イギリス史

ナポレオンの敗北!ネルソン提督が活躍したトラファルガー海戦をできるだけわかりやすく解説させてください

世界史には幾人かの英雄が存在する。 フランス革命後に稲妻のように出現したナポレオン・ボナパルトは世界史においても有数の英雄と言えるだろう。 そしてもう一人。 イギリス海軍の提督ネルソンもまた世界史における英雄だと言える。 最強対最強 古代ローマ…

ラックランドジョン!欠地王と呼ばれたイギリス史上最悪の暗君ジョン

イギリスの歴史を見ると、中国やローマ帝国と比べても名君が少ない代わりに暗君や暴君も少ないと言える。 それは議会が発展していたので国王の権力がそこまで強くなかったということもあろう。 イギリスではアングロサクソン七王国の時代から賢人会議という…

リチャード・ザ・ライオンハート!獅子心王リチャード一世

今は解散してしまったSMAPの「ライオンハート」がリリースされた時、大々的にCMで放映されたので日本での知名度も結構高いのではないかと思うのがライオンハートことリチャード一世だ。 歴代イギリス王の中でもトップクラスの戦闘能力を誇り獅子心王ともあだ…

プランタジネット朝の創始者!ヘンリー2世の激しい生きざまをご覧ください

1066年のノルマンコンクエストから始まるノルマン朝は、ヘンリー2世の即位のよって一区切りされ、新しくプランタジネット朝と呼ばれる王朝が誕生した。 今回はその時代の移り目を創出したヘンリー二世について見て行こう。

イギリス「ノルマン朝」の歴史まとめ

日本に鎌倉時代、室町時代という区分があるように、イギリスの歴史にもいくつかの時代区分がある。 今回は1066年から1154年まで続いたイギリスノルマン朝の歴史をまとめてみたいと思う。

イギリスノルマン朝の創始者征服王ウィリアム一世(ノルマンディ公ギョーム)~1066年ノルマンコンクエストの首謀者~

フランス人はとにもかくにもアメリカの政策とは逆を取りたがる。これはフランスにとってアメリカはイギリスの植民地だった国であり、イギリスはそもそもフランスの領土だったという意識があるからであろう。 この意識が強いのは1066年、イギリスの歴史に最も…

ウェストミンスター寺院の建設者!エドワード証聖王(懺悔王)

デーン朝の創始者カヌートが亡くなると、後継者問題が発生した。 カヌートの息子であるハロルドが一旦はイングランド王になるものの5年死んでしまい、その跡を継いだカヌートとノルマンディ公の娘エマとの間のこと度ハーデクヌーズも即位2年で死んでしまうと…

北海帝国の王!イギリスデーン朝の創始者クヌート(カヌート)

アルフレッド大王が基礎を築き、アゼルスタンが整え、エドガーが統一したイングランドであったが、エドガーは暗殺され、代わりに王の座についたのは後に無思慮王(アンレディ)の綽名で呼ばれることになるエゼルレッドであった。 彼はそのあだ名が示す通り思…

最初のイングランド王アゼルスタンはもっと日本でも評価されるべき

イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」という非情に長いものであり、イギリスという名称は日本ぐらいであまり使われず、アメリカをUSAと呼ぶように、イギリスはユナイテッドキングダムの頭文字をとってUKと訳される。 イ…

イギリス建国の祖!知られざるアルフレッド大王の活躍

世界史上で最も広大な領土を実現したのはどこの国であったかご存知であろうか? 正解は大英帝国である。 我々は大英帝国の共通語であった英語を義務教育で習い、イギリスの議院内閣制を取り入れた。 だが、中世以前のイギリスの歴史が学ばれることはあまりな…

「ローマ帝国衰亡史」を書いたエドワード・ギボンの生涯

後世におけるローマ史の研究家と言えばドイツのテオドール・モムゼンとイギリスの歴史家エドワード・ギボンの2人の名があがる。 今回は「ローマ帝国衰亡史」を書いたエドワード・ギボンの話。