西欧史
「歴史を変える一戦」というものが存在する。 日本史では「関ケ原の戦い」であろうし、中国なら「赤壁の戦い」や「牧野の戦い」、ローマなら「ファルサロスの戦い」など、その国の、その地域の、あるいは世界の覇権をかけた戦いにおいて、不利な勢力が勝利し…
人材の質は常にその国家の命運を分ける。 ローマ帝国があれほどまでに強大になったのも共和政、帝政と優秀な人材が出てきたからであるし、また社会構造的にどのような民族や価値観、宗教観をもったものでも活躍できるシステムが整っていたからであろう。 ホ…
テオドシウス帝が死んだあと、ローマは東と西に分断された。アルカディウスが継いだ東ローマ帝国はコンスタンティノープルに都をおき、もはやローマをその領内に入れることはなく、ビザンツ帝国という呼び名で呼ばれることも多い。 そんなビザンツ帝国にあっ…
476年に西ローマ帝国が消滅して以来、ローマはオドアケルの許で平和な時代を享受していた。 しかしそのことに業を煮やした東ローマ帝国は毒には毒を以て、つまりゲルマン人にはゲルマン人をぶつけることで問題の解決を図ろうとしたのである。 そのための白羽…
テオドシウス帝以降のローマ皇帝で教科書に名前の載っている人物はいないがこの時期のゲルマン民族の長達の名前は結構載っている。 この時期に頭角を現した人物たちが後のフランスやスペイン、ドイツを作っていくのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、…
西ローマ帝国を滅ぼした男として世界史の教科書には必ずと言ってもいいほど名前の載っているオドアケルだが、実は詳しいことはよくわかっていない。 テオドシウス帝によってローマの文化や風習が徹底的に破壊されてからは歴史を遺すという文化も共に廃れてし…
ゲルマン人の大移動がローマ滅亡の原因となった訳だが、そのゲルマン人の大移動はモンゴル系騎馬民族フン族の圧迫によって始まった。 ゲルマン人は凶暴で強力なフン族と戦うぐらいだったら弱体化する一方のラテン民族を相手にした方が万倍楽だと感じた訳であ…
「皇帝」という言葉を聞くとき、「翻訳」というものの難しさを心の底から感じる。 「見る」という英語はいくつもある。see,watch,look at,glanceなど。 「I」を日本語にすると実に多様だ。私、僕、俺、拙者、うち、わい、吾輩、わっち、あちき、あっし、手前…
今回はナポレオン退位後のウィーン体制から見てみましょう。 www.myworldhistoryblog.com
*試験に出やすい用語が赤字となっています。 www.myworldhistoryblog.com
前回は総裁政府が誕生したところまでやりました。 今回はナポレオンの登場から現代のフランスまでの歴史を見ていきましょう。 *試験に出やすい箇所は赤字になっています。 www.myworldhistoryblog.com
地域史としてのフランスの歴史を、受験対策という面から世界史検定1級というマニアックな資格を持つ管理人がまとめてみたいと思います! *赤字の部分は特にテストで聞かれやすい部分です。