ローマ時代の面白いところは、評価をする歴史家によって大きくその人物の評価が変わるからだ。
その最たる例が2代目皇帝のティベリウスで、タキトゥスをはじめ過去多くの歴史家たちが暴君のレッテルを貼っていた一方で19世紀ドイツの歴史家でノーベル賞を受賞したモムゼンのようにティベリウスを評価した人物もいる。
個人的に歴史とは現代からみた評価であり鏡なのだと思っているのだが、そういう目で見てもクラウディウスの評価は難しいかも知れない。
今回はそんなローマ皇帝クラウディウスについて見て行こう!
名門クラウディウス家の党首にして英雄の弟
クラウディウスの本名はティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルススというとても長い名前で、アッピア街道を建設したアッピウス・クラウディウスやローマの剣と言われたマルクス・クラウディウス・マルケルスなどを輩出したクラウディウス家の出身だ。
クラウディウス家はスキピオを輩出したコルネリウス家やローマの盾ファビウス・マクシムスを出したファビウス家と並ぶローマの超名門貴族の一族で、初代皇帝アウグストゥスの属するユリウス家との関連性も深い。
2代目皇帝ティベリウスも元々はクラウディウス家の出身で、アウグストゥスの養子になったことによってユリウス家の人間になったという経緯があって、この頃のローマ帝国のことをユリウス=クラウディウス朝なんて呼んだりもする。
今回の主役クラウディウスはティベリウスの兄ドゥルススの息子の1人で、ローマの英雄でゲルマニア征伐に功績を挙げたゲルマニクスの弟でもある。
ティベリウスはゲルマニクスが皇帝になるまでの中継ぎとして見られていたぐらいで、アウグストゥスがティベリウスを後継者に選ぶ際にゲルマニクスを養子とすることを条件にしたぐらいである。
ゲルマニクスは残念ながら早死にしたので皇帝になることはなかったが、その息子であるカリギュラは3代目の皇帝となった。
結果はご覧の通りである。ローマ史どころか世界史上稀に見る暗君になってしまったカリギュラは、ついに近衛隊長カシウス・ケレアによって暗殺されてしまう。
クラウディウスが歴史の表舞台に出てきたのはそんな時だった。
ローマ帝国4代目皇帝クラウディウス
カリギュラを暗殺した近衛隊長ケレアは真っ先にクラウディウスの保護を開始した。クラウディウスはケレアが来ると机の下でブルブルと震えていたというが、ケレアは即座にクラウディウスの皇帝即位を発表した。
ケレアの行動については古今東西の歴史家たちがその解釈を試みているが、未だにローマ史の謎とされている部分ではある。
ローマの元老院ではカリギュラの暗殺を機に帝政を廃止して共和政に戻そうという動きもあったが、ケレアがクラウディウスを擁立するとそれを承認している。
この流れだとケレアが政権を牛耳りそうであるが、クラウディウスがまず最初に行ったことがカリギュラ暗殺の犯人を裁くことであった。
ケレアは意外にもこれを抵抗なく受け入れている。結果ケレアは死んだ。
一般的にケレアは帝政を愛し、近衛隊という皇帝直属の部隊を愛していたと言われている。
結果だけ見れば彼は皇帝を暗殺し別の皇帝を即位させたのち死んだことになる。命がけで皇帝の交代を行ったともいえる。
中国の歴史なら新たな皇帝は傀儡になるところだったが、ローマの歴史ではそうはならなかった。
クラウディウスはこの時50歳。普段はひたすらに歴史について研究し書物にまとめるような生活をしていたらしい。俺もこんなブログを書いている訳で、クラウディウスに近い人間かも知れない。
クラウディウスは超名門に生まれ英雄の血を引いているにも関わらず今迄重要な要職に就くことはなかった。
その理由として彼の先天的に患っていた障害などが挙げられる。
クラウディウスは生まれつき足が悪く容色に優れなかったらしい。吃音で話すとよだれが垂れてしまっていたというからローマ市民に全く人気がなかったようだ。
兄のゲルマニクスは利発でイケメンでリア充なのに弟は辛かっただろうなとも思うが、クラウディウスはそうでもなかったかも知れない。そういう人物は得てして権力志向になりやすいが、クラウディウスには全くそのような動きは見られない。自分の世界にこもって研究をしているのが彼にとって一番幸せだったかも知れない。
が、歴史がそれを許さなかった。
彼はローマの皇帝となってしまったのだ。
皇帝としての業績
クラウディウスは歴史的な業績という意味ではあまり大きなことはしていない。
あえて言うなら以下の通りだろうか。
・ブリタニアの制圧
・ユダヤ問題の解決
・東方問題の解決
・ギリシャ人官僚の登用
・元老院議席に対する民族的拡大
・外港の整備
・歴史に残る悪妻
現在のイングランドであるブリタニアへの侵攻を開始したのはユリウス・カエサルであったが、クラウディウスはそれを完成させたと言える。
後にローマ皇帝になるウェスパシアヌスもこの頃に頭角を現しているので人材登用と言う面では適材適所だったと言える。
ローマを常に悩ませてきたユダヤ問題に対してもクラウディウス治世の時代には大規模な反乱は起きていない。
東方の大国パルティアにおいてもしかり。アウグストゥスやティベリウスの路線を継承し丸く収めている。
クラウディウス治世において言えば、外交的にはほぼ何の問題も起こっていないと言って良い。
そういう意味でクラウディウスは決して無能な皇帝とまでは言えないだろう。
ただし有能と言えるかは難しいところであるが・・・
彼はその治世においてギリシャ人の解放奴隷を重用していた。
特に有名なのがナルキッソス、パラス、カリストスの3人組で、彼らは皇帝秘書官というクラウディウス特有の役職につけられた。
クラウディウスへの伝令は全て彼らを通さなければ行われないため元老院はそのことに大層不満だった。
あるいはクラウディウス名義の命令は彼らが濫用していた可能性さえあるほどだ。
これはローマ最初の官僚制度であるとも言われ、この部分を評価する者も逆に評価しない者もいる。
クラウディウスは初代アウグストゥス以来伝統の「プリンケプス」すなわちローマの第一市民という地位にいるわけであるが、皇帝になるまでの経緯を見てわかるように元老院内にほとんど友人がいなかった。
さらに軍部である近衛兵によって擁立されたことからも元老院との折り合いは必ずしもよくなかったようだ。
そのためなのか、クラウディウス帝の時代に元老院の参加資格は拡大されている。
具体的にはガリア人に元老院議員資格を与えている。
このことに元老院は当然のように反発したが、クラウディウスは歴史に残るような名演説でこれを退けている。
流石に全文だと長いので、一部省略しながらその内容を引用したいと思う。
「私個人の先祖を思い出すだけでも、その最も古い人と言われているクラウススはサビニ族の出身だった。その彼がローマに移住した紀元前505年、ローマ人はこの他部族出身者とその一族を自分たちと同等のローマ市民にしただけでなく、クラウススには元老院の議席を与え、貴族の列を与えたのである。
我らの先祖が示してくれたやり方は、我らの時代になっても統治の指針になりうると考える。それは、出身地がどこであろうと出身部族がかつての敗者であろう優秀な人材は中央で活躍の機会を与えられるべきであるというやり方だ。
かつてはローマに敗れて敗れた人々であることなど関係なく、優秀な人材となればローマに集中し、元老院の議席を満たしてきたのが我々の歴史なのである。
スパルタ人もアテネ人も、戦場ではあれほども強かったのに短期の繁栄しか教授できなかった。その主因は、かつて敵を自国の市民と同化させようとせず、いつまでも異邦人として締め出すやり方を続けたからである。
しかし、われらローマの建国者ロムルスは、件名にも、ギリシャ人とは反対のやり方を選択した。年来の敵も、敗れた後は市民を加えたのだ。それどころか、他国出身の指導者すら持った歴史が、我々にはある。7人続いた王のうち二代目のヌマはサビニ族の出身であり、5代目から7代目の王たちはエトルリア人であった。
元老院諸君、我々が古来から伝統と思い込んでいる事柄とて、それが成された当初は全てが新しかったのだ。国家の要職も、長く貴族が独占していたのがローマ在住の平民に開放され、次いでローマの外に住むラティーナ人に、更にイタリア半島にすむ人々にと、門戸開放の波は広がっていたのである。
諸君、今我々が態度表明を迫られているガリア人への門戸開放も、いずれはローマの伝統の1つになるのだ。我々は今、それを討議する上で数々の先例を引いたが、このこともいずれは、先例の1つとしてあげられるようになるのである。」
素晴らしい内容の演説である。
クラウディウスの元老院議員資格の拡充は、元老院に対する影響力を強めるためだったと歴史的に解釈されることが多いが、この演説はローマの歴史マニアとしての総決算だったように思われる。
ローマの強さはなにか?
それは征服民すら吸収して力にしてしまうその強さである。
クラウディウスの言うようにギリシャ諸民族にはそのような強さはない。そして滅びた。
ローマはガリア人(ケルト人)には常に悩まされてきた。一度などはローマの半分まで占領されたし、ハンニバル戦争の際にもガリア人がハンニバルに味方したという歴史もある。
第二次ポエニ戦争以来、ローマは敗者の吸収を辞めてしまった節がある。カルタゴやココリントは地図から消してしまったし、元老院議員の出自は制限された。
クラウディウスは古き良きローマを愛していたのだろう。そして本当のローマの強さを知っていたに違いない。
クラウディウスは伝統的なオスティア港を整備しなおした。
カリギュラによって破綻していた経済は、クラウディウス帝の時代に再び健全化した。
政治と言う面だけを見れば、クラウディウスは名君に近い。
だが、彼には悪妻という大きな欠点があった・・・
2人の歴史的な悪妻
ローマ史悪女ランキングがあったら確実に入る女性が2人いる。
1人はクラウディウスの妻メッサリーナ、もう1人はクラウディウスの妻アグリッピーナ。
世界史レベルで見ても悪女ランキング上位の2人をクラウディウスは妻としているのである。
そのことがクラウディウスの評価を極限まで下げてしまっている。
クラウディウスは合計4回結婚している。
メッサリーナは3番目の妻である。
メッサリーナとクラウディウスは35歳も違う。そのことが影響してかメッサリーナの浮気癖はかなりのものであった。
それだけならまだしも、彼女は自ら娼館に出向いて多い時は一晩で20人もの客をとったというから多分インフォマニアだったのだろう。
挙句に浪費癖が激しく気に入らない人間を陥れて財産を没収したり皇帝の名で死罪を宣告したりやりたい放題であった。
最後は何を血迷ったか浮気相手の元老院議員であるシリウスとともに結婚式を挙げるという想像の斜め下の行動をとって死罪となってしまう。
そしてもう1人のアグリッピナだったが、これは有名なネロの母親である。
彼女はネロを皇帝にするためにクラウディウスとの婚姻を望むが、そもそもこの二人叔父とと姪である。
アグリッピナは兄であるゲルマニクスの娘でありこの婚姻には元老院は大反対をするのだが、2人は結婚を強行。
そしてネロを養子にするとすぐにクラウディウスは死んでしまう。
キノコ料理の中毒になって死んだということだが、古来より現代にいたるまでアグリッピナによる毒殺説は根強い。
個人的なクラウディウスの評価
クラウディウスは政治家としては非常に優れた能力を持っており、その責務をしっかりと全うしたと言えるだろう。
財政を再建できただけでも功績があると言え、演説の中身や政策もケチのつけようはない。
だが、家庭人としては世界史でも最低レベルというよりワーストだろう。
思うに彼は現代でいうASDだったのではないかと思う。
メッサリーナは常に夫の名で気に入らない人間たちを死罪にしていたというが、その時クラウディウスがどのような態度で彼女を見ていたかはわかっていない。どうやら完全に無関心だったようだ。
メッサリーナ死亡の知らせを聞いたクラウディウスは何の反応も示さずワインを飲んでいたという記録もある。
メッサリーナは元々狂ってはいただろうが、夫のあまりの無関心さに精神がやられてしまったのかも知れない。そうなるとなんだか可哀そうになってはくるが・・・
あるいはギリシャ人官僚がそれに手を貸していた可能性もある。
ASDの人間は興味のない分野にはとことん興味がない。クラウディウスも自分の好きなこと以外に興味がない節がある。
悪妻に悩まされている感じもなく、ただただ無関心なのである。
そしてその悪妻たちが政治に悪影響を与えたのも確かだ。
総合するとやはり暗君としての評価が妥当ではないかというのがやはりクラウディウスの評価になるかなぁ。