なんだか不謹慎だと言われそうな企画なんだけど、世界史ブログとしてはどうしても触れておかなければならないところ。
美貌を以て世界史に名を残している女性はかなり多く、全部取り上げるとトップ100とかでも余裕でいけてしまうので、涙をのんで今回はトップ10に搾りたいと思う。
男も女も美人が好き!
世界史上に名前を残す女性の中でも国を傾けるほどの美しさを持った人物とは誰なのか?はてさて皆さまお待ちかね、俺的「傾国の美女トップ10」と行こうではないか!
10位:貂蝉
画像引用元:真・三國無双8:貂蝉
三国志ファンにはおなじみの「貂蝉」から行ってみよう。
後漢の滅亡がほぼ決定的となっていた2世紀後半、時の皇帝である献帝擁した董卓は首都洛陽を焼き討ちにして都を長安へと移したのだった。曹操や劉備、袁紹に孫堅といった武将たちが反董卓連合を組織したものの内輪揉めに終わり解散し、いよいよ権勢をg欲しいままにする董卓は長安の都にて暴虐の限りを尽くしていた。
董卓は漢王室の献帝を傀儡としその威光をかさに着てやりたい放題。背後には養子となった呂布という圧倒的武力を誇る武将がいるため何者も手出しをすることができない状況になっていた。
呂布の強さは圧倒的で、後に神様となる関羽、一騎当千の武将である力自慢の張飛、ついでに後に皇帝となる劉備を加えた三人がかりでかかっても、1滴の汗さえかかせられない。
もう誰も倒せないと誰もが思った董卓と呂布。それをどうにか倒そうと考えたのが漢の3大官職のうちの1つである司徒であった王允、の養女にして絶世の美女である貂蝉。彼女は2人の仲を裂く計略である「連環の計」を義父に提案する。己の魅力をもって2人の仲を裂こうというのである、
王允はまず呂布に貂蝉を紹介する。呂布は貂蝉にまんまと一目ぼれしてしまうが、王允は次に董卓に貂蝉を引き合わせる。董卓は貂蝉をわがものとし、それを知った呂布は激怒した。激怒した呂布に貂蝉は言う。
「本当に好きなのはあなただけ♡」
こんなことを言われた呂布は舞い上がって董卓を殺してしまうのであった。
呂布と董卓を失った軍は急速に弱体化し、曹操や袁紹と言った群雄が勢力を伸ばし、中華の覇権を握るようになるのだがそれはまた別の話。
まさに貂蝉は傾国の美女と言っても良い活躍をするのだが、今までの話は残念ながらフィクションである可能性が高い。
*一騎打ちのくだりはほぼ100%フィクション。
実際に呂布と董卓の間で1人の女性を取り合ったエピソードはあるらしいが、三国志演義の作者である施耐庵あるいは羅貫中が明代に付け加えたエピソードかあるいは長い間に形成された民間伝承である確率が高い。
とはいえ「傾国の美女」と言ったらやっぱり貂蝉だよねってことでランクインさせてみた。
三国志には他に鄒氏とか甄氏のように国の命運を左右した女性が多いけれど、割と脚色されたものが多く、史実とは言えないものも多い。
ここは一応史実をもとにした世界史ブログなので三国志の人物は抑え気味な感じでいきたいと思う(><)
じゃないと下手すると三国志だけでランキングが終わってしまう。
9位:グレースケリー
シンデレラストーリーという言葉がある。一般身分から王子様と結婚する話であるが、それを実現させた女優がいる。グレース・ケリーである。
彼女はヒッチコックの映画などによく出てくる非常に有名なハリウッド女優だったが、カンヌ映画祭で知り合ったモナコ大公のレーニエ3世と結婚した。
彼女の持っていたエルメスの鞄が「ケリーバッグ」として有名になってめちゃ売れたのは有名な話。
正直世界史を動かしたというほどではないが、実写の美しい女性の写真が欲しかったからランクインさせた。だってパブリックドメインだったんだもん!
8位:ボルテ
誰それ?という人が大半だと思うが、世界最大の帝国を作ったチンギス=ハーンの正妻の名前である。
チンギスハーンの優秀な息子達であるジュチ、オゴタイ、チャガタイ、トゥルイの母親で、それぞれの息子がモンゴルを4分割した訳だからその影響力たるや半端ない。日本でも有名なフビライ=ハンの祖母でもある。
ボルテに関しては他のランクインした女性とは違って国は滅ぼしていないしむしろ発展させているから8位にしておいた。世界史への影響度はトップクラスだと思うけどね。
チンギスハーンことテムジンの物語は父親であるエスゲイが死んだ時に始まるかボルテが宿敵メルキト族に連れ去られたところから始まるのが常で、テムジンとボルテは幼い時から許嫁であったとするのが通説。2人はかなり長い間夫婦であったことになる。
チンギスハーンには数十人から数百人の妃がいたとされるが、彼が一番愛していたのはボルテだったと伝えられるほど。かなり賢い女性であったらしく、チンギスハーンは彼女の機転で命が助かったこともあった。
子供は皆出来がよく、良妻賢母であったと後の歴史は伝えている。実際チンギスハーンの時代よりも子供世代の方が領土は大きかった訳で、やっぱり優秀だったんだろうね。後に後継者などでもめて国力が衰退していくけどもさ。
現在世界中の人間の4人に1人はモンゴル族の遺伝子が入っているって話もあるぐらいで、それぐらい人類に与えた影響は大きかったと言える。
そんな大帝国を作ったチンギスハーンほどの男が他の部族の力を借りてまで全力で救いに行ったぐらいだったのだから、ボルテはそりゃあ美人だったに違いない!
7位:王昭君
中国4大美女の一人
元代に成立した中国文学の傑作である「漢宮秋」の主人公で、李白や杜甫、白居易などの唐代を代表する詩人にもその美貌と悲劇性を詠まれた女性。こちらは後漢書という書物にちゃんと記載がある。
彼女は匈奴という北方の騎馬民族の君主の元に嫁ぎに行き、夫が死ぬとその息子の妻となった。
実際はそれぐらいの記述なのだが、後世の脚色が加えられて段々とてつもない美人になって行った感がある。
残念ながら歴史書において王昭君を美女とする記載はない。
よく考えると世界史を動かしてないんだけど、後の中国文化に大いに影響を与えたことと中国4大美人の1人なのでやっぱりね。
6位:ヘレネ
古代最大の戦いトロイ戦争はそもそもヘレネをめぐる戦いとして始まった!
正直実在に関しては怪しいところもあるんだけど、トロイ戦争は実在した可能性もあるし6位にランクインさせてみた。
トロイ戦争について知らない人は以下の記事を見てくれよな!
実在したとすればトップになってもおかしくないんだけど、本当に実在したか疑わしいのでこの順位。
美の女神ビーナスによって世界一の美女の称号を与えられた訳なので、世界史上最高の美人となるとこのヘレネで決定だということになるだろう。
トロイ戦争がなければイリアスやオデュッセイアはない訳で、アイネアスなんかもやっぱりない。ローマの建国神話は全然別物になっていただろう。
そういう意味でヘレネは世界史を動かした人物だと言える。
5位:褒姒
周の幽王の妃。 幽王は褒姒のことを気に入っていたのだが、彼女は全く笑わなかった。王様は彼女の笑う姿が見たくてなんとかして笑わせようとしていた。
ここまではハートフルコメディにでもありそうな設定だが、事態はハッピーエンドでは終わらない。
幽王があるとき狼煙を上げると褒姒が笑った。狼煙は緊急の兵士の招集の為に上げるのだったが、王様は妻が笑うのが見たくて何度も狼煙を上げた。兵士たちは段々と集まるのが馬鹿らしくなって敵が攻めてきた時でも集合したなかったので周は滅びてしまったとさ!
どう考えても嘘くさい話だが歴史書に載っている。周が犬戎という謎の民族に滅ぼされたのは確からしいので、この話がウソであるという証拠もない。
夏王朝最後の皇帝桀王の妻末喜にも同様のエピソードがあり、次の妲己も似たようなものなので、どれかはオリジナルだと思うんだが…
いずれにしても傾国の美女と言ったらこの人だよね!ってことで5位にランクインしました。
4位:妲己
封神演義の登場人物として知っている人もいるかも知れないが、司馬遷の書いた「史記」にも登場している恐らくは実在した人物。
紀元前11世紀殷の最期の皇帝「帝辛」に寵愛を受けた女性で、酒池肉林のバカ騒ぎをしたり妲己の気に入らない人物を次々と処刑したと言われている。
帝辛自体はトラを素手で倒すほどの武力と博識をもった人物として知られていたが、妲己によって暴君へと変貌したという。
周の文王はその様を嘆き殷打倒の準備を始めたのだという。
一説には中国最悪の拷問炮烙を見ると今迄笑わなかった妲己が笑ったため帝辛はそのために刑の執行を次々に実行したという。それを諫める人間がいると「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いているぞ」と言ってその人物を処刑したと言われている。
帝辛はその暴虐ぶりによって死して紂王という名前を付けられた。
司馬遷が生きていたのは紀元前2世紀頃の話で、殷が滅びたの後900年も経っており、かつ王朝の最期の君主はボロカスに言われるのが中国の伝統なので、どこまでが本当化は疑わしい面はある。褒姒の話や末喜の話とも似すぎているため王朝末期における混乱のひな型なのではないかと個人的には思っている。
日本では九尾の狐が化けた姿だという話が伝わっていて、玉藻前の前身とされる。
封神演義は漫画になって少年ジャンプで連載されていたので妲己の名前を知っている人は結構いるんじゃないかなと思う。
3位:ロクセラーナ(ヒュッレム)
この人に関しては近々独立した記事を書きたいと思っているんだけど、オスマン帝国最盛期の君主であるスレイマン大帝の正妻になった人。
スレイマン大帝がどれぐらいすごい人物だったかというと、東欧の大体を制圧した挙句にオーストリアの首都ウィーンを包囲したかと思えばプレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィア連合軍を散々に打ち破るという無双ぶり。スペインと言えばこの時南米のほとんどを支配し、1588年イギリスとの間のアルマダ海戦に敗れるまでは無敵という名前を欲していたほどであり、当時世界最強国家であったと言って良いだろうオスマン帝国の君主だった訳である。
ちなみにロクセラーナというのルーシの女性という意味のあだ名で正式な名前はヒュッレム・ハセキ・スルタンとなっている。
彼女は元々奴隷として売られた身分で、後に歴史に名を遺す大宰相パルガル・イブラヒム・パシャのもとに送られたという。
この後どんな顛末があったかは伝えられていないが、イブラヒムはスレイマンにロクセラーナを献上したのは確かなようだ。
スレイマンは彼女のことがよほど気に入ったのかすぐに第2夫人に据えている。
彼女はスレイマンとの間に5人の子供がいたが、当時は第一夫人との間にも子供がいた。が、なぜかスレイマンはその子供を処刑してしまう。この部分も理由は不明だが、ロクセラーナの策謀とする歴史家も多い。
このようによくない噂はあるものの、かなり頭の良い女性で、いい意味でオスマン帝国の政治にも関与していたようである。
オスマン帝国の歴史ではスルタン(王)は正妻を設けないのが慣例であったが、ロクセラーナはそれを破りスレイマン大帝との間に正式な婚姻関係を結ぶことに成功した。
彼女が権謀術数を巡らせ宮廷政治に影響を与えたことで、後のオスマン帝国には後宮政治が蔓延することになったという説もある。
よくも悪くもスレイマン大帝亡き後急速にオスマン帝国は衰退していき、ついには欧米列強によって植民地同然にされてしまうようになるのだったが、それはあと数百年後の話。
2位:クレオパトラ
「クレオパトラの鼻があと3cm短かったら歴史は変わっていただろう」というのは「人間は考える葦である」という名言も残した17世紀の大天才パスカルの言葉だが、クレオパトラは確かに歴史を変えた人物であるだろう。
彼女の本名は クレオパトラ7世フィロパトル、プトレマイオス王朝最後にしてエジプト王朝最後のファラオである。
クレオパトラという名前の王族は歴代エジプトには沢山いて、母の名前もクレオパトラなら父の母の名前もクレオパトラなら祖母の名前も全員クレオパトラである。
ついでにいうと4人いるはずの祖母のうち3人は同一人物なので血のつながりのある祖母は2人しかいない。
父と母は兄弟だったし、父の父と父の母も兄弟だった。
ちょっと何言ってるかわかんねぇと思うけど本当のことなんだ・・・
プトレマイオス朝のエジプトでは王家の血を重視しすぎたために極度の近親相姦婚が伝統になっていて、兄弟婚が主流であったのだ。
クレオパトラ7世自身もその伝統にのっとり弟のプトレマイオス13世と結婚し共同統治という形をとっていたぐらいだ。
ただし仲は良くなかったらしくクレオパトラ7世はエジプトを追放されてしまう。
どうしようもなくなったクレオパトラはファルサロスの戦いに勝利したローマ最大の実力者カエサルに会いに行き、見事に虜にすることに成功する。
カエサルのクレオパトラへの入れ込みようは尋常じゃなく、あっさりとプトレマイオス13世を倒しエジプトを取り戻したのち、2人の間にはカエサリオンという子供が生まれるようになり、しかもローマへの凱旋式にクレオパトラとカエサリオンを同行させるというトンデモぶりを発揮する。
この時クレオパトラは別の弟プトレマイオス14世と結婚していたのだが一体どういうことだってばよ・・・
ご存知の通りカエサルは元老院に暗殺された。
カエサルは遺言で当時18歳だったオクタヴィアヌスを後継者に指名しており、カエサリオンの名前はそこにはなかった。
オクタヴィアヌスは終生クレオパトラを憎んでいたようで、クレオパトラはローマの有力者であるアントニウスを誘惑することに成功する。
アントニウスのメロメロぶりはあまりにもひどかったようで、クレオパトラと結婚したいがために妻と離縁するという暴挙に出る。
アントニウスの妻はオクタヴィアヌスの姉であったため両者の仲には亀裂が走る訳だが、アントニウスはそんなことは知ったこっちゃない状態でクレオパトラにのめり込む。
その様はシェイクスピアの「アンソニーとクレオパトラ」に詳しいが、本来ローマでやるはずの凱旋式をエジプトでやったりローマの領土を勝手にクレオパトラに与えたり、関ケ原の決戦ローマバージョンとでもいうべきアクティウム海戦においてクレオパトラが逃げ去るのを見ると軍の指揮権を放り出して追っかけてしまう体たらくであったという。
クレオパトラに関しては不美人説も根強く、歴史家のプルタルコスが「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもないと言われていた」としている。
ただしクレオパトラは最低でも5か国語を話せたらしく、声はまるで楽器のように美しかったとしている。
近親相姦は極端な虚弱体質か天才型が生まれることが多く、クレオパトラは天才型だったようである。
キャバクラなんかでもナンバー1になるのは1番美人な女性ではなく話を聞くのが上手な女性だっていうもんなぁ。
ちなみにクレオパトラとアントニウスの子供はアウグストゥスによって姉である元嫁のオクタヴィアのもとに送られて養育されたそうだ。
どんな気持ちだったんだろうと思うが、幸い子供たちの出来は良かったらしくその子供からはローマの英雄ゲルマニクスや3代目のローマ皇帝クラウディウスなどが生まれたりする。
ちゃんと子供たちを育てたってことは、オクタヴィアこそ真の美女なのかも知れんね。
1位:楊貴妃
クレオパトラといい勝負だけど、やっぱり1位は楊貴妃かな。
楊貴妃は唐の第6代皇帝玄宗の愛人で、そもそもは玄宗の子供の嫁だった。
玄宗って皇帝はかなり真面目な皇帝で、その治世の前半は開元の治と言って善政を敷いたことでも知られる訳だけれども、楊貴妃に出会った頃から完全におかしくなった。
息子の嫁を愛人にするのもかなりぶっ飛んだ行為だけど、楊貴妃の一族を能力に関係なしに要職に就けたもんだからさぁ大変。
楊貴妃の親戚である楊国忠と仲の悪かった安禄山が反乱を起こすと首都であった洛陽が陥落、その後長安も陥落して散々な状態になる。
中国の歴史は外戚と宦官がメチャクチャにすることが多いんだけど、美女がらみで滅茶苦茶になることも多い。玄宗のこれはその中でも最大級だと言える。
なにせ部下たちが楊貴妃をどうにかするよう再三注意したのに全く聞く耳持たなかったうえに死んでから廟を作るのに反対されてたのにこっそり作ってたぐらいだからかなり酷い。
若い時真面目だと年取ってからおかしくなる人が多いらしいけど、玄宗はその典型だったね。
若いころ遊んでいた奴が真面目になると評価されるのにねぇ…
以上世界史に影響を与えた美女ランキングでした。
この記事を書くのに気が付いたら5時間ぐらいかかってしまったよ…
いい年した大人が一体なにやってんだって話なんだけど、せめて読んだ人が楽しんでくれたならうれしいぜ!
ちなみに 映画雑誌である「TC Candler」が世界で美しい顔トップ100という企画をしているのでトップ3だけ載せておく。
3位:ヤエル・シルビア(Yael Shelbia)
2位:ツウィ(Chou Tzu-yu)
1位:ティラーヌ・ブロンドー(Thylane Blondeau)
どうだろう?散々議論がされてきた事柄だと思うんだけど、やっぱりオードリーヘップバーンが1番じゃないかな?