冷戦を開始させた第33代アメリカ大統領ハリー・S・トルーマン

トルーマンは日本では広島・長崎に原子力爆弾を落とした人物として有名だが実際にはその職務は広汎にわたる。

 大統領になる前のハリー・S・トルーマン

 トルーマンは1886年にミズーリ州で生まれ育ち、地元の高校を卒業すると銀行に就職した。トルーマンは最後まで大学には通わずに大統領になった人物である。

一次大戦が起こるとトルーマンは志願兵として参加し、最終的には大尉にまでなる。

 帰国後は人種差別団体KKK(カークラックスクラン)に入団し(その後は対談した模様)、郡の行政官選挙に当選を果たし政治活動を開始する。

1934年には民主党からミズーリ州の議員として出馬当選し、1941年には軍の不正を激しく追及したトルーマン委員会を設立、これで名を上げたトルーマンは1944年にはフランクリン・ルーズベルトの副大統領となる。

1945年にはフランクリン・ルーズベルトが死に、トルーマンは第33代アメリカ大統領となった。

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第33代アメリカ合衆国大統領

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トルーマンの副大統領としての活動期間はわずか82日間であり、その間ルーズベルトと会ったのはわずか1回だけあったという。トルーマンはそのキャリアにおいて外交に関わったことはなかったが、ルーズベルトの死去により最も激しい舞台にいきなり立たされたことになる。

そんな中でもトルーマンはポツダム会談に参加しイギリスや中国と共にポツダム宣言を出し日本軍へ最後通牒を突き付けた。この際ソヴィエイトのスターリンを除外したことから両国の関係は一気に悪化する。

日本はポツダム宣言を受諾しなかった。そのためアメリカ合衆国は新型爆弾アトミックボムを広島、次いで長崎に対し投下、わずか3日で数十万人の命を奪うことになる。これだけの人数がこれだけの短期間で失われたことは世界の歴史においてもないことであった。

原子力爆弾の使用はマッカーサーやアイゼンハワーなどの軍の幹部からは激しい抗議があったが、イギリスのチャーチルなどの意見もあり日本側への通告なしに使用した。

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏を行ったが、ソヴィエトはフランクリン・ルーズベルトとのヤルタ密約により日本へ侵攻、この時に北方領土を掠奪している。

スターリンはさらに北海道も侵略する旨をトルーマンに通告したがトルーマンはこれを拒否、既にこの頃にはアメリカとソ連の冷たい戦争は始まっていたと言っても良いだろう。

前任のルーズベルトはスターリン及び蒋介石との関係を深めたが、トルーマンは両者との関係を悪化させ、特に蒋介石の国民党に対しては激しく非難を行った。そして国民党への支援を打ち切りにした結果、1949年には国民党は毛沢東率いる中国共産党に敗北、蒋介石は台湾に逃げ延びることとなる。

この件に関してはトルーマン属する民主党のライヴァル共和党が激しく糾弾、トルーマンが中国に共産党政権を作ったとさえ言われるほどであったという。

そのような状態で臨んだ1948年の大統領選にも勝利し、引き続き大統領職にとどまる。

この際自身の政策を「フェアディール政策」と呼び、フランクリン・ルーズベルトの「ニューディール政策」を引き継ぐものであると主張、社会保障や公民権法の強化などを訴えた。

トルーマンはかつてレイシズム団体であるKKKに属したが、大統領になる頃にはむしろ人権派となっており、アメリカ合衆国大統領としては初めて黒人差別に反対する演説を行っている。この流れはその後ケネディ大統領に受け継がれることになり、キング牧師を指導者とする公民権運動につながっていくことになる。

この時期のアメリカは戦後処理のために様々な機関の設立が相次ぎ、ハリウッド映画などでもおなじみの中央情報局(CIA)、国防総省(ペンタゴン)が国内では設立され、ニューヨークを本部とする国際連合も設立された。

このような国際協調の流れの中、アメリカはヨーロッパ諸国との仲を改善させ、「西側諸国」を形成するも、中国およびソヴィエイト連邦との関係は悪化し、それが朝鮮半島を舞台にした朝鮮戦争においては共産圏が支援する北朝鮮とそれ以外が支援する韓国という分裂を招いてしまい、その問題は2019年現在でも解決の糸口さえ見えない状態である。

なお朝鮮戦争の際にはマッカーサーは中国への核攻撃を主張したが、トルーマンはこの発言を受けてマッカサーを解任、これが国内的には批判にさらされることになりトルーマンは次回の大統領選への不出馬を決意、退任後の1964年に死亡。88歳であった。

個人的なハリー・S・トルーマンの評価

アメリカ合衆国の歴代大統領の中でも特にかじ取りの難しい時代の大統領であったと思う。二次大戦と朝鮮戦争、冷戦の始まり、大統領が民主党であるのに議会が共和党であるという国内の不一致、そういった事態に対しトルーマンはほとんどの公約を実現させ、アメリカを超大国へと成長させた。

反面共産圏に対する封じ込め政策である「トルーマンドクトリン」を発し、ソヴィエトや中国との関係を悪化させ、そのことが冷戦及び現在の国際秩序を形成したともいえる。

日本には原子力爆弾を投下した一方で中国への原爆投下には反対した。これを感情論抜きにして考えるとトルーマンのこの判断が第三次世界大戦およびソヴィエトとの核戦争を回避したとも言え、世界は滅亡を免れたという見方も出来るであろう。

国内的に見ると最低賃金の引上げをはじめ労働問題に尽力した大統領であり、議会の多数派である富裕層重視の共和党とは対立し、資本家重視の法律タフト・ハートレー法の撤廃だけは実現できなかった。

労働者を保護しようとするトルーマンおよびフランクリン・ルーズベルトが行った諸政策から富裕層の民主党への反発は強まり、共和党の議員であったマッカーシーによる狂気的なマッカーシズム(共産党狩り)も起こっており、チャップリンなど共産党に無縁の人物たちも多数国外追放となっている。

トルーマンはルーズベルトのような強烈なカリスマ性を持った大統領ではなかったが、それでも優秀な実務家であり、原爆を投下した文を除けば比較的人道的な人物であった。

 原爆投下、朝鮮戦争、冷戦の開始など非難されるべき点もあるが、それでも総合的に見ればアメリカ合衆国大統領としては歴代でも上位に入るであろう。