16世紀半ば、スレイマン大帝はヨーロッパ最強貴族ハプスブルク家の本拠であるウィーンを包囲したが、冬の厳しい寒さなどを理由に撤退した。 それから150年の時が過ぎ、オスマン帝国は再びウィーンを目指した。
世界史にはしばしば絶対的な権力を行使する女性が登場する。 オスマン帝国においては、17世紀前半において息子2人や孫を操り政治の実権を握ったキョセムがそれにあたるだろう。 今回は「キョセム・スルタン」と言われるほど権勢を誇った女帝キョセムについて…
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