ローマ最大の金持ち!三頭が1人マルクス・リキニウス・クラッススの知られざる生涯について

f:id:myworldhistoryblog:20190225225944j:plain

3頭政治は世界史の教科書にも用語集にも出てくる超メジャーワードであるが、カエサル、ポンペイウスは知っていてもクラッススが何をしたかどんな人物であったかを知っている人物は少ないのではないだろうか?

今回はそんなクラッススに焦点を当ててみたいと思う。

 エクイテス出身の成金

クラッススの特徴をもし一言で言い表すなら成金である。

クラッススはローマの名門貴族の出身という訳ではなく、新興階級と言っても良いエクイテス階級に所属する生まれである。

エクイテス階級はなぜか騎士階級と日本語では訳されるが誤訳と考えた方がよいレベルで、実際には士農工商で言ったら商人階級に近い属性だと言え、主な仕事は徴税の請負である。

大英帝国統治下のインドでも徴税請負人であるザミンダールが権力を持ったが、ローマにおけるエクイテス階級はその元祖と言え、クラッススはその代表と言えるだろう。

クラッススの一族は金の力を背景にプエラトルやコンスルを輩出した一族となっており、伝統はあるが金のないカエサルとは対照的な生まれと存在だったと言える。

クラッスス自体金儲けの才能がかなりあり、一時期はローマの国家予算の半分ほどの個人資産を持っていたと言われるほどである。世界一繁栄している国の半分の資産ってどれだけやねんという感じだが、彼の資産は中々好感を得られない方法で得られたものである。

スッラの配下として

クラッススは一貫して閥族派のスッラに味方しており、今風に言うとコバンザメのように引っ付いていた。

スッラはローマを占拠し、マリウス派である平民派の人間達を虐殺して財産を没収した。その上でうまく逃げおおせた人間達に懸賞金をかけ、殺害した場合はその財産の所有権をくれてやるとしたのである。

没収された財産は競売にかけられ、そのほとんどをクラッススが競り落としたと言われる。

このような稼ぎ方をしたので、クラッススはローマの人たちからかなり嫌われていた。どうにも高利貸しもしていたらしい。

www.myworldhistoryblog.com

クラッススには本来リキニウス一族の当主となるような兄がいたのだが、同盟市戦争で亡くなってしまっており、親はマリウスによって虐殺されていた。同じ時期にポンペイウスの親やカエサルの伯父もマリウスによって殺されている。

www.myworldhistoryblog.com

マリウス自体はあっけなく病死してしまったが、マリウスの腹心であるキンナが主導するローマと、スッラによる内戦が勃発するとクラッススはスッラに合流して最終的には勝利者側にまわることになり、先述したように莫大な財を得ることになる。

カエサルが国外に逃亡しなければならなかったのとはこちらも対照的だと言えるだろう。

スパルタクスの反乱を鎮圧

f:id:myworldhistoryblog:20190225224038j:plain

 富を手にした者は次に名誉を求めるようになるというが、クラッススは生涯において名誉を求め続け、それが破滅をもたらしたとも言える。

マリウスやスッラ亡き後のローマも内戦や外圧に悩まされていた。

スペインでは平民派の生き残りであるクイントゥス・セルトリウスが反乱を起こし、有力な将軍であるメッテルス・ピウスと若き英雄ポンペイウスが、ギリシャ方面では相変わらず暴れていたポントス王ミトリダテスの対策に名将ルキウスが出払っている状態で、かの有名なスパルタクスの反乱が起きてしまったのである。

トラキア出身の剣闘士スパルタクスの起こした反乱は没落農民や奴隷たちがローマ領各地から合流し、およそ10万という規模に達していた。

指導者であるスパルタカスには兵法の心得があったようで、かつ屈強な剣闘士でもあったため単なる農民反乱とは違い組織された反乱軍となっていた。

 ローマは当初名門クラウディウス家のプラエトル(法務官)ガイウス・クラウディウス・グラベルに3000の兵を持たせその討伐にあたったのであるが、いとも簡単に殲滅、プラエトルであるプブリウス・ヴァリニウスを派遣するも敗北、その勝利を聞きつけたローマ中の人間がスパルタカスの元へ駆けつける事態へと発展した。

 ここにきてローマ側もプラエトルではなく最高職であるコンスル(執政官)2名の派遣を決める。派遣されたのはレントゥルスとゲッリウスの2名で、スパルタクス側の指揮官であったクリススは撃破されたもののスパルタクス本軍には撃破されてしまう。

スパルタクスは両軍との直接戦闘を避け、両軍が合流する前に各個撃破したためにそれほどの被害もなく勝利をすることが出来たという。

プラエトル階級どころかコンスル階級のローマ最高戦力が敗れたことによりローマ側は切り札であるクラッススの投入を決める。

クラッススはカエサルやポンペイウスに比べれば軍事的な才能は大きく劣っていたが、それでも世界史に名を残す人物だけあって並の人物よりも実力派確かである。

 あるいはポンペイウスがこの時に助力したという記述もある。その詳細は歴史書によって異なるのだが、クラッススは見事にスパルタカスの乱を鎮圧することに成功したのであった。

スパルタカスの乱については歴史書によって記述が異なる部分が多く、未だにわからない部分の多い戦争で、当のスパルタカスが何を求めて反乱を起こしたのかも定かではない。

反乱軍はイタリア半島を南下したかと思えば北上しアルプス山脈に向かったかと思えば再び南下するというよくわからない動きをしており、ポントス王の支援を受けて船でギリシャに渡ろうとしていたという説やアルプスを越えてトラキアに帰ろうとしていたという説などがあるが未だによくわかっていない部分ではある。

ポンペイウスが参戦したかどうかについてもよくわかっておらず、クラッススがこの反乱を鎮圧した後も不人気であったことから市民はポンペイウスの手柄だと思っていた節もあり、クラックスの名誉欲は満たされなかったのかも知れない。

三頭政治(トリウンヴィラートス)

世界史の教科書にも99%の確率で載っている三頭政治であるが、当初この3人が組むとは誰も思っていなかった。

そりゃそうだ。

カエサルはポンペイウスの妻ムキアともクラッススの妻とも不倫の関係にあったし、ポンペイウスとクラッススの不仲は大変有名な話であったからだ。ポンペイウスに至っては妻と離縁までしている。

一体どのように3人が手を組むようになったのかはわかっていない。

中心になったのはカエサルであると言われていて、カエサルは1人娘のユリアをポンペイウスに嫁がせ、クラッススにも同盟を持ち掛けた。

カエサルとクラッススの関係は債権者と債務者であると言われていて、カエサルはクラッススに多額の借金があったようだ。だが、2人の関係は決して悪いものではなく、なぜかカエサルの方が立場が上であったようだ。

海賊に囚われていてもデカイ態度で過ごしたカエサルのことだから、自分が儲かった方があんたも儲かるよとでも言ったのかも知れない。

www.myworldhistoryblog.com

クラッススは明らかに名誉とさらなる権益を欲していた。一説にはエジプトの権益を手中におさめたかったと言われており、そのためには元老院を超越する必要があると考えていたようだ。

また、クラッススには財力があるが人気はなく、ポンペイウスには財力はないが人気はあるという状態だったので、お互い組むことのメリットを確認したのかも知れない。

いずれにせよ紀元前60年、カエサル、ポンペイウス、クラッススの3頭政治が開始された。

3頭政治側は元老院と激しく対立し(3人とも元老院議員でもあったのだが)、特にキケロと小カトーとは犬猿の仲であった。

余談だが、カエサルとキケロは元老院では激しく対立したもののプライベートでは親友であったようで、後にカエサルはキケロの弟を重用しキケロはそのことに大喜びをしたという話もある。

紀元前56年には有名なルッカ会談が始まり、3頭政治は本格化する。紀元前55年にはポンペイウスとクラッススが同時にコンスルに任命され、よく54年にはクラッススは属州長官としてシリアに向かい絶対的軍事権(インペリウム)を付与される。

パルティア遠征と死

f:id:myworldhistoryblog:20190225230209p:plain

シリア総督としての任務はパルティアから領土を侵略されないことであったが、名誉欲に燃えるクラッススはパルティアへの遠征を決める。

しかしクラッススの指揮官としての能力は所詮並より上である。しかもパルティア側の将軍スレナスは優れた将軍であった上に参戦を約束していたアルメニア王国からの援軍も来ず、慣れない土地で飢えと渇きと熱波にやられ、戦う前からすでに負けている状態であった。

ローマはロジティクスで勝つと言われていたが、クラッススの計画はかなりずさんだったようで、将兵たちの心つかむことはできず、カッシウス将軍の戦線離脱などを招き、クラッススは息子ともども戦死、ローマ軍は四散し生き残ったものはわずかで、4万人の兵士の内2万人は戦死、1万人は捕虜、1万人が逃亡に成功するというありさまだったという。

この敗北はローマ最大の敗北の1つとなり、長くローマの人々の記憶にとどめられることになった。

個人的なクラッススへの評価

アメリカのフォーブズ誌が行った戯れに拠れば、クラッススは歴代で8位の金持ちであるという。1位がカンカンムーサであるという時点で完全にネタなのだが、いずれにしてもクラッススがケタ違いの金持ちであったのは確かだった。

そしてクラッススがただ金を持った人間であったのも確かだった。

カエサルは金を持っていなかったのにクラッススから金を借りて自分で兵団を組織し補充していた。

クラッススは金を持っているのにローマの正規兵のみを使いパルティアとの闘いに臨んでいる。

完全に器の違いが出ていると言えるだろう。

クラッススが私財を投じてパルティアとの闘いに臨んでいれば結果は違っていたかも知れないし、歴史は変わっていたかも知れない。

金持ちはケチな傾向にあるが、クラッススは金持ちの特色を全て持ち合わせたような男であった。

私腹を肥やすことを一切考えなかったカエサルと、私腹を肥やすこと以外考えなかったクラッスス。

クラッススは当然の如く英雄の器ではない。繰り返すがただ金持ちなだけであった。

クラッススの生涯を見ていて思うのは、地獄に金は持って行けぬということだな。