紀元前において、ギリシャからは実に多様な人材が輩出された。プラトンやソクラテス、アリストテレスにソロン、ペイシストラトスなど文化や政治方面において、またレオニダス王のように勇猛な武人など実に豊富な人材がギリシャ世界からは出ていた。
しかし紀元後においてはその数を大幅に減らしている。多分、良くも悪くも一番有名なのは今回紹介するオナシスかも知れない。
彼の正式名称はアリストテレス・ソクラテス・オナシスという哲人オールスターのような名前だが、彼が有名になったのはどちらかというとそのプレイボーイぶりで、「悪名高きプレイボーイ」というあだ名がつけられていたほどだ。
今回はそんなオナシスについて見て行こう!
海運王オナシス
オナシスはその前半生においてかなり苦労している。
彼が生まれたのはオスマン帝国領スミルナで、彼が10代の頃に第一次世界大戦が起きている。ご存知のようにオスマン帝国はドイツ側に立って戦ったので連合国によってセーブル条約というかなりキツイ条約を結ばされた。
この条約の内容によってオナシスの生まれたイズミルはギリシャの領土となったのだが、時の宰相ケマル=パシャはギリシャからイズミルの土地を取り返し連合国側とローザンヌ条約を結びなおしその後のトルコ革命でオスマン帝国そのものが滅亡することになる。
こんな感じの状態だったので、オナシス一家は気づけば一文無しになっていたらしい。
17歳の頃には南米に移り住み、ウルグアイ、モンテビデオ、アルゼンチンと次々に移住先を変えている。
かなり気の毒な話だが、オナシスはめげずに南米でたばこ事業を展開し一財産を築くことに成功。
ヨーロッパ向けの食肉輸出事業も成功させるとギリシャに戻り、二次大戦終了時に戦艦を格安で購入すると海運業を始め、やがてギリシャの海運王の娘と結婚しその地位を盤石なものとした。
良くも悪くもオナシスの海運業は戦後復興特需にのりその勢力を大幅に拡大し、海運のみならず航空会社も設立し「ギリシャの海運王」の名をほしいままにする。
悪名高きプレイボーイ
オナシスはかなりコミュニケーションに長けた人物であったようで、メチャクチャモテたようだ。
海運王の娘と結婚した後も数々の女性と浮名を流し、中でも有名なのが世界的オペラ歌手のマリア・カラスとの熱愛であろう。
マリアカラスとオナシスの熱愛は世界中で話題となったが、オナシスが結婚したのはマリアカラスではなくジャクリーンであった。
ジャクリーンって誰か? 第35代アメリカ大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの妻だった人である。
なぜジャクリーンとオナシスが結婚したのかはケネディ暗殺事件と並ぶ20世紀の大きな謎である。
ケネディもジャクリーンも共にオナシスを大変嫌っていたはずなのだが、なぜかケネディの未亡人はオナシスと結婚した。
ジャクリーンとオナシスの結婚には愛情が全くなかったことが有名で、それぞれにスキャンダラスなゴシップで世間を沸かせることとなる。
よく言われているのがジャクリーンは身を守る必要があったということだ。
21世紀の今になってもケネディ暗殺の犯人は誰かはわかっていない。主犯であったオズワルドはジャック・ルビーによって殺され、ルビーもまた謎の死を迎えている上にケネディの弟のロバートも暗殺されている。
ケネディ暗殺の実行犯はかなりの力を持った存在であり、ジャクリーンは子供たちを守るために巨大な権力を持つオナシスの庇護が必要だったという。
そうなるとオナシス側はどうなのだろう?という疑問があるが、彼は事業拡大のために海運王の娘と結婚するような人物であるからして何か狙いがあったのだろう。
オナシスが生涯を通して最も愛したのはマリアカラスだと言われているが、マリアはジャクリーンによってオナシスとの接見を禁じられていたのでその死に目には会えていないという。
1975年、オナシスは静かに息を引き取った。ジャクリーンはその時ニューヨークにいたという。
その遺産は大半が前妻との娘クリスティーナに受け継がれ、残り半分は財団が管理することとなる。ジャクリーンにも1000万ドルほどは入ったようだが、この辺りも実に謎である。
ジャクリーンはオナシスの生前から妻子あるダイヤモンド商人テンペルズマンと交際しており、1994年にこの世を去っている。その息子のケネディジュニアは1999年に飛行機事故によりこの世を去り、ケネディの家族は現在キャロライン・ケネディただ1人を残すだけとなった。彼女はオバマ政権において駐日大使も務めたので記憶に新しい人も多いことだろう。
オナシスはキャロラインとは良好な関係を築いていたと言われている。
一方ジャクリーンはオナシスの娘クリスティーナとの相性は悪かったようだ。
クリスティーナの受け継いだ財産は現在、オナシスの血をひく唯一の孫娘であるミランダが継いでいる。
彼女は現在障害馬術の騎手として活躍しているという。