392年!キリスト教を国教化したテオドシウス帝とその恐怖政治、ローマ文明の徹底的破壊について

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テオドシウス帝はあらゆる世界史の教科書に必ず出てくる皇帝である。

それはローマ帝国内でキリスト教を「国教化」した人物であり後継者に東西分割したローマをそれぞれ継がせた人物であるからである。

そんなテオドシウス帝は一体どんな人物であったのか?

くわしく見てみることにしよう。

神の下僕に過ぎない

テオドシウス帝の人生を一言で表すとしたら「神の下僕」の一言であろう。

実際に彼の人生はミラノ司教であったアンブロシウスの操り人形であったに過ぎない。

どうしてそうなってしまったのか?

テオドシウス帝はローマ帝国の将軍テオドシウスの子供として生まれた。

この人物はヴァレリンティウス1世の片腕ともいうべき活躍をした人物であったが、ゲルマン民族が大移動を開始した375年に反乱を企てた罪で処刑されていた。

実際に反乱を企てていたかはわからないが、テオドシウスはそのままスペインでの生活を余儀なくされた。

しかし帝国が未曽有の人材不足にあえでいた。ハドリアノポリスの大敗に代表されるように、帝国は多くの将兵を失っていたのだ。ヴァレリンティアヌスの息子グラティアヌス帝は父の死によって帝位を継ぐと帝国東方の皇帝としてテオドシウスに声をかけた。

テオドシウスは父の名誉回復を条件にこの話を受ける。

グラティアヌス自体はブリタニアで蜂起したマクシムスとの闘いで命をおとしており、帝国西方の皇帝にはヴァレリンティアヌス2世が4歳と言う若さで就任。

マクシムスに攻められた2世がテオドシウスを頼るのは当然のことであろう。この際テオドシウスは元の妻であったエリアと離婚し2世の妹であるガラを娶っている。

テオドシウスはヴァレリンティアヌス2世を散々利用しつくすとゴミ布のように殺害し、ただ1人のローマ皇帝となった。

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対ゲルマン政策

テオドシウスは押し寄せるゲルマン人相手に為す術を持っていなかった。そこで彼はゲルマン民族をローマ領内に移住させる計画を思いつく。

定住の条件とし、ゲルマン人に兵役を課す。

一石二鳥だと思ったかどうかは知らないが、この数十年後にローマがゲルマン人に内側から滅ぼされることを彼は予想していたのだろうか?

移住してきたゲルマン人には納税の義務もなく、移住の費用は全てローマが負担した。

狂信的恐怖政治

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ローマ帝国第二代皇帝ティベリウスは恐怖政治をおこなったことで有名だが、テオドシウス帝が行った恐怖政治とは比較にならないであろう。

テオドシウス帝はコンスタンティヌス帝と違い、死ぬ間際ではなくかなり早い段階でクリスチャンになっていた。そしてそれが彼の運命とローマ帝国の滅亡を決定づけた。

テオドシウス帝はギリシャにあるテッサロニケを訪れた際、危篤状態に陥った。

その隙をついてテオドシウスに洗礼を授けたのがテッサロニケの司教で、その後すぐにテオドシウスは嘘のように全快したという。

俺の知り合いにキリスト教の牧師がいる。彼女は不治の病になり、牧師のもとへ行き、毎日祈っていたら病気が治ったのだという。そのことで神の奇跡を信じるようになり、今ではキリスト教の伝播に生涯を捧げている。

テオドシウスもそうだったのだろう。彼はキリスト教の教信者になった。

テオドシウスはキリスト教以外のあらゆる宗教を認めなかった。

キリスト教以外の信仰を持った場合や他の宗教の祭具を所持している場合のみではなく、その勧誘を受けた者、そうと知っていて密告しなかった者にまで罰を与えた。特に他の宗教を信仰した者には死罪を与えたという。

法治国家ローマはすでに死んでいたのだ。

信教の自由も職業選択の自由も表現の自由も、あらゆる自由はローマからは消え失せていた!

それだけでは済まされなかった。

ニケーア公会議で正当と認められたアタナシウス派以外の信仰を全て異端として禁止したのだ。

キリスト教以外は邪教、アタナシウス派以外は異端。

アタナシウス派とはイエスを神だとし、精霊と神とイエスを同一視する三位一体説である。反対にアリウス派はあくまでもイエスを人間とする。

ニケーア公会議ではアタナシウス派を正当としたが、支持を得ていたのはアリウス派であり、数は圧倒的にアリウス派の方が多かった。

そりゃそうだ、イエスはどう考えたって人間だろうと思うのだが、クリスチャンから言わせれば違うらしい。

宗教とはそういうものだ。

テオドシウス帝はアリウス派を異端とし、これを徹底的に排除した。アリウス派の司祭は悉く追放とし、それを徹底した。

アタナシウス派はカトリックと呼ばれ、ローマの唯一の宗教となる。

全ては、ミラノ司教アンブロジウスの差し金である。

ユピテル有罪判決

テオドシウスはローマに行き、元老院の会議を主催した。

そして迫った。「君たちはユピテルをとるのかイエスをとるのか?」

元老院の連中が保身以外の選択肢を選ぶことはほぼない。この時も大多数がイエスをとった。

骨のある人間はその場で自死を選んだという。

かくしてユピテルは有罪となった。

ローマ中で、石像の破壊が始まった。

歴代のローマ皇帝は神格化され、その像がローマには並んでいたが、全て例外なく破壊された。

現在残っている石像が一部欠けた状態で残っているのもこの時に破壊された影響である。現状、完璧な形で残されているものは火山の噴火で下敷きとなったポンペイの町から出土した者が多い。

他は、この愚かなる皇帝によって破壊しつくされたのである。

書物も、多くが焼かれた。

秦の始皇帝は焚書坑儒を行ったが、テオドシウスは、いや、カトリック教会はそれをもっと厳格に行った。

歴史書も、美術品も、伝統も、全てが破壊された。

逆らえば、そこには死罪が待っていた。

石像を破壊しない者には容赦なく死を与えた。

言論の自由や表現の自由など、もうローマにはなかった。

ユピテルもアポローもマルスも歴代皇帝達も、もうまつられることはなかった。

ユピテルの像は、イエスの像にとって代わられた。

392年、神の国が建国され、YHVHが世界の統治者となった瞬間だった。

ミラノ司教と神の傀儡に過ぎない皇帝

キリスト教徒達の暴走を、この皇帝は止められなかった。

ある時キリスト教徒たちがユダヤ教徒達のシナゴーグを焼き払うという事件が起きた。テオドシウスはそれを罰し、焼き払ったシナゴーグを司教の費用で立て直すように命令した。

しかし、アンブロジウスはこれに抗議した。異教の建物を破壊するのは正当な行為だとしたのだ。さすがの狂信者テオドシウスもこれは無視した。あまりにも理屈が通らないからだ。

「誰のおかげで皇帝になれたと思っている?」

こう言い放ったアンブロジウスに、テオドシウスは何も言えなかったという。

テオドシウスは犯人たちを無罪にし、命令を撤回した。

ローマの法律は、宗教に負けたのであった。

ギリシャのテッサロニケにおいて戦車レースのスターが捕まるという事件が起きた。これに怒ったレースのファンたちが選手の解放を要求し暴動となった。テオドシウスは軍を派遣しこれを鎮圧したが、アンブロジウスはこの一件でテオドシウス帝を一喝、罪のない多くの人を犠牲にしたとして公式にイエスに贖罪を示すべきだと言ったのだ。

 8か月間もの間無視を続けたが、ついに膝を折ったのは皇帝であった。

 テオドシウスは、普段身に着けているようなマントも宝石も王冠もつけず、人前で下着になり膝まづいてイエスに赦しを乞うた。

それを、多くの者が見ていた。

司教アンブロジウスはイエスに代わってそれを赦した。頭には王冠を、マントには宝石を、誰にでもわかるようにその優位性を見せつけたのだった。

気を良くしたアンブロジウスはテオドシウスに「マーニュス(大帝)」の位を授けることになる。

紀元395年、テオドシウスは死んだ。

そして歴史の教科書にあるように、西ローマ帝国をホノリウスに、東ローマ帝国をアルカディウスにそれぞれ統治させた。ローマ帝国の東西分裂である。

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個人的なテオドシウスの評価

ネロやカリギュラの方がまだマシだと言えるだろう。

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この人たちは明らかに暴君だったが、ネロはギリシャ文化を愛好し保護しようとした。オリンピア競技をローマに持ち込んだのはネロだったが、ギリシャのオリンピア競技を廃止したのはテオドシウスだった。

彼はローマが築いてきた全てを破壊した。伝統も、美術も、文学も。テオドシウスが棄却した人類の宝は数知れない。

西のローマ帝国を滅ぼしたのはゲルマン人のオドアケル、東のローマ帝国を滅ぼしたのはイスラム教国家であるオスマントルコということになっているが、実質的に滅ぼしたのはテオドシウスであったというべきであろう。

彼はキリストを相手に膝を折るということをした初めてのローマ皇帝であり、暗黒時代と呼ばれる中世への扉を開けた人物であった。

俺は一応法学部出身だ。

法学部でまず習うのは表現の自由の重要さ、信教の自由の重要さ、経済活動、教育、奴隷的拘束、そのほかの自由権がいかに重要かという点である。

これらのうちほとんどがギリシャ、ローマにおいて確立した権利であった。

このテオドシウスという皇帝は全てを否定した。従わない者は全て処刑した。

コンモドゥスなど問題にならないほどの暴君であったというべきであろう。

それでも後世から非難をされないのは、彼がキリスト教を保護したからである。

現在、世界の支配者は明確にYHVHの影響下にある人物たちである。ロシアも、アメリカも、イギリスも、フランスも、ドイツも、中東の諸国、googleを作った者たちでさえも唯一神を信奉するものである。

如何にネット上で神をきどろうが、googleは神になどなれない。本当の神の前では検索エンジンも人工知能も無力なのだ。

もちろん歴史でさえも。

反抗さえ許されない。

あれほど強大で精強だったローマ帝国は、あらゆる異民族との闘いに勝利をした。

ギリシャにも、カルタゴにも、ペルシャにも負けなかったローマは、最終的に神の前に膝を折るしかなかったのだ。

地上を神々の代理戦争とするならば、ゼウスことユピテルはYHVHに負けてしまったというべきであろう。

逆にYHVHの立場から見れば、完全なる勝利がやってきたのだ。

人類の歴史から見た暗黒時代は、神の視点から見れば黄金時代となる。

されど人もなかなかしぶとい。

完全に失われたかに見えたローマの魂は、簡単に消えたりしなかった。

ローマが滅びてから1000年後、ローマのあったイタリアで、ローマの文化は復活する。

人類の歴史は、それを再興と言う意味のルネッサンスと呼ぶ。