五代十国・宋時代
人格形成ということを考えた時、幼年期から青年期にかけて出会った人間の影響は非常に大きい。 高校時代の世界史教師が声を荒げて秦檜の弁護をしていたのを、まるで昨日のことように思い出す。 今回は4000年を超す中国の歴史において最も嫌われている人物秦…
中国の歴史には実に300人にも上る皇帝が登場する。 その中の大半は暗君か暴君か傀儡と言った感じだが、その中でも際立った暗君が2人存在する。 秦の二代目皇帝胡亥と北宋の徽宗皇帝だ。 前者は「馬鹿」や「アホ」の語源にもなった人物で、宦官の言いなりにな…
世の中には、どうしても器用に要領よく生きられない人間がいる。 若くして科挙に首席合格し、滅びゆく王朝とその運命を共にした文天祥はその世界代表であると言えるだろう。
世界史の教科書でもほとんど扱われることがないため、我々日本人にはなじみの薄い五代十国時代なんだけど、結構キャラの濃い人物たちが狂騒ともよむべき権力争いをしていて興味深い部分も多かったりする。 今回は唐の滅亡から宋が中国を統一するまでの歴史を…
遼を建国したのは二代目の太宗(耶律堯骨)であるが、ほとんどの世界史の教科書にはその基礎を作った耶律阿保機の名がのっている。 五代十国時代にできた強国遼の基礎を築いた太祖、耶律阿保機について見て行こう!
有名な三国志においても、その生涯において複数の君主に仕えた人物は珍しくない。 名称と名高い張遼は4人、名軍師と名高い賈詡は5人に仕えた。 戦乱に世にあってはこのようなこともよくあるのだが、中国の歴史、いや、世界の歴史においても馮道(ふうどう)…
中国史上の名君を五人選べと言われたら、宋の太祖こと趙匡胤は確実にその候補にあがるであろう。 今回は唐以来の統一王朝を作り上げた英雄の人生を見て行こう。
「神宗」というのは中々の廟号である。 北宋の第6代目の皇帝である神宗の本名は趙頊と言い、彼の名前よりも宰相であった王安石の名前の方が有名であろう。
中国4000年の歴史の中で、最も有名な宰相は誰であろうと考えた時、世界史の教科書にも載っている王安石の名がまずは浮かぶ。 北宋は神宗の時代に活躍した宰相王安石について見てみよう。
唐が滅亡すると、中国は再び戦乱の時代に突入した。 戦いは100年にも及び、その間には華北に5つ、華南に10の国が次々と興っては消え、建国しては滅亡していったため、世界史ではこの時代を「五代十国時代」と呼ぶ。 秩序は乱れ、治安を守るべき兵士たちは略…