ローマ帝国第22代皇帝マクリヌスの短すぎる統治について

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ローマ帝国はいくつかの区分に分かれ、初期はユリウス・クラウディウス朝などと呼ばれる。

名前の由来はユリウス家とクラウディウス家の人間がローマ帝国の皇帝位を継いだからだ。

あまり一般的ではないが、セヴェルス・セプティミウスとカラカラの時代をセヴェルス朝と呼んだりもする。

カラカラ帝の暗殺後セヴェルス朝が断絶した後の皇帝が今回紹介するマクリヌスであるが、彼の治世は一瞬にして終わる・・・

 在位たった1年の皇帝

カラカラ帝はパルティア遠征中に暗殺された。わずか29年の人生であった。それにより母のユリア・ドムナも亡くなった。

息子2人に先立たれ、いったいどんな気持ちで自死を選んだのだろうか?

世界史の中でも最も絶望的な自殺の仕方だと言える。

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カラカラ帝の暗殺を知ったパルティアはローマ領内への侵攻を開始した。

慌てたローマ側は次の皇帝にマクリヌスを選んだ。

選んだというよりも、自ら皇帝に即位するためにカラカラを暗殺したという方が正しいかも知れない。

カラカラを暗殺したのは近衛兵団であり、マクリヌスはその近衛兵団の長官だったからだ。

歴代のローマ皇帝は敵に殺されるよりも近衛兵団か元老院に殺された数の方が圧倒的に多い。

マクリヌスは表向きはカラカラは自然死だと公表し、カラカラの神格化をする決議まで出している。生前の暴政にも関わらずカラカラは神様になることができたのだ。記録抹消刑になった暴君たちとの違いが激しい。

マクリヌス自体は北アフリカの生まれで、ムーア族の出身であったらしい。ムーア人で初の皇帝で、しかも元老院議員ですらない初の皇帝53歳。

セヴェルスより続く軍人皇帝の1人である。

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マクリヌスの即位には元老院の反対もなかったというから、もうこの時期の元老院は機能していなかったというべきであろう。

ちょうど陸軍が支配権を握った大日本帝国の構図に似ている。

とはいえマクリヌスは表向きは元老院を尊重する形を見せ、アウレリウス帝の政治路線を引き継ぐと明言した。

なのでマクリヌスの皇帝名はマルクス・オペッリウス・セウェルス・マクリヌス・アウグストゥスという長い名前になる。

パルティアに領土を奪われる

マクリヌスに功績はない。

パルティアとの講和を結び、あろうことかメソポタミアから撤退を決めてしまったのだ。

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メソポタミアの地はアウレリウス帝やセヴェルス帝が必死になって獲得した土地であり、そこにはかなりの犠牲を払った。

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一応マクリヌスはパルティアと戦いはした。初戦はパルティア有利、次戦はローマ有利、にも関わらず3戦目は行われず講和は結ばれた。

講和の中身はローマ軍のメソポタニア撤退である。

これにはローマ市民も元老院も兵士も皆激怒した。

ローマは勝って結ぶ以外の講和は受け入れない。

ある意味生粋のローマ市民ではないマクリヌスにはその伝統の重さが分からなかったのかも知れない。

兵士の失望と皇帝暗殺

兵士たちがマクリヌスを皇帝にしたのも憎きパルティア打倒の為でもあっただろう。しかし皇帝は勝手にローマの栄光を手放した。

皇帝など変えればいい。

兵士たちは新たな皇帝の誕生を歓喜した。

新たな皇帝の名はヘリオガバルス。

カラカラ帝の母にしてセヴェルス帝の妃であったユリア・ドムナの妹ユリア・メサの息子である。

兵士たちに見放されたマクリヌスは戦場から逃げ出した。郵便配達の警備兵に扮して逃げていたがあっけなく見つかってこの世からララバイさせられた。

彼の治世は1年と少ししか持たなかった。

次代は、3世紀の危機と呼ばれる時代に移行していく。