第41代アメリカ大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ

アメリカの長い歴史の中でも親子で大統領になったのはジョン・アダムズ、ジョン・クインシー・アダムズとブッシュ親子だけである。

日本ではパパブッシュとも呼ばれるジョージ・H・W・ブッシュについて見て行きたいと思う。

 大統領になる前のジョージ・H・W・ブッシュ

ジョージ・H・W・ブッシュは1924年マサチューセッツ州で生まれた。

父も議員を務めたような家柄であったが高校卒業後は二次大戦時であったために海軍に入隊、太平洋戦線に配属され、小笠原沖での飛行任務の際には日本軍に撃墜されて命からがら味方に救われるというような経験をしている。

ジョージは基本的にかなり優秀なパイロットで、最終的に5個の勲章を受け、海軍中尉にまで昇進してから退官している。

帰国後はイェール大学に進学、卒業後はテキサスで石油ビジネスに従事する。

1964年にはテキサス選出の議員となり、リチャードニクソン時代には共和党全国委員会委員長、アメリカ国連大使、中華人民共和国特別全権大使などの要職を経験、1976年には諜報組織であるCIAの長官に就任、続くレーガン時代には副大統領となる。

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1988年の大統領選に当選し、ジョージ・H・W・ブッシュは第41代アメリカ大統領に就任することになった。

第41代アメリカ大統領

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ブッシュ政権下の世界は未曽有の変化期であったと言える。

1989年には東欧諸国がソ連から次々に離脱、ベルリンの壁は崩壊し、ブッシュはソ連のゴルバチョフとマルタ島で会談、冷戦の終結が宣言された。

その後の1993年にはソ連が崩壊、アメリカは唯一の超大国として世界に君臨することになる。

もはやアメリカを止める国は存在しなかった。

1989年にはパナマのノリエガ政権を打倒すべくアメリカ軍を派遣し、1990年にサダム=フセイン率いるイラクが隣国クエートに侵攻したのを見てアメリカ軍はイラクに対し宣戦布告、湾岸戦争が始まった。

世界の警察を自認し世界各国の問題に首を突っ込んだジョージ・ブッシュであったが、内政面では景気がまるで回復せず、二期目となる大統領選では景気回復策を掲げるクリントンに敗北、結局一期だけの大統領となった。

退任後は目立った活動はせずに、息子を陰から支えた。

2018年、ジョージ・ブッシュは死んだ。94歳であった。

個人的なジョージ・ブッシュの評価

ジョージ・ブッシュは共和党の大統領らしく富裕層に優しい政治を行った。自信もオイルビジネスに関わっており、CIAとの強いつながりにおいて世界各国の情勢を把握、南米やアフリカなどにも積極的に介入した。

ブッシュの政策は「世界の警察」という言葉に代表され、レーガンの強いアメリカを引き継いでおり、アメリカ国内からの強い支持を受けた。

しかし内政的には特筆すべきものはなく、ニクソンより続く不景気を是正できなかったため、アメリカの歴史でも珍しい一期だけの大統領となった。