2019-04-15から1日間の記事一覧
オスマントルコの政治システムは鎌倉時代の政治システムに似ている部分があり、「ティマール制」と呼ばれる冊封体制に基づいて政権が運営されていた。
オスマン帝国がヨーロッパ諸国を圧迫するほど発展し、600年と言う長期間続いた要因はいくつかあるが、デウシルメ制度とカプクルもその要因の一つであろう。
メフメト一世の跡を継いだのがムラト二世な訳だが、メフメト一世はその死に際して以下のような遺言を残している。 「ムラトはアナトリアを支配し、弟ムスタファはバルカン半島を、幼いユーフスとマフムトはビザンツ帝国の保護を受けるように」 ムラト二世は…
アンカラの戦いでバヤズィット一世が捕えられるとオスマン帝国は崩壊の危機を迎えた。 明確な後継者のいないオスマン帝国は4人の王子による内紛時代、通称空位時代が始まったのだ。 www.myworldhistoryblog.com
「神の如き者」と呼ばれたムラト一世が暗殺されると、息子のバヤズィットが後を継いだ。 www.myworldhistoryblog.com 今回は稲妻王とも呼ばれたバヤズィット一世の話。