古代ローマ史

閲覧注意!ローマの悪女ランキング8選を発表

ローマの歴史は1000年と長く、その中には良妻賢母タイプの女性も多数いるがそれと同じぐらい「悪女」と呼ばれるタイプの女性たちもいる。 今回はそんな時代を彩る悪女たちについて見て行こう。

最悪は誰だ?ローマの歴史における暴君ランキングワースト10!

「絶対的権力は腐敗する」 という言葉の通り、強すぎる権力は確実に腐敗を生む。 名君を多数輩出したローマであるが、同じくらい暴君も輩出している。 今回はローマ1000年の歴史における暴君10人を紹介しよう。

最強は誰だ?戦に強かったローマの名将ランキングベスト15!

王政から帝政までローマは実に多様な人物を輩出した。 政治、文学、歴史、地理、自然科学、ありとあらゆる分野で人材を輩出したのがローマであったと言えるだろう。 それらの功績は、ある意味ローマの安全保障の賜物と言える。 ローマ軍はいつの時代も強かっ…

クルスス・ホノルム!ローマの名誉あるコースについて解説!

共和政ローマにおいて王はおらず、その政治は基本的には元老院の助言を受けながら実際には1年任期の2人の執政官が行うことになっていた。 執政官を始め多くの要職は無給でそれを行うようになっており、コンスルに至るまでの出世コースは「クルスス・ホノルム…

古代ローマ最高の歴史家タキトゥス

現在「ローマの歴史」と知られている事柄のうち、初代皇帝アウグストゥスから3皇帝時代においてまでの期間においてはほぼタキトゥスの記述が採用されている。 タキトゥスの著作はそのままローマの歴史であり、我々はタキトゥスを通してローマの歴史を知る訳…

「ローマ皇帝記」を書いたガイウス・スエトニウス・トランクィッルス

ローマの歴史を記した歴史書の数は結構多い。 スエトニウスの遺した「皇帝記」もローマの歴史を遺した貴重な史料だと言える。 皇帝記に書かれた皇帝はユリウスカエサルからドミティアヌス帝までの12人。 スエトニウス自体はトラヤヌス帝の時代からハドリアヌ…

SPQR!ローマそのものと言っても良い元老院(セナートゥス)について徹底解説するぜ!

古代ローマの歴史において特に異質だと言えるのが元老院の存在であろう。 古代の国家においてはオリエント的な専制君主制が一般的であったし、民主制と言ってもギリシャ諸国家には元老院のような組織は見られない。 ローマとは一体なんだろう? ローマとは、…

古代ローマにおける記録抹消刑(ダムナティオ・メモリアエ)について解説するぜ!

現代の法律の基礎を作ったのはローマ人である。 表現の自由や私有財産制、経済活動の自由や信教の自由など、基本的に現代で当たり前とされている諸権利はローマ人が法文化したものであり、それをもとにイギリスやフランス、アメリカやドイツなどの法律が作ら…

ローマを包囲した男!西ゴート族の王アラリック

テオドシウス帝以降のローマ皇帝で教科書に名前の載っている人物はいないがこの時期のゲルマン民族の長達の名前は結構載っている。 この時期に頭角を現した人物たちが後のフランスやスペイン、ドイツを作っていくのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、…

パックス・バルバリカを創出した男オドアケルの生涯について

西ローマ帝国を滅ぼした男として世界史の教科書には必ずと言ってもいいほど名前の載っているオドアケルだが、実は詳しいことはよくわかっていない。 テオドシウス帝によってローマの文化や風習が徹底的に破壊されてからは歴史を遺すという文化も共に廃れてし…

実は教養の高いフン族の王アッティラの生涯とカタラウヌムの戦いについて

ゲルマン人の大移動がローマ滅亡の原因となった訳だが、そのゲルマン人の大移動はモンゴル系騎馬民族フン族の圧迫によって始まった。 ゲルマン人は凶暴で強力なフン族と戦うぐらいだったら弱体化する一方のラテン民族を相手にした方が万倍楽だと感じた訳であ…

476年西ローマ帝国滅亡!ホノリウス帝からロムルス・アウグストゥス帝までの教科書では語られない治世について解説するぜ!

世界史の教科書には、「テオドシウス帝の亡き後ローマは東西に分裂し、西ローマ帝国は傭兵隊長オドアケルによって476年に滅ぼされた」とだけ記載してある。 この記述は世界中で共通であるらしく、ローマ帝国がどのように滅びたのかを解説している歴史教科書…

ローマ歴代最高の将軍グナエウス・ドミティウス・コルブロについて

後に暴君として知られるネロも、最初の5年間は善政で知られている。 その時期にセネカと共にネロを支えた人物の1人が今回の主役であるグナエウス・ドミティウス・コルブロという人物であった。 ネロが暴君として知られるのはキリスト教徒を迫害したことも…

ローマ最後の名将!非業の死を遂げたスティリコについて

紀元395年、テオドシウス帝が亡くなるとローマは2分割された。 東側を長男のアルカディウスが統治し、西側を次男のホノリウスが統治する。 世界史の教科書にはこれ以上のことは書いていない。 実はこの時まだアルカディウスが18歳、ホノリウスが10歳…

第11代ローマ皇帝ドミティアヌス帝は果たして本当に暴君なのだろうか?

ドミティアヌス帝に関してはあらゆる資料に辛辣な評価が寄せられている。 これらの根拠となっているのがタキトゥスやスベトニウスと言ったローマ歴史家の記述及び死後において元老院が記録抹消刑に処していることが原因である。 元老院が記録抹消刑に処した…

隠れ名君!ローマ帝国第10代皇帝ティトゥスの善政について

ティトゥスはウェスパシアヌスから始まるフラヴィウス朝と言われるローマ帝国の第2代目にあたる皇帝で、その治世は2年間しかなかったにも関わらず強烈な事件やその善政で名の轟いている皇帝である。

再びローマに光を取り戻した第9代目皇帝ウェスパシアヌスの評価はもう少し高くても良いと思う

ネロやテオドシウス帝の載っていない世界史の教科書は少ないが、ウェスパシアヌスの名前が載っている世界の教科書は俺の知っている限りない。 それはウェスパシアヌス帝の時代には目立ったことがなかったからであろう。 だが、目立ったことがなかったという…

食べることが大好きだった第8代ローマ皇帝ヴィテリウス

ラテン語ではバビブベボの発音をしないので「ウィテリウス」というのが正しいようだが、このブログだとミネルヴァとかネルヴァとか思いっきりヴァと発音しているのでヴィテリウスとした。 ネロ帝が死んだ後、1年で3人の皇帝が死ぬという所謂3皇帝時代がや…

その治世わずか3か月!ローマ帝国第7代皇帝オトー

オトーはネロ帝が亡くなった後の1年間で3人の皇帝が変わる「3皇帝時代」に皇帝位にあった人物の1人だ。 古くからネロと親しくしていたが、ある件からネロと仲たがいしてしまう。

第6代ローマ皇帝ガルバのあまりにも短い治世について

ネロ帝が死に、ユリウス・クラウディウス朝と言われた政体は崩れた。 ネロの生きている間の政治的混乱も相当なものだったが、ネロが死んだ後のローマの混乱はそれをはるかに上回るものであった。 わずか1年で3人のローマ皇帝が変わるという未曽有の危機と…

392年!キリスト教を国教化したテオドシウス帝とその恐怖政治、ローマ文明の徹底的破壊について

テオドシウス帝はあらゆる世界史の教科書に必ず出てくる皇帝である。 それはローマ帝国内でキリスト教を「国教化」した人物であり後継者に東西分割したローマをそれぞれ継がせた人物であるからである。 そんなテオドシウス帝は一体どんな人物であったのか? …

ヴァレリンティアヌス1世・ヴァレンス・グラティアヌス・ヴァレリンティアヌス2世の治世について語るぜ!

ユリアヌス帝が亡くなると、ヨヴィアヌスという人物が皇帝となり、その次にヴァレリンティアヌス1世がローマ帝国の皇帝となった。 www.myworldhistoryblog.com

背教者と呼ばれた改革者!ローマ皇帝ユリアヌスについて語る!

ディオクレティアヌス帝によってはじめられたテトラルキアはコンスタンティヌス帝によって1人による支配に戻ったが、その後継者たちは分割統治を始め、血みどろの争いを繰り広げるようになっていった。 www.myworldhistoryblog.com そのような状態を制した、…

コンスタンティヌス帝の後継者たち

世界史的カリスマと評しても良いコンスタンティヌス帝が亡くなって以降のローマ帝国は再び内乱の時代へと突き進んで行った。 コンスタンティヌス帝の人生はまさに血塗られた人生と言っても良いほどであったが、その死後はさらにひどく、まさに血塗られた一族…

ローマ帝国の4分割統治(テトラルキア)の始めから終わりまでを徹底解説!

危機の3世紀と言われたローマ派50年で25人もの皇帝が亡くなるという軍人皇帝時代が続いた。 そこに終止符を打った最後の軍人皇帝ディオクレティアヌスは広大なローマを統治するのに1人の皇帝の力では不可能と判断、始めはマクシミアヌス帝との2頭体制(ディ…

313年!キリスト教を公認し信教の自由を保障した「ミラノ勅令」について解説するぜ!

センター試験やセンター模試なんかでは「ミラノ勅令によってキリスト教が国教化された」〇か×かみたいな問題が良く出る。 答えは×で、よく誤解されるのだけれど、ミラノ勅令自体はキリスト教を公認しただけで国教化された訳ではない。 そもそも公認化された…

325年!ニケーア公会議の重要性についてできるだけわかりやすく解説する!

日本の世界史教科書の中で、ローマ最大の戦いともいえるファルサロスの戦いが載っているものはないが、同時にニケーア公会議について載っていない教科書もない。 日本の教科書編纂者にとって、ローマそのものの命運よりもキリスト教の教義を確認した会議の方…

聖帝?大帝?世界史的名君コンスタンティヌス帝の血塗られた生涯について

世界の歴史に影響を与えたという面において、コンスタンティヌス帝は5本の指に入るであろう。 なにせ、コンスタンティヌス帝がいなければキリスト教が支配的になることもなければローマ法王もおらず、よって宗教改革も存在しなかった。 後のキリスト教史観に…

ローマ第二帝政第二代正帝ガレリウス帝について!彼はカリスマ同士の橋に過ぎなかったのか?

ガレリウスはディオクレティアヌス帝が始めたテトラルキア(四頭政治)において東側の副帝に任命された人物で、ディオクレティアヌスの娘を娶り、先帝が引退すると正帝として君臨した人物である。

非業の死を遂げたマクシミアヌス帝について語るぜ!

マクシミアヌス帝はディオクレティアヌス帝が創始したドミナートゥス政においてディアルキア、テトラルキアを支えた人物で、日本での知名度は0に近い。 ディオクレティアヌス帝がテトラルキアを実行できたのもこのマクシミアヌス帝がいたからであり、そう考…