アヴェンジャーズとキャプテンアメリカの物語は一続きなんだな。
スパイダーマンとかもそうだけど、アメリカのヒーロー観みたいなのは年と共に変わって言っている。
昔のヒーロー観は完全に「スーパーマン」だった。
今のヒーロー観は、「Mr.インクレディブルマン」のようにヒーローであることに悩み、否定し、迷うところにある。
このキャプテンアメリカシヴィルローもそういう物語の一つだ。
まさにシヴィルウォー
シヴィルローとは内戦を意味する言葉だ。
今迄のキャプテンアメリカの敵は明確にヒドラという組織だった。
第二次世界大戦の亡霊ともいえる敵で、明確にそこに敵がいた。
「いかなる強国と言えども長期にわたって安泰であり続けることはできない。国外には敵をもたなくなっても、国内に敵を持つようになるからだ」
これはポエニ戦争においてカルタゴの将軍ハンニバルの言った言葉だ。
ハンニバルの言葉通り、敵のいなくなったローマは内戦を始めた。
まさにシヴィルウォーが始まったわけだ。
シヴィルウォーと言えばアメリカでは南北戦争を表す言葉だが、元祖はローマで起きた内乱だ。
その内乱はユリウス・カエサルによっておさめられたが、カエサルは暗殺された。そしてその後を継いだオクタヴィアヌスがローマ最初の皇帝アウグストゥスになったことによって終わった。
今回の物語は、アヴェンジャー内部で起きた内戦だ。
今回の敵は誰だったのか?
キャプテンアメリカと題された映画なのだから、主役はキャプテンアメリカだ。
じゃあ敵は誰だったのか?
そこがこの映画のテーマなのだろう。
敵はアイアンマンだったのだろうか?
キャプテンアメリカは最後までアイアンマンと対立し、戦っていた。
しかしアイアンマンは敵なのだろうか?
今回の物語はいわば復讐の連鎖だ。
アヴェンジャーズの第二作目でソコヴィアを舞台にアヴェンジャーズは戦った。敵には勝ったが、そこには大きな犠牲が出た。
それも無辜の民が犠牲になった。
エイジオブウルトロンでの敵はウルトロンであり、それはアイアンマンが作り出した敵だった。敵はもはやハイドラではなくなっていたのだ。
今回の敵、といっていいのか、主犯はエイジオブウルトロンの犠牲者だった。父と妻と子をいっぺんに殺された男性が復讐に駆られてやったことだった。
彼の行動はさらなる犠牲者を生み、犠牲者を増やしていった。
でも元をたどればやはりアイアンマンの行動が引き金となったと言える。
そんなアイアンマンに復讐心を芽生えさせるのが彼の目的だったのだ。自分と同じ苦しみを、味合わせるのが。
悲しみを背負ったヒーローたち
アヴェンジャーズのメンバーはいわば心に傷を抱えている。
キャプテンアメリカは1人だけ生き残ってしまい、仲間はもう誰も生きていないという世界に放り出された。唯一昔の恋人だけは生き残っていたが、その人物も今回で天に召されていった。
唯一残った友を救うためにキャプテンアメリカは戦う!!というのだったら従来の通りのヒーローものだったのだが、シヴィルウォーはそんな単純な話ではなかった。
正しいことを、正しいと信じることをするには犠牲が伴う。
それでもキャプテンアメリカは、アメリカの良心とも言えるヒーローは、自分が正しいと思うことをやり遂げる。
これはそういう物語だ。
誰かが救われたのだろうか?
キャプテンアメリカの行動原理は「誰かを救う」である。
それはキャプテンアメリカだけではなくアヴェンジャーズ全員の共通目標だと言えるだろう。
しかし、この映画を観たあとで、一体誰が救われたのだろうか?という観点で見てみると、今回の映画で救われた者はいないという結論になる。
アイアンマンことトニー・スタークは両親を失った悲しみから救われていないし、ブラックパンサーは父を失い、犠牲者が救われるような話もない。
逆に、誰も救われなかったことにこの映画の本当の意味があるのかも知れない。
戦いとはある意味、誰も救わないものだと、そういう視点で見ると、この映画の見方が変わる。