秦・漢時代
中国歴代名将の中でも特に功績が大きく、また人気が高いのが霍去病という将軍だ。 わずか24歳で死去するまでの間に立てた功績は数知れず、その豪放磊落な性格は当代のみならず後代からも愛された。
一代で平民から皇帝になる例は少ないが、一代で将軍になる例もまた少ない。 人類の歴史においては封建制社会が多く、身分制度によって階級化されるのが常だ。日本の戦国時代を考えてみても、秀吉や斎藤道三などの一部を除き登場人物のほとんどが名門貴族およ…
世界史には多くの歴史家が存在する。ローマ史家として有名なエドワード・キボンやノーベル賞を受賞したテオドール・モムゼン、歴史の父と呼ばれるヘロドトスに東方見聞録のマルコ・ポーロ、資治通鑑を書いた司馬光、日本では三国志を書いた陳寿が有名かも知…
世界の歴史を考えた時に、兄弟が共に歴史の教科書に載るほど有名になるという例はそれほど多くない。 孫権・孫策兄弟などは日本でも有名だが、世界史の教科書には悲しいかなほぼ出てこない。日本の秀吉と秀長兄弟なども有名だが、世界レベルで見ると秀吉が少…
始皇帝が「皇帝」を名乗ってから清のラストエンペラーが退位するまで中華史上には300人もの皇帝位を持つ者が存在した。 その中で最高の名君を決めるとなると候補は三人に絞られる。 清の康熙帝、宋の趙匡胤、そして後漢の創始者光武帝の3人だ。 今回はそんな…
「数奇な運命」という言葉があるが、俺の知っている限り最も数奇な運命をたどったのが前漢の九代目皇帝だ。 まるで作り話のような宣帝の運命について見て行ってみよう。
三国志時代の英雄の1人である神威将軍馬超は、実はかなりの名門出身だ。 父馬騰は漢の官僚の一人であったし、その祖先を求めると「馬援」という人物までさかのぼることが出来る。 漢の名門一族として生まれ、簒奪王朝である新につかえたあと中国史上最強にし…
漢の高祖である劉邦が載っていない教科書はあっても漢の武帝の載っていない世界史の教科書はない。 この一点が武帝という人物を表しているかも知れない。 元号を始めて使った皇帝としても知られ、2000年後の現在においてもその名を轟かせる漢の武帝こと劉徹…
「中国」という概念を作ったのは秦の始皇帝である。 もし彼がいなければ、後の歴史は大きくかわっていたことであろう。 バタフライエフェクトという言葉があるように、蝶の羽ばたきが大きな嵐を起こすがごとく、歴史というのも小さな出来事が後に大きなうね…
中国の長い歴史においても最も悪名高い人物の一人が漢を滅ぼし新を建国した王莽という人物である。