傑作映画「セッション」をアマゾンプライムで見た!

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名作と評判の「セッション」という映画を見た。

結論から言うと傑作だった。

だが、106分の上映時間の中で、正直90分ぐらいまでは駄作だと思った。全然面白くないしパワハラだしどうやったって傑作になりようがない。

教官はただのクソ野郎だし絶望的で救いようがない。

本当は教官はいい奴だったのかな?とか思っていたけれど、残り10分ぐらいになり実は本当に救いようがないほどのクソ野郎だと判明。

なのにラスト10分にしてやられた。

もう一回言うけどこの映画は傑作だった。

 狂気と才能と指導とパワハラと

この映画の構造は驚くほどシンプルだ。

登場人物は何人かいるが、基本的には2人。

ドラムをひたすら叩き続ける男アンドリューと鬼教官であるフレッチャーの2人。

普通のハリウッド映画、のみならず大体の映画はどこかにラブロマンスなどが入るが、この映画にそんなものは入り込まない。家族の素晴らしさも男女の愛情もない。

アンドリューは途中で映画館でバイトしている娘とデートするがあっさり捨てる。

「音楽の邪魔だ!」と言って捨てる。

ここだけ抜き取ると酷い奴のようだが、デート相手は学校が嫌いで将来やりたいこともなく、日々をなんとなく過ごしていて、ドラムにひたすら打ち込んでその他全てを捨てているアンドリューから見れば魅力的に映らなかったのだろう。

アンドリューにはドラムしかない。

友達もいない。母親は父親に愛想をつかして出て行ってしまった。親戚とも話が合わない。むしろ誰とも話が合わない。

いい意味で言えばアンドリューには夢がある。世界一のドラマーになることだ。

そんなアンドリューが夜中ドラムの練習をしていると鬼教官フレッチャーの目に留まる。

フレッチャーは少しだけアンドリューのドラムを聞くと去っていき、後日自分のバンドに引き入れる。

アンドリューの指導は度が過ぎていて、フルメタルジャケットに出てくる教官のように生徒たちを罵り、罵り、罵倒しつくす。

正直見ているのがキツイぐらい罵倒する。

全編見た後でもフレッチャーの本心は見えてこない。

見えてこないが、フレッチャーもまた純粋素晴らしい理想の音楽を追い求めているだけ、、、だと思ったらやっぱりわからない。

ある日フレッチャーは自分の教え子だった生徒が死んだ話をする。その生徒の音楽を流し、素晴らしい音楽だった、惜しいことをした、彼は自動車事故で亡くなったのだと。

後にこれは生徒が自殺をしたのだとわかるのだが、フレッチャーは嘘をついていたのだろうか?

これは見終わった後でもよくわからない。

その生徒はフレッチャーの行き過ぎた指導のせいで鬱になり自ら命を絶ったのだということは、最後の方でわかる。

アンドリューもまたフレッチャーにつぶされた。

バスの遅延でコンサートに遅れそうになり、スティックを無くしてしまい、探しているうちに交通事故に遭い血だらけになりながらドラムをたたくも腕を怪我してドラムが叩けず、ついに糸が切れたようにフレッチャーに飛びかかる!

フレッチャーが潰したのはアンドリューだけでなく、多くの生徒がつぶれていた。自動車事故で無くなったと思っていた生徒も実はフレッチャーのパワハラのせいで精神を病んで自殺したのだし、他のドラマーも結局は音楽を捨てた。

そこには音楽を楽しめとか音楽を愛せみたいな余裕はなくて、ただ狂気だけのある世界だった。

アンドリューは退学になり、同時に匿名でフレッチャーを告発する。

そしてしばらく経ち、アンドリューとフレッチャーはジャズのフェスティバルで邂逅し、少し話す。

「チャーリーパーカーはどんな状態だろうとチャーリーパーカーになった」

フレッチャーの発したこのと言葉こそが、この映画の中心なんだろうなと思う。

フレッチャーの信念においては、本物は決してつぶれないし、潰そうとしても潰せないものだというのが根底にあるのだろう。

偉大な音楽家を産む。

そのことに狂気ともいえる情熱を注ぐ男フレッチャーの考えが分かったような気がして、アンドリューは再びフレッチャーの誘いにのってコンサートに出ることを約束する。

そしてコンサート当日、アンドリューは聞いていた曲とは違う曲をやるのだと知る。

更にコンサート直前にフレッチャーはアンドリューに近寄り、「私をなめるな!俺を売ったのはお前だろう!」と言って曲を始める。

そう、フレッチャーはただのクソ野郎だった。

アンドリューに復讐するためだけに、恥をかかせるためにコンサートに誘ったのだ。

演奏の出来ないアンドリューを見て、フレッチャーはほくそ笑む。

自分のコンサートが台無しになったことなんかよりも、自分を告発した奴に恥をかかせたのが嬉しくて仕方がないのだ。

ではフレッチャーは音楽を愛していないのだろうか?

恥をかかされたアンドリューは会場を後にし、父親は息子を抱きしめる。

あぁ、なんてクソ映画を見てしまったんだ。

ここまで来て俺はそう思ってしまった。

ここから先はまだ映画を見ていないなら、今すぐ映画を見ることをおすすめする。有料だがアマゾンプライムを利用するとみられる。レンタルショップで借りてくるのも良いだろう。

音楽しかない

アンドリューには音楽しかない。

恋人よりも、家族よりも、友達よりも、彼にとっては音楽が大事なのである。

アンドリューは会場に戻り、勝手にドラムを叩き始めた。

当然フレッチャーは止めようとするが、彼にはそれを止めることが出来なかった。

アンドリューは狂ったようにドラムを叩き続ける。

周りの演奏家たちもそれに合わせる。

フレッチャーは指揮を執り、心の底から音楽に没頭し始める。

アンドリューの独奏が始まる。

フレッチャーはもう止めない。

なぜなら、アンドリューこそがフレッチャーの求めていた本物だったからだ。

アンドリューもフレッチャーも結局同じ種類の人間だったのだ。

2人の間に交わされる言葉など必要ない。

ただ、音楽だけが表現の手段なのだ。

曲が終わったと同時に、この映画も終わる。

この映画で表現したかったことを表現し終えたからだ。

シンプルイズベスト。

このセッションという映画を見ているとこのことを再確認させられる。

才能とはとどのつまり、狂った熱情のことなのかも知れない。