イスラム史
海賊というのは不思議な存在だ。 「賊」なのだから悪なのだけれど、必ずしもそうとは言えないところがあって、大人気漫画ワンピースのモチーフにもなっているのだけれど、海賊について考える時「正義」とは何かという点について深く考えさせられることになる…
「世界史」と呼ばれる一連の流れにおいて、古代世界の中心は地中海であった。 アルファベットを考案したフェニキア人やローマ帝国、7世紀に誕生したイスラム勢力など世界の中心地は地中海であったと言っても過言ではない。 古代世界においてはローマに代表さ…
オスマントルコの歴史を語る上で外せないのが「イェニチェリ」の存在である。
16世紀半ば、スレイマン大帝はヨーロッパ最強貴族ハプスブルク家の本拠であるウィーンを包囲したが、冬の厳しい寒さなどを理由に撤退した。 それから150年の時が過ぎ、オスマン帝国は再びウィーンを目指した。
世界史にはしばしば絶対的な権力を行使する女性が登場する。 オスマン帝国においては、17世紀前半において息子2人や孫を操り政治の実権を握ったキョセムがそれにあたるだろう。 今回は「キョセム・スルタン」と言われるほど権勢を誇った女帝キョセムについて…
オスマントルコはその建国期において大宰相の立場をチャンダルル家が占めてきた。やがて時は経ち、17世紀の後半からはこの地位にキョプリュリュ家が就き、以降世襲によってオスマン帝国の政治の実権を握っていくことになる。
「名誉革命」「アメリカ独立戦争」「フランス革命」の3つを、世界史では3大市民革命と呼ぶ。 これらが世界史に与えた影響は大きく、世界は専制的な絶対君主政治から近代的民主政治に移行していくことになる。 オスマントルコもその例外ではなく、1703年にエ…
「歴史を変える一戦」というものが存在する。 日本史では「関ケ原の戦い」であろうし、中国なら「赤壁の戦い」や「牧野の戦い」、ローマなら「ファルサロスの戦い」など、その国の、その地域の、あるいは世界の覇権をかけた戦いにおいて、不利な勢力が勝利し…
16世紀は世界的に動乱の年であった。 スペインやポルトガルはアメリカ大陸への進出をはじめ、ドイツやイギリスでは宗教改革が起こり、極東の日本では100年に渡る戦国時代の真っただ中。 そのような世界的な戦乱の時代を迎えた16世紀の主役は誰であったか? 1…
先代のスルタンバヤジット2世のもとでオスマン帝国の文化レベルは飛躍的に上がったが、反面軍事的にはイランのサファヴィー朝に対応しきれなかったところがあった。 そのことに不満を感じて父王を退位させてしまったのが後に冷酷王とよばれることになるセリ…
東ローマを滅ぼし、バルカンにおける派遣を確立した征服王メフメト2世の跡を継いだのは聖者王と言われたスルタンであった。 www.myworldhistoryblog.com
紀元前753年にロムルスによって建国されたローマ帝国は、1453年についに滅びた。 その2000年に及ぶ統治を終わらせたのがオスマン帝国第7代スルタンであるメフメト2世である。 歴史にその名を刻むスルタンの生涯について見て行こう。
オスマントルコの政治システムは鎌倉時代の政治システムに似ている部分があり、「ティマール制」と呼ばれる冊封体制に基づいて政権が運営されていた。
オスマン帝国がヨーロッパ諸国を圧迫するほど発展し、600年と言う長期間続いた要因はいくつかあるが、デウシルメ制度とカプクルもその要因の一つであろう。
メフメト一世の跡を継いだのがムラト二世な訳だが、メフメト一世はその死に際して以下のような遺言を残している。 「ムラトはアナトリアを支配し、弟ムスタファはバルカン半島を、幼いユーフスとマフムトはビザンツ帝国の保護を受けるように」 ムラト二世は…
アンカラの戦いでバヤズィット一世が捕えられるとオスマン帝国は崩壊の危機を迎えた。 明確な後継者のいないオスマン帝国は4人の王子による内紛時代、通称空位時代が始まったのだ。 www.myworldhistoryblog.com
「神の如き者」と呼ばれたムラト一世が暗殺されると、息子のバヤズィットが後を継いだ。 www.myworldhistoryblog.com 今回は稲妻王とも呼ばれたバヤズィット一世の話。
オスマントルコの歴史はイエニチェリの歴史だと言っても過言ではない。 そんなイエニチェリは三代目であるムラト一世の時に作られた。 父オルハンの跡を継ぎ、オスマン帝国の名をヨーロッパ世界に知らしめたのもまたムラト一世だったと言えるだろう。 www.my…
オスマン一世の跡を継いで二代目のオスマン帝国皇帝となったのが息子のオルハンだった。 www.myworldhistoryblog.com この頃はまだ「帝国」というようり「侯国」と言った方が正しいほどで、オルハンが即位したころはまだ都市に定住していた訳ではなく、まだ…
先日六本木で行われた「トルコ至宝展」に行ってきた。 オスマン帝国の至宝が展示されていて、その繁栄ぶりがよくわかるよく催し物だった。 煌びやかな王冠には当然として水筒にまでダイヤだのエメラルドだのの宝石類がちりばめられていて、全盛期宮殿には料…