「イギリスの歴史はカエサルの上陸と共に始まった」というのは二次大戦時のイギリスの首相ウィストン・チャーチルの言葉だが、現在のヨーロッパの基礎を作ったのがかの有名なガイウス・ユリウス・カエサルだと言える。
世界史上に多大なる功績を遺したカエサルだが、多くの名言も残しているので、今回はそれを紹介したいと思う。
なお訳は俺がしたので多少間違っていても許してほしい。
Men willingly believe what they wish.(人は望むものだけを信じる)
カエサルの考え方の根底が垣間見られる名言。
これって真理だと思う。
良いとか悪いとかの問題ではなくて、人は自分の都合の良いようにしか受け取らないもので、そうしないと精神的負担に耐えられないようにできているんだろうなぁと。
誰しも現在の国の年金問題や増大し続ける社会保障費と生産性の下落と没落していく国からは目をそらしてかわいい動物画像なんかを見ていたいことだろう。
人は見たいものだけを見る生き物なのだ。
It is better to create than to learn! Creating is the essence of life.(学びよりも創造することの方が大事だ。想像力こそが人生の源泉だ!)
第二回ノーベル文学賞受賞者であるドイツのテオドール・モムゼンはカエサルをこう評価していた。
「ローマが生んだ唯一の創造的天才」
個人的にはこの言葉が最もカエサルを表していると思う。
ファルサロスの戦いで見られるように、カエサルはひらめきの天才とも言え、医師や教師であればだれであってもローマ市民権を認めるという誰も考え付かないが画期的な政策を行っている。
カエサルが他の世界史上の人物たちと違うのはこの想像力を持っていたからだと言えるだろう。
同時に現代の日本のエリート階層に足りないのはこの「想像力」だと思う。学校の授業では知識は教えても想像力は教えないし尊ばないからな。
だからこそ「iPhone」や「twitter」のような新しい何かが出てこないのだろう。
ウォークマンやカップヌードルを発明した日本人は一体どこに行ったのか・・・
I had rather be first in a village than second at Rome.(鶏口となるも牛後となるなかれ)
ローマで2番目になるよりも村で1番である方が良いという趣旨の言葉。
中国や日本で言うところの「鶏口となるも牛後となるなかれ」と同じ意味だと思うけど、ちょっと違うのかも知れない。
人間、どんな集団の中でも2番目でいるより1番の方が幸福という意味かも知れないな。
集団の大きさは関係ないから、ある意味井の中の蛙状態なのが一番幸せなのかも知れないね。
SNSでは他の人間のことが分かりすぎるぐらいわかってしまうんだけど、それってかえって不幸なことなのかも知れない。
It is easier to find men who will volunteer to die, than to find those who are willing to endure pain with patience.(率先して死にに行くものを見つけるのは喜んで耐え忍べる人を見つけるよりも簡単だ)
ボクシングの世界には、10人のファイターを作るのは簡単だが1人のテクニシャンを作るのは難しいという言葉があるらしいが、兵士にも同じことが言えるのかも知れない。
孫氏の兵法書の中に「風林火山」という一説があって、動かざること山のごとしという部分がある。それを忠実に実行し、戦国時代に無敗を誇ったのが武田信玄で、歴史上の戦闘巧者は皆待つということを知っている。
実際に待つことができなかったポンペイウスは最後カエサルに負けてしまった。
カエサルの強さの秘密、それは待つことができることであろう。
As a rule, men worry more about what they can’t see than about what they can.(概して、人は見えるものよりも見えないものに対して心配を抱くものである)
現代の日本人は、目に見える借金1000兆円に対してはそれほどの恐怖感を感じていないのに、将来について心配し、悲観的である。
今目の前にある危機よりも将来やってくるであろうことに対して心配しているのは確かだろう。
我々ブログやアフィリエイトで収入を得ている者にとっては、今収入があることよりも将来その収入がなくなることの方が怖い。
中国の故事「杞憂」が表すように、人間が恐怖を感じるのは「わからない」と言うことである。
かくいう俺もいつまでも収入が続く訳がないからと言って利益を色々と投資しまくって結果その利益を飛ばしてしまったことがある。って昔の話でもなんでもなくて去年の話なんだけどね。
だからカエサルはローマの人間達にそういった恐怖を与えないために様々な改革を行ったんだよな。
国民を不安にさせるような政治しかしていない人たちに見習って欲しいものである。
Veni, vidi, vici(来た、見た、勝った)
カエサルの文体の特徴を最もよく表した一語。
エジプトのプトレマイオス王朝との闘いに勝利したことを伝えた文章で、たった3語で必要なことを的確に伝えられている。
カエサルの文章は常に簡潔で意味が通りやすく、もし現代にいても超優秀なビジネスマンになっていたのだろうなと感じさせる。
Divide et impera(分割して統治せよ)
カエサルというよりもローマの基本概念と言える。世界史の授業でローマの分割統治について習った人も結構いるんじゃないだろうか。
ガリアは属州化の見本であるとカエサル以後のローマ帝国では言われ続けてきたのもこの辺りの事情が大きい。
ローマ発展の理由はいくつもあるんだけれども、その中でもこの分割して統治をするというその柔軟性は東洋的専制君主国家には見られないもので、ローマ以外で実現できた国はあまりない。7つの海をまたいだ18世紀の大英帝国ですらそれが出来たかは怪しいものだ。
Caesar non supra grammaticos.(私はカエサルだ、王ではない)
終身独裁官になったカエサルが言った言葉。
共和政ローマは酷い王制アレルギーであると言え、カエサルが王になるのを極度に恐れ、そして暗殺した。
その事実を鑑みて、慎重に慎重にことを進めた結果、初代ローマ皇帝アウグストゥスが誕生する訳である。
アウグストゥスはだから専制君主的な統治ではなく、あくまで元老院やローマ市民の代弁者であるプリンケプス(第一人者)を名乗り、その治世をプリンキパトゥスと言った訳で、これを東洋的な「皇帝」と訳したのは実は正規の誤訳だったと言えると思う。
Vidit domum eius proiectum(賽は投げられた)
カエサルと言ったらはやりこれだろう。
ローマの最高統治機関である元老院から「元老院最終通知」を出され、目の前のルビコン川を渡れば祖国ローマの敵となる状況で言った言葉。
賽はサイコロのことで、これを渡ればどうなるかわからないという意味になる。
カエサルは生粋のギャンブラーだと言えるだろう。
そして賭けたのは金などではなく、命であった。
無謀と勇気は違う。
カエサルは真に勇気のある人物だった。