北魏最強の武将⁉車輪眼の戦士「楊大眼」の伝説を見よ!

f:id:myworldhistoryblog:20190214212725j:plain

中国史の中で誰が一番強い?という話題になる際よく名前が挙がるのが北魏の将軍楊大眼(ようたいがん)である。

関羽と張飛が蘇っても勝てないと言われる楊大眼の強さについて見てみよう!

 全盛期の楊大眼伝説!

 ・一部の地域では楊大眼が来る!と言っただけで泣いていた子が泣き止んで物凄い速さで走っていった。その速さに誰も追いつけなかった

・文字は読めなかったが万物の声を聴くことができたので内容は全てわかった。書物と会話することができた

・妻は楊大眼よりも強くて片腕で世界を統一できた

・息子がイケメン過ぎて王女に惚れられて亡命しなければならなくなった

・優しい性格で兵士が怪我をしただけで泣いていた。泣いた後楽にしてやった

・虎に素手で勝った

・戦場に行くと覚醒し眼の中に車輪が浮かぶので車輪眼と言われるようになった

・怪力であるが故に素手で仏像を彫ることができた

 これらの伝説は大体ウソである!しかもウソの部分は俺が作った!!

事実を元にフェイクを混ぜてみた訳だが、これらのうちどれが本当でどれがウソかわかる方はいらっしゃるだろうか?

 一部の地域では楊大眼が来る!と言っただけで泣いていた子が泣き止んで物凄い速さで走っていった。その速さに誰も追いつけなかった

 これは前半が本当で後半がウソ。

三国志の張遼にも同じエピソードがあるんだけど、それぐらい楊大眼が恐れられていたって話。こんな逸話が残るぐらい強かったというのがわかる。

文字は読めなかったが万物の声を聴くことができたので内容は全てわかった。書物と会話することができた

ワンピースのゴールドロジャーか!! 

楊大眼が文字を読めなかったのは本当なんだけど、かなり記憶力が良かったらしく一度聞いたことは忘れなかったらしい。命令があると部下の口述筆記させていて、頭はかなり良かったらしい。

妻は楊大眼よりも強くて片腕で世界を統一できた

 ふざけ過ぎた。でも後悔はしていない…

妻が強かったというのはどうやら本当のようで、楊大眼と一緒に狩猟したり戦場に出ていたりしたらしい。名前は潘氏で、楊大眼は常日頃から「潘将軍」と呼んでいたらしい。

愛妻家かと言えばそうでもなく、後に奥さんに自死するように命令している。どうやら奥さん浮気をしたらしい。

息子がイケメン過ぎて王女に惚れられて亡命しなければならなくなった
これは嘘のようで本当の話。北魏の王女様に惚れられてこれはヤバイと思って南の国「梁」に実際に亡命したらしい。

www.myworldhistoryblog.com

亡命したあとのことは伝わっていないけれど、王女の方は楊白華歌辞という歌を作って宮女に歌わせていたという。なんだかちょっと切ない話。

優しい性格で兵士が怪我をしただけで泣いていた。泣いた後楽にしてやった
なんか本当っぽくて怖いけど、前半は本当で後半は嘘。
若いころは兵たちに慕われていたみたいだけど、後に性格が荒くなって人望をなくしてしまったという。火ノ丸相撲に出てくる横綱刃皇みたいな人なのかも知れない。
虎に素手で勝った

嘘みたいだけど本当の話らしい。殷王帝辛にも同様のエピソードがあるし、水滸伝にもよくあるエピソードなんだけど本当かよと個人的には思っている。

だって虎だぜ?

戦場に行くと覚醒し眼の中に車輪が浮かぶので車輪眼と言われるようになった
NARUTOに出てくるうちは一族か!
そして本当か!
一番嘘っぽいのに本当の話。
多瞳孔症という症状だったとみられ、中国の歴史にはしばしばこの車輪のような目が出てくる。有名なのが楚の覇王項羽と孔子の愛弟子の顔回で、中国では傑物の証としての認識があったようだ。
怪力であるが故に素手で仏像を彫ることができた

これはもちろん嘘だ。

でも北魏の孝文帝が亡くなった際に仏像を作ったのは本当で、かなり出来はよかったらしい。

楊大眼の人生について見てみよう

 楊大眼の詳しい出自はわかっていないが、祖父の楊難当が氐族の王なので漢民族ではない。と言ってもこの時期の中国は漢民族も異民族も滅茶苦茶な状態だからあまり気にする者はいなかっただろうなとは思う。

妾の子供だったため氐族の中に居場所を求められなかったのか、鮮卑族が建てた華北の北魏に出仕している。

 楊大眼はそこで3丈(9mぐらい)の縄を兜にくくりつけて走りそれを地につけずに走るという特技を見せたという逸話が残っている。

北魏の孝文帝の元で武功を挙げ、「六軍に冠する」という評価を受けていて、六軍というのは皇帝直属軍のことで、つまりこの国で一番強いと言われていた訳ですな。

その後も反乱鎮圧などで功績を挙げて、建国者武帝率いる梁との戦でも大勝利を治めるわけなんだけど、鍾離の戦いで大敗北を味わってしまい責任をとって一兵卒に落とされてしまう。

鍾離の戦いは北魏が梁にボロ負けしてしまった戦いで、生き延びられただけでも良かったのかも知れない。

部下は大体死んでしまったのに自分は強いから生き残る形は進撃の巨人に出てくるキースに似てるかも知れない。

その後は流石に将軍の地位に戻されるが、その後は特に目立った功績もなくこの世を去っている。

個人的な楊大眼の評価

用兵がうまいタイプというより個人の武勇がずば抜けているタイプで、張飛や呂布に近いタイプのように感じる。

その武勇で考えるなら常人の域をはるかに超えているのだけれど、割と他の武将にも見られるエピソードが多く、たった1人で中国全土を無双した覇王項羽などに比べるとやはり物足りなさを感じてしまう。

まぁ、項羽と比べちゃったら誰もが小さく感じてしまうのは仕方がないけども(><)

世界史的に見てしまうと1人で共和政ローマを絶望の淵に追いやったハンニバルとかそれを破ったスキピオとかたった1代で大帝国を築いたチンギスハーンとかいるからなぁ。

やっぱり鍾離の戦いに負けて大乗の乱という北魏で起こった反乱を鎮められなかったのも痛い。特に鍾離の戦いは北魏側が圧倒的兵力で攻めたにも関わらず負けているのだから評価が高くならないのも仕方がない。記録では北魏側の兵力は10万越え、梁は3000だったらしいのにボロ負け。多少は誇張されているだろうけど北魏が大敗したのは確かで、しかも梁という国はそれはそれは弱い国だったのだからなお悪い。

この辺りで勝っていれば評価は大きく変わったとは思う。相手が曹操みたいな強敵だったならなぁ…