古代ローマにおける関ケ原!天下分け目のファルサロスの戦いについて解説するぜ!

「アクティウム海戦」や「カンネの戦い」は歴史の教科書に載っているがファルサロスの戦いが載っている教科書は実は日本にはない。

おかげで俺も大学生になるまでこの戦いの存在さえ知らなかったぐらいだ。

ローマ最大の内戦にして、ローマの進む道を決定したという意味ではアクティウム海戦よりも重要度が高い戦いだと言えるだろう。日本における関ケ原の合戦に対応するのがこのファルサロスの戦いだ。

ローマが生んだ2人の英雄がお互いの命と信条をかけて戦ったファルサロスの戦いについて、最強同士のぶつかり合いについて詳しく見て行こう。

2人の英雄

ファルサロスの戦いは、カエサルとポンペイウスの戦いであるとともに、カエサル派と元老院派の雌雄を決する戦いでもあった。

ローマは完全に2分され、親子で相争う場面も珍しくはない。

ローマの最高意思決定機関である元老院はカエサルに対して「元老院最終警告」を発令、対するカエサルはルビコン川を軍団を解散させずに渡ることを決意、まさに賽は投げられたわけである。

カエサルの進軍に元老院は恐れをなし、皆それぞれ散り散りになって逃げ出した。元老院派の長となったポンペイウスは自らの勢力圏内であるギリシャへと移動し、兵力を蓄えカエサルを向かい討つ姿勢をとった。

ポンペイウスは未だに負けたことがない。

若き日より連戦連勝を繰り返し、ローマの領地を最大限まで引き上げた。

かてつスッラの許にはせ参じ、平民派の残党をスペインで殲滅、ギリシャに巣食う海賊たちを一網打尽にし、ミトリダテス戦争を終結を導いた。果てはアンティゴノス朝シリアを滅ぼしローマ領にしたことでローマ最大の英雄となり、ポンペイウスマーニュ(マーニュは大王の意味)とさえ綽名された。

対するカエサルはガリアの地にて現在のフランス、イギリスのイングランド、ベネルクス三国、ドイツの西側4分の1に及ぶ地域の支配を確立した英雄である。

カエサルとポンペイウスはかつて手を結んだ仲だった。

共に三頭政治を取り仕切り、カエサルは1人娘のユリアをポンペイウスに嫁がせた。

ポンペイウスはユリアを愛し、愛し、愛していた。

だがクラッススが死に、ユリアが死んでから2人の歯車は静かにズレていった。

ポンペイウス、圧倒的

2人の英雄はギリシャのデュラッキウムにおいて初めて激突した。

勝負は、ポンペイウスの圧倒的な勝利で終わった。

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あまりにも圧倒的な勝利すぎて、ポンペイウスは追撃をやめた。何か罠があるはずだと思ったからだ。

実際には何もなかった。もしポンペイウスが追撃してきていたら、負けたのは自分だったとカエサルは後に語る。

圧倒的な勝利をおさめたポンペイウスだったが、不安がない訳ではなかった。カエサルの軍団の多くはガリア遠征を共に戦った精鋭中の精鋭だったが、ポンペイウスの軍団の多くは新兵で形成されていた。

さらにはポンペイウス自体が10年近く戦いの場に出ていないのも不安要素だった。

ローマ周辺の敵は全てポンペイウスによって制圧されつくしていたからだ。

そしてそれ以上に心配であったのが、味方であるはずの元老院議員たちであった。

本当に恐ろしいのは敵ではなく無能な味方であると、これ以上ないくらいに教えてくれるのがこのファルサロスの戦いなのだ。

ポンペイウスはカエサルを追撃しなかったが、それは罠があると思っただけではなく、戦略上の判断もあったのだ。

カエサルの軍は兵糧が少なかった。ギリシャの地盤は海賊退治で名を挙げたポンペイウスにあったため、十分な補給は期待できない。ポンペイウスがギリシャでカエサルを待ち伏せたのはそのためであった。

持久戦に持ち込めばカエサルは自滅する。それこそがポンペイウスの狙いであった。

だが、ポンペイウスを除く元老院議員たちはデュラッキウムの勝利に溺れた。どう考えても負けようがない。カエサルを追撃し、ローマに元老院主導の政治を取り戻そう!我らの権益を取り戻そう!そういってポンペイウスを説得した。

武人としてならば、ポンペイウスはローマ歴代でも5指に入るだろう。

だがその英雄は、政治と言うことになればまるで才能がないのであった。ポンペイウスには政治的な信念がない。これはのちの歴史家たちが口をそろえて言う言葉であるが、そのことがポンペイウスの運命を決めることになったのであった。

 カエサル、圧倒的に不利

理論的に考えて、どう考えてもカエサルに勝ち目はなかった。

元老院議員たちでなくとも、カエサルに負けようがない戦いなのである。

だがカエサルは勝った。

両軍の兵力構成はこのようになっていた。

ポンペイウス側(元老院側):約6万、うち騎兵7000騎

カエサル側:約2万3,000、うち騎兵2000弱騎

ローマの人間達はしばしば兵力上の不利を覆してきた。10万のゲルマン人相手にマリウスが大勝したキンブリ・テウトニ戦争、10万を超える軍勢にスッラ率いる3万の兵で勝利したミトリダテス戦争、ザマの戦い。

だが今回はローマ人同士の戦いである。

マリウスとスッラのように内戦状態になったこともあったが、ローマ人同士での会戦はこれが初めてあった。

ローマ人と同盟諸国の戦争である同盟市戦争において、ローマは大変に苦戦した。

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 ローマがこれまで不利を覆してきたのは、戦術や訓練度や装備の違いが大きい。

もしくは、スキピオがハンニバルに勝てたのは兵士の数では負けても騎兵の数では勝っていたからだ。

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カエサルは騎兵の数でも負けていた。しかも敵は過去無敗のポンペイウスである。

そんな状態なのに、カエサル側で脱走をする兵士は1人もいなかった。誰もが、勝利を信じて疑わなかった。カエサルを疑う者など、1人もいなかったのである。

ここは我々の墓場ではない。誰もがそれを疑わなかった。

単純故に強力な戦法

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ローマに生まれた人間なら誰しも、スキピオアフリカヌスがどのようにハンニバルを打ち破ったかを幼き頃に学ぶ。

カエサルもポンペイウスももちろん学んだ。

勝負の行方は騎兵の数が決める。

同レベルの指揮官同士の戦いであれば騎兵が多い方が勝つのはザマの戦いがそれを証明している。

なのでカエサルは騎兵を無力化することを考えた。それも誰もが思いつかない単純な方法で。

馬は優しい生き物なので、他の生物を踏みつけにすることは基本的にはない。なので、歩兵で騎兵の前に立てば馬は止まる。

まるで子供が考えそうなことだが、だからこそ名将ポンペイウスはそれに気が付かなかった。

カエサルは精鋭中の精鋭を選び、突撃してきた元老院軍の騎兵の前に立たせた。騎兵側からは完全な自殺行為に見えたことだろう。しかし数分後に命を失っていたのは騎兵の方であった。

飛び出すな、車は急には止まれない

これは俺が学校に行く際に看板にかけてあった標語だが、馬も同じだ。

馬は人間を傷つけたくないがために止まろうとした。しかし止まれずに陣形は大いに乱れた。

元老院側の軍勢はまるで追突事故のような状態になってしまったのだ。

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そこへ後方からのカエサル騎兵たちの突撃を受けたので、7000騎いた騎兵軍団は完全に壊滅してしまった。

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後世の歴史家はファルサロスの結果を見て、もしカエサルとポンペイウスが手を組んで戦えばいかなる敵であったもかなわないだろうと言った。

事実、ローマに敵はいなくなっていたのだ。

かつてローマに敗れたハンニバルはこのような言葉を残している。

「いかなる強国と言えども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。国外には敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。

外からの敵は寄せ付けない頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に肉体の成長についていけなかったがゆえの内臓疾患に、苦しまされることがあるのと似ている。」

敵がいなくなったローマは、お互いを潰しあうしかなくなってしまっていたのだ。

不利を悟ったポンペイウスは逃げた。

そして逃亡先のエジプトで殺された。

人生においてたった1度しか負けなかった名将の、あまりにも悲しい最後だと言えるだろう。

歴史にもしもはないが、カエサルの娘でありポンペイウスの妻であったユリアが生きていたら、クラッススがパルティア戦で戦死をしなかったら、2人の英雄の関係は全然別のものになったかも知れない。

勝利の女神はカエサルに微笑んだ。

カエサルは、ファルサロスで元老院側について敵の全てを許した。

そして、その人たちによって殺されることになった。

争いは結局のところ、新たな争いの火種でしかないのかも知れない。

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