2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

本当は凄い!魏建国の功臣「楽進文謙」はもっと評価されるべき名将である!!

三国志には実に500人もの登場人物が出てくる。 ではその中でもっとも登場回数が多いのは誰であろうか? 三国志演義においてはやはり主人公の劉備玄徳であろうが、それに次ぐのが実は曹操配下の楽進である。

歴史上最強の悪女!清の「西太后(慈禧)」という生きざまについて

暴君と暗君は違う。暗君は国家の大事に何もせずにいて衰退もしくは滅亡を招く存在であるが、暴君は意図的か否かは別として政治に積極的に介入することで国の衰退や滅亡を招く。 前者の代表は宋の徽宗や明の天啓帝で、後者の代表は隋の煬帝や秦の始皇帝であろ…

李自成の乱の首謀者!明朝を滅ぼした男「李自成」の生涯とその評価について語る

歴史というのは一定のリズムを繰り返す音楽のようなところがある。 中国の歴史においては巨大な統一王朝が興るとその末期には大規模な反乱が起こり、その王朝は滅亡していく。 秦時代の陳勝・呉広の乱、漢の赤眉の乱および後漢の黄巾の乱、唐の安史の乱はも…

明朝最後の皇帝「崇禎帝」の悲哀と不幸に満ちた人生について

人が生きる現世には数えきれないほどの不幸が眠っている。 人は高いところから落ちた時ほど衝撃が大きくなるものだが、そういった観点から見ても各王朝の最期の皇帝は悲惨だ。 有名なのは三国志に出てくる後漢最後の皇帝献帝であろう。 彼個人は利発であった…

【閲覧注意】張献忠は本当に殺戮王だったのか?~歴史の信憑性とねつ造について~

人類の歴史は虐殺の歴史でもある。 近年ではナチスヒトラーによるユダヤ人大量虐殺が有名だが、歴史を見ると人類は実に多くの虐殺を行っている。 中国の歴史においても大量虐殺がしばしば行われているが、明末清初を生きた張献忠はその事情が少し異なる。

中国史上最悪の裏切り者!中国史最低の人物「呉三桂」の唾棄すべき生涯について

人類の歴史には、たびたび裏切り者が登場する。 日本史における小早川秀秋やカエサルに恩がありながら暗殺の実行をしたブルータス、イエスを売り渡したユダなど。 しかし意外なほど中国の歴史においては裏切り者は少ない。三国志の呂布のような奴はいるが、…

魏忠賢~九千歳を強要し、堯天舜徳至聖至神を自称した史上最悪の宦官~

中国の歴史はしばしば宦官によってその形を歪めてきた。 有名なのが後漢時代の党錮の禁で、伝統的な漢における官僚登用制度「郷挙里選」で採用された清流派の官僚たちを宦官が弾圧した事件で、多くの有能な官吏が死に、それは黄巾の乱が起こって初めて解除さ…

中国文学史上最高傑作「牡丹亭還魂記」のあらすじと作者「湯顕祖」の反逆心に満ちた人生を語る

長い中国の歴史において、武力的に見れば最盛期は漢の武帝の時代、文化的に見れば明代がその最盛期であったと言えるだろう。 四代奇書と言われる三国志演義、水滸伝、金瓶梅、西遊記もこの時代に花開き、書、絵画、戯曲など現在にも伝わる傑作が数多くこの時…

映画ビューティフルマインドのモデルになった天才的数学者ジョン・ナッシュの生涯

今さらながら「ビューティフルマインド」を見た。 この記事を書いている2019年6月現在アマゾンプライムで見られるのでまだ見てない人は是非見て欲しい。 ビューティフルマインドの感想から ジョン・ナッシュの生涯 ジョン・ナッシュの生涯について思うこと

「呉子」の著者!戦国時代を代表する兵法家「呉起」に見る乱世を渡る資質について

春秋時代と戦国時代には無数の兵法家が出現した訳だが、その中でも特に評価が高いのが「孫子の兵法書」を書いた孫氏と「呉子」の著者である呉起の二人だ。

秦を最強国家にした男!商鞅(公孫鞅)の生きざまに見る改革と変法の重要性と難しさについて

周の没落より500年近く続いた春秋戦国時代はある一人の人物によって突如終わりを迎える。 彼の名は秦王政。 のちに秦の始皇帝と呼ばれる人物である。 なぜ始皇帝が中華を統一し得たかにはいくつかの理由があるが、その中でも最も大きいのが秦という国の国力…

孟嘗君・平原君・信陵君・春申君 戦国七雄をも凌いだ戦国の四君の功績をまとめる

中国の春秋時代には五覇と呼ばれる有力な諸侯が存在した。 www.myworldhistoryblog.com 春秋時代が終わり、周の影響力が皆無になった戦国時代においては、時に諸侯をも上回る人物たちが登場すし、彼らは戦国の四君と呼ばれるようになる。 「鶏鳴狗盗」で有名…

鶏鳴狗盗で有名な孟嘗君(田文)の激しい生きざまと性格について

春秋時代が終わりをつげ、中国はさらなる戦乱の時代に突入した。 終わりなき戦いが続いたその時代を戦国時代という。 そのような時代にあって戦国四君と呼ばれる4人の猛者たちが誕生する。その筆頭が今回の主人公である田文こと孟嘗君だ。

夭折の天才!武帝に愛された「霍去病」の短いながらも閃光のような人生について

中国歴代名将の中でも特に功績が大きく、また人気が高いのが霍去病という将軍だ。 わずか24歳で死去するまでの間に立てた功績は数知れず、その豪放磊落な性格は当代のみならず後代からも愛された。

中国史屈指の名将!匈奴討伐の大将軍「衛青」の業績とつつましやかな性格について

一代で平民から皇帝になる例は少ないが、一代で将軍になる例もまた少ない。 人類の歴史においては封建制社会が多く、身分制度によって階級化されるのが常だ。日本の戦国時代を考えてみても、秀吉や斎藤道三などの一部を除き登場人物のほとんどが名門貴族およ…

世界史上最高の歴史家!司馬遷の生涯と史記に賭けた想いとは?

世界史には多くの歴史家が存在する。ローマ史家として有名なエドワード・キボンやノーベル賞を受賞したテオドール・モムゼン、歴史の父と呼ばれるヘロドトスに東方見聞録のマルコ・ポーロ、資治通鑑を書いた司馬光、日本では三国志を書いた陳寿が有名かも知…

漢書の作者「班固」と「班超」兄弟について~虎穴に入らずんば虎子を得ず~

世界の歴史を考えた時に、兄弟が共に歴史の教科書に載るほど有名になるという例はそれほど多くない。 孫権・孫策兄弟などは日本でも有名だが、世界史の教科書には悲しいかなほぼ出てこない。日本の秀吉と秀長兄弟なども有名だが、世界レベルで見ると秀吉が少…

中華史上最高の名君が一人!後漢の創始者「光武帝(劉秀)」

始皇帝が「皇帝」を名乗ってから清のラストエンペラーが退位するまで中華史上には300人もの皇帝位を持つ者が存在した。 その中で最高の名君を決めるとなると候補は三人に絞られる。 清の康熙帝、宋の趙匡胤、そして後漢の創始者光武帝の3人だ。 今回はそんな…

歴史に名を残すべきおすすめ「神ゲー」ランキングベスト100を俺が選ぶ!

ゲーム、好きか? 俺は好きだぜ! ゲームが好きっていうと印象が悪いんだけど、我が国が世界に誇れるものってそんなにたくさんなくて、ゲームに関しては明確に世界に誇れる分野だと思うんだよな。 3か月前の「映画ベスト100」以来、月に一度のベスト100シリ…

春秋の五覇、春秋時代の覇者とはどのような存在だったのか?

孔子の著作である「春秋」から名前を取った春秋時代が始まったのは紀元前770年、周王朝が東西に分裂したところから始まる。 中華帝国、主に黄河文明は周を中心とした封建制度を維持できなくなり、諸侯は独立し、大小さまざまな国が生まれた。

春秋の五覇最強の男!臥薪嘗胆で有名な「越王勾践(こうせん 句践)」

越王勾践を春秋の五覇に入れるかどうかは古来より論争のあるところで、史記を始め勾践を五覇に入れていない書物が多く、彼を五覇に入れているのは実は荀子ぐらいである。

呉越同舟はありえなかった!呉王「闔閭(こうりょ)・夫差(ふさ)」親子に見る栄枯盛衰について

春秋の五覇といいつつ候補は八人いる。 その中で確実に入るのは2人、斉の桓公、晋の文公、ほぼ確実に入るのは楚の荘王となっており、あとの2人は史書によって採用されている人物が違う。中国史においてよくあることなのだが、はじめに数字があってそれに誰が…

春秋時代一の人格者!楚の荘王(熊侶) 「鳴かず飛ばず」や「絶纓の会」「鼎の重さを問う」の故事で有名な名君の生涯について

斉の桓公、晋の文公と共に確実に春秋五覇に入るのが楚の荘王という人物で、前二人が「公」となっているのに対し今回は「王」となっている。 これは前二者が周王朝の権威を尊重して王にならなかったのに対し楚は中原より遠く周王朝の権威が及んでいないことを…

春秋時代一の名君!春秋五覇が一人「晋の文公(重耳)」

斉の桓公亡き後の春秋時代をリードしたのは晋の文公で、この人物も春秋の五覇に必ず入る人物である。

春秋の五覇筆頭!斉の桓公(姜小白)に見る国の盛衰について

春秋時代には、五覇と呼ばれた5人の有力君主がいた訳だが、困ったことに五覇の候補は8人もいる。 三皇五帝などもそうなのだが、中国の歴史というのは数が最初に来てしまう傾向にあるらしい。 そんな沢山いる候補の中でも、斉の桓公の筆頭として絶対に入るこ…

范蠡(はんれい) 越王勾践に仕えた春秋一の名軍師にして希代の富豪として成功した男!

秦が中国を統一するよりはるか前、中国は長きに渡って分裂状態にあった。 時は春秋時代、名目上の盟主は周王朝であったが、すでに力はなく、各国がしのぎを削る時代にあって、春秋の五覇と呼ばれる強力な君主が出現した。 今回は春秋の五覇の一人越王勾践(…

復讐の鬼!呉王闔閭、夫差に仕えた悲劇の名将「伍子胥(ごししょ)」~死者に鞭を打つの語源にもなった人物~

紀元前770年以降、周王朝の弱体化が顕著になると、各国が覇権を争う春秋時代に突入した。 この時代は多くの国が相争う時代であり、中でも春秋の五覇と呼ばれる5人の覇者を中心とした時代でもあった。 中国の歴史ではよくあることだが、春秋の五覇に誰が含ま…

開元の治と安史の乱!玄宗皇帝(李隆基)には名君にして暗君という評価が妥当であろう

人類の歴史には、同じ人物の生涯であるのに、前半生と後半生が別人のようになってしまった人物がいる。 中国の歴史においては毛沢東と玄宗皇帝がその代表格であろう。 開元の治と呼ばれる唐の全盛期を現出した前半生と、楊貴妃を寵愛しすぎて国を滅ぼしかけ…

開元の治の功労者!張説(ちょうえつ)に見る政治の難しさについて

「上品に寒門なく下品に勢族無し」という言葉が表すように、中華文明は長らく少数の貴族が政治を支配してきた。 その流れに待ったをかけたのが中華史上唯一の女帝であった則天武后である。 彼女は門閥貴族を廃し、科挙によって実力のある者を採用し、地位に…

中国史上唯一の女帝!聖神皇帝を名乗った則天武后(武則天)の評価は難しい

始皇帝が初めて皇帝を名乗ってからラストエンペラー溥儀が退位するまでの間約2000年間、女帝はたった一人しか誕生しなかった。 これは中華文明及び儒教が徹底的な男尊女卑であるためで、女王陛下の国とさえ言われるイギリスの歴史とは対照的であると言っ…