世界史上最も有名な海賊!黒髭エドワード・ティーチ

世界で最も有名な海賊は「黒髭」であろう。

くろひげ危機一髪のおもちゃでも有名な海賊はだが最も海賊らしい海賊で、おもちゃのようなコミカルさはない。

本名はエドワード・サッチ、あるいはエドワード・ティーチ。

今回は史上最も凶悪だった海賊黒髭の話。

 カリブの海賊たち

ティーチが生まれたのは1680年頃のことで、出生地も含めて詳しいことはよく分かっていない。

16世紀から増え始めたカリブ海の海賊数はこの頃に全盛期を迎え、カリブ海に浮かぶイギリス領ニュー・プロヴィデンスを中心にイギリス王室と結びつつスペイン船やフランス船などを掠奪しつつ勢力を築いていた。

イギリス発展の裏には海賊たちの存在があったと言って良く、イギリス王室は掠奪品の一部を貢納することを条件に海賊に私掠船の免許を与え、カリブの海賊たちはそれを盾に活躍していた面がある。

そんな中でニュー・プロヴィデンスは海賊共和国とも言える状態になっており、黒髭ティーチはいつしかその街で有名になっていった。

海賊黒髭

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「顔全体を黒い髭で覆いつくし、長く伸びた髭は編んで結わえられ、耳の後ろに回されている。戦闘になると火縄を帽子の下に結び付け、肩からはつり革を捧げてそこに三対のピストルをぶち込みその凶暴な眼光は地獄の女王さえ凌ぐ恐ろしさである。」

これは1724年に出版されたチャールズ・ジョンソンという人物が書いた「イギリス海賊史」における記述であるが、黒髭の残虐性は数いる海賊の中でも抜きんでていて、例えばある時ティーチは船員と共に酒を飲んでいた時の話、ティーチは談笑しながら突然目の前の船員を銃で撃ち殺してしまう。そして笑いながらこう言ったという。

「たまには部下の一人でも撃ち殺しておかないとには示しがつかねぇってもんだ」

チャールズによればティーチは元々スペイン継承戦争(別名:アン女王戦争)の際に私掠船の船員として活動していたが、戦争が終わるころには海賊になっており、カリブ海を荒らしまわるようになっていたという。

バッカニアと呼ばれるカリブの海賊たちは主に私掠船として活動し、その掠奪対象は敵国であるスペインやフランスの船に限っていたおり、中にはモーガンのようにイギリスの英雄になる者もいたが、ティーチはもはや相手を選ばず、スペイン船やフランス船はもとよりイギリス船であってもその掠奪の対象としたところが他の海賊たちと一線を画することろである。

ただ、イギリスとは全面的に敵対していた訳ではなく、賄賂を贈り北米のノースカロライナ総督チャールズ・イーデンと懇意になると同地に居座り堂々と海賊行為に勤しんだ。

中でも有名なのはチャールストンでの掠奪で、沖合でイギリス船を拿捕すると街そのものを封鎖しもし支払わなければ皆殺しにすると脅しをかけた上で身代金を要求、そのまま身代金は支払われ、船員は解放されたという。

総督と組んでこのような悪行三昧をしていたティーチにノースカロライナの住民は憤慨し、ヴァージニア総督アレキサンダー・スポッツウッドに悪行を告発、ヴァージニア植民地総督はこれを受諾しロバート・メイナード大尉を司令官とする艦船を派遣、メイナードは黒髭を発見すると即座に攻撃を開始する。

この時黒髭を始め乗組員は皆泥酔しており、かなりの距離まで接近を許してしまい、砲撃をモロに食らう羽目になってしまうも手製の手りゅう弾を投げつけるなど激しく抵抗、お互いの船に乗りあい打ち合い斬りあいの大立ち回り、黒髭はメイナードの放った銃弾を受けながらも悪魔のような形相でなおも戦い続けたという。最終的に25か所に傷を負い絶命。残った船員たちも捕えられて最終的に一人残らず死刑になったという。

個人的な黒髭エドワード・ティーチに対する評価

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モーガンキッドと違ってティーチは世界史に直接影響を与えた人物ではない。

だがティーチは最も有名な海賊であり、最も海賊らしい海賊であると言えるだろう。

騙し、奪い、切り付け、賄賂を贈り、どの勢力にも与せず自由に生きて、そして死んだ。

ある武力が、国家によって力を与えられれば正義となり、そうでなければ無法者となる。

ティーチは無法者として生きてそして死んだ。

まさに人々が思うカリブの海賊の生きざまそのものであった。