元老院によって記録抹消刑に処された皇帝は3人いる。ネロ、ドミティアヌス、コンモドゥスだ。
ネロやドミティアヌスについては、再評価の動きがある。事実功績もある。
かつてローマには暴君と言われた皇帝が何人もいた。ティベリウスやクラウディウスもそういわれていた時代がある。
彼らは元老院からは嫌われていたが、功績もある。
元老院から嫌われていて、かつ功績もないローマ皇帝がコンモドゥスだ。
「グラディエイター」というローマを舞台にした映画がある。また古い映画で「ローマ帝国の滅亡」というスターウォーズのオビワン・ケノービで有名なアレック・ギネスが出ている映画がある。どちらもコンモドゥス治下のローマ帝国が舞台となっている。
映画ではコンモドゥスが父であるマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝を暗殺したことになっているが、史実は大分違う。
今回はローマ史上最低の皇帝ともいえるコンモドゥスについて見て行こう。
アウレリウス帝の甘やかし
コンモドゥスの父は五賢帝最後の1人マルクス・アウレリウス・アントニヌスである。
哲人皇帝とも言われ、人々に愛された皇帝であるがゆえに、後世の人々は彼の意思でコンモドゥスを皇帝に就けたと思いたくないようで、それがグラディエイターをはじめ映画にもよく出ている。
アウレリウス帝はコンモドゥスに無理矢理帝位を奪われたのだと。
それは全然違う。
コンモドゥスを後継者にしたのはアウレリウス帝であり、コンモドゥスをダメにしたのもまたアウレリウス帝なのだ。
元々アウレリウスはルキウス・ヴェルスという人物と共に共同統治を行っていたが、ルキウスは早死にした。
そして息子を次代の皇帝とはせずにアウレリウス帝が在位している最中に自分と同じ皇帝の地位に就けている。決して無理矢理皇位を奪われたのではない。
それどころかアウレリウス帝は行く先々にコンモドゥスを連れて行っている。
なぜアウレリウス帝はコンモドゥスの素質を見抜けなかったかであるが、そんなことは珍しくもなんともないだろう。医者や教師の子供がおかしなことになりやすいのと同じ理屈だ。
アウレリウス帝はコンモドゥス帝を甘やかしすぎたのだ。
5賢帝が成り立ったのは世襲をしなかったからである。誰も男子をもたなかったのもあるが、アウレリウス帝だけが子供に自分の地位を継がせた。
アウレリウス帝ほどの名君がなぜあんな暴君を・・・と後世の人は思うのだが、それに対する明確な答えは1つ、アウレリウス帝は優れた人間ではあっても優れた君主ではなく、また優れた父親でも決してなかったのだ。
父が死ぬとさっさと帰国
アウレリウス帝は現在のウィーンにあたるウィンドボナで病死した。コンモドゥスも近くにいた。当時はゲルマン人と戦っていた訳で、兵士たちはみな戦争の継続を主張したが、コンモドゥスはさっさとゲルマン人と講和条約を結んで自分はローマに帰っていった。政治に興味がなかったのである。
兵士は憤慨したが、この部分に関しては現在ではあまり非難の対象とはなっていない。
面白いものでコンモドゥスは実はその治世において暴政は行ったが浪費は行っていない。カリギュラが暴政というより浪費が酷かったのと対照的だ。
事実ドナウ川北部まで領地を広げる必要は戦略上あまりなかったであろう。アウレリウス帝においてもゲルマン人の侵入を防ぐために戦っていたのであって、領土を広げるために戦っていた訳ではない。
この辺りノーベル賞作家でもあるテオドール・モムゼンは「60年間の平和を実現した」と言って評価しているぐらいだ。
事実ゲルマン民族との闘いは60年ほど起きていない。
劉禅が政治に興味がなさ過ぎて蜀を滅ぼさずに済んだのと同じ理屈かも知れない。
皇帝暗殺未遂事件
コンモドゥスが元々暴君だったのかどうかは議論がある。この事件があったからおかしくなったという人もいる。
コンモドゥスが劇場から家に帰ろうとしたところ、下手人が皇帝一行を襲った。下手人は捕まり、尋問の結果首謀者は実の姉であるルチッラであることが判明した。
このことによりコンモドゥスは狂ってしまったのだという。
それはあるかも知れない。誰だって実の姉、しかも仲が悪かった訳でもなく信頼していた姉から命を狙われたらおかしくなる。しかも常々家族は大事だと言っていたアウレリウス帝の家族内で起きた事件だ、もう何を信じていいのかわからなくなる。
こうなると人間、自分にとって甘い言葉だけを言う人間を信じるようになる。
面白いものでこの頃中国では霊帝の時代で、同じようなことがおこり三国志の始まりにもなる黄巾の乱がおきている。
霊帝の場合は十常侍という宦官だったが、ローマではクレアンドロスという解放奴隷であったようだ。
クレアンドロスが力を得るまではペレンニスという近衛隊の長官がほぼすべての政治を執り行っていた。
ペレンニスは武官らしく元老院のことは軽視して、その承認を得ずに物事を遂行しては顰蹙をかっていた。
それでも政務能力は確かだったようで、ブリタニアで起きた暴動を鎮圧したり各地の防衛拠点の強化などを起こったようだ。
ちなみに近衛隊長官は通常2人なのだが、コンモドゥスがもう1人の長官であったパテルノという人物を暗殺を防げなかったという理由で解任してしまったのだ。さらにちなむとパテルノはその後すぐに謎の死をとげている。
このような理由で殺されたのは1人や2人ではなく、ローマ執政官であるコンスル経験者達6人も処罰されていて、うち4人は処刑、2人は追放刑になっている。他にも姉の夫であるクィンティリヌスも裁判なしで死罪となり、その財産を没収されている。
あろうことかコンモドゥスはその没収した豪邸に自ら住んでいたというから救えない人物である。
ローマ人は伝統的に家族を大事にする民族である。これらの行動はローマ市民には当然の如く不評だった。元老院からも不評だった。5賢帝の時代、代々の皇帝は元老院議員を殺さないという宣誓をしていたが、コンモドゥスにはそのようなことはない。
それでもまだペレンニスが生きている時代はまともだった。この状態でさえまともだったというぐらい後半は酷いのだが、政治を行う者がいただけマシだったというだけである。
ペレンニスの死と元老院の腐敗
コンモドゥスはとことんまで政治に興味がなかったので元老院の議会には当然出席していなかった。
かつて休みなく元老院に出ていたのはトラヤヌス帝、アントニヌス・ピウス帝、アウレリウス帝ぐらいのもので、ハドリアヌスなどは視察旅行に出ていたのもあって元老院にはほぼ出ていない。ハドリアヌスが死後神格化を否定された理由でもある。
それでもさすがにペレンニスが元老院に不評であることぐらいは知っていた。
そんなコンモドゥスにクレアンドロスはそっと耳打ちする。
「どうやらペレンニスは皇帝の座を狙っているらしい」
暗君がなぜ暗君かというと、ロクでもない配下の讒言を信じるからだ。
会社でも2代目3代目社長に多い。コンモドゥスもそのくちだ。
ペレンニスはある日前触れもなく殺害された。妻と子供も一緒だったという。
邪魔者のいなくなったクレアンドロスは暴走した。
彼はローマ人ではなくギリシャ人であった。それが理由と言う訳でもないだろうが、ものすごい勢いで私腹を肥やし始める。
特に彼が熱心だったのが官職の売買で、官職を買ったのは主に元老院議員だったという。
一方で邪魔になる者は消した。特に自分の意に沿わない近衛隊長官はすぐに亡き者にした。最短で6時間で亡き者にいたようだ。
しまいには自らが近衛隊の長官となる始末。
二度目の皇帝暗殺未遂事件と佞臣の死
コンモドゥスが一番恐れていたのは暗殺である。
今回の首謀者はマメルティヌスとブルスという2人の人物であり、それぞれ姉と妹の夫であった。
ルッチラの事件については彼女の陰謀であることは確からしいが、こちらはどうもねつ造であるらしい。クレアンドロスがねつ造したという可能性が高そうだ。
2人ともコンスル経験者だったが、結局処刑されてしまった。
そんな状態だったがクレアンドロスは元老院を掌握していたようで、元老院の父という称号まで得ている。
もはや腐敗ここに極まれりである。
しかしクレアンドロスは手を付けてはいけないところまでつけてしまった。
それは民衆の胃袋である。
この頃ローマでは小麦が無償で配給されていた。しかし上質とは言い難くローマ市民は配給された小麦を奴隷とし、市場で上質な小麦を求めていたようだ。
しかし、どういう訳か質の良い小麦が市場に出回らなくなってしまった。
民衆は怒った。
怒れる群衆がコンモドゥスの家に押し寄せる。コンモドゥスはたまらずクレアンドロスを民衆に差し出し、ついに佞臣は死を迎えることになる。
実際小麦とクレアンドロスが関係あったのかは不明だが、市民階級からは特に恨まれていたようだ。
コンモドゥス自体は元老院からは嫌われていたが、民衆からはそれほど不人気でもなかったようだ。
ローマのヘラクレス
コンモドゥスは所謂脳筋だった。
ひたすら身体を鍛えるのが好きで、あろうことか自ら剣闘士となって闘技場で戦っていたのだ。
病弱だった父アウレリウスのことは微塵も尊敬できなかったようで、自分の父はユピテル(ゼウス)だと本気で思い込んでいたようだ。
コンモドゥスの像はほとんど壊されたが、数少ない彼の像はギリシャの英雄ヘラクレスの恰好をしている。
ネロといいコンモドゥスといい皇帝として生まれなければただの面白いやつだったかも知れない…
もはや政治を行う者はいなくなってしまい、皇帝からの手紙は常に白紙化、「ヴァーレ」とだけ書かれていたようだ。ヴァーレとはごきげんようという意味らしい。
皇帝暗殺
そんな状態だったのでコンモドゥスは暗殺された。
ダメな皇帝は暗殺されるのがローマの常だ。
この辺りが中国の皇帝との違いかもしれない。
下手人はコンモドゥスの使用人達だったという。これらの下手人は捕まらなかったというから、やはり背後には近衛隊か元老院がついていたと推測するのが正しいだろう。
ネロもカリギュラもカエサルも元老院議員によって暗殺された。
元老院は暗殺されたコンモドゥスを記録抹消刑にした。
でも、彼には何の功績もないので破壊する碑さえなかったという。
どうしようもない皇帝であったが、彼の治世中はキリスト教徒への迫害はなかったという。
それゆえに、後世ネロほどの酷評は受けていない。
現在でもローマ最悪の暴君はキリスト教徒への迫害を行ったネロなのである。