イギリス史
陸軍の指揮官として最も優秀な人物は? これはかなり荒れる論議になる。人類史においては陸戦がメインであったと言え、数多くの無敵ともいえる指揮官が存在するため、最強を決めるのは非常に難しいだろう。 では海軍の指揮官として最も優秀な人物は? これは…
どの国の歴史にも「転換点」となるような人物が存在している。 イギリスの歴史においてはやはりヘンリー8世の時代が転換点だったのではないかと思う。
競走馬の世界において、フランスの凱旋門賞と並ぶ世界最高峰のレースに「キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS」というレースがある。 全てのホースマンにとっての永遠のあこがれで、その栄光を目指して世界中から名馬たちが参戦し、しのぎを削るそのレー…
イギリスの歴史には、4人生前に退位をした国王がいる。そのうち3人は陰謀により退位させられた形であったが、唯一自分の意思で退位したのが今回の主役エドワード8世である。 彼は恋の為に退位した。 王座を賭けた恋。 こう書くとロマンチックに見えるが、実…
ナチスドイツの暗号「エニグマ」の解読に成功したと言われているのが「イミテーションゲーム」という映画のモデルにもなったアラン・チューリングという人物だと言われている。
「名誉革命」が載っていない歴史の教科書はない。歴史だけでなく、政治経済の教科書にもないであろう。
清教徒革命の結果、王政は復古し、イギリスは再びステュワート家を王家とする王政が復活した。 王位についたチャールズ二世は「怠惰王」と呼ばれながらも議会のやることにはあまり口出しをせず、一応は議会とうまくやっていた。 そんなチャールズ二世は1685…
世界史上、その評価が揺れる人物は多いが、清教徒革命の中心人物となったオリバー・クロムウェルはその代表とも言える。
清教徒革命あるいは三王国戦争が終わるとイギリスに王政が復活した。 www.myworldhistoryblog.com 復活したのはチャールズ一世とルイ13世の妹ヘンリエッタ・マリアの子チャールズで、彼は即位するとチャールズ2世を名乗るのであった。
中学校や高校の歴史の授業で出てくる「清教徒革命」ですが、用語は知っていても内容はよく分かっていないという方も多いのではないでしょうか? それもそのはず、清教徒革命、別名三王国戦争はイギリス特有の用語や概念などを理解していないとよく分からない…
世界史上の出来事が中学校の歴史に乗ることはあまりないが、その数少ない例外がチャールズ一世の時代に起きた清教徒革命であろう。 今回はピューリタン革命で処刑されてしまったチャールズ一世の生涯について見て行きたいと思う。
エリザベス女王は生涯結婚もせぬまま死んだ。そのためテューダー朝はここに断絶し、テューダー朝の開祖ヘンリー七世の系譜に連なるスコットランド王ジェームズ6世が新たにイングランド国王ジェームズ1世として就任することになった。 「イギリス」としてみる…
テューダー朝最後の君主エリザベス一世が死ぬとイングランドの王家はステュアート家が代々継ぐようになり、ここにステュアート朝が誕生するようになる。 ステュアート朝の初代国王はジェームズ一世であるが、その母親であるメアリー・ステュワートはエリザベ…
海賊が英雄になる、というのは珍妙な話だが確かに世界史にはそういった例がある。 中でもオスマン帝国海軍提督としてプレヴェザの戦いを勝利に導いたバルバロス・ハイレッディンとアルマダ海戦に副官として参加したフランシス・ドレークの二人は国家的な英雄…
世界の歴史を変えてしまった戦い。 確かにそう言える戦いが世界史には存在している。 1588年イングランドとスペインの間に起きたアルマダ海戦はそういった戦いの一つだと言えるだろう。 最強と言われたオスマン帝国は16世紀前半においてプレヴェザの戦いにお…
イギリスの歴史はもちろん、世界の歴史においてエリザベス女王の果たした役割は大きい。 現在では世界で10億人を越える人間が英語を話し、学術や医学、インターネット上の事実上の公用語として機能しているが、エリザベス女王の存在がなければそうはなってお…
世界史の中でも特にイギリス史を特異なものにしているのが16世紀から18世紀初頭まで存在していた「私掠船(Privateer)」の存在であろう。
スティーブンソンの「宝島」やエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」など海賊の隠された財宝をモチーフにした物語は多いが、その大元となったのが「キャプテンキッドの財宝伝説」である。
「バッカニア」と呼ばれた海賊たちがいる。 日本ではカリブの海賊として知られ、16世紀後半から17世紀にかけてイギリスの認可を受けてスペイン船を積極的に襲った海賊たちで、「私掠船(Privatee)」と呼ばれることもある。 バッカニアとして最も有名なのは1…
世界史には幾人かの英雄が存在する。 フランス革命後に稲妻のように出現したナポレオン・ボナパルトは世界史においても有数の英雄と言えるだろう。 そしてもう一人。 イギリス海軍の提督ネルソンもまた世界史における英雄だと言える。 最強対最強 古代ローマ…
イギリスの歴史を見ると、中国やローマ帝国と比べても名君が少ない代わりに暗君や暴君も少ないと言える。 それは議会が発展していたので国王の権力がそこまで強くなかったということもあろう。 イギリスではアングロサクソン七王国の時代から賢人会議という…
今は解散してしまったSMAPの「ライオンハート」がリリースされた時、大々的にCMで放映されたので日本での知名度も結構高いのではないかと思うのがライオンハートことリチャード一世だ。 歴代イギリス王の中でもトップクラスの戦闘能力を誇り獅子心王ともあだ…
1066年のノルマンコンクエストから始まるノルマン朝は、ヘンリー2世の即位のよって一区切りされ、新しくプランタジネット朝と呼ばれる王朝が誕生した。 今回はその時代の移り目を創出したヘンリー二世について見て行こう。
日本に鎌倉時代、室町時代という区分があるように、イギリスの歴史にもいくつかの時代区分がある。 今回は1066年から1154年まで続いたイギリスノルマン朝の歴史をまとめてみたいと思う。
フランス人はとにもかくにもアメリカの政策とは逆を取りたがる。これはフランスにとってアメリカはイギリスの植民地だった国であり、イギリスはそもそもフランスの領土だったという意識があるからであろう。 この意識が強いのは1066年、イギリスの歴史に最も…
デーン朝の創始者カヌートが亡くなると、後継者問題が発生した。 カヌートの息子であるハロルドが一旦はイングランド王になるものの5年死んでしまい、その跡を継いだカヌートとノルマンディ公の娘エマとの間のこと度ハーデクヌーズも即位2年で死んでしまうと…
アルフレッド大王が基礎を築き、アゼルスタンが整え、エドガーが統一したイングランドであったが、エドガーは暗殺され、代わりに王の座についたのは後に無思慮王(アンレディ)の綽名で呼ばれることになるエゼルレッドであった。 彼はそのあだ名が示す通り思…
イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」という非情に長いものであり、イギリスという名称は日本ぐらいであまり使われず、アメリカをUSAと呼ぶように、イギリスはユナイテッドキングダムの頭文字をとってUKと訳される。 イ…
世界史上で最も広大な領土を実現したのはどこの国であったかご存知であろうか? 正解は大英帝国である。 我々は大英帝国の共通語であった英語を義務教育で習い、イギリスの議院内閣制を取り入れた。 だが、中世以前のイギリスの歴史が学ばれることはあまりな…
後世におけるローマ史の研究家と言えばドイツのテオドール・モムゼンとイギリスの歴史家エドワード・ギボンの2人の名があがる。 今回は「ローマ帝国衰亡史」を書いたエドワード・ギボンの話。