三国志一の忠義の士!益州の人「張任」について

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三国志に出てくる登場人物の中には、主君に忠誠を誓うあまり決して相手に降伏をせず死を選ぶ人物がいる。

今回の主役張任もそんな人間の一人だ。

 劉備の入蜀に反対する

張任の登場は劉章が漢中に本拠を置く五斗米道の侵攻を受けた時に始まる。

主君の劉章は攻め入られるやあわててしまい、戦上手と評判の劉備玄徳を迎えようとする。

この時に強く反対したのが張任であった。

その他多くの家臣の反対を退け、同族であるという理由で劉章は劉備玄徳を迎えてしまう。

件の張魯を追い返すことには成功したが今度は劉章の家臣の中に劉備に味方する者が増え始め、ついに劉備に益州を治めてもらおうとする者が現れ始めた。

ある日劉備の軍師である龐統は宴の席で剣舞にかこつけて魏延に命じて劉章を暗殺しようとする。

 このたくらみに気づいた張任は、自ら剣舞に参加し、魏延の動きをけん制、ついにで魏延はその目的を達することができなかった。

やがて劉備はその野心を隠すこともせず、劉章の許へ攻め入ってしまう。その際張任は雒城という要所を守り、劉備軍は非常に苦戦した。

この時張任は劉備の軍を待ち伏せして、軍師の一人である龐統を射殺する活躍を見せる。

鳳凰の雛と綽名された龐統は、落鳳坡と呼ばれる地でその決して長くない生涯を終えたのであった。

龐統はその時劉備の馬である的盧に乗っており、張任は劉備を仕留めた気になっていたが、どうやら違っていたようだぜ。

的盧はかつて凶馬と言われていたが、ついぞ劉備に祟ることはなく、その凶兆は劉備の軍師である龐統に向けられてしまった。

その後も張任は劉備軍の攻撃からよく守ったが、援軍としてかけつけた諸葛亮の罠にはまってしまう。

孔明はあえて弱そうな兵士たちだけを連れて張任を挑発、これに乗った張任が孔明を追撃すると、右翼からは厳顔、左翼からは張飛の軍に待ち伏せをされ金雁橋にて囚われの身となってしまう。

自分を大いに苦しめた張任を劉備は味方になるよう説得するも、「忠臣は二君に仕えず」と言ってこれを拒否、孔明の助言もあり劉備は張任を処刑したのであった。

正史の張任

これまでの話は三国志演義での張任である。

史実の張任も演義同様劉備の入蜀に反対し、冷苞や鄧賢と言った武将と共に劉備を迎え撃つものの敗れて捕えられ、演義同様張任を気に入った劉備に仲間になるように幾度となく説得されるもこれを承諾することはなく、最後には劉備も処刑せざるを得なかった。

演技同様龐統の殺害に成功しているが、特に孔明や張飛などに敗れたという話はない。

劉備は敵ながら張任のことが気に入っていたようで、処刑後も篤く埋葬し、その死を悼んだという。

暗愚であった劉章に対し裏切ることもなく死んでいった張任の忠義については、三国志に出てくる人物の中でも随一であると言えるだろう。