在でも同様だ。世界の人口を賄えるほどの食物生産量があるのに、世界から飢えは決してなくならない。むしろ増えている。
持つものと持たざる者の間で起こる闘争にも似た排斥。常に己の利益だけは守ろうとする人間の本性。歴史上幾度となく起こった民族の大移動。保守と排斥と差別と格差。
怒りの葡萄は、人類の普遍を見事に描き切った不朽の名作だと言えるだろう。
これはこの先幾世紀経とうとも変わらない人間で性であり、人間を描くという一点において、これほど優れた文学を私は知らない。
本来ならば2位の位置だが、今回は同率の1位とした。1位となった2冊の本は、俺にとって両方THE・BESTなのだ。
第1位:罪と罰 ドストエフスキー
今回の縛りは結構きつかったと思う。
1作家1作品のランクインのみというのはランキングを作る上でも非常に苦しかった。
ドストエフスキーの本だけでも「罪と罰」の他に「カラマーゾフの兄弟」は確実に入ってくるし、「白夜」なんかも入ってくる。ヘミングウェイは「武器よさらば」以外にも「老人と海」が、村上春樹にいたっては「風の歌を聴け」「海辺のカフカ」「羊をめぐる冒険」なども入ってしまっていたことだろう。やはりこの縛りは必要だった。
けど、そのおかげで世界的傑作でありサマセット・モームの選んだ世界10大小説の一つである「カラマーゾフの兄弟」がランクインしないことになってしまった。
一般的には「カラマーゾフの兄弟」の方が評価が高いだろうし、俺自身そう思う。
でも、「罪と罰」ほど衝撃を受けた小説はない。
先にカラマーゾフの話を。
月並みだがやはりカラマーゾフの中では「大審問官」の部分であろう。ギリシャ正教が支配的になっているロシアに、イエスキリストが蘇るという架空話が始まるのだが、その中ではキリストが正教会によって異端認定されてしまう。
完全な空想でありながら、さもありなんと思えるのがドストエフスキーの凄いところで、これはギリシャ正教に限らず、司祭階級の人間が自分たちの都合のいいように元々の教義を利用してしまうことを皮肉っている訳で、それを読んだ時には「こんな皮肉り方もあるのか!」と衝撃を受けたほどだ。
実際プロテスタントが誕生したのも民間人が聖書を読めないのをいいことにカトリック教会がやりたい放題やっていたところに活版印刷機が導入されて聖書が出回ったという部分が大きい訳だし、為政者が恣意的に教義をねじまげるのはよくあることなのだ。
それを真っ向から非難するよりも、文学を通して皮肉るのは非常に品格がある。
もちろん「大審問官」だけではない。所謂「父殺し」をモチーフにした傑作で、その完成度はオイディプス王すら上回るであろう。
カラマーゾフの兄弟は東大教授が新入生に読んで欲しい本1位だという話だが、その意見には全面的に賛同する。
カラマーゾフの兄弟を読まずに死ぬのはもったいない。どんな高級酒もどんなに豪華な食事もカラマーゾフには敵わない。
ドストエフスキーは過去に存在した作家の中でも一人だけ別次元にいるような気がする。
シベリアの強制収容所での経験がそうさせたのか、てんかんがそうさせたのか、いずれにせよ一人だけ違い段階に進んでしまったようであった。
「わたしが恐れるのはただ一つ、 わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
これは先に紹介したフランクル博士の「夜と霧」に引用された一節だが、この言葉ほどドストエフスキーを表している言葉はないかも知れない。
「罪と罰」は苦悩する青年ラスコーリニコフの話だ。
彼を通じて人類が救われる話だと思っている。
この本を読むのは並大抵のことじゃない。
時間がなければ読めないし、時間があっても中々読み進められないだろう。
苦痛でさえあると思う。人によっては頭痛や吐き気さえ催すかも知れない。それほどに重厚で、心の奥底まで沈んでいくかも知れない。
だが、その苦痛が報われる本でもある。むしろ、苦痛であるからこそ報われるのかもしれない。
この本は山登りのようなものだ。険しい山を己で登るからこそ見える景色がある。
人は一人では生きていけない。
「罪と罰」を読むと、心からそう思えてしまう自分に気づくのだ。
ラスコーリニコフが苦悩の末に悟ったこととは何だったのか?
是非お読みになって確かめてみてほしい。
最後に
かなり長い記事だったと思う。最終的には60000文字を越えてしまった。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
この記事を書いている時、幾度となく絶望を感じた。
まず自分の書く能力の低さに絶望した。
どうして俺はうまく文章がかけないんだろう、いつになったらいい文章が書けるんだろうと思い悩んだ。
次になぜこんなことをしているのかと思い悩んだ。
そしてこの記事を書いて、それで読んでもらえるんだろうかと不安になった。
途中で何度か辞めたくなったというのも偽らざる本音だ。
この記事には、俺の過去が結構出てくる。正直思い出したくないし向き合いたくない挫折経験も結構あった。この文を書いている現在でも公開しようかどうか迷っているぐらいだ。
映画の時は幸いにも多くの人に見てもらった。
今回は、映画の時の倍以上の時間をかけてこの記事を作った。
記録によれば、俺はこの記事を4月1日に書き始め、4月20日に書き終えた。
この20日間はほとんどこの記事に費やしたと言っても良いだろう。
実際に記事を書くのにも時間はかかったし、傑作と名高い小説も10冊以上は読んだ。文字数60000文字というのは、並の記事30記事分ぐらいにはなる。
それだけやって全然箸にも棒にも掛からなかったら?
日に日にプレッシャーは大きくなっていった。
その意識が変わったのはやはりソルジェニーツィンの「イワンデニーソヴィチの一日」について思い出した時だ。先ほども触れたように、彼は書いたものを出版すること、もっと言えば一目に触れることを想定せずに書き続けていた。
彼にとって、出版し、人目に触れること以上に「書くこと」そのものが目的であり救いであったのだ。
俺は以前からこのテーマで書きたいと常々思っていて、自分の好きな小説ランキングを10年前ぐらいから少しづつメモに残していたのだ。それは人に公表しようというものではなかったが、このブログを始めると決めた時、それを記事にしようとずっと思っていた。
だけど実際にそれを記事にするのは大変だろうと思っていたし、思っていた以上に大変だった。
この20日間はどうだったであろう?
とてもキツイ20日間であったのは確かだ。
だけど後から考えてみて、あぁ、あの時は楽しかったと思える時間になるかも知れない。
俺はまだまだ未熟で拙い。
そこから脱却できないかも知れない。
けど、俺は俺なりにこの記事はよくできたと思っている。
現時点での俺の持ちうる力を全て出し切ったと言える。
後はどうなるか、どう読まれるか、それはもう、俺の手からは離れてのことだろう。
ここまで書くのに徹夜した。気が付けば朝になっていた。腰も痛いし、兎に角結構疲れてしまったので、一度寝たいと思う。
結構自分なりに力を入れて書いたので、良かったらなにがしかでシェアしてくれると嬉しい。
そしてついでに、映画バージョンも見てくれたらうれしいと思う。こっちも長いけどね。
完璧な記事なんてない、完璧な絶望がないようにね。
俺はその言葉をたよりに、これからも記事を書いていこうと思う。
だから良かったら読者登録とかしてくれよな!
- 第100位:下町ロケット 池井戸潤
- 第99位:アルケミスト 夢を旅した少年 パウロ・コエーリョ
- 第98位:死者の驕り 大江健三郎
- 第97位:三つの棺 ディクスン・カー
- 第96位:空中ブランコ 奥田英朗
- 第95位:僕僕先生 仁木英之
- 第94位:イッツ・オンリー・トーク 絲山秋子
- 第93位:テロリストのパラソル 藤原伊織
- 第92位:日の名残り カズオ・イシグロ
- 第91位:曹操 陳舜臣
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- 第89位:殺戮にいたる病 我孫子武丸
- 第88位:山月記 中島敦
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- 第82位:十角館の殺人 綾辻行人
- 第81位:フラニーとゾーイ J・D・サリンジャー
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- 第76位:生きる 乙川優三郎
- 第75位:興奮 ディック・フランシス
- 第74位:奪取 真保裕一
- 第73位:はつ恋 ツルゲーネフ
- 第72位:深夜プラス1 Midnight Plus One ギャビン・ライアル
- 第71位:新宿鮫シリーズ 大沢在昌
- 第70位:リプレイ ケン・グリムウッド
- 第69位:敦煌 井上靖
- 第68位:華氏451 レイ・ブラッドベリ
- 第67位:第三の時効 横山秀夫
- 第66位:ガープの世界 The Wolrd According to Garp ジョン・アーヴィング
- 第65位:魍魎の匣 京極夏彦
- 第64位:転生夢現 莫言
- 第63位:モモ ミヒャエル・エンデ
- 第62位:そして誰もいなくなった And Then There Were None アガサ・クリスティ
- 第61位:三国志 吉川英治
- 第60位:悪童日記(Le Grand Cahier) アゴタ・クリストフ
- 第59位:タフの箱舟 ジョージ・R/R・マーティン
- 第58位:ムーンパレス オースター
- 第57位:僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
- 第56位:銀河鉄道の夜 宮沢賢治
- 第55位:リングシリーズ 鈴木光司
- 第54位:容疑者Xの献身 東野圭吾
- 第53位:幼年期の終わり アーサー・C・クラーク
- 第52位:白鯨 Moby-Dick ハーマン・メルヴィル
- 第51位:移動都市シリーズ MORTAL ENGINES フィリップ・リーブ
- 第50位:イワンイリイチの死 レフ・トルストイ
- 第49位:赤と黒 スタンダール
- 第48位:パンタレオン大尉と女達 マリオ・バルガス・リョサ
- 第47位:柳生石舟斎 山岡荘八
- 第46位:鷲は舞い降りた The Eagle Has Landed ジャック・ヒギンズ
- 第45位:百万ドルを取り戻せ Not A Penny more, Not A penny Less ジェフリー・アーチャー
- 第44位:二分の一の騎士 初野晴
- 第43位:嵐が丘 Wuthering Heights エミリー・ブロンテ
- 第42位:偽のデュー警部 ラブゼイ
- 第41位:人間の土地 サン=テグジュペリ
- 第40位:MOMENT 本多孝好
- 第39位:トムソーヤの冒険 マーク・トウェイン
- 第38位:ラッシュライフ 伊坂幸太郎
- 第37位:七回死んだ男 西澤保彦
- 第36位:シャーロックホームズシリーズ コナン・ドイル
- 第35位:邂逅の森 熊谷達也
- 第34位:崩れゆく絆 Things fall apart チアヌ・アシェベ
- 第33位:殺し屋シリーズ ローレンス・ブロック
- 第32位:オイディプス王 ソフォクレス
- 第31位:獄門島 横溝正史
- 第30位:御伽草子 太宰治
- 第29位:グレートギャッツビー フィッツジェラルド
- 第28位:1984 オーウェル
- 第27位:異邦人 カミュ
- 第26位:北壁の死闘 Traverse of the GODS ボブ・ラングレー
- 第25位:夏への扉 ハインライン
- 第24位:さむけ THE CILL ロス・マクドナルド
- 第23位:タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア
- 第22位:長い別れ The long goodbye レイモンド・チャンドラー
- 第21位:ビラブド Be Loved トニ・モリスン
- 閑話休題:他の人が選んだトップ100を紹介
- 第20位:星を継ぐ者 ジェイムズ・p・ホーガン
- 第19位:卵をめぐる祖父の戦争 CITY OF THEVES デイビッド・ベニオフ
- 第18位:神の名のもとに メアリ・w・ウォーカー
- 第17位:チャリオンの影 The curse of Charion ロイス・マクマスター・ピジョルド
- 第16位:アンドロイドは電気羊の夢を見るのか Do Androids Dream of Electric Sheep? フィリップ・K・ディック
- 第15位:精霊たちの家 イサベル・アジェンデ
- 第14位:ゴリオ爺さん オノレ・ド・バルザック
- 第13位:イワンデニーソヴィチの一日 ソルジェニーチェン
- 第12位:燃えよ剣 司馬遼太郎
- 第11位:あした天気のしておくれ 岡嶋二人
- 第10位:異邦の騎士 島田荘司
- 第9位:こころ 夏目漱石
- 第8位:夜と霧 V・E・フランクル
- 第7位:初秋 early autumn ロバート・B・パーカー
- 第6位:酔いどれの誇り The wrongcase ジェームズ・クライムリー
- 第5位:ミレニアムシリーズ スティーグ・ラーソン
- 第4位:武器よさらば A FAREWELL TO ARMS アーネスト・ヘミングウェイ
- 第3位:世界の終わりとハードボイルドワンダーランド 村上春樹
- 第1位:怒りの葡萄 The Grapes of Wrath ジョン・スタインベック
- 第1位:罪と罰 ドストエフスキー
- 最後に