2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
「数奇な運命」という言葉があるが、俺の知っている限り最も数奇な運命をたどったのが前漢の九代目皇帝だ。 まるで作り話のような宣帝の運命について見て行ってみよう。
日本の歴史を日本の歴史書が記録し始めるのは8世紀以降の話で、それ以前の日本の歴史は中国の歴史書の記載を見るしか知る方法がない。 実はドイツの歴史も似ていて、紀元前後のドイツには歴史を記録する習慣がなく、そのころのドイツの歴史は敵であったロー…
イギリスの歴史を見ると、中国やローマ帝国と比べても名君が少ない代わりに暗君や暴君も少ないと言える。 それは議会が発展していたので国王の権力がそこまで強くなかったということもあろう。 イギリスではアングロサクソン七王国の時代から賢人会議という…
今は解散してしまったSMAPの「ライオンハート」がリリースされた時、大々的にCMで放映されたので日本での知名度も結構高いのではないかと思うのがライオンハートことリチャード一世だ。 歴代イギリス王の中でもトップクラスの戦闘能力を誇り獅子心王ともあだ…
家族を全て失ってしまった馬超にとって、馬岱は最後に残った家族であった。 人材不足であった蜀をささえ、孔明のもとで活躍した名将馬岱について見て行こう。
1066年のノルマンコンクエストから始まるノルマン朝は、ヘンリー2世の即位のよって一区切りされ、新しくプランタジネット朝と呼ばれる王朝が誕生した。 今回はその時代の移り目を創出したヘンリー二世について見て行こう。
日本に鎌倉時代、室町時代という区分があるように、イギリスの歴史にもいくつかの時代区分がある。 今回は1066年から1154年まで続いたイギリスノルマン朝の歴史をまとめてみたいと思う。
数多の英雄を輩出し、人々を魅了し続けている三国志の時代にあって、かなりの勢力を築き上げたのが荊州の州牧である劉表景升という男である。