中国の歴史上最強の武将は誰だ?
呂布?項羽?
いやいや尉遲敬德(うっちけいとく)だろう!
誰だよそれ?というような声も聞こえてきそうですが、中国歴代最強との呼び声も高い武将で唐建国の功臣の中でも特に評価の高い凌煙閣二十四功臣に選ばれていて、李世民が後に唐の皇帝になれたのも尉遲敬德がいたからだという話もあるほど。
最終的には「神勇」と呼ばれその強さは後世まで残るようになりました。
という訳で今回は唐代最強の武将「尉遲敬德」についてのお話。
尉遲敬德の人間離れしたエピソード
中国では姓・名・字の順で名前を表すので、尉遲が姓、恭が名前、敬德が字(あざな)となるので、尉遲敬德は張翼徳とか関雲長とかと似たようなものである。姓+字と言う組み合わせは中国ではよくあること。
尉遲氏の出自はよくわかっていないのだが、その姓からして漢化した鮮卑族ではないかと言われている。この頃になると純粋な漢民族というのはほとんどいなくなってしまい、混血が進んでいる上にそもそも李世民一族もおおもとをたどると鮮卑族だと言われているぐらいであまり誰も気にしなかった時代となっていたのだろう。
尉遲敬德は元々は李世民(後の唐の太宗)の敵として歴史の表舞台に登場している。三国志よろしくはじめは敵として現れて後に強い味方になることはよくある。ライバルが味方になるのは少年ジャンプなどの少年漫画だけではないのだ。
当時は数百年ぶりに中国を統一した隋という国の影響力が失墜して群雄割拠状態になっていて、唐を建国する李淵もその1人だった。李淵は割拠する群雄の1人劉武周との闘いに次男の李世民を派遣していた訳だが、尉遲敬德は元々劉武周の部下であった。
尉遲敬德は宋金剛という武将と共に唐軍を大いに破り、何人かの有力な武将を捕虜にしている。一方の李世民は劉武周をさっさと撃破してしまうのだが、尉遲敬德はその後も唐軍に抵抗を続ける。
李世民は尉遲敬德が気に入ったのか部下に命じてなんとか説得させ尋相という武将と一緒に味方に引き入れることに成功する。
その後この尋相という武将は唐に対し反旗を翻すことになる。李世民の部下たちは尉遲敬德のことも疑うのだが、それを見た李世民は笑って部下を叱責した上に尉遲敬德にお金を渡して「去りたければ去ればいい」と言ったという逸話が残っている。
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ここまで言われたらむしろ裏切り難いわな。
その後すぐに敵方が数万の兵をもって攻めてきたのだが、尉遲敬德はこともなげに敵将を打ち取ったという。尉遲敬德が本当に寝返っていたら李世民の命はなかっただろうな。
尉遲敬德はその後も連戦連勝で、ある時は敵を挑発し、ある時は真正面から敵を叩き潰しそれでも傷を負うことはなかったという。
尉遲敬德に関するエピソードはすさまじいものが多く、中でも代表的ないくつかの逸話を紹介したいと思う。
たった3騎で敵将撃破・李世民の命を救う
ある時敵将が隋の皇帝の馬をこれ見よがしに乗っていた。李世民は部下に対し「誰かとるにやあらんか」と聞くと尉遲敬德はたったの2騎を連れて敵将を見事撃破し皇帝の馬を李世民に献上したという。
また劉黒闥という武将が唐に反乱を起こした際に完全なる奇襲だったため李世民は完全に包囲されてしまい絶体絶命の危機に陥ったのだが、尉遲敬德はたちまちにその囲みを破り李世民の命を救ったというエピソードもある。
たった1人で呂布や項羽や趙雲などの豪傑のエピソードを合体させたような武将である。
他にも、李世民の弟が尉遲敬德に試合を申し込んだが結局傷一つつけられず全く攻撃をあてられなかったエピソードや李世民を逃がすために殿を務め弓矢を10人連続でヒットさせた結果敵が追いかけてこなくなったエピソードなど超人的なエピソードが数多くあり、その武勇は中国最強クラスの1人であると言っても良いであろう。
忠義の士尉遲敬德
李世民と兄の李建成が不仲であるのは歴史上有名な話であるが、李建成はあの手この手で尉遲敬德を味方にしようとした。が、尉遲敬德は李世民に忠義を尽くしついぞ首を縦に振らなかったという話が残っている。
李建成は太子であり時期皇帝であるのにこの態度、日本人は好きそうである。
李建成はことあるごとに尉遲敬德に嫌がらせをして父である皇帝李淵に讒言までしたそうだが尉遲敬德は意に介さなかったという。
それがたたったというべきか、尉遲敬德は李世民に天下を取るように進言し、唐の二代目争いである玄武門の変においては李世民と敵対する李元吉を射殺、李淵に対し李世民を後継者とする詔を出させている。
李世民が唐の2代目皇帝太宗となってからも尉遲敬德はトルコ系騎馬民族と言われる突厥を退けるなど軍功を上げ、高句麗遠征においても敵軍を破る活躍をしている。
高句麗から帰ると隠遁して仙人修行に没頭したらしい。
呂布も関羽も張飛も戦乱にて亡くなったが、尉遲敬德はこれだけの戦乱の世に生まれて畳の上で亡くなっている。享年74歳。当時としてはかなり長生きの部類だと言える。
個人的な尉遲敬德への評価
その武力においては三国志最強の武将呂布をも上回り、覇王項羽にさえ匹敵すると言っても過言ではない。
日本の戦国武将本田忠勝は戦において傷を負ったことはないとされるが、尉遲敬德にも同様のエピソードがあり、これだけ戦場にでていたにも関わらず傷を負ったことがないという。
間違いなく中国の歴史史上最強の武将の1人であると言えるだろう!