狂ったローマ皇帝列伝!第3代ローマ皇帝カリグラ 彼は暴君だったのか?

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このブログを開設する前からやりたかったのが「狂った王様シリーズ」である。

世界史には燦然と輝く名君もいれば信じられない馬鹿王もいる。そんな馬鹿王たちを記事にしたいという気持ちがあった。

本当は第1弾は2代目皇帝「ティベリウス」だったのだが、色々調べているうちに狂った王どころか実はかなり優秀な人物であることが分かってしまった。

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ちょっとがっかりである。

だが3代目皇帝であるカリグラは我々の期待を裏切らない。そんな皇帝である。

 その人気は歴代ローマ為政者の中でも最高だった

後にローマの中でも最低クラスの評価を受けるカリグラだが、皇帝に就任した当初の人気は歴代ローマ為政者の中でも最高だった。

人気の理由はいくつかあるが、1つはそれぐらいティベリウスが人気がなかったということ、もう1つは英雄ゲルマニクスの実子であったこと、さらにアウグストゥスの血を直接ひいていること、そして若くイケメンであったことの4点である。

初代皇帝アウグストゥスが人気だったのはもちろんだが、父親であるゲルマニクスの人気も相当なものだった。

ゲルマニクスについて知っている人は少ないと思うので、以下の記事を参考にしてもらえると俺としてもうれしい。5000字越えてて書くのに結構時間がかかったんだ。。

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「カリグラ」という名称はあだ名で、正式名称はガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスという名である。

ローマの名前オールスターと言った感じだが、名門貴族クラウディウス家の血も引いているから完璧だ。

まさにローマをしょって立つべき人間でありしかもイケメンである。この時カリグラは24歳。ティベリウスの人気のなさとゲルマニクスの神話的人気のおかげでカリグラが皇帝に就任してしばらくはお祭り騒ぎだった。

ティベリウスが死んですぐに元老院はカリグラにローマ帝国統治の全権限を委託した。

ティベリウスが即位した時のような反乱は一切起こらなかった。むしろカリグラの即位をほぼすべてのローマ市民が喜んだ。むしろ属州の人間も喜んだ。特に喜んだのがゲルマニアにいるローマ軍である。

カリグラというのはあだ名であって正式名称ではない。上にリンクの貼ってあるゲルマニクスの項でも述べた通り、ゲルマニアにまだゲルマニクスがいた時代、兵士はよちよち歩きでカリガと呼ばれる軍靴を履くガイウスを親しみを込めてカリグラと呼んでいたのである。

ゲルマニクスも人気があったがその家族も人気があった。ゲルマニクスの父親もゲルマニアで活躍した人物であったし、その息子も人気があった。

ティベリウスのおかげで財政状態は良く、人気もあり、若さもあり、周辺諸国は戦争を仕掛けてこない。そんな状態でカリグラは皇帝に即位したのである。

カリグラの人気取り政策

カリグラは皇帝となるといくつかの政策を行った。

1つはサーカスの部分のスポンサーになったことである。

ローマ市民は娯楽に飢えていた。カエサルやアウグストゥスの時代には市民の心つかむために見世物を提供していたが、ティベリウスは一切そのようなことはしなかった。カリグラは再びそのようなサーカスのスポンサーとなり、ローマ市民に娯楽を提供したのである。

さらにティベリウスの治世の際に活躍していたデラトールと呼ばれる密告者制度を廃止した。

後年にはカプリ島に引きこもって政治を行っていたティベリウスだが、それを可能にしていたのがデラトールと言われる密告者の制度だった。ペルシャでは王の目、王の耳だったし、現代社会におけるモサドやKGBやCIAみたいなものである。これがあったからティベリウスは実に正確にローマの状況を把握できた面があるが、ローマ市民から見ればたまったものではなかった。

ティベリウスが追放した者たちもローマ本国に帰した。

ティベリウスはかなりの堅物で、アクター達を追放し、知識人階級も追放していた。まさに恐怖政治だったわけだが、それを解除した。

さらには減税まで実施した。現在で言うところの消費税のような売上税という税金を廃止した。

そして元老院には必ず出席すると言った。

前任者のティベリウスは10年間元老院に出席しなかった。

カリグラは悉くティベリウスの逆の政策を採用したので、ローマ市民も元老院もこれを大いに歓迎した。

だが、堅実だったティベリウスの逆を行くということは、人気とりだけしてその実は無意味なことをするということでもある。嫌われてもローマのために政治をしたティベリウスとは逆ということは・・・

浪費に次ぐ浪費

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ベン・ハーという映画がある。ローマ時代を舞台にしたその映画は、けた違いの製作費がかかったことでも知られる。その額は1500万ドルと言われ、さらに1ドル360円の時代であったから・・・

特にお金がかかったのは戦車レースの部分で、当然ローマ時代もお金がかかった。カリグラはアウグストゥスを祀る神殿を建設したり、クラウディア水道、新アニオ水道の建設、ポンペイウス劇場の設営などとにかくお金を湯水のように使い始める。

カリグラはいい意味でも悪い意味でも気前が良すぎた。

カリグラはこの時24歳である。野球選手やサッカー選手やロックスターなどがいきなり大金を持っておかしな使い方をする例が現代でもあるが、カリグラの場合それがけた違いなのである。

さらにカリグラは自分でそのお金を稼いだ訳ではないのでお金を稼ぐのがどれだけ大変かとかそういうのは知らない。

ティベリウスは即位した時に50を超えていた。それゆえに金銭感覚がしっかりとあり、分別もあった。

カリグラが行ったと言われる狂った行動

世界的なロックスターだるクイーンのボーカルフレディ=マーキュリーが自宅で乱交パーティを開催していたのはよく知られることではあるが、カリグラはけた違いの規模でそれを行っていたらしい。

カリグラに関しては実は客観的な資料が乏しいので本当の所はわからないが、カリグラが行ったと言われている奇行は以下の通りである。

・自分を神だとして全人類にあがめるように言った
・各地に自らの像を作り信仰するように言った
・エルサレムにあったユダヤの大神殿に自らの像を祀らせるように言った(シリア総督ペトロニウスの策により像の建造は遅れ実際には建造されなかった)
・カリグラの病気の回復のためなら命もいらないと言っていた者を「約束を守ってもらおうか」と言って回復したのちに崖から突き落とした
・妻を追放し義父のシラヌスと従弟であり養子であるゲメッルスに自殺を強要した
・自分の実の妹をも神格化させた
・元老院議員を次々に処刑した
・財政難になると無実の人間の罪をでっちあげその財産を没収した
・自分の暗殺を謀っているとする人物を次々と処刑した

比較的信憑性が高そうな事実を並べただけでもこのありさまである。歴史書によっては以下のような記述もある。

 

・自らの馬も神だとして崇め奉らせた
・妹たちとの近親相姦を楽しんだ
・宮殿に売春宿を作り妹たちを売春させた
・ナポリ湾に船を数キロにわたって並べその上をパレードした

さすがにこの辺りは信ぴょう性が薄いけれども、かなり狂った人物であったのは確かなようだ。

完全に馬鹿王な訳だが、カリグラは皇帝就任してすぐに病気になってしまいローマ中を心配させたことがあった。それ以降人が変わってしまったという主張もある。

あるいはてんかんであったのではないかと主張する者もいる。

古来よりてんかんに悩まされてきた歴史上の人物は多い。ナポレオンやドストエフスキーもてんかんに悩まされていたという。

カリグラが何らかの疾患を負っていたのは確かだろうが、それが何なのかまではわかっていない。

悲劇だったのは当時ローマ皇帝を引退させる手段もなければだれにもその発想がなかった点だったと言えよう。

どんな狂王でも皇帝なのである。その命令は絶対なのであった。

カリグラの最期

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カリグラの暗殺を考えたのは1人や2人ではなかったであろう。それでも誰も実行できなかったのは、彼を守る親衛隊である近衛軍団が強力であったからだ。

カエサルは元老院議員によって暗殺された。

それゆえに後継者であるアウグストゥスは身辺を守らせることに熱心であり、全軍団から選りすぐりの者を集めて近衛軍団(プラエトリアニ)を形成させた。

近衛軍団は9個の部隊からなり、その数は9000人であったという。

しかもローマ最強軍団と呼ばれるゲルマニア駐屯軍はゲルマニクス信仰と言っても良いほどカリグラを支持していた。

誰もカリグラを殺害できないように思えたが、カリグラは殺された。近衛軍団の軍団長、それも幼いころからカリグラを知っていた、ゲルマニクスの部下であるカシウス・ケレアによって殺されたのだ。

カシウス・ケレアについてわかっていることはそれほど多くない。かつてゲルマニクスのもとでゲルマニア攻略に随行しその後ゲルマニクスの行き先には従い、恐らくは常にカリグラを守り続けてきた存在であっただろうと言われている。

そんな人物がなぜカリグラの暗殺を行ったのかはわかっていない。

ケレアはカリグラの叔父であるクラウディスを保護し、次代の皇帝とした。

自らは皇帝殺害の罪を認め、死罪を受け入れている。

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カリグラの個人的な評価

カリグラに関してはわかっていることが少ない。ほぼすべての歴史家はカリグラは完全に精神異常を抱えていたとしている。

誰がどう考えてもそうである。

それがいかなる原因なのかはわからない。

てんかんの為であったのかそれとも生来の気質であったのか皇帝という地位がそうさせたのか。

後のローマ皇帝や中国の皇帝たちも一般では考えられない奇行に走ることが多い。

圧倒的な権力の集中が人を狂気に駆り立てるのかも知れない。

これ以降5賢帝が出るまではローマの皇帝は完全なる狂気に走っていく。それはローマが世界最強の帝国となってしまい、その権力の座を狙う者たちに常に命を狙われている宿命なのかも知れない。

カリグラに関しては、内政においてはいたずらに出費を増やし、外征は悉く失敗している。

それでもインフラの整備など後世に残る建造物の建築を命じていることから、中華的な暴君よりはマシなのかも知れない。

もしカリグラの奇行が病気のせいであるとするならば、気の毒と言うよりほかない。

最期に親衛隊であり幼いころより彼を守ってきたケレアに殺された訳だが、ケレアからすれば楽にしてあげたかったのかも知れない。

もし皇帝に引退の制度があれば、カリグラは引退してどこか離れたところにでも暮らしていればよかったのかも知れない。

悲劇だったのは、彼がゲルマニクスという英雄の子供でアウグストゥスという世界史上稀に見る傑物の血を引いていたという事実であろう。

彼はまったくもって皇帝の器ではなかったのである。