超短命王朝魏晋南北朝における「斉」という国の歴史

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今の南京の前身にあたる健康の土地に都をおいた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の6つの王朝を指して六朝と言ったりするんだけれども、その中で最も短命に終わった「斉」という国について見て行こう!

ちなみに宋・斉・梁・陳を南朝ともいうのだけれども、他の南朝については以下の記事を見てくれると嬉しい。

 成り上がり皇帝「蕭道成」

 矢沢永吉じゃないけれど、「成り上がり」が好きな人は多いだろう。

戦国時代が好きな人が多いのは成り上がった武将が多いからだろうし、三国志は劉備や曹操が成り上がった物語だ。

そういう意味では蕭道成にも物語の主人公としての適格はありそうである。

蕭道成自身は前漢の丞相である蕭何の子孫を自称しているが、それを裏付けるものはなにもない。彼は前王朝である宋の下級兵士から徐々に出世していった。

 特に当時最強国家であった北魏との闘いでは功績があったようで、自力で兵士を集めたことから時の皇帝に疑われることになるが人手不足だったためかなんだかんだ重用されていたようだ。

宋の明帝が崩御すると一族の間で争いがおこるがこれに乗じて勢力を拡大、ついには自分に都合の良い皇帝を擁立し反対勢力を抑えながらついには自らが皇帝となり「斉」を作り出した。

・・・正直蕭道成を主役にした物語があっても人気は出なさそうである。

南朝の皇帝にはよくあることだが、蕭道成もまた在位3年と短い期間で死んでしまう。跡を継いだ二代目武帝はその強引ともいえる手腕で国力を増していったが、過酷な税を課したため各地で反乱が相次ぎ、10年ぐらいの在位で崩御してしまう。

すると起こるのが南朝名物お家騒動で、新たな皇帝が擁立されては廃嫡され、また擁立されては殺害されるという事態になる。蕭氏一族はとにかく身内による争いが多く、明帝の時代になると一族郎党含め20名が殺害される恐怖政治となり、その子供もさらなる恐怖政治を敷く始末。

なにせ「悪童太子」「殺戮王」というあだ名がつくぐらいなのでその惨状は推して知るべし。

明帝はあくまで王族のみをその対象としたのに対し次王はその対象をこの世の中にいるすべての人間まで拡大し、悪逆非道の限りを尽くした。ローマといい中国と言い、皇帝には必ずと言っていいほどこういうとんでもないのが出てくる。

こうした流れの中で王族の1人である蕭衍が立ち上がり、明帝の弟和帝を擁立し、禅譲させ、後に和帝を殺害してした後に梁を建国することになる。

 梁も同じ王族だし似たような歴史、あるいはもっと酷い歴史をたどるんだけどね。

 

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その後の王朝も似たような感じ・・・

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斉の建国が479年で滅びたのが502年なので、建国から23年という超短命国家と言うことになる。平成の世よりも短い王朝って・・・